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カテゴリ:撃鼓神社・げっこ・飯塚市( 2 )

撃鼓神社(1)太鼓と笛の神さまと乳の池と神功皇后


撃鼓神社(1)下宮
げっこじんじゃ
福岡県飯塚市中
太鼓と笛の神さまと乳の池と神功皇后


九州自動車道、若宮インターから30号線で飯塚市に入り、
井の浦口バス停から山の方に入ると撃鼓神社の一の鳥居に出ます。
「中一獅子舞」と書かれた青い幟旗に導かれて神社の前に出ました。

「撃鼓」は「げっこ」と読みます。
「鼓を打つ」の字の通り、鼓や笛の神様が祀られています。
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石段を上ると、あれあれ。
正面と左に鳥居があって、どちらの扁額にも撃鼓宮と書かれています。
正面の方はさらに石段があって、古そうです。

左の方は境内全体が見えて、様子がわかったので、
とりあえず左の方から参拝する事にしました。

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山際にたくさんの祠があって、昔の姿を留めています。
かなりの古社で、しかも繁栄していたようすが伺えます。

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わずか2日前にこの神社の存在を知りました。

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いつか行ければいいなと思っていたのですが、
思いがけずこんなに早く参拝出来ました。

「福岡県神社誌」を見ていて、この神社を知りました。
関係ある所だけ書き抜くと
祭神 天太玉尊、天児屋根命、細女命(うずめのみこと) 
創立年代は太古で分からない。
神武天皇が東征する時、また神功皇后が三韓征討に行く時、祈願した事が旧記に載っている。
王谷郷(幸袋町の旧名)の産土神である。

三柱の祭神は天の岩戸の前で占ったり、祝詞をあげたり、踊ったりした神々です!
そのお蔭で天照大御神が再び岩戸から現れました。
その後、この三柱はニニギノ命の降臨に随伴しています。

神武天皇も神功皇后もここにやって来て祈願しているとは。
しかも、かつての地名は「王谷」という。
古代には天皇家が頼りにしているクニがあった事が想像されます。
それを納得させる風格を備えた神社です。

神功皇后の神楽部を指導した神々
「ふくおか民俗芸能ライブラリー」
http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/e_mingei/detail.asp?id=6-1によると、
古い伝えによると、上宮は白旗山中腹にあり下宮が山裾にあって、古くは上宮を鼓打権現、下宮を笛吹権現とよんでいた。この両権現は神功皇后が三韓出兵の際の神楽奉納で、囃子の太鼓、笛を指導した神だといわれている。撃鼓神社の佐伯家文書には、「神楽」という文字が見られる。

とあります。かなり具体的に話が残っていました。

神功皇后は福岡の各地で神楽を奉納しているけど、
ここの神々が太鼓と笛を指導していたとは!
そりゃあ、仲哀天皇の周りに音楽奏者がいるのは
考えてみると当たり前の事だけど、盲点だったなァ。

クニが違えばリズムやメロディーは違うはずだけど、
撃鼓神社の神楽を聞いて、
神功皇后たちはいっぺんで好きになったんだろうな。
芸能が盛んだったと言う事は背景に豊かな経済力があったという事。
ここを「王谷郷」というのだから、よほど大きな王国があったんだろう。

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拝殿の中も神楽が奉納出来る構造になっていました。
これまでは神職によって神楽が伝えられていたのが、
老齢化により、氏子全体で伝えるようになったとか。
是非とも、後世にまで伝えてもらいたいものです。


乳の池 神功皇后が祈ったのは
境内の中には摂社がいっぱいあったのですが、
右側に廻ってみると、石に字が彫ってあるので読んでみて、びっくり。
乳の池
神功皇后が新羅征伐より御凱旋の後、筑紫のカダにて皇子(応神天皇)を御生みになって、大分宮を経て行く時、親しく当宮に白旗八流を納め、奉斎されて、また産衣  り、池の水を汲んで、授乳の祈願をされてから、この池を乳の池と呼んで、産婦の乳が少ない時、池の水を汲んで祈願をすれば直ちに霊験がある。いにしえより、遠近の祈願が絶えない。

神功皇后は帰り道にも、ここに立ち寄ってる!
この小さな池の水を汲んで、お乳がよく出ますようにと祈ったんですね。
そして、白旗を八流奉納しています。
それでこの山を白旗山というんだ。
皇后は何カ所かで幡を八流奉納していますが、
実際にその神社に出会ったのは初めてです。

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御神木は大きな楠です。
高く高く伸びて枝葉を茂らせていました。

下宮を参拝した後、上宮へも行ってみました。  (つづく)






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by lunabura | 2011-07-14 13:48 | 撃鼓神社・げっこ・飯塚市 | Trackback | Comments(2)

撃鼓神社(2)上宮・白旗山の中腹にある上宮へ


撃鼓神社(2)上宮

 白旗山の中腹にある上宮へ
 

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こちらが撃鼓神社の正面の鳥居です。いかにも山に登っていく感じです。
木の生い茂る参道はどうなっているのでしょうか。

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石段の上に鳥居が見える!
長いけど、行かないと後で気になってしかたがないに違いない。

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しばらく開けた山道を歩くと、さらに長い石段。
これを上ったら上宮だろうか、また石段だろうか…。

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出た!上宮だ!
20m×30mほどの広さの、何もない境内の奥に祠がありました。

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参拝を済ませると一斉に蝉の声が頭上を覆ってドームのように鳴り響き始めました。
まさに撃鼓の名のごとく。
聞いたことのない蝉の声。そう言えば今年は蝉の声を初めて聞くみたい。

何もない境内。こんなシンプルさは大好きです。
白旗山の中腹とはいえ、ここは小さなピークになっていて、周りは絶壁でした。
あっ、おんなじだ。
そう、那珂川町の風早神社とおんなじ。規模が倍になっただけ。

木がなければ下から風が吹いてくる。
ここも製鉄か製銅が行われていたのかもしれない…。
その生産力が豊かさを生みだし、神楽の技能に取り組む余力を生み出した。

仲哀天皇と神功皇后はここの神楽を聞いて感動した。
「是非ともわが楽隊を指導してほしい。」
そんな会話があったのだろう。
撃鼓の王はこの誉れを喜んだ。
太鼓と笛の演奏者にその場で技術指導させたかもしれないし、
もしかしたら、楽隊に参加させて随行させたかもしれない。
だから、神功皇后は帰り道にもここに立ち寄った。
行きは夫と共に。帰りは皇子と共に。
たった2年の月日は彼女の運命を大きく変えていた。

そんな事を考えながら石段を下りて行くと、
下の鳥居の所でぴたりと蝉の声が止みました。
あれほどの数が一斉に鳴きやんだ不思議。
あとで山友達にその話をしたら「春蝉」ではないかと教えてくれました。
そうやって一斉に鳴き始めて、一斉に鳴き止む習性があるそうです。
なるほど。そんな春蝉を初めて聞いたんだ。
確かに、夏蝉とは違ってやさしい響きだった。

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最後に下宮の境内を振り返ると、金色に光る文字が見えました。
「主基斎田」(すきさいでん)に選ばれた栄誉を伝える昭和56年の記念碑でした。
天皇家に献上するための米を作る神田に選ばれたんですね。
この知らせには町中が湧きたっただろうな。
遠賀川の豊かな水は斎田を潤し、黄金の実りを与えてくれた。
豊穣の田を吹き渡る風が目に浮かびます。

さて家に戻って、撃鼓神社の場所を地図で改めて見直すと、
宮の北西3キロにニギハヤヒの笠置山があり、
南東3キロには膨大な量の鏡を誇る立岩遺跡がありました。
かなり気になる場所に位置していましたよ。

この王谷郷も丹念に歩けば王たちの古墳に出会えるかもしれない。
ここに伝わる神楽には王たちの記録は残っていないだろうか。
神武天皇や仲哀天皇を支えたクニの一つがここにある。
よほど大きなクニなのだ。その実態は明らかにされているのだろうか。

白旗山の古代に心を残しながら、次の神社に向かいました。

地図 撃鼓神社 立岩遺跡 笠置山(ニギハヤヒ)






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by lunabura | 2011-07-13 23:26 | 撃鼓神社・げっこ・飯塚市 | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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