2017年 08月 12日
磐井八幡宮2 磐井の乱の3年前に築造した砦
磐井八幡宮2
磐井の乱の3年前に築造した砦
磐井の丘にどんどん近づいてます。
こちらが正面。右手に駐車場があります。
参道は簡易舗装になっていて、
小さくて馬力がある車なら登れそうですが、
最後に急カーブの急坂があるので、覚悟してください。
歩いて行くと、こんな景色が見えます。
双峰の御船山です。神功皇后の船が山になったという。
武雄神社がありますね。
主祭神は武内宿禰です。父の武雄心命も祀られています。
組織は武雄組というようですが、
系譜からいうと物部氏ではないかと思っています。
磐井の時代はどのようになったのでしょうか。
物部氏なら、のちに戦うことになります。
いよいよ社殿の前の石段を上ります。
拝殿前に出ました。
磐井の砦跡なので、「磐井」の社号はついてますが、
祭神は応神天皇で、磐井は祀られていません。
磐井がこの砦を築いたのは524年。
磐井の乱が527年ですから、3年前だったことが分かります。
磐井が領土を広げていく中で、ここにも拠点を置いたのでしょう。
砦があるということは本丸があるのでは?
すぐ近くの柏岳(238m)がふさわしいように思われますが、
ざっと見て、その記録は見当たりません。
ご存知の方は教えてください。
帰り道、高橋駅前を通過しました。
武内宿禰がこの「高橋の津」を奪還したのでしたね。
福母八幡宮あたりで調べました。
また、朝倉林田の美奈宜神社の社伝には神功皇后の船は、
この高橋の津に凱旋したと書かれています。
(上巻43)
磐井がここを重要な拠点と考えた理由に
この「高橋の津」の存在が挙げられるでしょう。
湊は絶対条件ですよね。
また、書いていて気になったのが、この地名の朝日町です。
もう一つ砦がありましたが、鳥栖市の朝日山山頂でした。
共通するのが「朝日」という地名。
何らかの符合を感じるのですが。
これも情報があったら教えてください。
この近くには「がばいばあちゃん」のロケ地となった
淀姫神社があります。
神功皇后の妹の豊姫がここで亡くなりました。
そこには「武以」が祀られています。
仲哀天皇の重臣の大伴武以だと思っています。
また、武内宿禰の母山下影姫に関わる黒尾神社。
などなど。
既にいっぱい書いている。
曖昧なままでは困りますね。(^^;
この周辺の過去記事を復習する必要がありそうです。
この磐井八幡宮は次著でも紹介します。
磐井八幡宮
武雄市朝日町中野5483
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