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ひめちゃご87 福童神社 天照国照彦火明命はニギハヤヒ?



ひめちゃご87

福童神社 

天照国照彦火明命はニギハヤヒ?
 



媛社神社から姫古曽神社に向かう途中に、福童神社がある。
直線で西に1.5キロほどの距離だ。
歩いて行ける距離だが間に川がある。

福童神社は小郡市福童(ふくどう)の神屋敷に鎮座する。



社殿は南面し、正面に入口がある。
しかし、境内に足を踏み入れてから違和感が付きまとった。

鳥居の位置や植物の配置から、
現在の社殿とは違う境内の形が見えてくるのだ。



c0222861_20222638.jpg

創建は438年前(平成7年から遡って)の室町時代末期とされている。
神殿から弘治3年(1557年)の木札が出ているそうだ。


しかし、社殿が建つ前から宮があったと感じられた。


祭神は天照国照彦火明命。

これを見て、さらに混乱に陥った。
ニギハヤヒが小郡に祀られている。


ところが、火明命は饒速日(ニギハヤヒ)とされるが、
『日本書紀』一書では、海幸彦とする。

そもそも「天照国照彦火明命」と「火明命」は別神なのだろうか。

実はこの「火明命」が海の中道の志式神社に豊玉姫と共に祀られているのだ。
「荒ぶる神々」の一柱なのである。

志式神社は明らかに安曇族の神社である。
しかし、志賀海神社に尋ねると、祭祀的な関連は全く無いという。

火明命が海幸彦なら、志式神社に祀られるのは理解できるが、
ニギハヤヒとなると、その関連が分からない。



神功皇后の本を書く時も、分からないままを書き、
後世の研究に委ねることとした経緯がある。


ここ小郡は物部が濃厚に存在している。


ここでの天照国照彦火明命はニギハヤヒなのだろう。

そういえば、媛社神社も鳥居の「磐船神社」から、ニギハヤヒの痕跡がみられた。

ここがその中心の宮だったのだろうか。

地形は、微高地の南部にあったと考えられる。

集落から出れば、肥沃な田園地帯が広がっている。
かつては中津海だったのだ。




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境内から社殿を撮ると、朝日が少し高くなっていた。
この向こうには媛社神社がある。








c0222861_20235048.jpg

東の鳥居は「天照□□」と読めた。

春・秋分の日には鳥居の向こうから朝日が昇る。
どこか、太陽祭祀の名残も感じられる宮だった。





志式神社(ししき) 「神功皇后伝承を歩く」下巻72


赤 福童神社 紫 媛社神社(七夕神社)







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by lunabura | 2017-08-28 20:27 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(1)
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Commented by チェリー at 2017-08-28 22:10 x
lunaさん、こんばんは。
福童神社は耳納連山の最高峰「鷹取山」から 300.0°になりました。
そして、まれな事だと思うのですが、ちょうどここから冬至の太陽が昇るようです。
方位のラインと太陽のラインが一致するみたいです。カシミールの画像が正しければの話ですが…
鷹取山というのはどうなんでしょう?耳納連山の最高峰になりますので、ラインの立場としては一番の重要ポイントなのですが、信仰の対象とはなっていないみたいですねぇ…
画像送りますね!
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