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カテゴリ:伏見神社・ふしみ・那珂川町( 3 )

伏見神社(1)淀姫・豊姫は津波の暗号


伏見神社(1)
福岡県筑紫郡那珂川町
淀姫・豊姫は津波の暗号
裂田溝から南の山田の信号を左に曲がると、伏見神社はすぐにありました。

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那珂川の流れに沿った道路沿いです。

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道路から上がるとすぐに拝殿です。

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拝殿は古式ゆかしく堂々として、いかにも地元の氏神様らしいたたずまいです。

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扁額の色が青いのは珍しく、水に関する宮を思わせます。
古い絵馬が沢山奉納されていました。
ここにどうしても来たかったのです。ここから学ぶことが沢山あるので、
どこから手をつけて行ったらいいのか困惑するほどです。
参拝を済ませて、とにかく由緒書きを読んでみましょう。
伏見神社
鎮座地 福岡県筑紫郡那珂川町大字山田
御祭神 淀姫命 須佐之男命 大山祇神 神功皇后 武内宿禰

御祭神の組み合わせが珍しいです。神功皇后と武内宿禰のペアはおなじみで、
すぐ近くの裂田神社の伝承にも出て来ました。
かつては、ここから裂田神社まで神幸があっていたそうですから、
裂田神社と伏見神社は縁が深かったのですね。

主祭神の淀姫命について、さらに詳しく書かれていました。
御由緒 淀姫命神功皇后姫で干珠満珠を求め給う神徳の姫で、
欽明天皇25年11月1日、佐賀の里に川上大明神として鎮座されたが、
託宣によってこの地に遷座され、後、異国襲来にそなえ、
神功皇后、竹内宿禰と共に京都伏見御香宮を合祭して伏見大明神と称す。

ここの主祭神は淀姫命でした。
「淀姫」はヨド姫と読みますが、「豊姫」と混同されて呼ばれています。
ここでは神功皇后の姉と書いてありますが、ほかでは妹という説もあります。

今回は淀姫や豊姫の系譜の話ではなく、
この女神が何を象徴しているのかを整理したいと思います。

淀姫とはこれまでも何度か書きましたが、「ヨド七十」と呼ばれる、
有明海から筑後川にかけて、70年に一度起こる大津波の神格化でした。
「七十」という数字を「ヨド」と発音していた時代があった訳ですね。
ここから山脈を隔てた南の佐賀県の河上に與止日女神社があり、
そちらでも、ヨドとトヨと両方の名が使われています。
伏見神社の淀姫はその河上の淀姫が祀られています。

さて志式神社の神楽や高良山の伝承では豊姫は、
海神から干珠満珠を貰ってくれた女神でした。

高良山の玉垂宮神秘書では、イルウィが攻めて来たので、
干珠を海に投げると潮が引いて、敵が船から降りたので、
すかさず満珠を投げると潮が満ちて、敵が溺れたと書かれていました。

この話を聞いて「おや」と思った人も多いと思います。
今では、これが津波現象を暗示している事を私たちはよく知っています。
「干珠満珠」は「引き波と津波」を起こす珠なのです。

一方「日本書紀」では、神功皇后たちが朝鮮半島を攻めた時、
この干珠満珠のおかげで大波が起こって船が国の中に到達します。
新羅王はそれを見て、
「新羅の建国以来、いまだかつて海水が国に上って来たことを聞いたことがない。
これは天運が尽きて、国が海中に没しようとするのであろうか。」
とショックを受けます。
この記事も「大波」を「津波」と訳す方がよいのではないかと随分考えました。

こうして見ると「ヨド姫」「トヨ姫」というのは、
川や海で起こる津波の神格化だというのがよく分かります。

その津波を象徴する淀姫がどうしてここに鎮座したのでしょうか。
その疑問は地形を見るとすぐに解決しました。
神社の目の前の那珂川のすぐ近くまで、かつては海が迫っていたからです。
那珂川町は標高が20mほどで意外にも低地です。
奥まった地形なので、津波が発生すると、波の高さが増幅する地形です。

地図 伏見神社のある那珂川町と 川上大明神

那珂川町が狭い谷の奥にあるのが見て取れます。

実際、この近くの梶原では木造建築の跡が出土しましたが、
地震と津波で倒壊した状態で発掘されたそうです。
その震源地は新羅あたりだったとか。

淀姫が祀られたのは、津波がないように祈るためだったのがよく分かります。
そして後世の人には、ここまで津波が上がるので気をつけなさいと
伝える為の神社なのです。

そうすると豊姫や淀姫が祀られている神社は、かつて水辺にあった可能性大なので、
自分の町に、もしこの女神が祀られていたら、地形を調べ、伝承を調べ、
先人の教えがあるのではないかと考え、
防災を見直す「よすが」とすべきなのがよく分かります。
    
            (つづく)

裂田神社へ


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by lunabura | 2011-05-20 17:04 | 伏見神社・ふしみ・那珂川町 | Trackback | Comments(6)

伏見神社(2)櫛田神社から疎開した須佐之男社の御神体


伏見神社(2)
櫛田神社から疎開した須佐之男社の御神体


裏手にまわると、いかにも古社らしい風情の神殿と境内です。
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長い間の風雪に耐えたものだけが持つ美しさがあります。


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「あれは恵比須様かな!」
そんな声で見上げると、これは珍しい。お面がはめ込まれているような造りです。
恵比須様か大黒様ですね。

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こちらにはウサギが。神殿の装飾を見るのも楽しみの一つになりました。
「あ“~。あれは!高良下宮社と同じじゃない?」

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神殿の屋根近くに、大きな目で逆立った髪の毛の鬼らしき人面。(鬼面?)
高良下宮社の烏のような人面を思い出しました。
同じ時代に見られる建築様式なのでしょうか。
神殿を守る魔除けの働きをしているのでしょうね。

さて、今日の話は御祭神の中のスサノオの命についてです。

由緒書きを見ると、伏見神社にスサノオ命が祀られるようになった事情が
書いてありました。(現代語訳します。)
須佐之男命は天正年間、秀吉が島津を征伐する時、博多の市街が兵火にかかり、櫛田祇園の神社にも兵火が及ぼうとしたので、御神体を当社に遷し、博多住民も避難して移住した時から、祇園祭が行われている。

秀吉が九州にやってきた時に、博多が燃えたのですか。
その折、櫛田神社が燃えそうになったので、
スサノオ社の御神体をこちらに疎開させたんですね。

他の資料を見ると、その後、博多の街を復興するとき、
御神体は当社に残したままだったと書いてあります。

さらに慶安元年に今の場所に社殿を造営したとあるので、
江戸前期、1648年の建造になります。
江戸前期か…。この柱をくわえる鬼って、この時代の流行なのかな。
またまた、謎が生まれました。

この伏見神社では、7月14日にスサノオ命を祀る祇園祭があり、
岩戸神楽が奉納されます。
「岩戸神楽」というと、高千穂のものかと思うのですが、そうではなく、
この地には天照大御神が隠れた天の岩戸の片方が落ちたという伝承があるのです。
岩戸山は三輪山とそっくりの神奈備山の形をしています。
神楽には古い伝承が残されているかも知れません。また別の機会に調べたいと思います。

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境内にあった説明板です。

お祭りは他にも、11月15日の「お火焚き祭」がありました。
新しい暦が出来たことを祝う催事がここにも残っていたのですね。
(お火焚きについては、裂田神社に書いています。)
住民の力があってこその伝統です。素晴らしいですね。

岩戸神楽の写真集はこちら。(那珂川町教育委員会)
http://fushimi.nakagawamati.net/iwatokagura.html


高良下宮社の神殿の鬼面はこちら。「暗号に満ちた社殿」
http://lunabura.exblog.jp/16206942/
                      (つづく)




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by lunabura | 2011-05-18 17:07 | 伏見神社・ふしみ・那珂川町 | Trackback | Comments(2)

伏見神社(3)「伏見」の語源は「星の観察」・シリウスは地震津波を教える星だった


伏見神社(3)
「伏見」の語源は「星の観察」
シリウスは地震津波を教える星だった

境内にいると「道路の向こうに御神木がある!」と誰かの声。
見ると、巨木にしめ縄がはってありました。
参道を横切って車道が通ってるんだ…。

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こんもりとした茂みに入ると昔からの参道が残っていました!

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急な石段を降りるとその先は川。昔は船で乗り付けていたのでしょうか。

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振り返ると車道の向こうに一の鳥居が見えていました。

取水口
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これは伏見神社から裂田神社までの裂田溝を青で書き込んだ写真です。
この写真では伏見神社は左下にあります。
その神社の前に裂田溝の取水口はありました。
裂田溝は下の方から上の方に流れています。

「分かった。」と、地形を読んでいた奈東さんが教えてくれました。
「田畑を潤すには、那珂川が少し下流にあるので使えない。
だから上流から水を引いて用水路を作ったんだ。
しかも昔の那珂川は満潮時には潮水が上がって来るので、
真水が採れる上流の方に取水口を取っている。」

なるほど。干潟だった平地が陸地化しても、水がないと米は作れない。
目の前に川があっても引けなかったので、大工事をしたんだ。
傾斜を利用して、裂田神社の向こうまで流れるようにしてる。
1800年も使える水路。昔の人の地形を読む力はすごい。
そして人々は取水口を神聖な場所として祀ったんだ。

真鍋大覚氏によると、伏見神社の神殿の方位から計算して、
発祥は神功皇后46~69(246~269)年の間の造営と推定しています。
教育委員会の資料によると、神功皇后が三韓から戻って来て、
感謝のために伏見神社を作った伝承があるとも書いてあります。

ナマズ
取水口のあたりには名前が付いていました。由来書を現代語に書きなおすと、
鯰渕(なまずふち)
神社の前に流れる那珂川の「一の堰」より上流、伏見の渕、鐙(あぶみ)の渕、風拝(かざはい)の渕を総称して「鯰渕」と言い、「鞍掛鯰」の居るところ。

神功皇后の三韓征伐の時、背振山に登られ、灘の川を渡られた時、馬の鞍に魚が飛び上がり、皇后が「なまづめ」たいと言われ、その魚をナマズと名付けた。皇后が三韓征伐の船を出したとき、無数のナマズの群が船を抱き、水先案内をし、戦勝されたことからナマズを神の使いとされた。

ナマズは普段は姿を見せないが、天下の変事には現れる。元和元年大阪夏の陣、寛永14年島原の乱、明治27年日清戦争、明治37年日露戦争、大東亜戦争終戦前に現れた。


皇后のセリフがよく分からないのですが、「なま冷たい」ということかな。
相変わらず馬乗りの好きな皇后ですね。

日本書紀で「海の中の大魚がみんな浮かび上がって船をたすけた」という話が
ここでは「ナマズが船を助けた」ということになっていました。
前回は日本書紀の記事を「津波が起こった」と解釈しましたが、
ここでも地震を象徴するナマズの名で伝わっていました。

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神楽殿の上に奉納されたナマズの絵。

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伏見神社の前の「一の堰」(鯰渕)

伏見とは?
昔の人はどうやって時刻を知ったのでしょうか。
昼は太陽を見れば分かりますが、夜は星を見ました。
星の観測は水平線を基準として、昇って行く星、
あるいは反対側に沈んで行く星で測っていたそうです。

高殿から水平線を見ることから星の観測を「伏し見」と言ったそうです。
言いかえると、伏見とは「水平線に出入りする星を観察すること」となります。

特にシリウスは夜空の中で一番キラキラと輝く星なので、
真っ先に目に飛び込んできます。
星の名前を知らない人でもすぐに分かります。

夜明けに起きて観ると、シリウスは西の空にキラキラと沈みかけ、
夜寝る前に見ると東の空にキラキラと昇り、よい指標となりました。
その為にシリウスを「明けの星」とも、「宵の星」とも呼んでいました。

津波や地震が起こる時には、海面が静止した時に、
シリウスが水平線から離れる瞬間に上下互いに溶け合ったように、
連なったように見えるのだそうです。

高殿からこのシリウスをしっかりと観測していたようすが目に浮かびます。
これを見たら、みんなに高台に避難するように警報を出さねばなりません。

こんなシリウスを「ヨドの星」とも呼んだそうです。
すると、淀姫さまはシリウスの化身とも捉えられます。
朝晩に、いつも夜空で見守ってくれて、そして津波が来ること教えてくれる。
そして「どうぞ、津波が起こりませんように」と畏れられた。
淀姫さまとはそんな存在じゃないかな。

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「ズブさんのアイデア天体写真館」より戴きました。
http://www.ne.jp/asahi/suzuki/zubu/

夜空の中で一番大きく輝くシリウス
古代エジプトではナイルの増水を教えてくれる星として有名です。


ナマズと地震
海では外波の影響がない海淵を「沼津」「志登」と呼び、
星が揺らめく様子を観察して海の異変を観察していたそうです。
これが漢語の鮎魚(せんぎょ)と結びついて、
地震ナマズという説になっていったのではないかと、眞鍋氏は説明しています。

また砂鉄が真っ黒に浜辺に打ち寄せられるのも地震の前触れです。
黒く濡れた砂鉄の色から地震ナマズという言い伝えが生まれたことも
眞鍋氏は教えてくれています。

高天原(2) 砂鉄による地震予知の方法
http://lunabura.exblog.jp/13663273/





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by lunabura | 2011-05-17 12:41 | 伏見神社・ふしみ・那珂川町 | Trackback | Comments(3)
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