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楊貴妃は蜀の人だった




楊貴妃は蜀の人だった




三星堆の不思議な青銅の仮面像から蜀の文化を知ったが、楊貴妃がこの「蜀」の人だと知って驚いた。

唐文化華やかな時、玄宗皇帝に愛された楊貴妃がライチが好きだったとか、傾国の美人とされたこととか、ワンパターンの知識でしか見ていなかったが。

ライチは蜀の産物だったのだ。
故郷から700キロも離れて暮らす楊貴妃。
故郷の思い出と共に食べていたことになる。

彼女は胡舞を舞う美しい娘だったという。
胡舞とは胡人の舞。
胡人とは西域の異民族。
南方の蜀の娘が胡人に紛れて生きた。

当時の胡舞のスタイルはまるでベリーダンスのようなヘソ出しファッション。
その美しさで注目された楊貴妃が皇子の妃となり、その父皇帝に召し抱えらえた。

なよなよとした姿で描かれる楊貴妃だが、胡舞を舞うとなると、纏足(てんそく)もされておらず、生き生きと動く官能的なスタイルの女性だったことになる。

蜀の娘が胡舞族の一員となったのも、哀しい背景があったのだろう。
それ相当の覚悟を持って生きていたと思う。

安史の乱(755)の時、玄宗皇帝が城を脱出して楊貴妃を連れて向かったのが「蜀」だった。そう、二人は楊貴妃の故郷に向かっていたのだ。

安史の乱のうち、安禄山はイラン系ソグド人。
ラクダに荷を乗せてシルクロード交易をする商人、すなわち異民族だった。

唐は多民族国家だった。
その縮図は日本にもあった。
一つ知ると、一つ見えてくる。

ところで、玄宗皇帝に重用された遣唐使に井真成がいる。
その「井」姓も気になるところである。















<2017年12月29日>




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by lunabura | 2017-12-29 20:04 | メモ | Trackback | Comments(2)
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Commented by g22 at 2017-12-31 20:46 x
全く同感デス☆
Commented by lunabura at 2017-12-31 23:57
歴史の面白さは、点と点がつながり、パズルが解けることにあるのかもしれませんね。
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