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2014年 12月 02日 ( 1 )

志賀海神社・遥拝所から見える日の出 2015年版


志賀海神社

遥拝所から見える日の出 2015年版


わたつみさんが小学生の時、夏休みの宿題で志賀島の橋から
日の出を観察したと聞いて感激。
私はお寝坊さんだったから、そんな発想は決してありませんでした。

で、tatsuさんにお願いして、志賀島から見える日の出を
シミュレーションしてもらいました。

c0222861_211784.jpg


画像に書かれている文は以下です。
※立花山頂上近くに太陽が昇るのは、4/2,4/3,9/10,9/11の年4回あります。
いずれも僅かな差ですが、頂上に一番近いのは4月3日です。春、秋の季節は太陽の移動幅が大きくなります。

※表示の太陽の大きさは実寸(視直径約0・5度)の倍の直径約1度です。
表示の時刻は太陽が山の稜線上に昇り切った時刻で、画像の太陽と実際の見え方は少し違います。
福岡地方では太陽が昇る角度は約56・4度です。また地平線近くの太陽は肉眼では大きく見えます。

これは超豪華版。
しかも、2015年版です!

見ていると、うっとり。


夏至は帆柱山を過ぎてさらに左へ。
え?帆柱山。
あの、北九州の山ですよ!
神功皇后が国見をした時、もしかしたら志賀島も見えてた?

夏至が来ると太陽は南へとUターン。
夏休みには立花山にどんどん近付いてますね!

二神山の間から日が昇る時、きっと何か祭典があっただろうと思っています。

地元の新宮町には
二神山はイザナギとイザナミの住まう宮だという言い伝えがあります。
イザナミが亡くなって黄泉の国に行き、イザナミ会いたさに
黄泉の国まで行ったイザナギが約束を破って亡骸を見て逃げ出したのですが、
そのあと禊をしたのが志賀島の元宮なのです。

筑紫には埋もれてしまった神々の物語がまだまだ発見されるのを
待っていることでしょう。

さて、太陽はさらに南へと。冬至には宝満山の横のピークに達します。
これが、チェリーさんの言われる元宝満ですか?

これを見ていて思い出したのですが、
正面の山々は古代には葛城と呼んでいた山塊に当たります。

公開講座で紹介したのはこの文。
大和の笠置(かさぎ)の山々の名は、筑紫の葛城(かつらぎ)から神功皇后(201~269)の御宇に遷したものと伝えられる。
 葛城の峰は香椎宮から太宰府の東の空に連なる、昔は日面(かづら)見山(みやま)とよんでいたと聞く。西の伊覩(いと)(怡土)の百姓は、この葛城の山や谷から上がる太陽の方向を見定めて、太陰暦、即ち月暦に太陽暦、即ち日暦の二十四節季、時と所によっては、二十節季をふり添えていた。怡土がかつて日向(ひむかい)の国とよばれていた所以がここにあった。怡土から早良に出る大和に日向の字名が点在することは、古事記神代記、天孫降臨の条に
 朝(あした)の日の直(ただ)刺(さ)す国なり、夕(ゆうべ)の日の照国なり。
の一節を思いあわすことができる。『儺の国の星』p196

これは伊都国から見える東の山々を「日面見山」(かづらみ)山と言い、
葛城(かづらき)の語源になったという話です。

そして、その地名は神功皇后の時代に奈良に移ったといいます。
伊都国から見える日面見山は、志賀島から見ても角度は違え
同様に日面見山だったことに気づきました。


この山塊には葛城神社も残っていますが、まだ未参拝です。
そして、葛城襲津彦の末裔たちは小倉にいます。
また、天智天皇の諱が葛城。

弱冠15歳頃のるなが行きたくて行けなかったのが「葛城」。
(こりゃ、関係ないか…)

まだまだ、面白い展開が待っていそうな予感 ^^


それにしても、この地図があれば、スマホとかで現地で確認できますね。
良い時代になりました。
ちなみに私はガラケーです (^_^;)
Tatsuさん、本当にありがとうございました。

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by lunabura | 2014-12-02 20:23 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Trackback | Comments(10)
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