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カテゴリ:弓頭神社・ゆみがしら・久留米市( 3 )

弓頭神社(1)景行天皇の皇子・国乳別皇子を祀る宮


弓頭神社(1)
ゆみがしらじんじゃ
福岡県久留米市三瀦町高三瀦521
景行天皇の皇子・国乳別皇子を祀る神社

大善寺玉垂宮から2キロほど南下して行きました。
楽勝と思ったのですが、道を何度も曲がるので、地図から目が離せません。
弓頭神社とは一本道で繋がっているだろうという思い込みが
心の隅にあったのでしょう。
両者にはどんな繋がりがあるのか、果たして分かるのでしょうか。

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田んぼの向こう、右の方に杜が見えだしたので、あれだろうと、ようやく安心。
「高三瀦」と「高」がついているので、
政治的にも中心地ではなかったかと思ったのですが、
田んぼばかりだし、神社は高台にあるような様子でもないし、
川が氾濫したら大丈夫だろうかと、都としての地形に疑問。

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しかし平地ながらも、この立派な石垣を見ると歴史の重さを感じました。

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参道がなく、路地に入って左手にいきなり鳥居がありました。
左右の建物は倉庫に見えますが、廻廊です。

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境内に入ると、瀟洒な隋神門が迎えます。

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龍の彫り物があります。格式の高い宮です。

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景行天皇の皇子が祀られていると知っていたのですが、
ここまで豪華な神社だとは思ってもいませんでした。
唐破風の向拝に、重ねられた千鳥破風には菊の御紋が金色に。

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神殿を見ると色彩はさらに豊かに残っています。
このような豪奢な神社があるとは…。
これまでの田んぼののどかな風景と違和感…。

ちょうど氏子さん方がいらっしゃって、拝殿に上がって参拝する事が出来ました。

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天井の曲線が見事です。

境内に書かれていた石碑を読んでみます。(古文は現代語に変えます)
弓頭神社(旧郷社)
本社は水沼別(みぬまわけ)の始祖、国乳別(くにちわけ)皇子を主祭神とする。
成務天皇紀で「吾が国造(くにのみやつこ)を任命する時には必ず楯矛を授けてあかしとする。」とあって、

第12代景行天皇の皇子、国乳別皇子が「古式にのっとり、弓矢楯矛をいただいて下向し、高三瀦の地に在所を定めて、久しく筑紫地方を治められた」と書かれた部分に由来するものと思われる。

この高三瀦は水沼の君累代の政治の地であり、古代の行政と文化の中心として繁栄した所である。

古伝説には「神功皇后韓攻撃の時、弓大将だったために、弓頭大明神と称えられた」と言い伝えたとの説もある。

国乳別皇子のお墓は烏帽子塚(弓頭神社御廟塚ともいう)と称し、本社の西北3町(約300m)ばかりの所にある。
明治6年6月、郷社に定められる。

なお、神社が所属する銅剣、石包丁、石戈、耳環は町の文化財に指定されている。
平成10年3月 三瀦町教育委員会

出ました!神功皇后と主祭神の国乳別皇子には接点がありました。
景行天皇の皇子なので、仲哀天皇から見たら叔父に当たるんですね。
それなら、絶対的な味方です。

日本書紀に書かれた記事そのものが現存すると言う貴重な宮です。
水沼の君の累代の政治の地という事で、大善寺玉垂宮ともやはり関わりがあります。
皇子の墓まで残っている。

幸運にも郷土史家による弓頭神社の資料集が作られていて、
氏子さんから頂戴しました。
次回はその資料集を紐解きます。
(つづく)
地図 弓頭神社










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by lunabura | 2011-09-08 00:04 | 弓頭神社・ゆみがしら・久留米市 | Trackback | Comments(0)

弓頭神社(2)襲の姫と、水沼国や火の国の租になった皇子たち


弓頭神社(2)

襲の姫と、
水沼国や火の国の租になった皇子たち


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この主祭神の国乳別皇子は日本書紀に名前が出ている人です。
まずは読んでみましょう。
次の妃、襲(そ)のタケ姫国乳別(クニチワケ)の皇子国背別(クニソワケ)の皇子(=ミヤヂワケ皇子)とトヨトワケの皇子を生みました。長男のクニチワケの皇子は水沼(みぬま)の別(わけ)の始祖です。次男のトヨトワケの皇子は火の国の別(わけ)の始祖です。
以上天皇の男女の御子は前後合わせて八十柱います。

しかし、ヤマトタケルの尊ワカタラシヒコの天皇イホキイリビコの皇子以外の七十余人は皆、国郡に封じて、それぞれの国に行かせました。こうして今の世に諸国の別(わけ)というのは、この別王(わけのみこ)の末裔です。
              
景行天皇と言えば、田油津姫の祖の神夏磯姫が恭順した相手でした。
神夏磯姫以外の周囲の長たちはみな殺されてしまいました。
何とも恐ろしい天皇だ…。

その天皇に子供が各地に80人もいるのは
恭順のあかしに、クニの長たちが娘を差し出したからでしょうか。

この国乳別皇子の母、武姫は襲の姫です。
「襲」と言えば、すぐに「熊襲」を連想するのですが、
この場合は背振山の南の方にあった国ではないかと考えています。

この「背振山(せぶり)」の語源は「そほり」と言って、
「襲」とは「山に雪がまだらに残っているようす」で、
「北の方を指す」ようになり、
「ほり」とは「目もくらむほど真っ白に光輝く形容詞」だと、
眞鍋大覺氏が伝えています。

背振山脈はかつては雪深い所でした。
弓頭神社あたりから見ると、冬には北の方に真っ白に輝く峰々です。

この事から「襲」とはこの背振山系の南にあると考えるようになりました。

「襲ほり山」の南の「襲の国」で、
景行天皇はその姫を妃に迎えて数年滞在し、三人の子供が生まれ、
子供たちに水沼の国(福岡南部)と火の国(佐賀県~熊本県)に分けて
治めさせたと考えられます。

そして、それらに挟まれた国が「ヤマトの国」です。
これは新説でなくて、地名がそうだったのです。
そこに田油津姫がいる。

山門(やまと)郡の場所を確認しようと、新しい地図を見てびっくり!!
「山門郡」「大和町」など、「ヤマト」の地名が消えている!
えらいこっちゃ。

「三輪」や「出雲」も平成の合併で福岡から消えちゃいましたが、
こんな由緒ある地名がことごとく失われてショック。

みんな、ふるさとの歴史に興味が無くなって、
地名を失う事の重大さに不感症になったのかな。
古代は地名を付ける事が支配権を表すほどなのに。

ま、ぼやきはこれくらいにして
襲の武姫の子供達の支配するエリアを調べてみないと。

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旧山門郡のエリアを「やまと」、旧三潴郡のエリアを「みぬま」としました。
火の国は佐賀~熊本でかなりアバウトに描いています。

こうして見ると、有明海沿岸は景行天皇の子供たちが治めた事になります。
天皇家や物部氏の支配が及ぶのが水色や緑のエリア。(吉野ヶ里は未調査)

そうすると、黄色で描いた熊鷲とか田油津姫は
かなり目障りに見えたのが分かって来ました。

景行天皇の西征後、落ち付いたかに見えた筑後川沿岸諸国も、
天皇が筑紫を離れると、国乳別皇子の代には、もう不穏な空気が流れました。

その後、下関の豊浦宮に遷宮した仲哀天皇も、
新羅の塵輪(じんりん)に襲われてからは、
もう一度、筑後平野をまとめ直す必要に迫られたのが地形から読み取れます。

国乳別皇子こそ、SOSの発信者の一人だったのかも。

「別(わけ)」というのは星を羅針盤にしてやって来た氏族たちの総称で、
のち、「別」のいる「湊(みなと)」も「わけ」と言うようになったと
眞鍋大覺氏は書いています。

襲の武姫も異国の氏族の湊のある国の姫だったのかも知れません。
子供たちに皆「別」の字がついています。

中東から、あるいは中国、韓国から異なる氏族が辿り着く有明海では、
まだまだ民族も言葉も違っている時代の話です。
「別」という港を目指して次々に後続隊が到着します。
常に緊張関係にあったと思われます。


この弓頭神社が平地にあるので、都としての地勢の要件を満たすのか、
疑問を持ったのですが、資料を見ると
ここ一帯は丘陵地帯で、古墳が50基近くあった事が分かりました。
度重なる氾濫による沖積と、圃場整備で平地になったのでした。

(つづく)

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by lunabura | 2011-09-07 17:33 | 弓頭神社・ゆみがしら・久留米市 | Trackback | Comments(0)

弓頭神社(3)竹内宿禰と皇子の軍議があった!


弓頭神社(3)
ゆみがしらじんじゃ(ゆがしらさん)
竹内宿禰と皇子の軍議があった!

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もともと弓頭神社の祭神については分からなくなっていたのが、
明治の初めごろに神官を兼務していた船曳鉄門によって
国乳別皇子と唱えられたものだという事が資料集で分かりました。

今回はその鉄門による縁起書を中心に要約しながら見て行きます。

弓頭神社と大善寺玉垂宮の関係が分かった
弓頭神社のある高三瀦地域には山陵が三か所あり、皇子から三代がここに埋葬されて、その後は大善寺の宮本山中に埋葬するようになった。そこにはおよそ47,8か所の墳墓があり、国造家の数十世代の墳墓だった。その中でも鬼塚、権現塚は今も全形が残っていて、さながら帝王の山陵のようである。鬼塚は王塚の転語である。

これで二社の関係が分かりました。
国乳別皇子から三代はこの高三瀦で治世をして、
四世代目から大善寺の方に移動したという事です。墳墓の分布から分かりました。

大善寺玉垂宮には韓半島から戻って来た船が帰着したことから、
中国あたりの大型船も直接停泊できる港があった事が推測できます。
国造家も繁栄した土地に転居したんですね。気持ちはよく分かるな。

鬼塚(御塚)、権現塚古墳は大善寺玉垂宮の近くの国道を走っていると、
すぐ目に入るような古墳です。
今回は行けなかったので、航空写真で覗いてみましょう。見事な円墳ですね~。

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高三瀦の地形はやっぱり高台だった
ここは長峰山の尾崎で地形が高隆だったので、高三瀦と言った。この地形があったから開国の都邑となった。

本来は高台だったのですね。それなら都となるのもガッテン。
そして圃場整備などで、周囲と高さが変わらなくなりました。

宗像神はどこ?
水沼の君と言えば有名なのが、日本書紀に出てくる、
宗像三女神は筑紫の水沼の君たちの祭神である」という話です。
ここが水沼の君の地なので、三女神を祭祀する設備があったはずなのですが、
どうやらこの神社には見当たらないそうです。

探索もこれまでか、と思ったら、
久留米市の赤司八幡宮の方にその伝承がありました。
その伝承でかなりの謎が解けたのですが、これはまた別の機会に。

水沼の君の領地は前回の予想地図よりはるかに広かった…。

弓頭大明神と竹内宿禰の会談!
神功皇后の征韓の時、弓葥の督将として渡航した事から、弓頭大明神と言うようになった。
今考えると、この時は100歳以上になっていだたろう。こんな高齢で軍事に参与することがあるだろうか。おかしいと思うが、当時は寿命が長くて、竹内宿禰はもちろん、公子の葛城襲津彦たちなども100歳200歳と出てくるので、あながち荒唐無稽だとは言えないのだろう。

そうそう。長寿なのは竹内宿禰だけじゃないんですよね~。
みんな100歳、200歳。
この辺の事を考えると頭がおかしくなるので、みんな困ってる。
日本書紀の編集者の大ミス。ねつ造がバレバレ。

大善寺玉垂宮の『建徳縁起』に武内大臣が高三瀦廟院で皇子と軍議している図がある。これは三韓攻撃の前に、皇后が本国の山門郡の田油津姫を征討する時の事だ。廟院とはお墓に付属するものなので、御所とは別のものである。

この「皇子と武内大臣の軍議」は縁起の中でも有名な事らしいです。
私も何も知らない頃だったら、唐突な話だと思ったでしょうが、
今では神功皇后の田油津姫攻略のルート上にあるという事でとても納得です。

国乳別皇子の父親の景行天皇が武力で抑え込んだので、天皇がいなくなると、
対岸の田油津姫の国なんかはすぐに息を吹き返して、
国乳別皇子と敵対するようになったと見えます。
竹内宿禰がやって来て作戦会議が行われた結果、
正面からの攻撃を避けて、いったん有明海の方に廻る戦略が立てられたのが
この先訪問する各神社の伝承から見えて来ます。

なお近くの個人宅の老樹に皇后の船をつないだという伝承がありました。

皇子の墓所まであった
皇子の墓所は烏帽子塚と言って、300mほどの所にあって、そこに高三瀦廟院という、いかめしい殿舎があったが、今は一株の老松があるだけである。

この神社の近くに国乳別皇子の古墳が現存するという事で、
氏子さんが案内してくれました!
次回はそこに行きましょう。

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神社の横にあるポッポ汽車の記念公園。
かつて久留米市から大川まで走っていたSLです。
汽車が走るという事はずっと平地だという事ですね。(つづく)


国乳別皇子の烏帽子塚古墳
http://lunabura.exblog.jp/16835462/



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by lunabura | 2011-09-06 20:34 | 弓頭神社・ゆみがしら・久留米市 | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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