2017年 08月 13日
淀姫神社 伊万里市「末羅県鎮守の霊場」
淀姫神社
「末羅県鎮守の霊場」
豊玉姫を祀る宮
伊万里市大川町
伊万里(いまり)市から武雄(たけお)市に抜ける途中、
山中で通行止めに遭った話を前回したが、迂回する途中で、淀姫神社の前に出た。
「こんな所に大きな淀姫神社がある」
「お参りしなさいということだね」
ということで参拝した。
佐賀には淀姫神社が多い。
既に何社か記事にしているが、すべてが川の合流点にあった。
川の氾濫を鎮める女神だと総合的に考えている。
こちらは神社の前の風景。盆地のようにもみえる。
地図を見ると、松浦川に支流が流れ込む小平野のようだ。
この小平野も何千年もかけて激しい雨に流された土砂で形成されたのだろう。
ここは佐賀県伊万里市大川町大川野。
いかにも古社らしい風情がある。
参集殿だろうか、
まるで武道館のようにも見える建物に心が引かれた。
お武家が少年剣士たちに武道を教えていそうな、
映画の舞台になりそうな雰囲気のある建物だ。
御祭神:與止日女命・建御名方神・菅原道真公
神殿が白色で珍しい上に、女神の華やかさがある。
右手には龍と波が描かれていた。與止姫そのものだ。
幸いにHPがあったので、由緒の一部を引用しよう。
【由緒】
大川野盆地中央の伏熊山に鎮座する当社は 第29代欽明天皇の御代24年(563年)に御鎮座されたと伝えられています。
古代、『魏志倭人伝』に登場する末廬国(まつらこく)が唐津地方に栄えた頃であり、古くは「末羅県鎮守の霊場」とうたわれました。
かつては「河上大明神」と称されており、松浦川の鎮守の神でありました。現在も鳥居の扁額は「河上社」と掲げられています。
與止日女命(ヨドヒメノミコト)を主祭神とし、後代に建御名方神(タケミナカタノカミ)、菅原道真公を合祀しています。
この建御名方神は、古くは長野原の古鳥居(現 肥前長野駅の北側)にあった「諏訪大明神」の御祭神で、今から千年以上前に合祀されたと伝えられています。
前回は武雄の磐井八幡宮を紹介したが、
欽明天皇は磐井の次の時代の天皇だ。6世紀の鎮座だという。
ここは末盧国のエリアでもあるらしい。
【與止日女命 (よどひめのみこと)】
与止日女命はまたの名を豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)といい、海神・大綿津見神(オオワタツミノカミ)の娘にあたります。
記紀神話では海神・大綿津見神と豊玉姫命は、海神宮(わたつみのみや)にやってきた火遠理命(ホオリノミコト)=山幸彦に、潮の満ち引きを自在に操る「潮満玉(しおみつたま)・潮干玉(しおひるたま)」を与えます。
陸に戻った山幸彦は、低い土地や高い土地に田んぼを作りますが、水をつかさどる玉を持っているので、いつも豊作となります。
豊玉姫命が五穀豊穣の神様として祀られる由縁です。古来、大川「松浦川」の氾濫に苦しんだ人々が、潮満玉・潮干玉を以って水を自在につかさどりたいという願いが垣間見えるようです。
また、豊玉姫命は、山幸彦と結婚し身ごもりますが、天の御子を海の中で産むわけにはいかないと、陸に上がり浜辺に茅(かや)の代わりに鵜の羽で産屋を作ります。
しかし途中で産気づき、鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を「鵜の羽も葺き終わらないうちに」あっさりと出産されます。このことから、縁結び・安産の神様としても信仰されています。
やはり、松浦川の氾濫を鎮める神として淀姫を祀ったようだ。
與止姫を豊玉姫とする例は時々見られる。
本来、與止姫は豊玉姫とは別神で、
夜渡(よど)七十の津波を鎮める神だと考えている。
夜渡七十とは七十年に一回、有明海から津波が遡上する現象をさす。
夜渡祭があるところは、津波の喫水線に当たることを
数年前に調べた。
真鍋は七十年というサイクルは、この夜渡七十に限らず、
災害のサイクルだということを言い伝えている。
今がその時なのだろうか。
さて、
豊玉姫は玉依姫とともに、潮満珠、潮干珠と考えられている。
豊玉姫は潮満珠なので、津波の寄せ波の象徴でもあり、
與止姫と同じといえば同じ現象なのだ。
「トヨ」と「ヨド」が混同されるようになったのだろう。
参照 河上大明神 淀姫神社 HP
http://www2.ihn.jp/~t-nk.410/index.html
鎮座:佐賀県伊万里市大川町大川野
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同じ日にワタクシは思い立って大和町の與止日女神社に行ってきました。
地形図を見ると太古の昔は山地と海の際だったのかなとか
御祭神の事や本殿の千木が外削ぎなのは何か隠された物語があるのかななど気になる事が出来てしまいました。
この付近の山際かなり気になりだしてます。