2017年 12月 21日
最澄と田油津姫
最澄と田油津姫
みやま市に清水寺がある。
雉車(きじぐるま)という木彫りの雉が土産物として売られているが、
車輪のついた玩具は地元の人にとっても大切なシンボルだ。
その雉の由来は清水寺を創建した最澄に関連するもので、
唐からの帰りに、船の上から見えた光る山に至る道で迷った時、
雉が案内したことによるという。
最澄。
え?
また最澄が出て来た。と思わず由来を見直す。
清水寺の隣の山が女山(ぞやま)なのだ。
神功皇后軍に追われて逃げ込んだ女山で田油津姫は討伐されたという。
田油津姫と夏羽兄妹が皇后軍に滅ぼされてその亡霊が出るというのが田川市の方だ。
若八幡神社という。
亡霊を抑えるために八幡神が勧請されたが、
いかんせん、応神天皇と神功皇后では恨みは消えない。
その後、最澄が六ケ寺を建ててようやく鎮まったという。
田川とみやまは対応している。
そうすると、最澄は、田川の夏焼(なつやき)の地だけでなく、田油津姫の終焉の地にも出かけて供養したのではないだろうか。
田川では最澄による怨霊静めの話が伝わっていたが、清水寺ではその話が失われたのではないか。
そんな思いを持つようになった。
清水寺は雪舟が造ったという庭園が伝わっている。
紅葉が美しい所で、地元の人が皆勧めてくれた。
初めて行った時の初夏の美しさは今でも覚えている。
女山から有明海に太陽の光が映っていた。
快晴なれども、pm2.5で、視界が悪い。
『神功皇后伝承を歩く』下巻60 皇后軍は夏羽を滅ぼした
<2017年12月21日>
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