2017年 09月 12日
ひめちゃご95 ついに出現した双龍と鷹取結界
ひめちゃご95
ついに出現した双龍と鷹取結界
三つの「鷹取山」(たかとりやま)による三角形の結界。
それをチェリーが作図してくれた。
二つの「ヒメコソ」神社の中央にある「福童神社」から見ると、
冬至の朝、鷹取山から日が昇る。青いラインだ。
そして、今ブログでは赤いラインを辿っている。
夏至の朝、馬見山から日が昇るラインだ。
この途中で三つの鷹取山の結界の話が出たのだが、
左上の鷹取山は綾部神社の北にあり、見事な三角錐を描く神奈備山だ。
この続きはチェリーのブログで見てほしい。
なんと二つの龍が現れたのだ。
脊振(せぶり)山系と耳納(みのう)山系だ。
龍脈の先には龍穴がある。
チェリーは耳納山系の龍は味水御井神社の水を飲むとにらんだ。
脊振山系の龍はどこの水を飲むのか。
地元の方、探してほしい。
久留米の北部からは耳納の龍がよく見える。
また脊振の龍が姿を見せるのは久留米~八女方面だ。
双龍の龍穴があるイヤシロチを発見した人は
三つの鷹取で結界を張った。
いやあ、これは集団幻想小説なのだから、妄想は大歓迎だ。
自分も妄想してみよう。
倭国の創世記、龍穴を求め、結界を張る人がいた。
鷹取結界の中には水を祀る君がいた。それが水沼君だ。
水沼君の斎き祀るは三女神。
驚いたことに、この結界の垂線は岩戸山古墳の松尾宮を通る。
その垂線は沖ノ島からスタートするとチェリーは考えた。
私は思う。
岩戸山古墳の築造者はこの結界を知っていた。
鷹取結界に倭国の秘密がある。
中大兄皇子は瀬高太神(おおが)で、その秘密を知ったのではないか。
しかし中大兄皇子が天智天皇に即位したあと、倭国は滅びる。
わずか9年で崩御した天智天皇。
その後、戦って天皇の地位を得た天武天皇もまた
筑紫に滞在していた時、その秘密を聞いていた。
天武天皇は即位すると倭国の結界を封じた。
どんな手段で?
それは、神社を寺院に変える手法だ。
天武天皇の即位元年、大善寺玉垂宮は大善寺となり、
翌年、高良玉垂宮もまた高良大明神が発心した話を創り出し、
高隆寺を造らせた。
こうして倭国の神々は封じ込められていった。
今、その封印が解けようとしている。
ついつい、そんな妄想をしながらチェリーの作図を眺めた。
前畑遺跡関連の土手は、
相島の墓域で見つけた龍の積石と同思想のものかもしれない。
それは熊本の久米八幡宮の龍と同じだ。
ところで、チェリーに。
鷹取結界の中央部分を拡大して作図してほしい。
持っている地図では鷹取結界が描けない。
以下はチェリーの作図。
「ひめちゃご」がつなぐライン群 ふたつの龍と1本のライン
皆さんにも、集団幻想に思いのまま参加してほしい。
コメントの返事は明日にしますね。
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鷹取山結界は筑後国造さんに教えていただきました。ありがとうございました。
『「ひめちゃご」がつなぐライン群 その6』で、天山から松尾弁財天まで120.0°、犬岳から天山神社まで300.0°と書いていたのですが、今調べたら、一番南の鷹取山から天山まで300.0°でした!(追加のブログを書かなければ…)
天山の山稜の東の端に「高取山」があります。侑子さんがおっしゃっていた通り、「高取山」も含めて考えなければならないようです。
「たかとり山結界」は天山まで拡大するかもしれません。
この真南、鳥栖市養父町の塩塚古墳上に宮地嶽神社があります。ここにも三階松紋。
角度は、ほぼかも・・・
背振山系の龍の水は、基肄城 水門では?
今でも豊富な水が流れています。
希望、妄想です。
その東には與止日女神社。なにか在りそう。
そして脊振の峰々との間にある三瀬という地名。
もう30数年前ですが毎年我が家の御祓をしてくれてた方が
両親に「雷山は龍がトグロを巻いて強い気を受けれるからお参りなさいなさい」と言っていたのを今でも憶えてます。
鳥栖周辺も、いずれ重点的に調べる必要がありますね。
楽しみが増えました♪
自衛隊関連の地があるそうなので、ますます可能性高いですね。
チェリーの名前のところをクリックすると開きます。すごくお暇な時(があればですけど…)に、チラッと御覧ください!
半分見ました^^