ひもろぎ逍遥

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2014年 11月 30日 ( 1 )

志賀海神社・冬至の日の出ライン


志賀海神社

冬至の日の出ライン


蘇我氏は「朔旦冬至」を元旦とするので「とひ」族となりますが、
冬至と新月が重なるのは19年に一度。
その天文的ビッグイベントが起こるのが今年の12月22日なんですね!

「とひ」族の蘇我氏の居留地が福岡市早良区の脇山だったという話と期を一にして、
志賀海神社から冬至の日の出は宝満山から昇る!
その宝満山と志賀海神社を繋ぐ女神は玉依姫、
というコメントをいただきました。

壮大でロマンチックな古代の物語が、またもや紡がれました。

まずは、インドラさんのコメントから。
志賀海神社からの写真、宝満山が見えますが、山頂の竈神社のご祭神と志賀海神社相殿のご祭神が一緒、筥崎宮と宇美八幡も一緒でしかも全部が一直線上に並び、冬至の日の出のライン上にあるというのはすごいですね。
その写真はこれ。
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宝満山の玉依姫は志賀海神社の相殿に祀られています。
冬至の朝は、両社の玉依姫が曙光で繋がる瞬間になります。

そして、tatsuさんが、画像を作って送ってくれました。

c0222861_19561316.jpg

ここから宝満山との間に宇美八幡宮と筥崎宮があるんですね。
二社に共通する祭神は応神天皇です。
太宰府は谷の辺りでしょうか。

画像を作ってくれたTatsuさんのコメントです。
ブログの写真を拝見しました。インドラさんのコメントを読んで眺めると山の存在感がまるで違いますね。Webで宝満山山頂の画像も見ましたが、磐座と言っていいのか、ただならぬ岩塊がありました。

地図などで見ると、僅かなぶれはありますがインドラさんが仰るとおり、四つの地点は並んでいました。現代の暦で言う冬至の日出方位とはずれますが、冬至の日に、ある地点と太陽が顔を出した地点を結べば、それはその場所の「冬至の日出ライン」ですね。

志賀海神社から目標としたのが宝満山山頂なのか、その北東約400mの三角点があるもう少し高い頂なのか、ちょっと迷うのですが、肉眼で見る朝日の見かけの大きさと山頂、稜線との関係は、実際に志賀海神社から見ないとわかりませんね。でも稜線から出る太陽はもう眩しくて見られないかも。

古代人はどうやって至点分点を知ったのでしょうか。何百年も観察を続けた結果なのか、宇宙のリズムの僅かな変動を感知するシャーマンがいたのか、個人的には観察・シャーマン併用説です(ますます不明)。

同じ地域で少なくとも4つの神社が冬至に関わると思われる同一線上に並んで、いずれも祭神が同じというのは古代祭祀と太陽の関係、それに関わった古代部族を考える上で重要な要素のひとつになるのではないかと思います。

宝満山頂には巨大な磐座があり、
7合目か8合目には梵字が彫られた巨石がありますが、これも磐座ですね。

古代人の観測力は現代人から見るとホント驚かされます。
ある観測点から昇った太陽も70年経つと、一般人の目にもズレているのが分かるとか。
そうすると大王の威光も薄れるために遷宮するというようなことを
真鍋が書いています。

冬至や春分などの光を利用した古代神殿のモニュメントも
一世代しか使えないということでしょうか。

インドラさんのお返事です。
冬至の日の出角(地平線での)とグーグルアースの示す121度とは3度ほど違います。 ただ宝満山の高さを800メートル、距離を28キロ、太陽の南中高度を33度とすれば、だいたいそんなものかと思われます。 冬至の日に行って確かめてはいません。
漁師さんは漁礁を見分けるのに遠くの山と近くの岩を結んだ線が重なる等を用いておられます。
海神族にはそんな技術があったのだろうと思います。 この神社の山ほめも気になっています。
志賀海神社の元宮は勝馬で、宝満山のイワクラの位置は変わらない等を考えると神社が出来た順番もなんとなく予想されます。 貝原益軒の筑前国続風土記にハコザキ宮の遷宮についてふれていますが、これも面白く感じます。

漁師さんは上記に加えて、岩礁の在り処も「山当て」で伝承してあるそうです。
山が無い時は祠(神社)や灯籠を置いていると、ヨットマンが言っていました。
湊に戻る時の大事な目標物です。

また、筥崎宮には夏至ラインがあるそうですから、
何だか立体的な構造が垣間見えてきました。

このあと、tatsuさんが、12月22日の太陽と新月のようすを
画像にしてくれました!

c0222861_19585813.jpg

当日は新月で、月の出から既に肉眼で見ることは困難ですが日出から日入まで太陽に寄り添います。

当日の太陽と新月の軌跡図を作りました。まるで宝満山から志賀海神社へ太陽と月が渡って来るようでもあります。

海も干満の差が大きくなりますが、潮満珠・潮干珠とは月と太陽のことで、珠を授けるとは潮汐の知識のやり取りではなかったかとも思えます。

冬至の新月は次回は19年後(メトン周期)に巡ってきます。まだ生きているかどうか。日食や月食のような人気の天体ショーではありませんが、太陽と月が並んで復活する、宇宙の律動を感じる19年に一度のイベントです。

これは美しい。
新月は目に見えませんが、太陽に寄り添ってまさしく影のように一緒に「おみ渡り」です!

冬至は玉依姫が宝満山から志賀海神社へ「おみ渡り」される日、
なんて想像したくなります。

この月と太陽のイベントは、もちろん何処でも見られる訳です。
もし、神社と山が結ばれるようなラインがあれば、
そこは古代の人々の息吹が感じられる聖地になっていることでしょう。

蘇我氏も、この19年に一度の天文イベントに格別の思いを抱いたんでしょうね。
この日から太陽は輝きを取り戻していきます。

インドラさん、tatsuさん、ありがとうございました^^



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by lunabura | 2014-11-30 20:01 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Trackback | Comments(6)
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