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2017年 05月 05日 ( 1 )

ひめちゃご74 英彦山神宮 参道にて



ひめちゃご74


英彦山神宮 参道にて
 

高住神社から車で数分、英彦山神宮にも足を延ばした。


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別所の駐車場から英彦山が見えた。









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ここから歩いて行ったが、道が広くなって崖の上の道だと気付く。
記憶に無い舗装道路だった。



スロープカーが出来てから様変わりしていて、土産物店も二つほどに減り、
参道のそばまで駐車場が出来ていた。


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石段は途中から登りづらくなった。
こんなに大変だったのか、石段の記憶も景色も何もかも違って見えた。

視点が変わると世界が変わる。





参道の両脇には大きな僧坊の跡が左右に残っている。
高良山にも300以上の坊があったが、草木に埋もれて姿を留めない。
英彦山はそれよりもスケールが大きい。




「ここは都だったね」と夫が言う。

この僧坊群の大きさからいうと、かなり大きな消費生活があったはずで、
それを支える町は当時の日本でも大きかったことだろう。

「熊野より大きかったかもね」と正直思った。





数年前の新聞記事に
航空写真から壮大な僧坊群があった地形が読み取られたことが載っていた。

地形だけ残る宗教施設の山はマチュピチュを思い起こさせた。


「まるでマチュピチュ」
天空の宗教施設という意味で同じ営みを感じた。









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「都」という言葉から、
久山の伊野神社(天照皇大神宮)の豊丹生(ぶにゅう)氏の話を思い出した。

大和国丹生で丹生氏に改姓し、皇大神に仕えていた小山田氏の曾孫が
公の場で席順の争い事を起こし、英彦山に流されることになった。

その時、アマテラスが「自分を連れていくように」と夢に出て来たので、
この英彦山に神体を持って来た。
さらにその子供に神託があって、
神体を久山の天照皇大神宮に移したことから豊丹生氏となった。

そんな話だった。

古文献を見ていると時々英彦山が出てくるので、
よほどの都会だったのだろうと思ったので「都」ということばに
いやに納得した。

こうして、左右の僧坊群を見ながら登ると、
食いっぱぐれても、ここに駆け込めば生きていける。

仏教にはそんな懐の深さがあって、
今より食べ物のない時代でも、誰でもが生きていけたんだろうなと思った。

コンクリートの中の暮らしでは想像もつかない豊かさが山の中にあった。



遠雷が時々響く。
雨に遭わなければいいが。

後で知ったが、博多どんたくを中止に追い込んだ雷雲がここまで及んでいた。







『神功皇后伝承を歩く』
上巻38 天照皇大神宮 神功皇后は天照大神を祀った





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by lunabura | 2017-05-05 23:00 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)
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