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カテゴリ:駕輿八幡宮・かよい・粕屋郡( 2 )

駕輿八幡宮

駕輿八幡宮
かよいはちまんぐう
福岡県糟屋郡粕屋町大字仲原字駕輿丁987 
神功皇后が休憩したお宮

御祭神 神功皇后 応神天皇 玉依姫命 住吉大神

福岡空港の東側の粕屋町に、大きな湖があります。駕輿丁(かよいちょう)池と言います。
いつも市民が散歩したり、ランニングする姿が見られます。
そんな湖の一角にある、こんもりとした森と鳥居がいつも気になっていました。

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どうやら、そこも神功皇后に縁のある所らしいと知って、行ってみました。

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湖の半島のように突き出た境内はとても明るく開けていました。

この神社の由来です。 (原文どおり)
このお宮は、神功皇后が応神天皇を出産されるため香椎の宮を出発され、宇美八幡宮に行幸されたとき、この地で休息されたので、ここに住んでいた人々が祭神したのが、駕輿八幡宮の由来とされています。

やっぱり神功皇后が来ていましたよ。ですから、なるほど、御祭神も

神功皇后  応神天皇    玉依姫命    住吉大神
(母)      (子)     (守護の女神)   (旅の守り神)
です。

粕屋町ホームページにはさらに、こう書いてありました。(口語訳)
神功皇后が香椎より宇美に行かれた時、仲原の村人が御輿(みこし)をかいて、この地に御休息になったので、地名を駕輿丁とつけて、のちの世に駕輿八幡宮を奉斎した。

仲原とはすぐ近くの町です。

神功皇后が新羅征伐から帰って、いよいよ出産するのに、
香椎宮で生まずに、もっと内陸部へ向かったのがこれでわかります。

香椎からはずっと輿に乗ったのかな、船に乗らなかったのかなと、思っていると、
もう一つ、神功皇后を伝える神社の話が載っていました。

日守神社
日守(ひまもり)-夷守(ひなもり)-の由来のはなし

神宮皇后(じんぐうこうごう)は、お産のために現在の宇美町に向いましたが、その途中、現在の粕屋町乙仲原西区にある日守付近で休憩しました。

そして、「日を守りたまいて(太陽をじっと見て)、今は何時頃ですか。」
と尋ねられました。
この伝説から、休憩した場所を「日守(ひまもり)」と呼ぶようになり、神宮皇后が腰掛けた場所をまつって
日守神社ができたと言い伝えられています。

地図で見てみましょう。

地図を見ると、日守神社は川のすぐそばです。
ここで船から降りて、あとは輿に乗り換えたのでしょうか。

応神天皇は冬に生まれています。かなり寒いはずです。
寒い中に大きなお腹を抱えた皇后を気遣う人々の思いやるようすが目に浮かぶようです。

駕輿丁(かよいちょう)の語源が書いてありましたよ。
その人たちについては駕輿八幡宮の由来書からうかがえます。省略しながら書き写します。
大化2年(646年)には駕輿丁座がありました。

そもそも、駕輿丁の「」とは乗り物の意味で、「輿」とは御輿(みこし)(神のみたま)のことで、「」とは仕丁(しちょう)(つかえのちょう)として身分の高い人を運ぶ人々(しゅうだん)をさします。

この人々は南側の階段から、さらに池に降りる階段の下に集団で住んでいましたが、この池が江戸時代に築堤されたので、他の地に移転しました。

この八幡宮には古来、駕輿丁座の人々が住んでいたのがこれでわかりました。
この時代に船と輿を使って人々は移動していたようすが読み取れます。

神功皇后を乗せたのは、よほど印象深い出来事だった事でしょう。
はるか遠い都の美しいお后様を直接乗せたのですから。
見た事もない立派な衣装を召された皇后さま。まずは近くに寄れない皇后さま。

駕籠をかいた人は、それはそれは自慢だったことでしょう。
そして、自分たちの村で大切にお祀りしました。

さて、神功皇后は何故、香椎でなく、内陸部へ向かったのでしょうか。

それではルナの推理シアターの始まり、始まり。
この時、皇后はひとりぼっちでした。
夫の仲哀天皇が亡くなって、10か月。その夫には兄弟王が二人いましたが、その二人は別の島に配属しました。身内と呼べる人は一人もいません。

信頼置ける人間は竹内の宿禰ただ一人。この男は、皇后が九州入りしてから、ずっと支えてくれた。
あとは、知らない人間ばかり。

香椎宮で出産しなかったのはまだ、産屋は別にした時代という訳でしょうか。または、仲哀天皇が亡くなった所では生みたくなかった。あるいは…。産み月になっても生まれない事への人々の目。
とにかく香椎では生みたくなかった。

全く知らない土地で、子供を生むとしたら、いったいどこで生んだらいいのか。

そうだ、たった一人だけ、心の支えになった人がいる。
というより、女神。名前は玉依姫。(サイドバー⇒)

神功皇后がかつて玉依姫の墓所で祈った時、「姉妹の契りを交わしましょう。」と言ってくれた。
死んだ夫の代わりに軍を率いるという難事の時に支えになってくれた女神さま。

そのそばで生もう。
そこならきっと、出産も助けてくださる。


そんな気持ちがあったのではないかとルナは思いました。
玉依姫の墓所は今では分からなくなっています。
江戸時代から明治にかけても大捜査があったのですが分からずじまいです。

この辺りは三笠川の氾濫がたびたびあって、玉依姫の墓を祀る神社も移動していたりします。
ただ、墓所があった証として中学校の名前に御陵(ごりょう)中学校とつけられて言い伝えています。

いずれにしろ、この駕輿八幡宮は、そこまであと一息の場所なのです。

実際に出産したのは蚊田という所です。
彼女が出産してからは、宇美神社となって、いまでも安産を願う多くの人々が訪れています。

さあ、駕輿丁公園へ。

さて、この駕輿八幡宮に来たのなら、この駕輿丁公園を歩かずにはいられません。
周囲4キロの広大な湖には、水鳥が遊び、桜や菖蒲やバラがよく手入れされています。

ちょっとだけ、寄り道しましょ。
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湖が一周出来るように、遊歩道があります。

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薔薇園へと上って行きましょ。

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ここの薔薇園は大きくて沢山の品種が見られます。一回だけでは、とても紹介しきれません。
また、別の季節に、ゆるりとご案内を。



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by lunabura | 2010-02-02 14:59 | 駕輿八幡宮・かよい・粕屋郡 | Trackback | Comments(0)

冬の駕与丁(かよいちょう)公園

冬の駕与丁(かよいちょう)公園
福岡県糟屋郡粕屋町大字仲原字駕輿丁

冬の薔薇園はつぼみが輝いてました

冬のバラを見に行って来ました。
冬なのに?
そう。
きっと、冬でもバラが咲いてるはずなんです。

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ほら、やっぱり。
小春日和の中で、冬のバラが咲いていました。




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綺麗!
それにつぼみのエネルギーもすごいです。





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花びらが柔らかそう~。


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花の活力がみなぎっていて、体感温度は ↑




薔薇園の隣の散歩道です。

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ベンチの向こうに見えるのは菖蒲園です。
菖蒲はまだまだ、気配もありません。
菖蒲の中を歩ける初夏が楽しみです。

裸の木は桜です。
枝がほんのりピンク色になり始めましたよ。




薔薇園の住人、じゃなく、住猫で~す。



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どう?
決まってる?



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う~。ばりばり。



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んふ~。
%&?¥~$#…。


帰る時、一匹が
薔薇園の端っこまで見送ってくれました。

また会おうね。

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by lunabura | 2010-02-01 20:18 | 駕輿八幡宮・かよい・粕屋郡 | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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