ひもろぎ逍遥

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カテゴリ:伊野天照皇大神宮・粕屋( 7 )




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梅が咲き始めていました。




天照皇大神宮にて。(上巻38)




初詣です。



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本、少しずつ進んでいます^^



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by lunabura | 2017-01-09 20:14 | 伊野天照皇大神宮・粕屋 | Trackback | Comments(2)

石田三成と伊野天照皇大神宮



石田三成と伊野天照皇大神宮



NHKの真田丸の石田三成が
寡黙でカミソリの刃のような鋭い人物として描かれ、
山本耕史が好演している。




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実はずっとこの石田三成に注目していた。




何故なら、
三成が福岡久山町の伊野天照皇大神宮にたびたび参拝していたからだ。



焼失した神社の再建に期待されたが、
すぐに福岡を離れたらしい。

彼は名島城も一時期与えられていたようだ。

脇役なので、大河ドラマでは福岡の話は省略されるだろうと思っているが、
たったこれだけの縁で俄然、興味深くなった。

現在の宮は江戸時代に移されている。
元宮はバスターミナルの近くにある。

三成がどちらの方に来たのか、まだ確認していないが、
それを調べるのも、楽しみだ。


伊野天照皇大神宮は拙著『神功皇后伝承を歩く上』の表紙に。



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by lunabura | 2016-05-22 21:41 | 伊野天照皇大神宮・粕屋 | Trackback | Comments(2)

伊野天照皇大神宮 (Ⅰ)アマテラスが愛した聖地


伊野天照皇大神宮 (Ⅰ)
福岡県粕屋郡久山町
アマテラスが愛した聖地


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二日市古賀線で久山町に入ります。
下山田交差点から「九州の伊勢 伊野皇大神宮」の案内板に従って、
山の方に向かって行くと、大きな鳥居があり、
昔からの小さな町並みを抜けると、
赤い欄干の橋があります。
道はカーブしていますが、橋の正面が入り口です。

周りは桜、桜、桜。
五十鈴川の両脇には見事な桜並木が続きます。
桜のシーズンでもあまり人がいなくて、
桜の独り占めが出来る贅沢な春。

知らなければ見過ごしてしまうような、
何気ない参道の石段を上がると、
数歩で深山のたたずまいの中に入ります。
空気が一瞬で変わります。
全身の皮膚が深呼吸を始めるのが分かります。

ここが伊野天照皇大神宮。
名の通り天照大御神を祀っている神社です。

二つの石段を上れば、すぐに本殿前に出ます。
鳥居の横木がまっすぐです。
伊勢神宮と同じです。
伊勢の式年遷宮の後の神殿などを、ここで見る事が出来ます。

峻厳な空気ながらも、拝殿でお参りすると、
里山のあたたかさに包まれます。
そして、魂が鎮まるのが分かります。

右側の石段に惹かれて上ると、神殿です。
ここまで入れるお宮はなかなかありません。
有り難いです。

もう一つ、古い石段があって、それをさらに上ると、
古神殿跡です。
四角い敷地に、中央に「心(しん)のみ柱」が…。
ええっ?
こんな聖地に誰でも入れるの?


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腰掛けられるようなものがあります。
入ってもいいんだよね、と足を踏み入れると、
そこは何も建造物がありません。
足元は建物の基礎石と苔むした土。

中央に「古神殿跡地」と書かれた「心のみ柱」が立つだけです。
その背面に杉の木がまっすぐ、まっすぐ伸びていて、圧倒されます。
まるで天と地をつなぐような杉の木です。

ここでは手を合わせても、祈る言葉は浮かびません。
ただ、ここに居ればいい。
ここは聖地です。

ルナはこの聖地を公にしていいのかと、ずっと考えたのですが、
今の日本人のために、こんな聖地がある。
人々がお参りに行って、浄化されて、また、明日を頑張っていけるように、
こんな所が準備されていたんだと、思うようになりました。


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この神社には天照大御神と、手力雄神と萬旗千々姫命が祀られています。

この裏山は遠見岳と言い、また、神路山と言うそうです。
まだ、このお宮について何も知らない頃、
この山に何度か登りました。
30分ほど登れば、頂上です。
玄界灘が遠くまで見通せる、景色のよい所です。

足もとに
「神宮皇后 異国を眺められた由緒ある遠見岳 登山道」
と、案内の木があるのが、いつも気になっていました。

道は普通の登山道です。
天皇のお后さまがどうやって山道を登るの?
馬?駕籠?自分の足で?

自分の足でないと、とても登れないだろうな。
なんで、お后さまがこんな、誰も知らないような山に登ったの?
と不思議に思ったのを思い出します。

それから何度もお参りするうちに、このお宮の由緒が知りたいと思うようになりました。
すると、ある方から、神社史を頂きました。
そして、その本を手に、再びこの宮に来てしまいました。

今度は、神功皇后とアマテラスの伝承ととともに。

神社史を調べるうちに、アマテラスがこの地に
祀られる事を何度も望まれた事書かれていたのです。


                      (Ⅱ)につづく
                 
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by lunabura | 2009-11-11 21:06 | 伊野天照皇大神宮・粕屋 | Trackback | Comments(2)

伊野天照皇大神宮 (Ⅱ)アマテラスの伝承 貝原益軒が教えてくれたお話


伊野天照皇大神宮 (Ⅱ)
いのてんしょうこうたいじんぐう
アマテラスの二つの伝承 
貝原益軒が教えてくれたお話


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正面の谷の所にお宮があります。左の山が遠見岳。
神託を受けた神功皇后が登ったという伝承がある山です。


神社史を頂いて、早速このお宮の由来を読みました。
まずは江戸時代の学者、あの有名な貝原益軒の文が書いてありました。
これが、このお宮についての最初の文献らしいです。

アマテラスの話はそれに書いてありました。
何せこの宮は九州のお伊勢さんです。
伊勢神宮から誰かが勧請したのだろうなという程度に
思っていたら、話は思いがけないものでした。

アマテラス大御神みずから、この地を望んだのです。
それも二度。いえ、三度だよ。

それを神社史から口語訳しましょう。

貝原益軒の話から

貝原益軒の『筑前国糟屋郡 伊野天照大神大神宮 縁起』に書いてあります。
文中の「大神」は「天照大御神」の事です。


伊野皇大神宮の始まり

昔、豊丹生(ぶにゅう)氏と言う人がいて、
都に仕えて代々、大神の祀りごとを司っていました。

足利将軍の末の代に、豊丹生佐渡守も先祖のように
大神にお仕えしていました。

ある時、公の場で同じ宮仕えの人と、どちらが上座に座るかと争って、
ちょっと怒ってののしり合って闘いになろうとしたので、
このような場所で争った罪は深いと言う事で、
遠く豊前の国の彦山の麓に流される事になりました。

佐渡守はもともと大神にお仕えするこころざしが深かったので、
神職を辞めることをとても悲しみました。

その時、夢の中で大神のお告げがありました。
「お前は先祖からよく私に長らく仕えてくれた。
今私に別れる事を嘆き悲しむのも良く分かる。
お前は私を連れて、流されて行く所に行くがよい。」と。

佐渡守は夢から覚めて、大神のお言葉を有難く思って、
秘かにご神体を捧げ持って、豊前の国(福岡県)に行って
そこで大神にお仕えしました。

長年経って佐渡守は亡くなりました。
その子供の兵庫太夫もまた、父親のこころざしを受け継いで
怠らずに大神にお仕えしました。

ある時、大神が夢の中でお告げをされました。
「お前は私を連れて、筑前の国糟屋郡のイノという所に移りなさい。」と。
兵庫太夫はお告げの通りにご神体を持って伊野に行って
宮を立ててお仕えしました。

それから時代が変わって、豊臣秀吉公の時に、
西(西日本)の方の騒ぎが鎮まらないので、
薩摩の国の島津の兵を遣わして、
筑前の国の立花城を囲む事がありました。

伊野の里は立花城に近かったので、
その薩摩の兵たちがこの伊野の里にも乱れ入って、
里人の財宝を盗み奪い取ったので、
兵庫太夫はその難から逃れようと、ご神体をお持ちして
筑前の国の御笠郡のかまど山のほとりにご神体を隠しました。

薩摩の兵たちはこれを見つけ出して、薩摩に持って帰ろうとしましたが、
途中で大神が祟りをされたので、
賊兵たちは恐れてご神体を豊後の国(大分県)の、
ゆすはらの八幡宮に納めて置き去りました。

それでもご神霊はさらに祟りをされ続けて、
その八幡宮の神官に託宣して、
「お前は私を筑前の糟屋郡の伊野という所に返しなさい。」
とお告げになりました。

その神官は急いで使いを伊野に走らせて兵庫太夫を招いたので、
兵庫太夫はいち早く、ゆすはら八幡宮に行って大神をお迎えしました。

その時、ゆすはらの里人たちが大勢ついて来てお見送りしました。
その時、矛を持って来たのか、今でも残っています。

この時、大神は霊異を顕わしました。
兵庫太夫は大神に元の通りにお仕えしました。
その子孫が代々お祀りして、佐渡守から今の左近太夫信重までで八代です。
最近ようやく神風を尊んでお参りする人が多くなって、
これから先はますます栄えるでしょう。

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ちなみにゆすはらの八幡宮とは大分市の柞原八幡宮が現存していて、
仲哀天皇と応神天皇と神功皇后がご祭神です。
宇佐八幡宮の分霊地だそうです。

 この話によると、足利将軍の時代に、
京都で祀られていたアマテラスの神前で
神官同士の喧嘩があって、片方の豊丹生(ぶにゅう)氏が
福岡県の英彦山に流される時に、アマテラスが、夢に出て、
連れて行くようにと言われました。

そして、流されたあとも豊丹生氏は大切に斎(いつ)き祀って、
後に亡くなりました。

ところが、後を継いだ長男に再びアマテラスが夢枕に立ち、
同じ福岡県の粕屋郡の伊野というところに移るようにと言われました。
その通りに、現在の伊野に御神体をお連れしてお仕えしました。

時が流れて、秀吉の命令で伊野の近くの立花城攻めをしていた薩摩軍が、
伊野の里で略奪を始めたので、
神官が御神体を持ち出して、宝満山の麓に逃げたけれど、
見つけ出されて、取り上げられました。

が、たたりがあったので、薩摩軍は途中の大分県の
ゆすはら八幡宮に納めて帰ったという事です。

それでも、アマテラスはお告げをして、再び、
この伊野に戻って来られました。

こうして、アマテラスは二度この伊野の地に来られました。

             (Ⅲ)につづく
       
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by lunabura | 2009-11-11 00:00 | 伊野天照皇大神宮・粕屋 | Trackback | Comments(0)

伊野天照皇大神宮 (Ⅲ)アマテラスの二つ目の伝承  海妻甘蔵のお話から


伊野天照皇大神宮 (Ⅲ)

アマテラスの二つ目の伝承  海妻甘蔵のお話から

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海妻甘蔵の伝える伊野皇大神宮の始まり。

神社史にはもう一つの縁起が書かれていました。
『伊野皇大神記録』と言います。

その著者の海妻甘蔵は貝原益軒から200年後の幕末から明治の人です。
彼は青柳種信の『筑前国続風土記拾遺』と『日本書紀』を参考にして書いています。

伊野天照皇大神宮のいわれ

天照皇大神のご神魂を、筑紫の道の口、糟屋郡の伊野の里にお鎮めになって
この国を守り、ご神宝とともにお祀りしていらっしゃる由来を尋ねたところ、
神武天皇が大和の国の橿原の宮で皇位につかれてから14代目の
足仲彦尊(亡くなった後に仲哀天皇と送り名をした天皇)の時代のことです。


熊襲征伐の途中、香椎宮で崩御した仲哀天皇は
「われを祭れば、戦をせずとも財宝の国を得ることができる」
という神の託宣を疑ったために、その祟りをうけ早死にしました。

そのことを知った神功皇后は、小山田の村に斎の宮を建て、
神にお詫びを請いました。
三月吉日に自ら神主となり、ご託宣した神の名を求めました。
その結果、伊勢の国五十鈴の宮に祀られた天照大神であることが
わかりました。

そこで、神功皇后は伊野の里にそびえて高い神路山を
天照大神の天降る聖地として祭ったため、
熊襲をはじめ新羅・高麗・百済の三韓の討伐を遂げることができました。

仲哀天皇が登った高岳が伊野の里にあり、
斎野(いつきの)が転じて伊野となり、
はるかのちの世に猪野村となったといいます。



この海妻甘蔵と貝原益軒のお話は、全く別々の由来を述べていますが、
これは、どちらもこの宮で起こった事としていいのではないでしょうか。

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そうすると、アマテラスは合計三回、
この地に祀られたことになります。
神宮皇后が神託を得て、ここに天照大御神をお祭りした。(一回目)

それから、足利時代、京都で祀られていた天照大御神は
豊丹生(ぶにゅう)氏と共に、英彦山を経由して、この伊野へ。(二回目)

秀吉の頃に、略奪を恐れて宝満山のふもとに隠されたが、
盗まれて、大分県のゆすはら八幡宮へ。
そうして、再びこの地に戻って来られた。(三回目) 
という事になります。

この三回ともアマテラスのお告げによって祀られました。
よほど、天照大御神はこの地を愛していたのでしょうね。

まるで、元伊勢のお話のようです。

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by lunabura | 2009-11-10 00:00 | 伊野天照皇大神宮・粕屋 | Trackback | Comments(4)

伊野天照皇大神宮(5)

 

伊野天照皇大神宮(5)


一昨日は伊野天照皇大神宮の過去記事をざっと見て、
この神宮の写真を殆ど出していないのにびっくり。
しかも、小さい。
写真がいっぱいなのが『ひもろぎ逍遥』だよね。
UPしなきゃと思いながら就寝して目をつぶると
雅楽の音とともに映像が現れた。

左大臣と右大臣が舞っている。
二人の間には黒い漆塗りの器台がある。
右手の方には女官が一人座っていて、舞を楽しんでいる。
舞人たちの向こうには高貴な方の気配。

左大臣の舞は青海波のような衣装だった。

あれ?
聖洲さんも伊野天照皇大神宮で同じようなものを見たって言って、
絵を見せてくれたことがある。
そういえばそっくりだ。
まさか、同じものを見た?

ネットで映像を探すと、青海波の動画がUPされていた。

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映像出典
http://www.youtube.com/watch?v=jgZSp8YcqTQ

雅楽の音も舞姿もそっくり。
この映像は夜だけど、私が見たのは昼間のようすだった。

見えない世界ではこのような舞が舞われているのかな。

            * * *

さあ、それでは伊野天照皇大神宮を写真で逍遥しましょう。

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駐車場からすぐ、石段を上って一の鳥居をくぐると
そこはもう深山の趣。
木々の香りが五感を満たします。

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拝殿が見えて来ました。

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緑濃い境内に駒犬の赤い口が彩りを添えています。


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拝殿を横から撮りました。
拝殿の奥には頭山満の額があります。

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御神木は苔むして、何の木か分からないほど。

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拝殿の横の石段を上ると神殿に出ます。


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神殿です。

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さらに石段を上ると古神殿あとに出ます。
最近はいつも誰かがここで祈る姿が見られるようになりました。


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境内脇にある白い碑。
「神功皇后 異国を眺められた由緒ある遠見岳への登山道」
と書いてあります。
30分ほどで、普通のズックで登れます。

神功皇后をよく知らないとき、
どうしてここに皇后という身分の人が来たのか、
どうやって山に登ったんだろうか、
登るたびに不思議な思いをしました。

仲哀天皇も登ったという話も見つけました。
香椎宮時代に、天皇と皇后は共に登ったのでしょうか。
天皇崩御のあと、皇后はここで天照大御神に祈りました。

ここは江戸時代に遷宮したのが分かりましたが、
その時、岩の下から銅鏡が出て来たとか。
今その銅鏡は廻り廻って、宗像にあるそうですが、
今はどうなっているでしょうか。

元宮も分かって来たので、またいつか報告したいと思います。


地図 伊野天照皇大神宮









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by lunabura | 2009-11-09 18:14 | 伊野天照皇大神宮・粕屋 | Trackback | Comments(6)

伊野天照皇大神宮 4


今日は伊野天照皇大神宮を見直ししています。

以前、どんな本を読んでいるのかというコメントがあったのですが、
今日の資料はこんな感じです。

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日本書紀と古事記。
そして白い紙の束が現在手直し中の原稿です。
一センチくらいの厚さです。

これが小説の時は4センチほどの厚さがあったのが、十日ほどで片付いたのですが、
ガイドブックの方は厳しい道のりです。

青い本は伊野天照皇大神宮の縁起書です。

今日、伊野天照皇大神宮を手直ししていて、
この貴重な縁起書が手に入った御縁を思い出しました。

当宮は正式名は天照皇大神宮というそうですが、
普通は伊野神社と言って親しまれています。

いついっても掃き清められていて、
台風の翌朝行った時、すでに落ち葉が掃かれていたのに感動しました。

それを知人に話したら、なんとその掃除は知人の親戚の方がされているとか。
当番制で、毎朝、早朝に大変だそうです。

たまたま、私は、何かの本で、
「神社の掃除など奉仕する方に神恩は必ずあるが、それは本人にとは限らない。
その家系の、一番困った人に神の恩寵が届くようになっている。」
という内容を知ったばかりなので、その話を伝えました。

そうしたら、ある日、伊野天照皇大神宮の縁起書が玄関に届けらていました。
それが、写真の青い本です。
「九州のお伊勢さま 伊野皇大神宮誌」というタイトルです。
これは非売本でした。

このような本の御縁をいただいて、本当にうれしかったです。

それで、ブログ記事に少し引用できたのですが、
今、改めて読み直すと、
私も少し歴史が分かり始めたようで、
内容がかなり理解出来るようになっていました。

その一部をまとめてガイドブックの方に書いている所ですが、
驚いた事に、石田三成が当宮に何度も参拝していたんですよ。

島津義久の薩摩兵によって、福岡はあちこち焼打ちにあっていますが、
当宮も兵火にあって、再興できずにいたので、
石田三成にかなり期待がかかったようですが、
まもなく家康の命令で福岡を去ってしまい、人々はがっかりしたそうです。

いったい何人の人がこの素晴らしい縁起書を読んだことか。
それほどはいないでしょう。

こうして私の手元に来たのは、きっと、書きなさい、
この神宮の素晴らしさを多くの人に伝えなさいと言うことなのでしょうね。

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by lunabura | 2009-11-08 23:15 | 伊野天照皇大神宮・粕屋 | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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