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カテゴリ:馬見神社・うまみ・嘉麻市( 4 )

馬見神社(1)うまみ・次々と開かれて行く参道は夢のようだった


馬見神社(1)
(宇麻美神社)
福岡県嘉麻市馬見
山里深き清浄の地
次々と開かれて行く参道は夢の如し


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道は馬見山の大きな山容に向かって進みます。
しかし、早春の朝霧が正面に見えるはずの馬見山を覆い隠していました。
臨場感たっぷりのアプローチです。

三月の始め。その麓にある馬見神社に行きました。
菜の花が道路の両脇に咲き誇り、高度が上がって行くと、
リンゴや梨の木々が手入れされた中を走って行きます。
穏やかなカーブを進むと、大きな石碑が迎えてくれました。
おおお。古い…。
神社の入り口からすでに年月を経たものだけが持つ寂びた美しさを見せています。

激しい勢いで山から流れて来る清らかな小川を渡って、
最初の鳥居をくぐると、藤の古木が長い年月を経た姿を見せています。
古い石橋を進むとまた鳥居。

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それを進むとさらに鳥居。

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次々に鳥居が迎えてくれては、
全く新しい情景が開かれて行きます。

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おっと、また鳥居です。両脇の桜のつぼみがふくらんでいます。

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さらに石段が続きます。正面に祠がありました。
そこからさらに直角に曲がって登って行きます。

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長いけれど、とても登りやすい石段です。
最後の急な石段を登り切ると、ようやく拝殿の前に出ました。

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境内は明るく開けていますが、山の中で、そう広くはありません。
拝殿は新しく改築されていましたが、中に入ると往時のまま。
古い姿を留めています。沢山の古い絵馬が飾られていました。

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中が結構広いです。ここは、福岡県でも、雪深い所です。
村人が力を合わせないと生きて行けないような山あいの地です。
お祭りごとに風雪を避けて、ここでお籠りがされたんだろうなと思うと、
私たちの先人達がどれほどの思いをして過酷な自然の中を生きて来たのか偲ばれて、
感慨ひとしおです。

絵馬の中には伊勢講の記念の絵馬もありました。
村中で資金を積み立てて伊勢神宮に代参してもらう風習です。
こんな山の中からでも、人々が屈強な男たちに信仰を託して、
何か月もかけて、行ってもらったのでしょう。

ここには現代に生きる私たちが失った叙情が沢山残されていました。

(つづく)
  

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by lunabura | 2010-03-29 20:29 | 馬見神社・うまみ・嘉麻市 | Trackback | Comments(0)

馬見神社(2)そうすると、ここは天孫降臨の山になってしまうが…。


馬見神社 (2)
福岡県旧嘉穂郡足白村大字馬見字宮小路
上宮の白馬大明神とはニニギノ命だという。
そうすると、ここは天孫降臨の山になってしまうが…。


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霧が晴れていく中を登ったせいでしょうか、しっとりとした、この空間では
五感が開かれていく感じがしました。

ここが、古代の人々が憧れた所です。それが、清浄なまま、静かにたたずんでいました。
もう一つの大事な山・英彦山の方は今でも多くの参拝者を迎えていますが、
この馬見神社はほとんど知られていないようです。

でも、エネルギーとはそのようなものかも知れません。陽があれば、陰がある。

ここは人知れずにいたお蔭で、数百年の昔そのままの姿を残しています。
それでも、営々と築かれた石段や鳥居、神殿を見れば、
氏子さんたちがどれだけ大切にしてこられたかが、良く分かります。

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忘れられた聖地が紐解かれるのかもしれない。
ここは遠賀川の源の一つです。
ここに向かって、荒穂神社―日天宮―馬見のレイラインがうっすらと見えたのは、
日天宮荒穂神社に行った時でした。
御祭神がニニギの命と、祀られていない荒穂の神。複雑な歴史を匂わせていました。

さらに下流の多賀神社に行って知ったのは、
イザナギの命が多賀の地に玉を鎮めた理由が英彦山と馬見山を控えた丘だったからという事でした。
この馬見山に向かう古代の人々の視線。それが気になって訪れました。

ここの御祭神はこれに呼応するかのように、イザナギの命ニニギノ命の名前がありましたよ。

神社入り口に手書きの由緒書きが貼られていました。
馬見神社由緒
1祭神  伊弉諾尊(イザナギのみこと)
     天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
     木花咲哉姫命(このはなさくやひめのみこと)
      (大山津見の女(むすめ)日本一の美人神)

2 祭日   4月18日
       10月30日

3 由緒 ○上宮の創立は不詳であるが、3千年前と言われる。
       馬見山頂(987M)の頂上近く御神所(ごしんじょ)岩の
       巨岩あり、ここに鎮座。
       瓊瓊杵尊は天孫降臨の御神で、日本民族の祖。
       比類なき神徳をもって尊崇される。
       ○中古仏法隆盛の頃、約1300年前、鎮西八郎為朝現在の神社(下宮)建立。
        また神木寺も建つ。
       ○天正前後、武家政治となり、秋月藩主秋月種実公、毎年参拝せられ尊崇を集めた。
       ○黒田藩となり嘉穂郡の総社として、代々尊崇あり。
        2月、8月、5昼夜の五穀豊作の祈願祭を行う。
       ○大正12年11月24日。県社に定めらる。宮司江藤貞利氏。

       ○福岡県神社誌によれば、神武天皇ご東征の時、ここに参拝せられ、
        その御神馬が足が白い馬で(足白)又、馬見の地名が起こったとも言われる。

4  境内2500坪。
   郡内最高の景勝地にあり、又馬見キャンプ村、又リンゴと梨の産地として、
   その美味は県下に知られて有名である。
                            平成8年春   縄田小観 記
        (句読点のみ追加しました)

御祭神はまず、イザナギの命でした。
それに、ニニギノ命コノハナサクヤ姫の夫婦神です。

由緒には「その祭神は分からない」と書いてありますが、すぐ続けて、ニニギノ命の
天孫降臨の話が書いてあるので、本当は、「ここはニニギノ命の降臨の地だ」と、
言いたいのではないかと考えました。

由緒については他の本にも載っていたので書いてみます。
『筑前国続風土記附録』から抜き出します。
馬見大明神社
産土神である。御祭神は天津彦ホホデミの尊・ニニギノ命であって、賀茂大明神・荒穂大明神をも相伝に祭っている。
馬見山が東にそびえ、渓水が西に流れて、人里離れて潔浄の宮所である。馬見山の山上に社があって、白馬山大明神ともいう。どんな神を祀っているか分からないという。

ここでは、御祭神に、イザナギの命の名はありません。その代りに、ホホデミの命が出て来ました。
ニニギノ命の子供です。山幸彦の名の方が有名です。

また、山頂の神は白馬大明神だと言っています。どんな神なのかは分かっていません。
二つに共通するのはニニギノ命でした。そろそろ系図なしには理解が出来ませんねえ。
(と言って、パッと出てくる。親切ですねえ。)

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三つの由緒書の祭神を色分けして囲みました。
これで分かるように、共通するのはニニギノ命でした。

江戸時代のガイドブック『筑前名所図会』にも、白馬大明神について書いてあります。

馬見大明神
古宮は馬見山上にあり。
御神域という大岩の辺に石の祠あり。
今の社は山下にあり。
白馬大明神とも申して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)なり。
この神、葦毛の馬を忌むという。
この里に飼うを忌むのみならず、
他のことろから来ても、村の方で留めて置くという。

ここでははっきりとニニギノ命が白馬大明神だと書いています。

○福岡県神社誌によれば、神武天皇ご東征の時、ここに参拝せられ、
その御神馬が足が白い馬で(足白)又、馬見の地名が起こったとも言われる。

このように、神社の由緒書きには神武天皇もここに来て、
その馬の脚の色が白いので、馬見の地名が起こったと書いています。

この神社の地名が旧嘉穂郡足白村大字馬見字宮小路です。

神武天皇と馬については、馬が暴れて逃げたのを見送ったというエピソードや、
また、老人が馬を提供して、天皇を見送ったという話もあります。

これらから推測すると、全体に流れるモチーフは、
山頂にニニギノ命が白馬大明神として祀られていて、後に子孫の神武天皇が参拝された

という事のようです。
その時、馬が暴れて逃げたなどという何らかのトラブルがあったのでしょう、
その毛色の馬がタブーとなったり、地名が起こったりしたようです。

3000年前について
神社の由緒書きには始まりは3000年前の事だと書いてあります。
縄文時代になります。縄文です…。でも、もう驚かなくなりましたよ。

神武天皇は2600年前と(日本書紀から計算して)言われています。
年代については、例の如く、暦の大家の真鍋大覚氏が、訂正せずに、このまま使ってあるので、
それに倣いたいと思います。

ニニギノ命は神武天皇のご先祖ですから、3000年というのも、そう見当違いではないかとも思いました。
この辺りの神社にはこんな古い年代がどんどん出て来ますよ。

古い遺跡が出ているよ

ここからずっと下った盆地の中央に位置する飯塚市の立岩遺跡が2000年前の頃のものだそうです。
2000年前と言えば、キリストが生きていた時代です。これで、覚えやすいですよね。

鏡の完品が沢山出ていて、大変価値のある遺跡だと言う事を知りました。
(飯塚市歴史資料館は撮影禁止だったので、そのお洒落ぶりをお見せできないのが残念です。)

この馬見地区からは、その立岩遺跡よりも、もっと古い遺跡が出ているそうです。
この山の近くには早くから人々が住んでいたのですね。
3000年前という数字も、それほど無理な数字ではないと思いました。
そのころには、すでに馬見山への信仰があったという事でしょう。

ここの文化圏の氏族たちが馬見山をニニギノ命の降臨の地と考えて祀っていた
というのが伺えます。
言葉に出すのをはばかる内に、忘れ去られてしまったのでしょうか。

(つづく)
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by lunabura | 2010-03-28 21:02 | 馬見神社・うまみ・嘉麻市 | Trackback | Comments(26)

馬見神社(3)うまみ・ホを受け継ぐ一族がいた


馬見神社(3)

系図から見えて来たこと
ホを受け継ぐ一族がいた


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このエリアには父と子が配置されている

この馬見山は英彦山とセットで捉えてお話しています。
英彦山に降臨したのが天の忍穂耳の命で、馬見山に降臨したのがニニギノ命です。
二人は、父と子です。いわゆる天孫。天皇家の祖先です。

このファミリーにはもう一つ大事な人がいます。ニニギノ命のお兄さんのニギハヤヒの命です。

ニギハヤヒの降臨地としては大和の国が有名ですが、このエリアにもまた降臨した山が伝えられていました。
ここからは、ずっとずっと下流になります。

この三柱のファミリーをそれぞれの山に配置した氏族がこの遠賀川流域にいたという事です。
彼らの神々は「」という単語でつながっていました。
それが次の系図です。

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天照大御神には五人の男の子がいて、そのうちの二人にホがついています。
それから孫、ひ孫の世代はの○○という形です。漢字ではこう表記されています。
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
天の卑能命
明命
天邇岐志国邇岐志天津日高日子の邇邇藝命
照命
須勢理命
遠理命(天津日高彦穂穂手見命)

「穂・火・番・菩」はどれもと読みます。

地名もこの辺りは波、嘉と、筑がつくものがいくつもあります。
高千も穂がつきます。
豊葦原の瑞の国。(ここは豊の国)

昔は漢字がなかったので、発音がたよりでした。
このファミリーはホの血筋である事が分かるようにネーミングしています。
彼らは、いわゆる天孫ですが、これまでの固定観念を捨てるために、この一族を
ホの一族と呼んでみたいと思います。


結婚の系図


結婚の系図を見ると、ホの一族がどうやって、他部族と融合して行ったかが見えて来ました。
次の系図はアマテラスの子供、孫、ひ孫の結婚の図です。

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高木神の一族と結ぶ
ホの一族はまず高木の神の一族と婚姻関係を結びます。
この高木の一族はアンドロメダをシンボルとする人たちでした。

その事は高良大社の所に書いていますが、かれらは、歳差運動のために、
観測地点がずれてきたために、移動したのではないかと、推測しましたが、
神社誌を見ていたら、この嘉穂盆地にたくさんの高木神社が出て来ました。
すると、高木の一族はこのエリアにかつて居たのではないかと考えました。

久留米から嘉穂に来たのか、嘉穂から久留米に行ったのかは分かりませんが、
私の仮説を裏付ける可能性があります。
高木神社については英彦山とも関わるので、詳しくはそちらで検討したいと思います。
いずれにしろ、高木の神の一族の近くに、ホの一族がやってきて、
高木の王女と結婚する事で、平和裏に同族となったのではないかと考えました。

大山津見の一族と結ぶ
上の系図の第二世代を見て下さい。
ホのニニギの命は大山津見の神の王女と結婚する事で、大山津見の一族と結びつきました。

海人族の一族と結ぶ
それから、また次の世代になって、大綿津見の神の王女たち、豊玉姫や玉依姫と結婚する事で、
海人族たちと結びついて行くのが、この系図で読み取れます。

ホの一族が日本にやって来た時には、すでにいろんな国があったのでしょう。
そこで、彼らは武力を使わずに、結婚によって融合していく方法を取ったのがよく分かります。

それぞれの国には土器・武器・船・馬の飼育など、優れた文化があります。
それらは技術者たちで支えられているので、戦争ではその技術を手に入れる事が出来ません。

そこで、結んで行く事で互いの文化を交流させて行ったと考えました。
どの国とも親戚となることで、単一民族の意識が養われていったのではないでしょうか。

(つづく)

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一番保存状態のよい絵馬です。

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by lunabura | 2010-03-27 14:23 | 馬見神社・うまみ・嘉麻市 | Trackback | Comments(0)

馬見神社(4)うまみ・白馬大明神とは彗星のこと?・日本に隕石が落下していた

馬見神社(4)

白馬とは彗星の事かなあ
日本に隕石が落下した記事を発見

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縄文時代に馬はいたのだろうか
このあたりは、やたらに馬が出てくるよ


地名や伝承、神社に奉納された馬、など、
この遠賀川流域には馬がよく出てくるのが気になりました。

日本の馬がいつからいるのかについては、神功皇后が新羅から連れて帰ったというのが
定説だと書いた文を読んだ事ガあります。

定説は書き換えられる事になりそうだ。

ところが、新宮町町史には、仲哀天皇と神功皇后が、騎馬訓練をした場所が掲載されています。
その地名を的野(まとの)と言います。これは当然新羅に戦闘に行く前の訓練です。
ですから、神功皇后が新羅から連れて帰ったという定説とは符合しません。

同時代を記す魏志倭人伝には「日本には牛馬がいない」と書いてあるのですが、
昨年でしたか、壱岐(いき)の島の遺跡から馬が一頭まるまる出土しました。
これで、日本には古くから馬がいた事が証明されました。

(ネットを検索すると、縄文時代に馬がいた事を証明するサイトがあります。)

縄文時代から日本には馬がいたと考えてよいようです。

念のため、地元の歴史愛好家にも聞いてみると、この辺りは古来、馬の飼育が盛んだったのだそうです。

なぜこんな事を確認したかと言うと、三千年前に白馬大明神が降臨したという伝承を考える時に、
その時代の人が馬を知っていないと、話にならないからです。

古代の人たちは馬をよく知っていました。これを前提にこの先を考えていきます。

白馬大明神とはなんだろうか。

3000年前に馬見山山頂付近に降臨した神。それを白馬と人々は名付けた。
これを考えていたら、ふと、星の事も知れないと思いました。

考えている間、何度も心に蘇るシーンがあったのです。それはヘールボップ彗星です。

飛行機に乗っていた時、「彗星が見えます」とアナウンスがあって、窓から見る事が出来ました。
大阪あたりの大きな山塊の上空に白い斜めの筋が見えました。動かない白い筋の光
とても不思議な光景でした。

馬見山の上に彗星が現れたら、これを人は白馬と呼ばないだろうか。


彗星は接近しながら同じ所に夜な夜な現れます。そして、いつか消えてしまいます。
その彗星が山頂にかかったら、白馬大明神が降臨したと言うのではないだろうか。

そこで、『儺の国の星』を開くと、流れ星を白馬に例えた記事が載っていました。
日本に隕石が落下した記事でした。

隕石の古語は「かたいし」でありました。「かた」とは「かかち」の略で、星の事であります。
昔、大隕石が落下して破片を地上に散らせたところを「かたかす」と呼びます。
博多の堅粕(かたかす)もその地であったらしく、推定2663年前の隕石が地下から発見されております。

「九州治乱記 巻7 
1465年9月13日夜
明月だといって、老若月を眺めていると、
西の空に大きな星が流れて、東の空に飛んで行き、
落ちた音はもう、雷のようで、
これを見聞きした者はみな地に倒れて気を失った。
近年は(隕石の落下が)続いていて、
こんな天災は古今聞いた事がないと、人々は話していた。」
(綾杉が現代語訳しました。)


これは九州島の近くに墜落した大流星の記述であります。
隕石口は「かさをり」と呼びます。奄美笠里(かさり)がこれであります。

流星が落下する時のすさまじい閃光と轟音と風圧を、
昔の人は千頭の白馬が疾駆するさまにたとえました。
奄美の伝説は、その時、天から白馬がおり、
一瞬にして天地が燃えたと語りますが、今も焼け焦げた根株が残り、
その場所は、5メートルも海の底に沈んでいると聞きますから、
今から500年昔の実話であったとききます。


中国での、彗星の記事も載っていました。
紀元前2279年、紀元前1098年と、彗星の記録が紹介されています。
彗星を鳳凰に例えていたそうです。

日本でも、11世紀に、記録がありました。(漢字がよく読めないので省略します)

昔は彗星の尾がかかる山を観と定めて、ここに天神地祇を祭った。
その観のあるところが国府であり、日振(こふれ)の略だった。

やはり、彗星が現れて、山に尾がかかると、ここに天地の神々を祀っています。
(観と国府については、よく分かりません。)

『儺の国の星』には、計算法が詳しく書いてあります。
天子のみが暦を支配できるのですが、この記録は天子というより太子の仕事だったそうです。

これらを踏まえると、やはり、馬見山に降臨した白馬とは、彗星か、流れ星ではないかと思いました。

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ニニギノ命がいた時代に彗星が現れたのが伝承となったのでしょうか。

いずれにしろ、ここに天孫を祀った氏族がいたのは、間違いありません。
それが誰なのか。意外にも他の神社の記録に見つける事ができました。
現地に行ったら、紹介したいと思います。

と言う事で、それまで、別のところを逍遥しましょ。

追記
その答えが日若神社で分かりました。
右のカテゴリからどうぞ。
 
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by lunabura | 2010-03-26 17:31 | 馬見神社・うまみ・嘉麻市 | Trackback | Comments(4)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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