ひもろぎ逍遥

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カテゴリ:大善寺玉垂宮・だいぜんじ久留米( 5 )

ウエサク祭と水沼



ウエサク祭と水沼



友人との会話で、ウエサク祭の話が出た。
ウエサク祭とは鞍馬寺の五月の満月祭のことだ。

このウエサク祭がアジアの各地でも行われていることは
今では周知のことだが、
それが初めて分かったのは十数年前のことだ。

それが分かった時、鞍馬の祭に異国でウエサク祭を伝える寺の僧侶が招かれた。

その年、幸運にも私はウエサク祭に参加することとなった。



この祭は瞑想がメインだ。
しずかに満月の光を浴びながら瞑想をする。
夜中の行事だ。
しかも、戸外で行われる。

金属の容器に水を張り、満月の光を転写し、それを分かち合う。
それが、満月祭の本質だと私は理解した。


一方、水沼の手によって
月の光を宿した水を変若水(おちみず)という。
若返りの水だ。

「ウエサク祭の本質は変若水だと思う」
私は友人にそう言った。

が、気になってネットで、二、三、ざっと検索してみた。
この「水」について言及したものは見当たらなかった。

ウエサク祭はブッダの悟りと結びついて考えられているようだ。




そうすると、福岡の「水沼」(みぬま)はどうだろうか。
関連があるのだろうか。

何度も書いて恐縮だが、
私が「水沼」に深く惹かれるのは、
このウエサク祭の経験があったことも、ひと役買っている。


水沼族は福岡の南部、
筑後川を母として繁栄してきた。

「水沼」とは「巫女」。
月にある変若水が聖なる泉に降り注ぐ時、
水沼は神と人との間を取り持ったという。

この伝承を知った時、
私は満月が頭上に月暈を従えてこうこうと輝いた、
あの年のウエサク祭の奇跡の光景を思い出した。

月の光を存分に吸収した水は尼僧の手によって参拝者に手渡される。
それは変若水だったのだ。
そう、思う。



日本の古代においては、その役割を水沼が行った。



月の光と水。


鞍馬のウエサク祭が仏教の行事だとしたら、
水沼はどうだろうか。

時代を考えてみた。

水沼の君は三女神を祀る。
だから、景行天皇はわざわざ祀壇を作り、
自分の子供・国乳別皇子を代理として住まわせた。
そして、水沼の姫君を娶(めと)らせた。

紀元2世紀ごろのはなしだ。
これから考えると、すでに弥生中期には水沼が筑紫にいた。


通説では、弥生時代にはまだ仏教が入っていないことになっているので、
水沼の存在は、仏教流入以前の日本の古代の姿をそのまま残していることになる。

漆黒の闇を照らし出す満月の夜のひそやかな儀式。

水沼と泉と月。

その「水沼」が水の女神と呼ばれるようになった。

それが三女神を祀った家系だ。


私の中では、鞍馬と水沼は重なり合った世界となっている。
満月と黄金の器の水と共に。








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(『神功皇后伝承を歩く』78大善寺玉垂宮より)







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by lunabura | 2016-06-07 20:38 | 大善寺玉垂宮・だいぜんじ久留米 | Trackback | Comments(7)

大善寺玉垂宮(1)日本三大火祭りの鬼夜はここ


大善寺玉垂宮(1)
だいぜんじたまたれぐう
福岡県久留米市大善寺町宮本1463-1
日本三大火祭りの鬼夜はここ


大善寺町は福岡県の南部にあります。
県道47号線(久留米城島大川線)沿いで、
筑後川に八女市から流れてくる広川が合流する所です。
神社に寺の名前がついているのも珍しいのですが、
これは久留米市の「高良玉垂宮」との区別のための名称らしく、
神社誌では「玉垂神社」となっています。
この二つの宮は深いかかわりがあります。
古代史的にも重要な場所。さあ、どこまでアプローチできるかな。

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朝から竜巻に大雨にという日、辿りつくと雨がやみました。
おお、これは大きい。

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大きな楼門です。

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境内が広々としています。

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拝殿に着きました。酒樽がいっぱいです。古式豊かな拝殿です。

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参拝するために近づいて見ると半蔀(はじとみ)ではないですか。
戸を上下に分けて、上の戸を吊り上げています。
平安時代に出て来る古式の建築様式!
十二単(ひとえ)の女官でも出て来そうな風情です。
いったいいつ頃の建築でしょうか。

福岡県神社誌を見ると、「弘仁5年に嵯峨天皇の勅命で
本社・末社・楼門・廻廊・神幸橋、その他の諸堂を造営した。」
となっています。この時大善寺と言う名前が付きました。

弘仁5年って西暦814年です。火災にあった記録は書いてありません。
すると、へ、平安時代の建築そのもの?本当に?
これまで行った神社の多くは戦国時代に焼かれているので、これは奇跡!

本当だとすると紫式部より200年も前のものになるんです…
諸堂の配置なんか独特の雰囲気があります。
京都まで行かなくても平安時代にタイムスリップできる…。

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拝殿の左手に廻ると、竹がいっぱい立て掛けてありました。
そばでクスノキの剪定をしている方に尋ねました。
「この竹は鬼夜に使うために干しているのです。
燃えやすくするために、3月には切ってこうして乾燥させます。
長い方は化粧の竹で松明(たいまつ)の一番外側に巻く分で13mあります。
奥の方にあるのが枝で、燃える分です。
三本の大きな竹を芯にして枝を巻き付けて、この化粧竹を最後に巻きます。」

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これが松明の芯になる大竹です。楼門の横に置いて乾燥させています。
瓦屋根で絵になりますね。
「1月7日の鬼夜の為に1月の4日ごろに松明(たいまつ)を作ります。
その頃来られたら見られますよ。」
「何本ですか?」
「6本です。」
「どこに並べるのですか。」
「向こうです。」

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教えられた所はクスノキの杜。❤❤
歩いてみると雨の後だったので、祭りの松明の残り香がしました。
この「鬼夜(おによ)」は「日本三大火祭り」の一つですが、
私はまだ見た事がありません。
この大きな松明に人が乗っている写真をよく見ます。
燃えて短くなって行く松明の縄を切って行くためでした。
それを細いカシの木で、みんなで支えるのですから命がけです。

ネットで調べると祭りの映像が年々UPされていっぱいありました。
「大善寺玉垂宮 鬼夜」で検索してみてください。動画もありますよ。
今回は
由緒が書かれていて迫力ある写真  「和田フォトギャラリー」
http://wadaphoto.jp/maturi/oniyo.htm


神事の流れを写した 「あじこじ九州」
http://www.ajkj.jp/ajkj/fukuoka/kurume/kanko/oniyo/oniyo.html

をリンクしておきます。

こういう浄化の火は動画を通してでも感激しますね。
                             (つづく)

地図 大善寺玉垂宮 




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by lunabura | 2011-09-04 11:38 | 大善寺玉垂宮・だいぜんじ久留米 | Trackback | Comments(0)

大善寺玉垂宮(2)桜桃沈輪(ゆすらちんりん)と追雛(ついな)


大善寺玉垂宮(2)
桜桃沈輪(ゆすらちんりん)と追雛(ついな)


鬼夜の火祭りの由来について説明板が境内にありました。
この火祭りは「鬼夜」と言い、その起源は古く、
仁徳天皇56年(368年)に、肥前桜桃沈輪(ゆすらちんりん)という悪徒がいて、これを伐つため、藤大臣が勅命を受け、大松明をかざして打ち亡ぼした故事からのもので、昭和29年には県の無形民俗文化財、平成6年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。 久留米市観光振興。


桜桃沈輪(ゆすらちんりん)
一度聞けば忘れられない名前です。
「桜桃」とは中国原産のバラ科の植物で、白か桃色の花が咲いて赤い実がなります。
全国で植えられているそうです。

この「桜桃」を「ゆすら」と読むのは
朝鮮語の「移徒楽(いさら)」がなまって「ゆすら」となったとか。

[肥前の悪徒]と書かれていますが、
「桜桃」は桜に似た美しい花が咲く木の姓をもつ人でした。
「沈輪」は後に悪字が付けられたのでしょうね。

「ゆすら」の出典はこちら(花と実の写真もあります)
http://www.hana300.com/yusura.html

実はサクランボそっくりですね。食べられるそうです。

ネットで調べるとこの男がいたのは「肥前国水上」とあります。
この地名を探すと「佐賀県大和郡水上村」というのが
明治時代まで存在していたというのが分かりました。
現在の川上峡の近くだそうです。
そうすると、筑後川を挟んで対峙していたクニの可能性があります。
位置関係だけを地図に書いて見ました。

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やはり桜桃沈輪大善寺玉垂宮は筑後川を挟んで対峙しているようです。
伝承をいくつも読み合わせると、時代や関わった人たちや
戦闘場所が錯綜していました。
このために原因は分からないけど、戦いの記憶が祭に残されていたのですね。

地図に書いた「吉野ヶ里」のクニはもう消滅していますが、
有名な場所なので、位置関係が分かるように書き添えました。
神崎の「物部氏」というのは、真鍋大覚氏によるもので、
この時代に存在したのかは未調査です。
(尚、地名の調査については、久留米地名研究会の古川氏と
古代史研究家の福永氏に協力を頂きました。ありがとうございます。)

追雛(ついな)
この鬼夜の火祭りは追雛という神事の最終日の神事です。
大晦日の夜から1月7日まで神事が行われます。
この一週間、神官によって火が守られるそうです。

この祭りの真の意味について古賀寿氏の文があるので転記します。
神さまは一年間(神社に)居られると、その地方の人々の罪・穢れなどを全部引き受けてどろどろに汚れてしまわれる。そこで神聖な水で禊(みそぎ)をして神格を再生しなくてはならない。 ―略―
 
これは大善寺の場合もそうでありまして、大善寺の玉垂宮の鬼夜の行事があります。これは太宰府の鬼会などと全然違うのです。

というのは、鬼が阿弥陀堂に籠っているのを子供等が追い出して、その間に大松明に火をつけて、大松明がずっと移動して行って観光客がいなくなったところで、鬼がパッと出て来まして、子供等に守られて前の川の禊場に行き、そこで口をすすぎ、手を洗い顔を洗い、鬼は子供等に守られて玉垂宮の神殿の中に飛び込んで、内々陣の扉の前に手をついて祭が終わる。

これはどうしてかと言いますと、鬼を追い払うのでなくて、鬼に禊を勧めて神殿に帰ってもらう。この事から鬼というには神様だという事がわかる。神様が一年間人間が犯す罪穢を皆引き受けてしまうので、どろどろに汚れて忌籠りをなさっている。

それを引き出すために大松明の行事があるわけで、大松明だけを見てあの祭りは火が大きいなというだけでは祭の本質が分からないのであります。これは秘事なのです。語ってはならないことだったのです。(高良山文化研究所発行)

神社で「払いたまえ、清めたまえ」と人間はお参りするのですが、
神がその罪、穢れを一身に引き受けてくれていたのですね。
一年たつと汚れきってしまって引き籠ってしまわれた神に禊を勧めて、
再び新生してもらう神事でした。

これこそ日本の神道の基本的なあり方です。
罪穢れを背負う神には他に
さすらい姫や瀬織津姫、スサノオの命など、いろんな神様がいます。

再生の神事は神社によって異なるのでしょうが、
この大善寺玉垂宮には「鬼」と言う名で原型が伝わっています。
天照大御神が岩戸に籠るのも、このような意味合いがあるのかも知れませんね。

それにしても、語ってはならない秘事を書いてしまいました。(・.・;)
(古賀寿氏が書いた事だし…。)

祭の本来の意味が忘れられて
付属する夜店や花火の華やかさに祭の姿を求める事も多い時代、
原点に立ち戻り、神事の意味を理解して真の祭を取り戻せるようにという
神計らいだと思いましょ。
(この資料は久留米地名研究会の大石氏に提供いただきました。
ありがとうございます。)

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これが神社の前を流れる広川です。大雨のあとなので水量が多いです。
石段があって、川に入れるようになっています。
1月7日の神事の夜は真っ暗でとても冷たそう。
まさにミソギですね。
 (つづく)


シャグマ役の子供たちと神事の流れ
大善寺玉垂宮の鬼夜

http://kurumenmon.com/daizenji/oniyo/oniyosetumei.htm


大迫力で神事の全容を撮った
若草写真館 鬼夜

http://wakakusa.a.la9.jp/HP8163.htm






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by lunabura | 2011-09-03 20:57 | 大善寺玉垂宮・だいぜんじ久留米 | Trackback | Comments(2)

大善寺玉垂宮(3)ここには女神が祀られていたという


大善寺玉垂宮(3)
だいぜんじ・たまたれぐう
ここには女神が祀られていたという

さて、話を戻しましょう。
境内で鬼夜の大松明の材料について教えてくれた人が、
「ここは女の神様ですよ。」と言いました。
「え?そうなんですか?」

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そこで改めて神殿を見ると千木(ちぎ)は外削ぎで男神を示しています。
(千木が水平に削られているのを内削ぎと言って女神を示す。例外もある。)

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「千木を見ると男神ですね。」
「でも地元の寄り合いでは、みんなそう言ってますよ。」
そうなんだ。やはり現場には来てみるものだ。

という事でこの神社の祭神を見ると、『福岡県神社誌』では
竹内宿禰、八幡大神、住吉大神
となっていて『飛簾起風』では
高良玉垂命
となっている。
この二つを比べると「竹内宿禰=高良玉垂命」に見えるが、
私は既にそうは思わなくなっていた。(この話は次回に)

その男性はさらに
「この神社は久留米の高良玉垂宮の兄に当たる宮で、こっちから向こうに遷った。」
とも教えてくれた。
これは良く知られた話らしい。この大善寺の方が古いのだ。

「この大善寺玉垂宮は、今はこの地域だけで祀るけど、昔は三瀦も含んでいて、
参道は今の大善寺駅から続いていましたよ。」
「そうですか。」
大善寺駅は川の向こうにある。直線距離で約500mの参道だ。

話を総合すると、この神社は大善寺町から三瀦町を含めた範囲の中心的な宮で、
久留米の高良玉垂宮の元宮だという事になる。
高良山にいた高木の神が追い出されたのは、その時なのだろうか。

地図を見てみよう。

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黄色で囲んだ部分が現在の三瀦町。(アバウト過ぎ…。)
この中心的な宮は弓頭神社。(次回に紹介予定)
大善寺玉垂宮はその北にあるので、合わせると水色の円ぐらいがクニのエリアか。
玉垂宮はここから高良山の方に遷った。遷った事情は伝わってこない。

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「ここは女の神様」とはどういう事だろうか
祭神のリストからは男神しか見えないけど、地元では女神だという。
その手掛かりがあった。それが次の文章である。
古代の信仰に「月には変若水(おちみず)がある」という思想がある。(略)
月には水がいっぱいあって、その水は生命の大源となる水である。不老不死の再生の水で、変若水(おちみず)という。この水は真夜中に地上の聖なる泉に降ってくるので、夜中に変若水を汲みに行って飲むと若返りが出来る。

つまり、月影を宿す聖なる泉に変若水が天から降りて来る。
そこでミソギをすることによって、神といわず人間といわず不老・不死再生の力を得る事ができる。

その時に神様のミソギの介添えによってのみミソギの実行ができる。その巫女を「水沼」(みぬま)という。この巫女がやがて神様だと思われてくると、やがて水沼女という水の女神に変わってくる。(折口信夫「水の女」に論証)

朝妻に祀られた香椎朝妻、神功皇后はその変形、つまりミソギの女神だった。

古代の筑後の大豪族として日本書紀に現れる水沼君はいったい何かというと、こういう神のミソギを介添えする巫女を出す家柄である。地方君主の家である。

古代の水沼の伝統は大善寺の玉垂宮の鬼夜と高良大社の朝妻に至る神幸祭に姿を変えて残っているといわねばなならない。

これが後に筑紫君となる。  「高良山をめぐる古代信仰」古賀寿著

これを言いかえると
月の信仰とは月にある変若水聖なる泉に降りて来るのを飲むと
若返るというものである。そこでミソギをすると神でも人でも再生する。
月の夜に泉に光が写る時に巫女が神様と取り次いでそれが成される。
と言う事は満月前後の真夜中という事になる。
その巫女を水沼女と言っていた。
やがて水沼女そのものが神として神格化されていった。

その具体的な例が
朝妻の味水御井(うましみずみい)神社では、祭神・神功皇后である。
また水沼君(みぬまのきみ)という地方君主の名前が日本書紀に出てくるが
その名の由来もこの巫女を出す家柄という事から来ている。

水沼(みぬま)が三瀦(みずま)と変化した。
大善寺玉垂宮の鬼夜の神事や高良玉垂宮の神幸祭などは
同じ月の水の信仰を伝統を今に伝えるものである。

というような事になります。
この大善寺玉垂宮の鬼夜神事は、古神道を考える上で
「古式が残る点で重要な祭りである」事が分かります。

この話からすると、
「祭神は女神だ」と言うのはこの「水沼という巫女」の事かも知れませんね。
その後、玉垂神という男神に変わって行ったと思われます。

味水御井神社にはまだその聖なる泉が残っていました。
この大善寺玉垂宮の鬼のミソギ場は目の前の川でしたが、
泉があった可能性もありますね。
(つづく)

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by lunabura | 2011-09-02 20:02 | 大善寺玉垂宮・だいぜんじ久留米 | Trackback | Comments(0)

大善寺玉垂宮(4)高良玉垂神とはアントンイソラか


大善寺玉垂宮(4)
高良玉垂神とはアントンイソラか

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クスノキと湊
この宮にやって来たのが神功皇后です。
上のクスノキは境内の中でも一際古いものです。
神功皇后の船をつないだクスノキというのがあると聞くのですが
この樹の事でしょうか。しめ縄も張ってあって御神木になっています。
この樹は川にも一番近い所にありました。

皇后の船をつないだという故事から、ここは「御舟山」と言われるようになりました。
それが「大善寺」が出来た時に名称が変わりました。

皇后の伝承について『飛簾起風』より抄出したものを、現代語に訳してみます。
祭神 高良玉垂命
いにしえは御舟山大善寺と言った。この神は神功皇后の征韓の役の時、将として殊勲を上げ、凱旋の時、船をここにつないだ事から、御舟山の名がついた。境内の古いクスノキは皇后の船をつないだものと伝える。

クスノキについた「にな貝」は神功皇后が三韓との戦いの時、海上で戦い、干珠を海中に投げた時、海面が見る間に干潟となり、敵の船がひっくり返り、皇后の船もひっくり返ろうとした時に、不思議にも、たくさんの「にな貝」が船を囲んで守ったお蔭で無事に帰国して、船をここに納めた。「にな貝」はなおも、この樹に残るという。

クスノキについた「にな貝」の話がここにも書いてありました。
生立(おいたつ)神社では「にな貝」は歯痛の薬になっていましたが、
ここでは津波の引潮でひっくり返りそうになったのを守った貝として伝わっています。

海上の戦いでは引潮になれば敵もひっくり返るけど、自分も危険なんだ。
よく考えると、何ともリアルな伝承です。

この湊に入港してきた時、この船にびっしりとついた「にな貝」は
当時の人々に強烈な印象を与えたのでしょう、
あちこちに変形しながら伝わっています。

船の大きさを考えると、
韓半島と倭の間の大海を渡るような船は、浅い川は渡れません。
その大型船が直接乗り付けたとしたら、この宮の所までは水深があって
良い湊があったという事になります。
その点でも水沼の君はかなり栄えていたのでしょうね。

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祭神の高良玉垂神について考えた
「この神は、将として殊勲を上げ、船をここにつないだ」とあります。
神功皇后の船を操縦したのは安曇(あずみ)の磯良(いそら)です。
「船をここにつないだ」のを采配したのは「安曇の磯良」だと思われます。

玄海灘には海底火山の稜線が海面下にあって、
火口の内に入ると波が穏やかで、稜線の外は波が荒いそうです。
そんな潮の道を知っているからこそ、安曇の磯良に援助を頼み込んだのです。

磯良のお蔭で海神から干珠満珠も手に入れました。
新羅の国土に一気に船が入り込んだという話も、
数年前までは津波だと解釈する人は余りいなかったでしょう。

「玉垂神―玉を垂れた神」(津波を起こした神)は本来「海神」ですが、
「海神を斎き祀る磯良神」も昇格して「玉垂神」と同神となりました。
前回の「水沼の巫女」が「女の神さま」となったのと同じケースです。

「安曇磯良」を音読みすると「アントン・イソラ」となります。
この読み方は『高良玉垂宮秘密書同紙背』に書いてありました。
アントンイソラと申すは、筑前国にては志賀、常陸の国にては鹿島大明神、大和の国にて春日大明神と申すなり。一躰分身、同体異名である。

志式神社の神楽「磯良舞」では
磯良神は大和で40万年、常陸で40万年、勝馬(志賀島にある)で40万年過ごされた神。

と言う事で、やはり「安曇磯良」は、「アントンイソラ」です。

大川市の風浪宮では「吾瓫磯良丸」という字が当てられています。
「瓫」は「ホン」が音読みです。発音により近い漢字を選んだと思われます。

繰り返しになりますが、
「玉垂神」は厳密に言えば「津波を起こす玉を垂れた綿津見神」ですが、
のちに「綿津見神と、それを祀るアントンイソラ」と同義になりました。

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外洋は安曇族なしには渡れませんでした。
常陸の鹿島神社や奈良の春日大社にも拠点を持ち、
そして九州では志賀海神社を中心に、
大川市の風浪宮、門司の和布刈(めかり)神社
と主要な水門に湊を構えていた安曇族はこの後、水沼のクニの神となり、
筑紫の中心の高良山の頂上神となったと思われます。

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だから高良山の拝殿には波と龍神(海神)が正面に据えられているのです。
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「高良玉垂神」と「高良の神」は別の神で
後者は「竹内宿禰(ちくしうちのすくね)」で、
それが混乱して伝わっているのではないかと推測しています。

神功皇后
そうそう、神功皇后の田油津姫攻撃のルートを探していたのでした。
伝承を並べて行くと、
神功皇后は高良山の麓の旗崎に旗を立てて陣営を構え、
国分町に船をつけ、この大善寺玉垂宮に来て、
それからさらに南下して弓頭神社に行きます。

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それでは、ようやくここを後にして、弓頭神社に出掛けましょう。




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by lunabura | 2011-09-01 18:34 | 大善寺玉垂宮・だいぜんじ久留米 | Trackback | Comments(4)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
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