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カテゴリ:ピンクの石棺と馬門( 2 )

馬門 阿蘇ピンク石が切り出された所に行って来ました


馬門
まかど
阿蘇ピンク石が切り出された所に行って来ました

久しぶりに天草トレッキングの報告の続きです。

行ったのが昨年の秋 \(◎o◎)/!
すっかり記憶が薄れています。
でもずっと心に残っていた所でした。

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大歳神社を後にして、山の方に向かって歩いて行きました。
斜度は緩やかで、登っているという感覚はありませんでした。

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そして、人家が途絶え始め、最後の人家が…。
とてもとても大きな屋敷です。
しかし、荒廃し始めていました。
こんな山の中にこれほどの大きな屋敷があったのですから、よほど栄えた場所だったのでしょう。
そこから右に曲がり一車線の舗装道路を進むと並行して川が流れています。

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そして、まもなく岩が散乱しているような場所が見え始めました。
ピンク?

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阿蘇ピンク石の石切り場です。
思ったより近い所にありました。

名前通り、石がピンク色です。

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乾燥の具合によって、色が違っています。

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丸く加工された石。これは現代アート。

ここで石棺がある程度加工されて、近畿に運ばれて行ったそうです。
何せ古墳時代です。
この石を知っていたことも驚きだし、
あんな遠くまで運んでも、この石の中に眠りたかった情熱に驚かされます。

美しいものを求める欲望と、それに応えようとする人々の
不可思議な連携のようなものに思いは巡らされ、
それが文化を創りだす原動力になったという人間力のたくましさに
感動さえ覚えます。

いったいどうやって運ばれたのか、
平成の人々の心をも動かして実験考古学がなされました。

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当時の運搬器具の修羅で運んだそうです。


私の頭の中は、この道をどうやって運んだのだろうという事でいっぱい。


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これは大歳神社へ戻る道。
唯一の緩やかな登りの場所です。左側には川が流れています。
考えたら、川の中を引いて行った方が合理的かもと思ったりしました。

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歩いて戻ってくると、再び大歳神社のピンクの鳥居が見えて来ました。
ここまでの距離を地図で見てみると500mほど。意外に近いですね。
そして、大歳神社で最後の祈りをして、


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広い川に出て、海へと漕ぎだしたのでしょう。
長崎の西海岸を通って、玄界灘、関門海峡を通り、
瀬戸内海を越えてはるばると運ばれたピンクの石棺。

どれほどの愛着がこれにあったのか。
古代の王たちの思いは測り知れません。

「ひもろぎさん、さっきの所に牧神社があったのに。」
「え?牧?」
「ここには牧があったのですよ。」
そんなあ。
まさか、あの石切り場の奥に神社があったなんて。
あの地形で?
知ってたら絶対行ったのに。(くすん)

そうか。馬に引かせれば意外に簡単だな。

聞くところによると、ピンクの石を産する所は数ヵ所あるそうです。
ここは今も変わらず地形が残っているので素晴らしいですね。

さて、当地から運ばれた石棺が出土している現地のようすは

ちょっと考古学
熊本から琵琶湖まで運ばれた石棺
http://blogs.yahoo.co.jp/hirotak24/14054787.html

の写真で見る事ができます。
副葬品として、金糸が出たもの、冠が出たものなどがあって、
やはりかなりの身分の人たちのようですね。

羨道の傾斜などは、九州の形式だそうですが、如何でしょうか。
そうだとすると技術者も行ったことになります。
あまり古墳の中に入っていないから、一メートルも傾斜のある古墳って
どこにあるかなあと思ったりします。
熊本の方の事情は

装飾古墳今昔紀行
http://blog.livedoor.jp/warabite/tag/阿蘇ピンク石

が詳しいです。
何?牧神社はピンク石で出来てたって?
そんなあ。
もう再訪する元気はないよ…。


地図 馬門

写真でも、ご覧ください。

天草トレッキングの過去記事は下のタグの ♯天草トレッキングからどうぞ。



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by lunabura | 2013-06-27 20:45 | ピンクの石棺と馬門 | Trackback | Comments(7)

王たちのピンクの石棺と古代船・海王


王たちのピンクの石棺と古代船・海王

熊本県 宇土マリーナ

まだまだ時間が採れずにいますが、記事も書きたいよ!
と言う事で、天草北部の古代の旅の続きです。

この旅のメインイベントは近畿の王たちの憧れの
ピンク色の棺の採掘現場・馬門(まかど)への旅です。
今回はその搬出港に置かれていた、復元された古代船と石棺とのご対面です。

『大王のひつぎ海をゆく―謎に挑んだ古代船』という本をサイドバーで紹介していますが、
近畿地方に出土するピンク色の石棺がなんと熊本県でしか採れない石だという事で、
どうやって運んだのか実験が行われました。
1000キロの海を船で運ぶのですが、この宇土マリーナが実験船の搬出港だそうです。

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いかにも南国という印象のマリーナの一角に石棺と船が置かれていました。

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雨で汚れているようですが、ピンクが全体に残っています。

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近づいて見ました。削ったらピンク色が出て来そうです。
この後、採掘場に行きますが、本当にきれいなピンクなんですよ。

なんでこんな遠くの石が近畿まで運ばれたんだ、という謎を解き明かそうと、
実際に石棺が作られて古代船が造られました。

現場の説明板を書き写します。
実験航海
およそ1500年前、熊本県の宇土半島で造られた石棺が「大王のひつぎ」として畿内に運ばれました。どのような方法で重い石の棺が、有明海から大阪湾まで波濤を超えて運ばれたのか。

その謎に挑み、2005年夏、「大王のひつぎ実験航海」が行われました。復元した古代船は伴走の現代船の支援を受けながら34日間、22の寄港地をつないで有明海、東シナ海、玄界灘、瀬戸内海、播磨灘、大阪湾の1006kmの海路をたどりました。
大王のひつぎ実験航海実行委員会

これについて書かれた本に出会ったのは、図書館ですが、
ちょうど、香椎宮で崩御された仲哀天皇を竹内宿禰が下関市の豊浦宮まで
搬送する話が日本書紀に書かれていて、日付まで書かれていたのを見て、
疑問に思っていた時でした。

本に描かれた寄港地を辿ってみて、
香椎宮~豊浦宮の間が実際にその日数で航海できるのを知って、
日本書紀に真剣に向き合う気持ちが生まれました。

本の中で印象深かったのは、航海の旅程を組む時に停泊港を探すと、
ちょうどぴったりの所に必ず港があったという内容の一文でした。
ここからだと、22の港があって、一日漕げばちゃんと陸地に着岸出来たと言う訳です。

それぞれの海の条件を知り尽くした海人族や水軍たちのネットワークが
古代に既に成立していたんだと思うとワクワクします。

マリーナには古代船も展示してありましたよ。

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船底を見て下さい。丸木船が基本で、その上に波よけの舷側板が立っています。
これを準構造船というそうです。
「準構造船」とは良く聞く言葉ですが、現物を見てようやく理解出来ました。

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上から見られるようになっています。
オールとかその大きさに驚き。
二人乗りのボートか大きなフェリーしか知らないので、
この大きさは妙に人間臭くて、身に迫ってくるものがあります。

ロープがあります。
古代にロープがあったんだろうかと考えたりしますが、
ヨーロッパ辺りで、新石器時代(日本では縄文時代)だったでしょうか、
紀元前のロープが発見されたのを読んだことがあります。
写真で見る限り、現代と同じ編み方でした。
(場所も時代もきちんと覚えてなくて済まんです。)

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右にある臼の形をした大きな飾りは伊都国歴史博物館で現物を見たぞ。
調べると、「石見型木製品」(いわみがた)と言うもので、
糸島の釜塚古墳の周溝から出土したと書いてあります。
他には畿内と韓国月桂洞1古墳で出土。ふむふむ。

この船の材料はベイマツ。
それが書いてある説明文を読んでみましょう。

古代船「海王」
わが国では縄文から中世にいたるまで、自然の木を船形にくりぬいた丸木船が主流だったとされていますが、弥生時代以降、玄界灘をわたるような「新しい船」が登場します。

丸木船を船底として、両舷に波よけの舷側板を立てた準構造船です。
「海王」は五世紀後半の古墳出土の船型埴輪をモデルに出土船材の大きさや
当時の造船技術推定により設計・建造されました。

構造:樹齢500年のベイマツの原木を接合した木造準構造船
規模:長11.9m 最大幅2.05m 自重5トン
航行:舷側支点櫂18本による糟行、速度4~5ノット、乗組可能要員30人
基本設計:松木哲神戸商船大学名誉教授
建造:藤田造船所(福岡・志賀島)

そうか、「海王」は古墳の埴輪がモデルなんだ。

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これは当時の写真です。

どうして古墳時代には帆を使わなくなったんだろう。
神功皇后の時代は帆柱を使って帆を布で作ったという伝承が各地にある。
ところがずっと後の時代、遣唐船は帆を竹で編んだりしたもんだから、
バランスが悪くて遭難しやすかった。

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レッドクリフでは帆船が主体だ。
この映画は時代考証が間違っているのだろうか。
西暦208年という時代だ。
倭国からはいくつもの国が使者を送っていた。

彼らは帆船の技術を知らなかったのだろうか。
手漕ぎで玄界灘を渡ったのだろうか。
徐福たちも手漕ぎ船でやって来たのだろうか。

最近の私は通説の古代像に「?」ばかりになってしまった (+_+)



地図 宇土アリーナ
熊本県宇土市下網田町3084−5






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by lunabura | 2012-11-19 20:46 | ピンクの石棺と馬門 | Trackback | Comments(4)
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