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カテゴリ:染井神社・染井井戸・糸島( 2 )

染井の井戸・鎧が赤く染まった・万葉長歌


染井の井戸
福岡県糸島市大門
ウケヒで鎧が赤く染まった
万葉歌に詠まれた光景
 

染井神社から麓に下りて300mほど北上した所に案内がありました。

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そこから曲がって山に向かうとすぐに道幅は狭くなり、
車を止める所もありません。この芭蕉の木が目印です。

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芭蕉の木の裏にすぐに鳥居が見えました。

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「染井の井戸」です。

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真上から。

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鳥居は有るけど神社じゃないような感じです。扁額には「染井」と書かれています。

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敷地の裏からの景色です。里山の風景です。
土手が見えますが、もしかしたら怡土城の土塁の跡かなあ。

さて、染井の井戸に関する説明板がありました。
が、現代風の脚色がされているので、『筑前国続風土記』の一部を口語訳します。
ちまたの伝承では、神功皇后が三韓を討とうとしてこの山に行幸されて、井戸のそばにやって来て、ウケヒをした。
「異国を討とうとしていますが、勝利を得るならこの鎧は緋色(ひいろ・赤)に染まりますように。もし勝てないなら元のままの色でありますように。」
と言って、鎧を井戸の水に浸すと、たちまちに緋色に染まった。その鎧を染めた井戸という事から染井という名が付いた。

この井戸は染井の本社へ行く道のそば、谷の方にある。本社からは西にあたる。広さは三尺六寸。これから山の名も染井山と言うようになった。
染めた鎧は山の上の松の木に掛けて干された。この松は鎧懸けの松といって、慶長の初めまで大木だったが今は枯れている。(略)神功皇后が旗を染めて干されたので有名だ。
染井の井戸の名の由来は神功皇后がウケヒをして、
白い鎧が赤く染まった事から来ています。
他に「緋縅」(ひおどし)になったという伝承もあり、
どうやら伝承の鎧のデザインは中世時代の鎧のような感じがします。

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左は緋縅で、右は5世紀の出土品です。(古賀市歴史資料館)

神功皇后の時代の鎧はどんなものだったのでしょうか。
この五世紀の鎧のように、鉄で出来ているのではないかと想像するのですが。
白い鎧が赤く染まったという話は後世に造られたのだと思います。
伝承の続きには旗を染めた話があるので、そちらの方が真実に近いでしょう。
ここにはアカネなどで染色する工房があったのかもしれませんね。

案内板の後半には、その続きが書いてありました。
この後、皇后の軍は西(二丈町)へ向かって出発し、深江の子負(こう)が原海岸で二つの玉石を懐中にして船出されます。軍が日本へ帰還の後、皇后が御出産されたのが応神天皇と神話は伝えます。

安産祈願に懐中された石を祀ったのが、鎮懐石八幡宮です。軍が深江へ向かう途路「飯原」で駐屯された時、雉の鳴く声が琴の音のようにひびいたという吉兆の場所に雉琴神社が現存しています。

神功皇后に関する伝承神話は、瀬戸内海から北部九州沿岸のいたる所に、鞍かけ石、馬つなぎ石、櫛置き石、船出浜など数多くの遺跡が点在します。染井神社は、神話を秘めた古式の雰囲気を今も山中にただよわせる社です。

福岡藩六代藩主、黒田継高はこの地に遊び神水を汲み、歌を献じています。
濁りなく昔をうつす鏡とは けふぞ初めて三染井の水
この説明の中で押さえておきたいのは、出港地が深江の海岸だという事です。
出港地の伝承は複数あります。簡単には決定できないので、
伝承地を書きとめておくのが今できる事かなと思っています。

さて、この染井の井戸について、今月号の『古田史学会報』(No.108 2012年2月号)に興味深い論文が出ました。
『筑紫なる「伊勢」と「山辺乃五十師乃原」』(正木 裕)です。

万葉集の中で所在地が分からず謎のままだった3234番と3235番に出て来る
「五十師の原」と「五十師の御井は おのづから 成れる錦を張れる山」
というのが、ここ「染井の井戸」の近辺を詠んだ歌だと論証されたものです。

論文では契沖や賀茂真淵、本居宣長など国学者の説を検証し、
ついに糸島の染井の井戸を確定されました。
染井の井戸を書くタイミングに手元に届いた論文なので不思議に思って紹介しました。

その万葉集の訳を今から書こうと思いますが、その前に歌の中に出て来る
「五十師」と「五十師の御井」「伊勢国」について確認しておきたいと思います。

「いそし」が日本書紀に出てきます。
イトテが三種の神器を掲げて下関の彦島に迎えに行った時の話です。
仲哀天皇はイトテを褒めて「いそし」と言いました。これから、イトテの本国を名付けて伊蘇(いそ)の国と言うようになりました。今、伊都と言うのは訛っているのです。
「伊都国」とは本来は「伊蘇国」なのですね。
この歌には「伊勢国」という国名が出て来るのですが、
古来、伊勢市を捜した為にずっと分からないままでした。

イソ国がイセ国と発音が変わるのは容易に想像できます。
糸島には「伊勢山」「伊勢田」「伊勢浦」という地名もある(あった)とか。
伊蘇国=伊勢国=伊都国と解釈します。

五十迹手(いとて)の語源について眞鍋氏はこう語ります。
シリウスの輝きの連想から、坩堝の達人を石上(いそのかみ)あるいは五十師(いそし)あるいは伊覩率(いとし)などと呼んだ。
「五十師」とは坩堝(るつぼ)=製鉄の達人だという意味です。
伊覩(いと)=伊都です。
すぐ近くの九州大学の敷地にある元岡の古代製鉄所が示すように、
伊都国は早くから鉄の生産を始めた所で、その製鉄の達人を五十師と呼んでいた訳です。

だから「五十師の原」とは「製鉄の盛んな国」の意味が込められていると私は考えます。
そこに神功皇后の「染井の井戸」の伝承が伝わっていた訳です。

以上を踏まえて次の長歌と反歌を読んでみてください。
左に論文掲載の読み下しを。右にるなの口語訳を載せています。
(るなの訳はほどほどで読んで下さい。)

無題 (3234番)
やすみしし 我ご大君            天下を治められる我が大君
高照らす 日の御子の           御威光が輝く日の御子の
きこしをす 御食つ国            召し上がる食べ物を産する国
神風の 伊勢の国は 国見ればしも   神風の吹く伊勢(伊都)の国で 国を見渡すと
山見れば 高く貴し             山を見れば 高く貴い 
川見れば さやけく清し           川を見れば くっきりとして清らかだ
水門なす 海もゆたけし          湊のある 海は広々として
見わたす 島も名高し           見渡す島も 名高い島だ
ここをしも まぐはしみかも        このような景色をこそ 絶景というのだ

かけまくも あやに畏き          言葉にするのも 畏れ多い
山辺の 五十師の原に          山の辺の 五十師の原で
うちひさす 大宮仕へ           輝く日の射す 大宮に仕え
朝日なす まぐはしも           朝日の時には 目に輝かしく
夕日なす うらぐはしも          夕日の時には 心に輝かしい
春山の しなひ栄えて           春の山は やわらかい緑に栄え
秋山の 色なつかしき           秋の山の色は しみじみとした思いにさせる
ももしきの 大宮人は           多くの石を積んだ城に仕える 大宮人は
天地と 日月とともに 万代にもが   天地と太陽と月とともに 永遠にあれ

反歌 (3235番)
山辺の 五十師の御井は       山の辺の 五十師の染井の井戸は
おのづから 成れる錦を        自然と 赤く染まった錦を
張れる山かも              張り巡らしたように 紅葉した山にあるよ
 
この染井の近くの五十師の原にある宮殿に仕える大宮人は
山上の望楼に上って山や海や川や島を眺めて感動し、
日々、朝日と夕陽に輝く宮や山を眺めて過ごし、
新緑の春に心躍らせ、紅葉の秋にはしみじみと物思いにふけりました。
そんな輝かしい国を治める我が大君と国の繁栄を
歌に詠んで寿(ことほい)だのでした。
季節は秋。
染井山はまるで神功皇后が染めた赤い錦のように紅葉していました。

糸島の美しい光景をこれほど朗々と高らかに詠んだ歌があるでしょうか。
この万葉のままの美しい糸島の里が次代へと
そのまま受け継がれるように願ってやみません。
また、この万葉歌が糸島の歌だと発見された正木裕氏に感謝です。

地図 染井の井戸









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by lunabura | 2012-03-02 17:53 | 染井神社・染井井戸・糸島 | Trackback | Comments(0)

染井神社・豊玉姫と山幸彦の夫婦神が祀られていた・鎧懸の松


染井神社
そめい
福岡県糸島市大門
豊玉姫と山幸彦の夫婦神が祀られていた
神功皇后の鎧懸けの松
 

染井神社高祖山と同じ山脈の北の方にあります。
山脈の裾を走る県道58号線の染井の信号から山に登って行きます。

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舗装はしていますが道が狭く、山道の感じになって心細くなりかけた時、
左に池と石橋を見つけました。上の方に鳥居が見えます。

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石段を上って行くと、参道は苔むして深い緑。

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しかし、イノシシが掘り返したあとが…。
『もののけ姫』の映画でイノシシが突進する場面がありましたが、
実際に猛スピードで映像そっくりに走るのを見た事があり、
ニュースでも人が襲われた話を見かけるので気を付けるようになりました。
(と言っても遭遇したらどうしようもないのですが…。)

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それでも植物相の豊かな参道に感激しながら上りつめると、明るい境内に出ました。
拝殿は左の方にありました。

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拝殿正面です。

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裏に廻って神殿を見ると二つありました。

ここには神功皇后の染井の井戸の伝承があるのでやって来ました。
戦勝を占って白い鎧を付けしたら赤く染まったという伝説です。

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井戸を探していると境内の左端に木造で屋根覆いしたものがあるので
近づいて見ると、「鎧掛松」(よろいかけのまつ)と石碑がありました。

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その巨大さにびっくり。
貝原益軒によると彼の時代(1650年頃)には枯れていたそうです。
それがこうして屋根を付けるだけで後世でも見る事が出来るので
参考になる保存法だなと思いました。

さて、御祭神を福岡県神社誌で調べると
祭神 熊野三柱大神、豊玉姫命、彦火火出見尊、息長足姫命、玉依姫
由緒 神功皇后三韓出征の時、奇瑞あり。井水に白糸鎧(よろい)をひたされるとたちまちに緋縅(ひおどし・赤色の縅)になったので、その井戸を染井という。
となっています。
ついに彦火火出見尊と豊玉姫の夫婦神を祀る神社に出会えました。
息長足姫とはもちろん神功皇后で、玉依姫は豊玉姫命の妹です。

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ストックから系図をまたまた引っ張り出して来ました。
何度見ても新鮮ですね。見るたびに発見があります。(負け惜しみ)
この糸島には大山津見神大綿津見神の系譜の伝承が沢山あります。

この染井神社に祀られたホホデミ(山幸彦)と豊玉姫が結ばれて
ウガヤフキアエズが生まれ、そのフキアエズと玉依姫とが結ばれています。

豊玉姫は出産時に亀の姿に戻ったのを見られたために龍宮へ戻るのですが、
妹の玉依姫の出産時には、なんら問題がなかったようです。
そんな矛盾も神話だったらそれでいいのですが、
豊玉姫が各地で格別に祀られているのを見ると、
何か哀しい事件があったのだろうなと想像したりしています。
だから、ここに夫婦で祀られているのを見てほっとしました。

さて、祭神の中の熊野三柱大神が残りました。
筑前国続風土記によると
この染井山は高麗寺村にあって染井山霊鷲寺があり、熊野権現が祀られていたそうです。
また昔は豊玉姫を祀り、上宮中宮下宮と三宮あったとか。
この染井神社は中宮にあたるそうです。
今残っているのはこの中宮だけのようです。
栄枯盛衰の中でこのよう神社とお寺の神々が一緒に祀られているのでしょう。
二つの神殿はそれの現われかと思いましたが、未確認です。

山の頂上から麓にかけては怡土城(いとじょう)も造られました。
奈良時代に吉備真備によって756年から13年かけて築城されたということです。

古代、ここは祭祀的にかつ政治的軍事的にも重要な場所だったのが伺えます。

怡土城跡を紹介しているサイトです。
http://www.ss.iij4u.or.jp/~hsumi/docs/iseki/itojyou.htm

さて、肝心の染井の井戸は境内にはありませんでした。
いったん山を下りて県道に戻って探す事にしました。

地図 染井神社







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by lunabura | 2012-03-01 19:39 | 染井神社・染井井戸・糸島 | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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