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2017年 05月 01日 ( 1 )

ひめちゃご72 英彦山は宗像に転写されたのか



ひめちゃご 72

英彦山は宗像に転写されたのか
 

前回は
「英彦山―六ケ岳」の間には
「三女神ライン」と名付けた一直線のラインが存在し、

それと重なりつつ、角度を変えて存在する
「日子ライン(日子―日王―日子)」が存在すること、
また、六ケ岳グランドクロスの持つ意味の考察などを記した。


が、
これらのラインが実際にどうやって測量されたのか、
という疑問が当然ながら出てくる。


それに簡単に答える画像をチェリーは添付してくれていた。

なんてことはない。
英彦山から見れば日王山と六ケ岳は目視できるのだ。
それが次の画像だ。










c0222861_14444954.jpg


まるで神々の視点を得たように美しく見えている。
英彦山からは日王山、六ケ岳がよく見えていた。
その奥には孔大寺山が雄大な姿を見せている。
この山の向こうは玄界灘だ。















c0222861_14451459.jpg


これは六ケ岳の上宮からの英彦山。逆からも当然ながら見えている。
こうしてみると、「英彦山北嶽ー中岳」は不思議な形だ。

この「英彦山北嶽」にいた「二女神」は「市杵島姫と合わせて三女神」となって、
「日王山」を経てこの「六ケ岳」に降臨した。

このように完璧な一本ラインが存在することは、
三女神の降臨神話は何らかの「寓話」として、あるいは「暗号」として
伝えられたのではないかという、新たな思いを生じさせた。

これまでは、「氏族は氏神を持って移動する」という考えで考察してきたが、
天空のこのラインはそれでは上手く説明できない。

何らかの別の意図があったのではないかと思うと、
かえって謎が深まってしまった。




つぎに「大己貴ライン」について考えた。

一枚目の画像に見える孔大寺山についてだが、

この山には宗像大社の摂社である孔大寺神社(こだいじ)がある。

その祭神が大己貴少彦名だ。

その麓に指来(さしたり)神社があり、

祭神は気長足姫命、阿蘇津彦命、大己貴命、高龗神、

少彦名命、水波能売命、豊日別命。



この指来神社の位置は綿密に目視しながら測量して決められたことを

チェリーはブログですでに証明していた。







二女神と暮らしていた「大己貴」は「英彦山北嶽」から宮若市の
「若宮八幡宮」を通り、「指来神社」に到達する。
そのラインは宗像大社辺津宮を通り、中津宮(大島)に延伸する。

大己貴と二女神が宗像でそれぞれの宮に鎮座しながらも、
英彦山への繋がりを伝えようとしているかのように見える。

大己貴は宗像の「許斐山(このみやま)」にも鎮座する。

まるで「英彦山」が宗像に転送、あるいは転写されたように見えてきた。
チェリーが「豊前坊」(高住神社)が孔大寺にあることを述べているが、
これも「英彦山」の拡大写し絵である印象を強くしている。


この、きっちりと測量されたラインが何の意味をするのか、
別次元の暗号があるのどうかも分からない。

今は、このラインを知ったことで十分だろう。

思えば、ここに挙げた山のうち、
許斐山、孔大寺山、六ケ岳、英彦山は全部二回(以上)は登っている。

チェリーの画像を持って、もう一度すべてを登り直したい気分になった。





                          <2017年5月1日>

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by lunabura | 2017-05-01 14:47 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)
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