2017年 04月 16日
5月は「高良玉垂宮神秘書」歴史カフェ、久留米大学
5月は「高良玉垂宮神秘書」
歴史カフェ、久留米大学
今日は歴史カフェでした。
ご参加の皆さまありがとうございました^^
県外からも何人も来ていただいて、情報交換も沢山しました。
歴史の雑談をする時、話したいことがあっても
記憶が曖昧で困ってしまうことが多々ありますね(^^;
また、感覚的に導かれて神社に参拝して不思議な思いをしたことも、
曖昧な記憶だと上手く伝えられません。
体験した歴史的な出会いをさらに深めるには記録が一番ですね。
神社名と住所と縁起のメモを書くと確かなものになっていきます。
私もブログに挙げていないものは、記憶から飛んでしまいます(´-ω-`)
行ったことでさえ (;’∀’)
そこで記録法を考えてみました。
人それぞれ記録法があるようです。
1 自分だけの年表を作っていく。
今回の磐井の時代などは年表が作れますね。
2 地図にプロットしていく。(グーグルを利用する方もありましたよ)
神功皇后、ヤマトタケルと色分けして地図に落としていくと、
面白い現象が見えたりします。
地名は知っていても、場所の記憶は案外曖昧なものです。
地名、山の名、道路号数などを記憶していくと、対話が楽しめます。
3 一神社 一カード。
ワードやカードに一神社ずつ記録して行って、カテゴリに分けていく。
思えば、私が本を書く時も、基本はこんな感じですねえ。
どれか好きな方法が見つかると、楽しさ倍増です。
さて、5月は「高良玉垂宮神秘書」祭というか、、、
歴史カフェと久留米大学公開講座が同じテーマです。
歴史カフェは5月25日(木)会場ひふみです。
歴史カフェでの内容については構成が出来次第お知らせしますが、
前回とは切り口を変える予定です。
観測点が変われば新たな景色が見えるように、
歴史も観点を変えて総合的な理解に繋げたいなと思います。
会場の件ですが、日曜日の「ひふみ」が使えなくなりました。
会場を探してみるので、少々お待ちください。
どこか良いところがあったら教えてくださいね。
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申し訳ありません。
『 京都郡誌 』ではなく『築上郡志 下巻』でした。
この築上郡志の『鬼神社』の項目に『 鬼神社は磐井の霊を祭れるなるべし。』との記載があるのですが、この築上郡志は『豊前志』渡辺重春 著(明治32年出版)を参考にしているようで、その『豊前志』も小倉藩士で国学者の西田直養の説を引用したものでした。
この『鬼神社』とは求菩提山にある神社で『豊前志』によると西田直養は筑後風土記にある南山峻嶺とは求菩提山しかない。 鬼神社は磐井の霊を祭れるなるべし。 説のようですが、『豊前志』の後述には求菩提山縁起の引用で、継体天皇廿年、狗ヶ岳鬼神を開基卜仙が法力で降伏させた云々との記述があるのですが、縁起を改めて確認してみると『求菩提山縁起』には継体天皇御宇としか記載がなく、この文面は『求菩提山雑記』(明治期成立?) からの引用のようで継体天皇廿年の信憑性は定かではありませんが、求菩提山には開基・猛覚魔卜仙が狗ヶ岳の鬼神を継体天皇の時代に降伏させたという伝承があるようです。
西田直養の説をとるならば、磐井君は敗走したのではなく救援に向かったとも最後の決戦の地が犬ヶ岳とも考えられるかも?
『 雑記 』の廿年説をとるならば、最初に仕掛けたのは猛覚魔卜仙側で、武雄の話に関連して、犬ヶ岳が豊前の拠点だったとも考えられるかも?ですね。
赤村ですね。近くの418号線は『アカル姫』の敗走ルート(香春~姫島)だと云われている道で、神功皇后も犀川の生立八幡へ向かう際、通過したと思われます。
英彦山の天狗面の事ですが、ちょっと勘違いしてたのかもしれないのですが。
『火王&水王』の事だと思って神幸祭の時にはお旅所にあると返事したのですが。
もしかして本当の天狗の面の事だったのでしょうか。
因みに、英彦山の火王&水王は、高良大社と同じような感じで、まるでトライデントで火王&水王のクビを捕ったような形態のものです。
あと、『鷹羽金田麻呂』の名前に見覚えがあると思ったら、糸田町誌に出てましたので、杷木神社の記事にコメントさせて頂きますね。
34号線の太祖神社に神功皇后腰掛け石がありますね。
道を間違えて断念した所でした。
英彦山の話は絵巻物です。
トンデモ番組に英彦山の絵巻が出ていたのです。
それをもう一度みたいなと。
やはりこの付近一帯は古代で重要な所だったみたいですね。
その絵巻が『松会』のものであれば、
添田町HP内の
『 歴史的風致維持向上計画 第2章 』
に部分的に掲載されていますよ。
また、
旧金田町人見の神崎1号古墳の獅噛環頭柄は、
『 広報ふくち』で検索してみて下さい。
2008年1月号 P18~19に小さな写真が掲載されています。
英彦山の絵巻は渡来人系の顔の行者のもので、第2章では見当たりませんでしたが、それはそれとして、これはすごい資料ですね。
行政が本気を出せば、こんなものが出来るお手本!
貴重なものを拝見しました。
ついに広い地図を購入しましたよ。
冊子地図では分からない道がつながる~♪
渡来人の絵巻と云えば、羽黒山の出羽三山 開祖 蜂子皇子を思い出すのですが。
蜂子皇子の逃走も、欽明朝でしたよね。この方もなかなか興味深いのですが…そこまで手を拡げると益々パニックになりそうなので調べるのは止めときました!
欽明期と聞くとドキッとするようになりましたが、ほどほどですよね。