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カテゴリ:楯崎神社・たてざき・福津市( 3 )

海と岩のひもろぎ


海と岩の宮



そうだ、楯崎神社に行こう。

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恋の浦。
大己貴神は宗像姫と共に、上陸する異敵と戦った。
その楯が大岩になったという。




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海の岬の突端への道は断崖絶壁。





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祈りの人々が道を切り開いたのだろう。


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そそり立つ巨大な岩。
神功皇后が祈った。





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最澄が祈った。





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るなも祈った。





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きっと、あなたも。





海と岩のひもろぎ。





福岡県福津市渡半島







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by lunabura | 2014-05-04 18:00 | 楯崎神社・たてざき・福津市 | Trackback | Comments(0)

楯崎神社(1)半島の絶壁に立つ巨大な磐座に神功皇后は祈った


楯崎神社(1)
たてざき
福岡県福津市渡
半島の絶壁に立つ巨大な磐座に神功皇后は祈った 

この神社に初めて訪れたのは、地図を見ていて、ここに磐座があるはずだと推測したからでした。
そして行ってみると、実際に巨大な磐座がありました。

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ここは渡半島の突先です。そこには神社がありました。駐車場は道路を隔てた所にあります。

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楯崎(たてざき)神社です。周囲には全く人家はありません。

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祭神 大己貴命 少彦名命
相殿 飛龍権現
由緒書きがあったのですが、その当時はその意味を理解出来ませんでした。
その時探していたのは盤座です。

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境内の右の方に踏み分け道があって奥へ奥へと進みました。
すると半島の崖ぞいに山道がついていました。
これは振り返って撮ったのですが、右は山。左は絶壁です。

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覗くとこんな感じ。

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数百メートルで、神社の参道になって来ました。

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これが楯崎神社の元宮(奥の院)だと後で分かりました。
現在は薬師神社といい、不動明王が祀られているといいます。
赤い鳥居の左上には、想像以上の巨岩がありました。

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木が生い茂っていて、その全体を撮ることが出来ません。

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この巨岩の根元は石が組み合わせられて、隙間があります。
最近祭壇が置かれたようですが、この中に入ると意外にゆとりがあって、
ゆっくりと座ることができます。
異空間です。
岩陰祭祀場です。

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周囲を調べると、このような80センチほどの岩が
不規則に並べられながら、これまた独特の静けさのある空間を作っています。

落石があったらしく、これ以上は入れません。
すごいスポットもありますが、危険なために紹介できません。

磐座の表面を見ると石と泥で出来たような組成です。
山道に転がっていた火成岩とは全く違っています。
このタイプの組成は熊本や鹿児島の巨石群でも見られるもので、
その姿もまた熊本や福岡の八女、鹿児島のものと近い姿でした。
これを巨石研究会では縄文セメントと呼んでいました。
このような岩は意外に簡単に作れる実験も本に出ていました。

何年かたって不思議な縁で再びここを訪れたのですが
その時は、ここで初めて人のオーラをカラーで見ました。
(二度とそのような事はありませんが…。)

それからまた数年たって、神功皇后の伝承地を調べていて、またもやここに訪れる事になったのでした。
ここに祀られている飛龍権現とは神功皇后の事でした。
皇后はここでも祭祀をしたそうです。
京泊(きょうどまり)から上陸してここに楯を奉納して神の助けを願いました。
別伝には、凱旋後に楯と弦を切った弓を奉納したともあります。

凱旋後にお礼参りをした話は各地に伝わっていて、皇后自身は産後、間もないので、
中臣の烏賊津使主(いかつおみ)などが代参したのだろうなと思っています。

さて、神功皇后がわざわざここまで祈願しに来たのは、さらに古い歴史があるからでした。

                       (つづく)

地図 楯崎神社 京泊




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by lunabura | 2012-03-17 10:40 | 楯崎神社・たてざき・福津市 | Trackback | Comments(2)

楯崎神社(2)大己貴と宗像姫の連合軍が異敵と戦った


楯崎神社(2)
大己貴と宗像姫の連合軍が異敵と戦った


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奥の院の小祠です。左が岩窟で、後ろに巨大な岩がそびえています。
昭和28年6月、未曾有の豪雨によって地滑りが起こり、境内に亀裂を生じ、
お社も傾いて鳥居も倒れたので道路沿いにお社を建て直したそうです。

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こちらは道路沿いの方の狛犬。
祭神は大己貴神、少彦名、飛龍権現ということですが、
調べて行くと祭神がいろいろと変化しています。
飛龍権現も神功皇后だったり、熊野権現だったりしているので、
今回は境内の説明板に従って行きます。
かなり長い文だったので、時代順にまとめた形で歴史の流れを見てみましょう。

異賊の襲来に大己貴・宗像姫軍が戦った

まだ草木が物を言うような昔、夷が上陸して人民を殺傷した。その時、大己貴神后の宗像姫大神が神軍を率いて戦った。を立て、鼓を鳴らして防御し、ついには敵を撃ち滅ぼした。

大己貴神は先に宗像奥津宮に座す田心姫を娶って一男一女児、味鉏高彦根神と下照姫命を生んだ。次に辺津宮に座す高津姫命を娶って一男一女児、味歯八重事代主神と高照光姫大神命を生んだ。
大己貴命とは大国主神の事で、沢山の妻がいますが、
この宗像の田心(タゴリ)姫を娶った話は古事記にも書かれていて有名です。
が、辺津宮の高津姫を娶ったという話はここで初めて知りました。

辺津宮の祭神は今は市杵島姫となっています。
高津姫と市杵島姫が同一神なのかどうかは調べてみなければなりません。

ただ古い文献に当たっていくと、この三女神は現在のように
「沖津島がタゴリ姫、中津宮がタギツ姫、辺津宮が市杵島姫」という形に
決まっていた訳ではなく、あらゆる組み合わせが存在して異説だらけでした。
神社の方もそれでは問題が多いので、
現在の組み合わせで統一されたのだろうと思っています。

大己貴命が宗像の姉妹と結婚した件については、
これまでもマレビトが来た時には、姉妹と結婚する例がいくつも見られたので、
かなり古くからの慣習だったのでしょう。
鞍手郡誌を見ると、市杵島姫も結婚していますよ。
(相手がよく分からないので調査中です。これらの研究は一生かかりそうですね。)

この縁起で見逃せないのは、大己貴の時代に敵の襲来があったという事です。
同じ話が遠く離れた糸島市の雷神社(いかづち)にも伝わっていたように、
神功皇后の前の時代には異賊の襲来と戦いが長年続いた事が分かります。

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これは神社のそばから見える「恋の浦」です。ここが戦場だったのでしょうか。
現在も密航の監視塔があり、朝鮮半島から潮に乗れば漂着出来る場所です。

神功皇后が祈願した
昔、息長足姫尊が将として西征の時、この山に登って神助を祈った。その時の御船が停泊した所を京泊という。社北、御手を●●した所を「御手水の瀑布」という。

その側に大岩があり、形が軍船のようで、「加羅船岩」という。また三岩瀬あり。その中間には「湯壺」という温泉があって湧き出している。潮が引くと今なお温泉が湧き出しているのが見られる。

ここを北の磯浜と言い、その中に「五色浜」がある。小石が五色で鮮明だ。また「楢葉浜」には化石があって楢葉の文が見られる。この岸の西二町ばかりに「鼓岩」があり、形は鼓にそっくりで、草木は生えていない。鼓島はおよそこの山海の奇勝、言葉に尽くせない。どれもこれもが神明の霊蹟である。(●●は不明)
神功皇后は大己貴の戦勝の縁起にあやかろうとしたのでしょうか。
ここまでやって来て楯を奉納し、その楯が石になったと伝えます。
縁起に書かれた奇岩は現存していて、滝も温泉も残っているそうです。
珪化木や葉の化石、地層なども観察できるところです。

「京泊」(きょうどまり)は古代の良港で、輸入した馬を上陸させて放牧していました。
(⇒渡の牧跡 神代に放ち給う馬の牧跡 http://lunabura.exblog.jp/16445440/

このような半島の牧場を管理し、大己貴の戦勝の盤座を知って案内したのは誰でしょうか。
よほど信頼関係のある長でないとノコノコと付いて行くのは危険な場所です。

ここに近いのは宮地嶽神社で、祭神は神功皇后と勝村、勝頼大神です。
勝村、勝頼の二神は神功皇后を助けて新羅へ遠征したと言いますから、
この二人が案内したのかも知れないなと考えています。

尚、神功皇后が新羅から帰着した場所という伝承が海岸沿いにいくつも残っています。

最澄が仏像を奉納した
桓武天皇の御世、最澄師、求法のために唐国に赴かんとしてここに詣で、宿願を達せんこと祈り、自ら薬師阿弥陀観音像を彫刻して安置し、楯崎寺という。今俗に楯崎薬師と称する所はすなわちこの新宮なり。誤って古宮を薬師となし、神山を称して薬師山という。かつて大神の本跡を知る者なし。
最澄までやって来たんですね。
この楯崎神社のご加護の大きさは数百年たっても語られ続け、
最澄もまたその御加護を祈願して仏像を彫刻して奉納したことから、
薬師寺、薬師神社という名称が重なっていったようです。

西行法師が歌を詠んだ
夫木集 西行法師
さかおろす 楯石崎の 白浪は あらきしほにも かかりけるかな

西行法師がこの楯石崎の海岸を歌に詠んでいました。

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バルチック艦隊と三笠の戦いもこの海です。



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by lunabura | 2012-03-16 16:14 | 楯崎神社・たてざき・福津市 | Trackback | Comments(5)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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