2017年 09月 19日
ひめちゃご98 祈りと幾何学
ひめちゃご98
祈りと幾何学
今朝の目覚めは、
磐井の山城は結界の中心点ではなく、
自衛隊の射撃場付近ではないか、
というものだった。
自衛隊の訓練地を選定するとき、
ある程度の平地があったのではないか。
そここそ、籠城のための山城ではなかったか。
そういう思いで目覚めた。
軍備に適する地というのは、今も古代も地形上、
重なり合うのは当然のことだ。
今でこそ、遺跡の出土品は市町村に伝えるが、
かつては鏡が出ても近くの神社などに預けるしかなかった。
早く開拓された地域の出土物の多くは離散したことだろう。
ただ、今回の結界のようなものは痕跡を残す。
さて、「ひめちゃご」の始まりのきっかけとなった
ウメとタケそしてミユと先日久しぶりに顔を合わせた。
ウメとタケは地図上で住んだ土地を結び、
「正三角形」を描く頂点に行くと
縁がある人に出会えるという。
60度だ。
同じ三角形でも三橋一夫が発見した「聖三角形」といえば、
30度、60度、45度、90度を利用した図形で、
古代人が天から気を降ろして、この角度を使った三角形で
気を広げていく手法を見つけ出した。
三角定規の直角三角形や二等辺三角形の形だ。
これを三点法というが、日本全国に聖三角形が描かれている。
これを描いた古代人は時代の変化で仕事を失うと、
前方後円墳の設計をしたと推定している。
現代では前方後円墳は左右対称のように描かれるが、
それは現代人が勝手に変えたもので、左右不対称が本質だ。
現代人の合理的思考が古代の祈りのカタチを見えなくしている。
チェリーの利用する角度が聖三角形に近い。
何故、有意の三角形は縁を結ぶのか。
そんな話をしていたとき、
伊勢神宮の斎宮の「折り紙」の話を思い出した。
祈りの手法の一つに「折り紙」がある。
一定の形に紙を折ることで祈りを成就させるというものだ。
この技術がのちに多種多様の折り紙となっていく。
私の関心は「紙を折ること」が
何故、願望成就になるかという点にあった。
そこで、思いついたのが、
祈りが成就する高次元とは幾何学の世界だということだ。
真言密教の両界曼荼羅も、
胎蔵界なら円の八等分(45度)、
金剛界なら正方形の三分割。(90度)
そこに擬人化された現象界が仏の姿を採って並んでいる。
曼荼羅とは宇宙の仕組み。
そこは幾何学の世界でもあるのだ。
成就した世界が存在する高次元が幾何学の世界だとすると、
言霊(ことだま)より、向こうの言語である幾何学の方が伝わりやすい。
それを古代に知り得た人がいたのだろう。
だから、大変貴重な紙を折り畳んで聖なる角度を作って祈る。
聖なる角度は天と通じるチカラがあると考えられたのだろう。
聖なる図形と人間の願望をつなぐのが巫女だ。
その聖なる角度を大地に描く人たちが古代にはいた。
そのポイント一つ一つに祈りの祠が置かれた。
だから、神社を繋ぐと聖なる三角形が出来るのだ。
祈りと幾何学は密接に繋がっている。
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飛岳の頂上は223.6mですが、三角点ではなく、陸軍の標柱があるそうです。
三角点の中心付近は、広川から東福寺経由で明星山への登山道から少し入った所。
冬でしたら、行きやすいでしょうし、飛岳にも、挑戦したいものです。主要ルートはフェンスで入れませんが、すべてに張り巡らされているかどうかは不明ですので。
町内の山ですし、是非とも真相を突き止めたいものです。
フェンスなんかがあるとは、想像もしませんでした。
よく思うのですが、短冊型の、たとえば割り箸の袋なんかに、くるくると結び目をきれいに作ると、五角形になりますよね…そっかー五角形って(多分正五角形になってると思うんですが)割と簡単に作れるんだ…
能登半島の真脇遺跡環状木柱列なんかは、10本の柱で輪っかになってるし、そーすると、五角形が基本になって、72°とか36°とかも追っかけないといけないのかなぁ…
そうすると、やっぱ、古月さんだなぁ…
100°とか、40°とか、50°が出現していたので、やむなくです。
でも、360°の円周を八等分するか、六等分する角度が圧倒的に多いと思います。(真北に基準を合わせてですけど)
どちらも神紋にあるみたいですね…
角度の使い分けに関しては、全くわかっていないのが現状です。
紋とか全然詳しくないのですが、玄松子さんのブログで調べたら、剣紋の中の「亀甲に八つ剣」がありました。
全くこのとおりです。
佐渡島の総社神社の拝殿にあったとのことでした。
神紋も私も少しずつ覚えていこうと思います。
六と八と十二が関わる幾何学配置ならば、すでに京都でみつけています。 今日中に、「古月のおと」に掲載しておきます。
おいおい記事されるの、楽しみにしています。