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カテゴリ:竈門神社・宝満宮・太宰府市 ( 1 )

宝満宮 竈門神社 

宝満宮 竈門神社 
ほうまんぐう かまどじんじゃ

福岡県太宰府市内山883    

縁結びといったらここ

天皇家の最初の母となった玉依姫を祀る

宗像市の食堂で食事をしていたら、
二十歳ぐらいの女性たちが三人で話していました。
ひとりがぽつりと
「竈門神社。」
と言いました。
ほかの二人が真剣に黙ってうなずいています。

へえ、やっぱりね。
こんな遠い所でも、絶大な人気の縁結び
ちょうど行こうと思ってた所だし、
ということで早速行ってきました。 

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駐車場からすぐ大きな石段が人々を迎えます。
その石段を上ると、沢山の人々が行きかっていました。


昼下がりだったこともあって、
宝満山から下山した人々や参拝に来た人々で
とても賑わっています。
そう、ここは市民登山のメッカなのです。

ここから宝満山に登って行きます。
標高が868メートルあって、
毎日登る人、一日に二回登る人。
千回を目指す人と、いろんな登り方をしています。

ルナも若杉山から縦走して降りてきたり、
また、ある時は宇美町から登ったりもしました。

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次の鳥居をくぐると、いきなり深山の趣です。
鳥居にかかる木はもみじです。
ここは紅葉の名所でもあります。

緑多き山から下りて来た時でも、
ここの夏のモミジの美しさに息をのんだ事を思い出しました。

自然と調和した時には、人の手で植えられた木々も
格別に美しい姿を見せてくれることを知りました。



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参道の脇には深い森でしか見られないような、
巨石の上の苔たち。


あちこち見とれているうちにいつの間にか下宮の拝殿へつきました。

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若いカップルも、

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お年を召したカップルも。

そして、ルナも。
手を合わせましょう。


さあ、由緒書きです。(句読点を追加)

   寶満宮竈門神社

 祭神 玉依姫命 
相殿 神功皇后 応神天皇
 霊験 縁結び 安産 雨乞 方除 交通航海安全 
 大祭 十一月十五日


おっと、ここにも神功皇后が祀られています。
駕輿八幡宮(かよいはちまんぐう)と同じ組み合わせです。

ただ、メインの御祭神は玉依姫です。
神功皇后からみた関係はこうなります。

玉依姫命     神功皇后   応神天皇
(守護の女神)   (母)       (子)



由緒書の続きを見ましょう。 

御祭神は神武天皇の御生母の玉依姫命であります。
命は海神の女(おんむすめ)で、うがやふきあえずの命の妃となり、
五瀬命や神武天皇等四柱の御子を産まれた後、
御子の教養と建国の大業に心をくだき、
このかまど山に登られて祈念されたと伝えられています。



玉依姫が結婚した事情は『姫宮さまたちの物語』の「玉依姫」の所に
書いています。
右サイドバーからもリンクしていますが、その本文を紹介しましょう。

玉依姫

玉依姫は海の神さま大綿津見(おおわたつみ)の神の娘です。
姉の豊玉姫(とよたまひめ)と共に綿津見の宮に住んでいました。
姉の豊玉姫が日の御子のホオリノミコトと結婚したのですが、
三年でホオリノミコトが自分の国に戻りました。

姉の豊玉姫も後を追って綿津見の宮を離れました。
子供を出産するためです。

ところが、子供を生み終えると、姉上は一人で
綿津見の宮に戻って来ました。
出産するときに本来の姿(海亀)を見られてしまったために、
帰って来てしまったのです。

姉上はこちらに帰って来たものの、夫が恋しく、
また残して来た子供が気がかりです。
そこで、妹の玉依姫が子供の養育係として、行く事になりました。

 こうして葦原の国に行った玉依姫は
姉の子のウガヤフキアエズノミコトを育てました。
そして、この子が成人すると、二人は結婚をしました。
二人は伯母と甥にあたります。

二人の間には四人の子供が生まれました。
子の名は五瀬命(いつせのみこと)。
稲氷命(いなひのみこと)。
御毛沼命(みけぬのみこと)。
若御沼命(わかみけぬのみこと)です。

長男のイツセノミコトは一番下のワカミヌノミコトと共に、
この国を出て、東に新たな国を作るために出かけて、途中で戦死しました。

二番目の子、イナヒノミコトは亡き母の国へと海原にお入りになりました。

三番目の子、ミケヌノミコトは波頭を踏んで常世(とこよ)の国に行きました。
そこは不老長寿の国と言われています。

一番下のワカミケヌノミコトは別名、トヨミケヌノミコト、また
カムヤマトイワレビコノミコトとも言います。

イワレビコノミコトは兄のイツセノミコトと共に日向を出て、
東に向い、大和を平定して、
初代の天皇になりました。神武天皇と言います。

           (古事記 ウガヤフキアエズの命の巻より)

こうして、玉依姫は初代天皇の母として敬愛を受ける事になりました。


玉依姫は姉の子供を育てて、その子と結婚したのですね。
(当時はこのように親族で結婚するケースはいくつも見られます。)
そして、二人の間に出来た子供たちは成人すると皆、
母を残して、大和の国に新しき国を求めて
はるばると東征していってしまいました。

政治的には天孫族が海人族と縁を結んだために、
その軍事力と船舶の支援を取り付ける事が出来たという事になります。

母方の海人族が全面的に協力したので、イワレビコノミコトは
はるか大和まで移動出来た訳です。
母はこの地に残り、子供たちの成功を祈りました。


そう言う訳で、玉依姫は宝満山の山頂に祀られています。

海神の娘なので、水を司る事が出来るので、
この山頂で水分(みくまり)の神として、
人々に恩恵を与え続けています。
「霊験」の所に雨乞いとあるのはこの事からでしょう。

愛情深き母として、
また子供たちを大和へ送った後も祈り続けた母として、
そして、水を分け与えてくれる女神として、
人々に慕われ続けています。

しかし、玉依姫の墓所が行方不明になってしまっています。

子供たちは皆大和へ行ってしまいました。
戦って、国づくりをして、故郷に残した母の事を忘れたはずはなくても、
大昔の事情を考えると、
墓の場所が忘れられてしまったのは仕方がない事です。

何度か修復されたらしいのですが、
いつしか松の木が一本、目印になった位だそうです。

海の中の島だった博多

玉依姫の時代は博多のあたりはまだ海の中で、
島々がたくさんあったそうです。
この竈門神社の麓あたりは、有明海と博多湾を結ぶ水路があって、
この辺りで、激しく波がぶつかりあっていたと、
真鍋大覚氏が書いています。

そんな玉依姫と神功皇后の接点は?

初めて九州にやって来た神功皇后ですが、
夫の天皇が崩御したので、
代わりに新羅を攻めなければならないという難事にぶつかった時、
玉依姫の神廟(墓所)に行って戦勝を祈っています。

この時、玉依姫命が現れて
「そなたと姉妹の契りを交わしましょう。」
と、神功皇后に約束したそうです。

天皇家の母神、玉依姫の神託はどれほど
神功皇后を励ましてくれた事でしょうか。
戦の時にも、また出産の時にも、
頼みにしたのです。

そう言う訳で、この二人はセットであちこちで祀られています。


蛇足です。

イワレビコノミコトがこの地で玉依姫の元で育った可能性があります。
すると、宗像市の八所宮の所を通りかかったのも、
東征のルート上という事で、辻妻が合います。
(八所宮はひょっとこ踊りを紹介した宮です。カテゴリからどうぞ。)


縁結びの方はこちらで~す。
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このお宮では皆さんの恋を応援してますよ。
なるほど、最初に書いたあの三人娘が
真剣にお参りしようと頼りにする訳です。


さてさて、武道ファンはお見逃しなく

夢想権之助神社(むそうごんのすけ)
神道夢想流 杖道発祥の地
(しんとうむそうりゅう じょうどう)

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あの宮本武蔵がたった一度だけ
負けた事があったって知ってますか?

その相手がここに祀られる夢想権之助です。

始めは夢想権之助が宮本武蔵に負けました。
その後、
ここで籠って祈ったところ、夢で
「丸木をもって水月を知れ。」
と教えられたそうです。

意味は
剣ではなく、杖(じょう)で、
水月という「みぞおちの急所」を撃てという事です。

そこで、権之助は杖で研鑽を重ねて、
ついに武蔵に勝ったんだそうですよ。

だから、この流派の稽古は「杖VS木刀」です。
見ていても、迫力があります。

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さあ、では帰るとしましょう。
駐車場から見た西の山なみです。
太陽があまりに輝いていたので、撮りました。

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by lunabura | 2009-12-24 23:29 | 竈門神社・宝満宮・太宰府市  | Trackback | Comments(4)
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