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2014年 12月 13日 ( 1 )

6 国分松本遺跡と水城東門 またもや敗退


6 国分松本遺跡と水城東門

またもや敗退


木簡が出た国分松本遺跡に現地説明板が立った!
いざ現地へ。
と資料を手に入れて再びチャレンジしました。
が、あえなく敗退。
ネットの地図には住所が書かれていないので、
現地説明会の時の住所をナビに入れましたがその番号は存在せず。
車だと、一路地間違うと戻れない細道で、あきらめました。

残念でしたが、現地は筑前国分寺跡と尼寺の中間付近で、
川がかつては流れていたことを地図上で確認。
現地は傾斜のある坂で、
下ればすぐ水城に出るような場所だということが分かりました。

つまり、船着き場ではないことを確認できたのが一番良かったかな。
13点の木簡の中には廃棄するために折られたものもあり、
何らかの施設が在った所だと推測されています。


で、ここから、ちょっと下れば大伴旅人と郎子児島が別れた水城があるんですね。
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凡ならば かもかもせむを 恐みと 振りたき袖を 忍びてあるかも 
(おほならば かもかもせむを かしこみと ふりたきそでを しのびてあるかも)
大意 あなたが平凡なお方なら私の思うようにしますのに、
恐れ多くていつもならはげしく振る袖をこらえて振らずにいます   巻六 965 郎子児島

ますらをと 思へるわれや 水くきの 水城のうえに なみだ拭はむ
(ますらをと おもへるわれや みずくきの みずきのうえに なみだのごはむ)
大意 立派な男子だと思っていた自分も 
水城の辺りに立って涙を拭(ぬぐ)うことであろうか。   巻六 968 大伴旅人


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ここは水城東門付近。

木樋があった所で、コンクリートのレプリカ見えています。
これを造った人、そして行き交った人々。別れた人。
多くの思いが籠った場所でした。

水城は今年、各地で歴史講座があって、多くを学びました。
それは真鍋の伝える水城の姿を補う物ばかりでした。

通説の、天智天皇が一年で防御施設として作ったという解釈には
多くの誤りがあることを確信しました。

久留米大学公開セミナーでお話したことに加えて新たな資料も出てきました。
これらをどんな形で残そうかと思案しています。





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by lunabura | 2014-12-13 21:41 | 太宰府政庁跡・水城周辺 | Trackback | Comments(3)
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