ひもろぎ逍遥

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2014年 12月 25日 ( 1 )

志賀海神社・二本の銀杏と日面見


志賀海神社
二本の銀杏と日面見

朔旦冬至はあいにくの曇空。
志賀海神社から見える冬至の日の出観測を計画していたのですが、
予定を変更して午後に行った話は前回書きました。

三人衆は遥拝所であれやこれやと。
「あれは銀杏ですよね。まだ一度もこの木の黄葉を見たことがない」と私。

「銀杏ですね。雷に遭っている。そして周囲から新しい幹が出ていますね」
「ということは、昔は遠くからもよく見えたんですね」

銀杏は神社の灯台代わりをしているなと、よく思います。
銀杏を見て神社を探し当てることはよくあるのです。

「おや、もう一本ありますね」
見ると、右手、すごく近い所に銀杏がありました。
普通はこんなに近くには植えない。

「これは角度が!」
二本の銀杏は狭い間隔で、ちょうど遥拝所を挟むように並んでいるのですが、
遥拝所の鳥居とは角度がずれているのです。

「おお、これは太陽が冬至から夏至までを観測する額縁になっている」
「どこ、どこ?どこから見たら額縁になるんです?」
「この辺りからがちょうど見えますね」
それは鳥居の手前で参拝する時の位置に近かったです。
つまり、冬至と夏至のポイントを両脇の銀杏で決めれば観測の基準になるってこと。

「遥拝所は境内の形状の為に少し斜めに作られたのでは?」
言い換えれば、ここはかつて太陽観測所だったけど、
崖のラインに沿って遥拝所の敷地を作ったために、
二本の銀杏のラインとは平行しなくなったということです。
(むむ、分かりたかな。現地に立つとよく分かるのじゃが)

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 これが正面。

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次に左右の銀杏を入れた正面。

Tatsuさんからメールが届きました。
「志賀海神社の遥拝所はとても面白いところでした。

二神山の遥拝所というより、太陽信仰の跡の印象でした。
東の山々の「日面見山」(かづらみやま)という命名は秀逸です。

日出の範囲に枠を嵌めたような両脇の二本の銀杏は、日々
位置を変えてゆく太陽に呼応するように装いを変え、季節の
移ろいを演出します。銀杏の色付きや落葉で気象予報なども
行ったかもしれません。」

上手いこと表現しますなあ。

c0222861_2018277.jpg

「銀杏の額縁から見ると、大嶽神社の山がよい中継点になっていますね」
「だから大嶽神社も遥拝するんですね」
なるほどです。

脇の立札の最後の部分にこう書いてあります。
「遥拝所は右斜め対岸の大嶽神社・小嶽神社と正面真東の伊勢の神宮、宮中三殿を拝します。」

大嶽神社の祭神は志那都比古・志那都比売・大濱宿禰・保食神の4柱です。
ここには大濱宿禰の砦があったと聞きます。

本来、志那都比古と志那都比売の二柱が主祭神だったのでしょう。
風の神ですが、星の名前から考えると、スピカを指します。

かつてはスピカは紀元前666年の頃、春分の日を教えてくれる星でした。
だから、ここは星や磐座祭祀を視野に入れたい地点なのでした。

ここから宮中三殿を拝するのも謂われあってのこと。
神武天皇が安曇の子だったこともありますが、安曇が膳部(かしわで)だったことが
この地点と関係ないわけではないことを『儺の国の星拾遺』から知ったのです。
(つづく)


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by lunabura | 2014-12-25 20:19 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Trackback | Comments(2)
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