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カテゴリ:御島神社・みしま・福岡市( 1 )

御島神社と鎧坂・冑塚・神功皇后はついに決意した


御島神社と鎧坂・冑塚
みしまじんじゃ・よろいざか・かぶとづか
福岡市東区香椎
神功皇后はついに決意した

日本書紀によると、神功皇后は筑紫郡那珂川町で神田を作ってから香椎宮に戻ってきました。
仲哀天皇の死後、側近たちに守られて熊襲や土蜘蛛たちと戦ううちに、
いつのまにか天皇の代わりの位置を占めていました。
新羅(辰国?)との戦いが避けられなくなった情勢に、
神功皇后はついに陣頭に立つことを決意しました。
ある日、神功皇后は香椎宮から船にのって橿日浦(かしひのうら)に出掛けました。

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ここが現在の香椎潟です。ここで彼女は何をしたのでしょうか。
話の続きを日本書紀で追ってみましょう。
皇后は橿日浦に戻って祈り、髪をほどいて海に臨んで、
「私は天つ神、国つ神の教えを受けて、皇祖のみ霊のお蔭を受け、青き海原を渡って、みずから西を討とうとしています。今から頭を海水に漬けます。もし霊験があるなら髪が自然と分かれて二つになりますように。」
と言って、海の中に入って立ち上がると、髪は自然と二つに分かれました。

皇后はその髪を結い上げて男の髪型のミヅラにしました。それから群臣に言いました。
「そもそも軍隊を興し、衆人を動かすのは国の大事である。戦いが容易でも危険でも、勝ち戦さでも負け戦さでも、我々に掛かっている。今、征伐する国がある。戦いの指揮を群臣たちに命ずる。しかし、もし勝つ事が出来なければ群臣たちが罪に問われる。それは不本意である。

私は女で、戦さには慣れていない。しかし、しばらく男の姿になって雄々しく戦おうと思う。上は天つ神、国つ神のみたまの助けを頼み、下は群臣たちの助けをたよって、兵士を奮い立たせて険しい波を渡り、船隊を整えて財宝の国を手に入れる。

勝利すれば軍功は皆と共にある。勝利でなければ、罪は私だけが引き受ける。私はそう決心した。皆はどう考えるか、協議するがよい。」
群臣たちは皆、
「皇后陛下。天下の為に、国家の安泰の為に全力を尽くします。負けて罪を問われるような事態は決してありません。謹んで勅命を承ります。」と答えました。

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香椎潟は広い海でしたが、今は人工島のアイランドシティーが出来ています。
この写真の中央付近の海の中に鳥居があるのですが、分かるかな…。
ビルに重なってよく見えませんね。左に道があるので近づいてみましょう。

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遊歩道を歩くと岩礁の上の鳥居の前に出ました。この岩礁には御島神社という名がついています。
ここで神功皇后は結い上げた髪をほどいて海に入りました。
そして立ち上がった時には髪は二つに分かれていました。
それから髪をミヅラに結うと、船に乗って戻って来ました。

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向こうの浜辺は片男佐(かたおさ)海岸と御島崎です。立花山も見えています。
群臣たちはこの浜辺から見守ったのでしょうか。そこからだと皇后の姿が見えたのが分かります。
皇后は群臣たちの前に戻った時には男の姿になっていました。
覚悟を見せた皇后の姿に、男たちのどよめきが聞こえて来そうです。

さて、この岩礁の宮・三島神社から香椎宮の方を見ると、正面に鳥居が見えました。

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この扁額には香椎宮と書いてあります。香椎宮の一の鳥居です。
ここもかつては海の中です。香椎宮は後々までも重要な宮で、
太宰府に赴任する役人は必ず香椎宮に参拝してから太宰府に向かったそうです。
長い船旅のあと、二つの鳥居を結んだ向こうに宮がある…。
二つの鳥居は満潮時の岩礁の存在を教え、安全な航路を示すナビでもあったのです。
多くの感激と安堵を乗せて船は鳥居の傍を進みました。

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ここが香椎宮へ向かう川の河口です。橋の名前は片男佐橋。
神功皇后たちもこの川を出入りしました。

さて神功皇后は髪を男の髪型のミヅラにしたあと、鎧を身に付けたという話が現地にはありました。

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「鎧坂」(よろいざか)という地名になって残っています。

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道は平坦になっていますが、この左手の方には車は通れない急坂がありました。

また、近くの歩道橋を渡ってマンションの裏手に廻ると、冑塚(かぶとづか)がありました。

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中に入ってみましょう。

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右側の硅化木らしき岩が謂われの石です。年輪が見えています。
ここで神功皇后が冑をかぶった、あるいは韓攻撃から戻って来て冑を埋めたと言い伝えています。

今日のお話の舞台を地図で見ましょう。

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左の中央の海中に御島神社があります。一の鳥居を延長すると香椎宮です。
青い点線のラインは明治時代の海岸線です。
緑の点線のラインは等高線5mのラインで、古代の海岸線の予想線です。
(香椎宮史を参照しましたが、かなりアバウトなラインです。大目に見てね。)

皇后は片男佐浜から鎧坂を通って香椎宮へ戻ったのでしょうか。
このあと、皇后は大号令を掛けますが、軍勢が集まらなかった話は
地図の上の方にある大神神社での話です。
そうそう、志式神社でも祈ったのでしたね。

皇后としての暮らしから一転して大将軍にならざるを得なくなった神功皇后。
運命とは不思議であり、過酷であり、また、かぐわしいものだと思わされます。

地図 御島神社 香椎宮



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by lunabura | 2011-06-23 18:24 | 御島神社・みしま・福岡市 | Trackback | Comments(2)
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