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カテゴリ:宇美八幡宮・うみ・粕屋( 3 )

宇美八幡宮(1)神功皇后が出産したところと伝える


宇美八幡宮(1)
福岡県粕屋郡宇美町
神功皇后が出産したところと伝える
 
福岡の若きママたちに赤ちゃんが宿ったら、
まず参拝するお宮の筆頭がこの宇美八幡宮です。
その由来は神功皇后(じんぐうこうごう)がここで出産したと
伝えられているからなんですね。

神功皇后は当時の都だった香椎宮で、
思いがけず夫の仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)を亡くしてしまったあと、
戦いに次ぐ戦いを乗り越えて、この地で無事に出産をしたと伝えます。
そんな1800年も前の彼女の存在が
現代でも安産を願うママたちの心の拠り所になっています。

それでも、もう神功皇后の事は分からなくなってしまっているんですね。
しかし、このブログの中では
彼女のフクオカでの三年間が明らかになろうとしています。

さあ、では宇美八幡宮に行きましょう。
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宇美町の県道68号線沿いに一の鳥居はあります。
右の石碑には「応神天皇御誕生地と」書いてあります。
応神天皇の生前の名前はホムタワケ皇子です。
亡くなったあとに贈られた名前が応神(おうじん)天皇という名です。

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神功皇后が御輿(みこし)にゆられて着いたのは真冬の12月。
皇后は破水しかかっていたとも言います。

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吹きつける玄海灘の冷たい風。
御輿の上は、寒さも厳しかった事でしょう。

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この筑紫には夫の仲哀天皇について来ただけなので、身寄りもいません。
周りは共に戦ってきた武人ばかり。
彼らの忠誠心は明らかだけど、父や母の事を思わずにはいられません。
嫁ぐ時にお供した女官たちだけが女としての悩みを共有できた事でしょう。

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竹内宿禰たちが手配してくれた産殿で、槐(えんじゅ)の木にすがって出産しました。
当時は立産だったと言う人もいます。
拝殿の左にある「子安の木」がそのエンジュです。何代目でしょうか。

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皇子の誕生の時に使った「産湯の水」(うぶゆのみず)が
神殿の左奥にあります。

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今なお清らかに透き通った泉がこんこんと湧いています。
「妊婦がこの水を頂戴すると安産する」と立札に書いてありました。

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その左にある巨大なクスノキは「産衣」を掛けたと言われ、
「きぬかけの森」と呼ばれています。
樹齢2000年ですって。その当時もすでに大木だったんでしょうね。

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「産湯の水」の右の方に進むと湯方神社があります。
お産を助けた女官を祀る宮です。
助産婦さんたちに信仰されています。

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その周囲に置かれた丸い石は「子安の石」。
妊婦はここから子安の石を一つ預かり、安産ののち
新たに自分の子供の名前を書いた石を加えて返納します。

鎮懐石神社で皇后が石を懐にいれたのも、調べて行くと、
壱岐あたりでは、つわりを鎮める石と言われているとか。
「鎮懐石」の伝承は各地で変化しながらも、
「安産の祈りを象徴したもの」ではないかと思うようになりました。

神社にはあまり縁がないママたちも、
子を授かった時初めて真実の祈りを体験します。

日本に神社があってよかったなと思うひとときです。

 (つづく)




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by lunabura | 2011-10-03 11:21 | 宇美八幡宮・うみ・粕屋 | Trackback | Comments(2)

宇美八幡宮(2)奥宮 御胞衣ヶ浦・ホムタワケ皇子のへその緒や胎盤を埋納した所


宇美八幡宮(2)

奥宮 御胞衣ヶ浦
ホムタワケ皇子のへその緒や胎盤を埋納した所


神殿の後の方に奥宮の案内札がありました。
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奥宮 御胞衣ヶ浦(えながうら)
御神苑の小高い丘に神殿が鎮座。皇子(応神天皇・八幡様)の御胞衣を納めし処と伝えられております。

御胞衣とは、へその緒、胎盤など後産を指し、筥(はこ)に入れ保管するなど、今でも大切に考えられています。
昭和30年9月 福岡県指定文化財(安産に関する信仰)


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出て見ると、ずっと向こうに長~い石段が…。

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気合いを入れ直して上り出して見ると、
四つぐらいに分けられていたので意外と楽ちんでした。

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道路や川を越えて行きました。川の向こうに見えるのは宝満山ですね。

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さらに石段を上ると奥宮に着きました。御胞衣ヶ浦(えながうら)です。

胞衣(えな)とは案内板にあったように、胎盤やへその緒の事で、
はるか縄文時代から大切に壺に入れられて土に埋められたりしています。
天皇家や貴族、将軍たちもその為の塚を作ったりしていて、
明治20年頃まで、胞衣を埋めたり天井近くに置いたりするのが
一般的にも行われていたそうです。

胎盤については、プラセンタと言った方が現代人には分かりやすいですね。
美容や医療に使われるようになりましたが、その再生力などを利用したものです。

オーストラリアのアボリジニーと同行した人の本によると、
女性の月経時に出るおりものを保管して傷などの治療に使ったとか。

ネットで調べると、ローマ時代のヒポクラテスが医療に使い、
クレオパトラも美容に使っていたと言います。
紀元前からすでに人々はその効用を知って利用していた訳です。

壺や箱に入れる前に、腐らないようにするために干したりして
保管場所も工夫され、次第に儀式化していったようです。

生命を宿らせ、子を育くむ胞衣の力を敬い、
その恩恵に浴する事を願う心に変わりはありません。

この奥宮の周りにも、子供の名前を書いた丸石が沢山置かれていました。
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ホムダワケ皇子の胞衣をもう一か所、埋納した事で有名な所が筥崎宮(はこざきぐう)です。
胞衣の入れ物が神社の名前になりました。

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帰り道の展望です。太宰府が見えています。
山の名前は左から四王寺山、乙金山、井野山と、説明板に書いてありました。
200m~400mクラスの山々ですが雄大な景観です。
(つづく)




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by lunabura | 2011-10-02 10:09 | 宇美八幡宮・うみ・粕屋 | Trackback | Comments(4)

宇美八幡宮(3)応神天皇と竹内宿禰


宇美八幡宮(3)

応神天皇と竹内宿禰

再び境内に戻って来て、時計回りに廻りました。

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これは武内宿禰社
御祭神 武内宿禰(たけのうちのすくね)
神功皇后応神天皇の母子を大臣としての補佐をはじめ、五代もの天皇に仕えて、さらに長寿を誇ったという伝説より、延命長寿、武運長久、厄除の神としてお祀りされています。

竹内宿禰神功皇后が筑紫で過ごした3年間、つねに力になった人です。
300歳以上長生きしたと言われ、白髪と白髯のおじいさんの姿で描かれる事が多いのですが、
他の人もみんな100歳200歳です。
この時代は竹内宿禰だけが長寿ではないのですね。
(日本書紀の捏造の失敗とにらんでいる。)

白髪の竹内宿禰が赤ん坊のホムタワケ皇子(応神天皇)を抱いて、
神功皇后と共にいる絵をあちこちで見かけますが、彼はその頃はまだまだ若かった。

社の向こうから、「いいかげん老人にするのはやめてくれ」と聞こえてきそうです。

不可思議なのは応神天皇との関係。

噂では二人は親子です。神社の奉納絵にはそう解釈できるものがたくさん。
(でも、本当の事は誰にも分からない。)

神功皇后が亡くなった後に即位したホムタワケ皇子(応神天皇)は
竹内宿禰が筑紫で謀反を企てていると聞いてあっさりと殺害を命じます。
(こんなにフクオカでは君のために苦労したのに、知らないの?)

この誤解は解けたのですが、代わりに佐賀の壱岐真根子が亡くなりました。

そののち応神天皇の子供と竹内宿禰の子供が同じ日に生まれるという偶然が起こると、
「これは吉兆だ」と言って、互いの子供たちの名前を交換したりしています。
応神天皇の子供って、あの有名な仁徳天皇だよ。
(う~ん。どうなってるの?)

竹内宿禰について、これまでの逍遥で分かったことを並べてみます。

竹内宿禰の和魂荒魂は宗像市の織幡神社に祀られている。
竹内宿禰の母は山下影姫で、小郡市の竈門神社に祀られている。
竹内宿禰屋敷が香椎宮の裏手にある。

宮地嶽神社の近くにも竹内一族がいて、
宮地嶽古墳と手光古墳はその一族と関連があるという伝承がある。

高良の神とは竹内宿禰だという伝承がたくさんある。
(高良の神と高良玉垂神は別の神)
などなど。
竹内宿禰については日本書紀の現代語訳をしています。
読んでみるとやっぱり、日本書紀さん、しっかりしてよ、と言いたい。
(サイドバー『古事記の神々』武内宿禰)

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韓石(からいし)
神功皇后が向こう(朝鮮)から持ってお帰りになったものだと古老から言い伝えられているが分からない。石の質が変わっているので、いずれにしてもこの地方の石ではないことは分かる。

船のいかり石でしょうか?
このような石はあちこちの神社にあるので、比較すると分かるかも知れませんね。
この石に岩刻文字(ペトログリフ)があると言われますが、それは分かりませんでした。

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左の祠は恵比須社です。
御祭神 事代主命
「事を知る神」として、善悪を判断する力があるとされ、一般的に「えびすさま」と称されて、商売繁昌・開運の神としてお祀りされています。正月には「宇美三日恵比須まつり」が斎行されます。
事代主命が神功皇后社に寄り添うように祀られています。

小山田斎宮での神託の時にも現れた神です。
気になるけど、またいつか。

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聖母宮(母の社)です。
御祭神 神功皇后
主祭神・応神天皇の安産にちなむ信仰から、その「母后・神功皇后」に対する特別の崇敬を以って、宝永3年(1706)当時の藩主・黒田綱政公により寄進されました。
今から約600年前の室町末期の作と伝えられ、県下の代表的秀作とされる。福岡県指定文化財(民族資料)聖母宮御神像が奉安されており、「25年に一度」御開帳の神事が斎行されています。
次回は平成30年に行われます。

黒田の御殿様が寄進したんだ。江戸時代の拝殿です。かやぶき屋根が美しいですね。

なお、宇美八幡宮の祭神は
応神天皇、神功皇后、玉依姫命、住吉三柱大神、イザナギ尊です。

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湯蓋(ゆがい)の森
御降誕の時、このクスノキの下で産湯(うぶゆ)をお仕えした時に、枝葉が茂って湯槽(ゆそう)の上を覆った事からこのように名付けた。

思う存分枝葉を広げて見事な姿です。
このクスノキの下で産湯をつかったんですね。そうすると、この樹も2000歳?

石垣を見ると、これがまた、どうも珪化木の囲いなんです。
巨木の化石がずらりと並んでいて、なんだかすごいんです。

クスノキは腐りにくくて浮力が得やすいので、船の材料にもなりました。
古代の日本の森はこんな巨木がいっぱいだったんでしょうね。

では、そろそろ宇美八幡宮を後にして、下関市に行きます。
神功皇后が出産する2年前に住んでいた所です。
いったいそこで何が起こったのでしょうか。




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by lunabura | 2011-10-01 15:02 | 宇美八幡宮・うみ・粕屋 | Trackback | Comments(4)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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