2017年 03月 28日
ひめちゃご63 景行天皇の三女神祭祀
ひめちゃご63
景行天皇の三女神祭祀
ヤマトタケルの父、景行天皇は九州の各地を回った。
その戦いの記録は『日本書紀』にも書かれているが、
祭祀については触れられていない。
パワーポイントをつらつらと流していると、
どうしてもここで止まってしまう。
何度も書いてしまうが、
今日も、水沼(みぬま)の話にお付き合い願おう。
福岡県の筑後川。向こうに見えているのは耳納(みのう)山脈。
かつては水縄とも書かれていた。
こちら岸に赤司八幡神社が鎮座する。
主祭神は道主貴(三女神)だ。
『日本書紀』には水沼君がもちいつくと書かれている。
止誉比咩命は豊姫、すなわち神功皇后の妹。(武内宿禰の妻)
與止比咩命は淀姫、すなわち津波を知らせてくれる水の女神。
古くは筑紫中津宮といい、止誉比咩神社となった。
しかし、守り続けた水沼氏はキリシタン大名の大友氏に
神殿を燃やすか、名を捨てるか、選択を迫られて、名を捨てた。
今は宮崎氏となっている。
この時、八幡神社となった。
かつて景行天皇がここで三女神を祀り、皇子を御手代として残した。
その皇子が国乳別皇子だ。
神功皇后でさえ、妹の豊姫を神形代に立てた。
何度も書いた話だ。
この国乳別皇子(くにちわけのみこ)の墓所が在る所が高三潴。
だから、古代の連玉ビーズが出ても何の驚きもない地だ。
そして飯塚での話で、景行天皇は日尾山(ひおさん)でも
三女神を祀ったと聞いた。
それが飯塚の厳島神社の由来だ。
これは飯塚市の日若(ひわか)神社だが、
右の画像に日尾山が写っているので、ご紹介。
右の道を走ると行き止まり。
車で走ってもかなり大きな山塊だ。
ひおさんは「日尾山、日王山、日思山」の表記があった。
この日尾山の重要性は何を意味するのだろうか。
右の画像の川の右手の方から山道があるという。
古代の銅の道だ。
この日若神社そのものには景行天皇関連の伝承はないが、
日尾山が写っていたのでUPしてみた。
何故、景行天皇はこの山に三女神を祀ったのか。
三女神に祈り続けた景行天皇は何を知っていたのか。
『日本書紀』からは全く伺えない、筑紫の女神信仰。
景行天皇より古い時代からの水の女神。
それを消し去ろうとしたキリシタン大名。
そこらへんにも手掛かりがあるんだなと思う。
(神社についている番号は
拙著『『神功皇后伝承を歩く』の掲載番号。
ゆっくりと読み直してくださいませ)
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相変わらずなんですけど…馬見神社の北が八幡西区の一宮神社になるのですが、そのライン上になりました。
馬見神社から日王山までが真北 0.10°なんですけど、以前お知らせしましたように、那珂川町の現人神社から真東90.00°が馬見神社でした。
ところが何と、現人神社から日王山は 60.14°(真北を0°として)だったのです。
つまり、この三点をつなぐと、30°・60°・90°の直角三角形になるのです!
これは一体何なのでしょうか!!
とりわけ濃密なこの北部九州の地に、ウルトラクラスの「ひもろぎ逍遥」というサイトがあったということに尽きるのではないでしょうか…発掘(本当かなぁ)の条件が揃っていたという…
九州以外に3000本くらいのラインを記録していると思いますが、三角形としては京都の二等辺三角形(上賀茂神社-愛宕山-伏見山)と、紀伊半島の二等辺三角形(上賀茂神社-内宮(伊勢神宮)-大斎原(熊野大社))があるだけと記憶しています。
どれが本物かわかりませんが、現在のところ、北部九州にたくさんあると思います。幾何学地域のように感じています。
三女神降臨のルートかもしれない!
今のところ一番ピッタリは「英彦山北岳-日王山頂上-六嶽神社上宮」だと思います!
英彦山神宮が鎮座する中岳から日王山頂上を通った場合は、羽衣のもう少し東寄りというか、以前提唱したグランドクロス地点になりました。
というか、細かい事よりも、英彦山から日王山を通ると六ヶ岳なのでした!
天と地で両方から考える必要があるのかも。
ありなれ川からみて、右と左です。
三笠川と宝満~筑後川が針摺の瀬戸でつながって、
一本の川になっていた時代、その川をありなれ川と呼んでいたそうです。
意味は天の川。
その地名は大善寺の広川の別名として残っています。
筑紫がありなれ川で分離していたので、右の島、左の島と、
二島になっていた話です。
例えば、星の観察でも、平群は北、物部は南(うろ覚えですが)というように、差があります。
すると、宇宙観も違っていると思うのです。
天の川が天から地に流れ、実際の川が北から南に流れるのは、中国でも一地域ですが、それが普遍的な捉え方になったかもしれないし、それを知らない部族はまた違った捉え方をしていたと思うのです。
多種多様の思想が重層的に地名に残っていきます。
ありなれ川の思想を持っているのは、どんな氏族なのか、
是非探求してくださいませ。