ひもろぎ逍遥

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カテゴリ:三女神伝承の宮々( 11 )

比売神・二女神・二龍女


比売神・二女神・二龍女



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志賀島の歴史講座で
「福岡では神話の神々を生きた人として扱っているようですが」
という感想をいただきました。ほかに、
「奈良から来たけど、向こうとこっちの話は全然違う」という方もありました。

そうですね。
福岡では神話の女神たちはリアルに息づいているのです。

ブログ村やエキサイトブログの歴史や神社のジャンルの他の方のブログと比べると、
私のブログだけ、やけに古代の話をしている、と気付いています。

でも、私は身近な伝承を紐解いているだけなので、
やはり福岡は弥生時代を中心とする古代の歴史を
神社縁起の中にそのまま伝えているのだと思います。

神功皇后も生きていて、竹内宿禰も、安曇磯良も生きていた。
物部胆咋(いくひ)だって、中臣烏賊津使主(いかつおみ)だって生きていた。

景行天皇や日本武尊もそこここで息づいている。

それから、もっと前の時代、宗像三女神(あるいは水沼三女神)も生きていたし、
豊玉姫や玉依姫も生きていた。

これらを抹殺しようとする流れがあるのも分かりました。
机上の論理で日本の歴史を語るのではなく、
歩けば古代の真実がまだ語り継がれているのが九州なのです。

今日は、前日の三女神に続き、
比売神と二女神と二龍女について考察した過去記事を再掲します。





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by lunabura | 2015-01-20 21:07 | 三女神伝承の宮々 | Trackback | Comments(4)

 姫神の謎を追って 1


 姫神の謎を追って 1

    
比売神についてたくさんコメントをいただきました。
宇佐神宮の比売大神とは誰か。
人々の関心の高さを物語っているようです。
当宮では宗像三女神と同じ神々が比売大神となっています。

 比売大神[多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命]
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(宇佐神宮 下宮)

今回、理解を共有するために、逍遥しながら出会った筑紫の姫神たちについて
整理してみようと思い立ちました。

1 六嶽に降臨した三女神 物部氏と剣神
2 神武天皇と三女神 宗像は見えない
3 水沼の君と三女神 水沼という巫女
4 景行天皇と三女神 剣神
5 大己貴命と二女神 婚姻
6 龍宮の二女神 

こんな感じで書いて行きます。(書きながら少々変更するかも^^)


1 六ケ岳に降臨した三女神 物部氏と剣神

三女神と言えば、宗像大社が知られています。
辺津宮・大島・沖ノ島にそれぞれ祀られていますが、
どの神がどの島に祀られているのかを調べると、実は多種多様の組み合わせがありました。

現在、宗像大社では辺津宮は市杵島姫神、大島は湍津姫神、
沖ノ島は田心姫神となっています。(いちきしま姫・たぎつ姫・たごり姫)

この宗像市の南の山を越えると東南部に鞍手郡がありますが、そこに六ケ岳があります。
三女神がその崎門峰に降臨したという伝承があります。
紀元前700年と縁起に書かれています。

その麓に六嶽(むつがたけ)神社があります。
女神たちのしるしとして、奥宮に青い垂れ下がる玉、中宮に八坂瓊の紫玉、
辺宮に八咫鏡を置いたので、身形(みのかた)郡といい、
後に宗像となったとあります。(鞍手郡までかつては宗像だった)

鞍手郡は物部氏の本貫地とも言われています。
三女神はスサノヲ命の剣から生まれたので、もともと剣神の性格があり、
もののふであった物部氏の育んだ鞍手神話とも言われます。

ここから福津市の神興神社に三女神は遷宮したという縁起があります。
そののち宗像市の宗像大社の高宮へ降臨したのでしょうか。

高宮は古高宮と言って、宗像大社の境内のなかにあります。
三女神の祭祀は宮地岳にもあったという説も見られます。

六嶽神社 ⇒ 神興神社 ⇒ 宗像大社
これがひとまとまりの流れです。
(サイドバーから見てね)

地図 六ケ岳 神興神社 宗像大社




2 神武天皇と三女神

神武天皇社が遠賀川河口にありますが、
そこから自衛隊に入った敷地内の浜に、かつて小さな泉があって、
そこでイワレビコ命(神武天皇)と弟宮が禊(みそぎ)をしたと言われています。

仲哀天皇も神功皇后を伴って禊に来ています。
そこから三女神を遥拝したと言います。

ところが、そこからは宗像の四つ塚といわれる四つの山が視界を遮って、
宗像市は全く見えません。
遠賀川に架かる橋の上から上流を見ると、六ケ岳の山々が見えるので、
仲哀天皇は鞍手郡の方を遥拝したと思われます。

当時の三女神信仰は六ケ岳で、神武天皇や仲哀天皇も剣神として、
祭祀されたと思われます。いずれの天皇も戦いを前にしていました。

地図 神武天皇社 六ケ岳




(つづく)




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by lunabura | 2015-01-20 21:05 | 三女神伝承の宮々 | Trackback | Comments(0)

姫神の謎を追って 2 水沼の君と三女神 水沼という巫女


 姫神の謎を追って 2
  
 

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宇佐神宮の祓所

3 水沼の君と三女神 水沼という巫女 
「水沼」というのは、「巫女」のことで、
月にある変若水(おちみず)を神から人へ取り次いだり、
人間の罪穢れを受けた神のミソギの介添えをしたりします。
巫女が神格化して女神となったのではないかと考えています。

それを祀るのが大善寺玉垂宮です。
当宮の鬼夜は火祭りで人の目を引き付けて置いてその間に神に禊を勧めるのが本義なのですね。

水沼の君はその巫女を出す家柄です。
その都は久留米市高三潴から大善寺玉垂宮を中心とした辺りで、
多くの古墳も残されています。

しかし、聖地はずっと北にある赤司八幡神社です。
それは景行天皇の動きから判断しました。

景行天皇は赤司八幡神社で祭壇を作って三女神に祈り、
自分の皇子、国乳別皇子を天皇代行の祭祀者として残しました。

当時の水沼の君は猿大海です。
猿大海が娘を皇子に差し出したことから、水沼の祖は国乳別皇子となりました。
しかし水沼は当然ながらもっと古くから居た訳で、その祖の中に物部の名が見えます。

赤司八幡神社は神功皇后も妹の豊姫を巫女として残しているので、よほどの聖地です。
その中心は潟の渟名井(蚊田の益影の井)だとおもわれます。


三女神はこの赤司八幡神社に降臨したと伝えられています。
道主の貴(みちぬしのむち)というのは水沼三女神に冠された言葉なのですね。
この道主の貴という言葉が宗像大社でも、使われています。

赤司八幡神社では田心姫が降臨されたと言われています。
これは八幡信仰の拡大の中で遠慮されて言われているのだろうと思っています。


一方、その南にある高良山の麓の味水御井神社(うましみずみい)の泉も
古くは神功皇后がミソギの女神として祀られていたそうです。
高良山の神々は山からその泉まで降りて来られて禊をされます。

久留米市の地域は三つの聖なる泉の信仰が中心をなしていたのでしょう。
(三大泉は諸説あるようです)
地図でこの三社を拾うと、とても広範囲ですね。



地図 大善寺玉垂宮 赤司八幡神社 味水御井神社




4 景行天皇と三女神 剣神

また、景行天皇は三女神を他の地にも祀っていました。
それが朝倉市の福成神社です。
ここには神功皇后も、また斉明天皇も祭祀に来ていますので、
剣神としての性格が残っていたと思われます。

斉明天皇は朝倉の橘の広庭宮に着くと三日後には中大兄皇子を連れて参拝されたと伝えています。

すぐ近くに太刀神社があり、神功皇后が羽白熊鷲の討伐を終えて、
田油津姫攻撃に取り掛かる前に太刀を奉納しています。
太刀の名は乙王丸と伝わっています。

祭神に三女神の名があり、勧請したように書かれていますが、
神功皇后の時代には祀られていたと思われます。
あるいはこの時点から祀られ始めたのかもしれません。

この時には剣神としての三女神に勝利を祈ったことでしょう。
ここは軍事訓練地だったというので、
水沼の君のクニの範囲ではないかと推測しています。

今、こうして整理してみると、この時代に「剣神としての三女神の信仰」と
「神の取り次ぎをする水沼(巫女)」が習合していったのではないかと思われます。

天皇の祭祀の時には水沼が常におそばでお仕えしたことでしょう。

天皇自体も「まつりごと」をするのが本来の姿でした。
しかし、景行天皇から神功皇后にかけて戦乱が続き、勝利し続けたので、
「まつりごと」(祭)に「政」の性格が加わっていった過渡期でもあるかもしれませんね。

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宇佐神宮の祓所 
正面には瀧があり、涼しい風が吹いていました。とても心地よい場所です。

(出て来た神社はみなサイドバーから入ってくださいませ。
面倒でしたら、検索欄にコピぺするのも手です)


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by lunabura | 2015-01-20 21:02 | 三女神伝承の宮々 | Trackback | Comments(2)

姫神の謎を追って 3 二女神とは


姫神の謎を追って 3
二女神とは
 
5 大己貴命と二女神 婚姻

宗像三女神の田心姫、湍津姫、市杵島姫の三人とも結婚しています。
田心姫と湍津姫のお相手は大己貴命
市杵島姫のお相手は天照日孫(ニギハヤヒの子)です。

ですから、三女神の中の二女神といえば「田心姫と湍津姫」だと考えています。
二女神の新婚の宮は英彦山の北嶽だったのですが、
天忍穂耳命が鷹になって飛来したのでその山を譲ります。

一方、二女神と大己貴命が共に異敵と戦った話が福津市の楯崎神社に出て来ます。
この縁起に三人の間の子供の名前が出て来ます。
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系図を書いて見ましたが、二女神のうち、辺津宮は高津姫という名になっていますね。
系図も独特です。

事代主神とかは出雲出身かと思っていましたが、思い込みを捨てて、まっさらの頭で考える必要がありそうです。

人家も全くない半島の奥に鎮座するこの宮の縁起の意味する事は何でしょうか。

田心姫(たごりひめ)の御子たちはいずれも福岡に祀られていますね。
出雲の方ではどうなんでしょうか。
また新たな謎の登場です。


一方、市杵島姫は英彦山では中宮に鎮座していました。
市杵島姫の結婚について知ったのは鞍手郡誌からです。
お相手がニギハヤヒの子となると別の祭祀圏に所属することになります。

以上、二女神と市杵島姫が別々に語られている伝承をまとめてみました。

これらについては「三女神の伝承の宮々 4,5,6」に詳述しています。
http://lunabura.exblog.jp/i203/


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実は私は、「宗像氏」をウィキペディアで検索して、
「出雲神の嫡裔、大国主命の神裔として伝えられ、」という一文から、
宗像大社の祭神はもともと大国主命ではないかという仮説を持っています。
地主神が大国主命で、三女神が上書きではないかと。

そうすると、先程の楯崎神社での二女神との共闘も上手く説明できるかもしれないのです。
また、宗像大社の千木が外削ぎであるという件とも上手く照合するのです。

千木が外削ぎか上削ぎかで男女の神を示すと言うのは厳密ではない
ということを前に結論づけましたが、それでも、気になっていたのです。

故百嶋氏も大国主命説を出されていたことから、
るなの周辺では最近、この説がクローズアップされています。

大国主命と大己貴命が同神なのかも、ずっと気になっているのですが、
筑紫で観察している限りでは、同神として考えられているようです。
るな的には別神ではないかという思いが捨てきれません。



6 龍宮の二女神


龍宮といえば、志賀島の志賀海神社龍の都として古来認識されています。

龍宮の二女神とは豊玉姫と玉依姫です。
しかし、豊玉姫は志賀海神社には祀られていません。
志式神社や対馬に祀られています。

また、二女神の祭祀圏の傾向を見ると、
博多湾から宝満山までの三笠川流域を中心としたエリアには玉依姫が圧倒的に祀られていて、
豊玉姫はその両脇、西の糸島地域、また東の響灘から周防灘のエリアに祀られています。


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海神豊玉彦と二女神の父娘がセットで祭祀されているのは
みやま市や田川の風治八幡宮の古伝で見かけたぐらいです。

豊玉彦の名が筑紫では残っていないのを見ると、
何か大きな問題が潜んでいるなと考えています。

とりあえず、今回のテーマの二女神としては、この「豊玉姫と玉依姫」もまた挙げられます。

さあてっと、これで三女神と二女神についての整理が出来ました。

いよいよ、宇佐神宮を離れて安心院に行きましょう。


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宇佐神宮 祓所






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by lunabura | 2015-01-20 21:00 | 三女神伝承の宮々 | Trackback | Comments(0)

三女神 再掲


三女神 再掲


先日、NHKのドラマ「ここにある幸せ」を見ました。
福岡県の福津市が舞台です。松田翔太さん、演技が上手かった!

そこに出てくる主人公たちが福津市と縁を結ぶことになる景勝地が
楯崎神社の参道からの恋の浦の眺めでした。

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昨年の冬に行った時、木が切り払われて、海が見える場所が新たに出来ていたのですが、
ドラマの為だったんですね。


神社は出てこなくて残念でした。

で、今日はタイトルに「三女神の再掲」としたのは、
この楯崎神社もまた三女神(二女神)の伝承がある所だからです。
この浜に上陸してくる異敵がいて、
大己貴と二女神の夫婦神が力を合わせて戦ったのです。


三女神の降臨地は筑後川系では久留米の赤司八幡神社。
遠賀川系では鞍手の六嶽(むつがたけ)です。

水沼族と宗像族(多分同族)、
古出雲と三女神、そして物部が絡まり合います。

まだ未調査の部分があるので、全体像は描き出せていません。

三女神論は先々、まだまだ変化しつつ進化させていくつもりです。
今日は「三女神伝承の宮々」をこの後に読めるように再掲しました。

量が多いので、ボチボチと読んでみてください。




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by lunabura | 2015-01-19 20:08 | 三女神伝承の宮々 | Trackback | Comments(4)

三女神 伝承の宮々(1)


三女神 伝承の宮々(1)


今回は三女神の伝承を伝える筑紫の神社をまとめました。
三女神は宗像三女神として有名ですが、
古事記や日本書紀にはいくつもの伝承が書かれています。

すでに紹介済みの神社の中から、オリジナルの伝承を伝える神社を特集しました。
三女神ははじめは国家鎮守の神として、また武神として信仰されていたんですよ。

日本書紀、一書に曰はく、(あるふみにいわく)
日の神がまず十握剣(とつかのつるぎ)を食べて化成した子は沖津嶋姫命
別名市杵嶋姫命(いつきしまひめのみこと)。

また九握剣(ここのつかのつるぎ)を食べて化成した子は湍津姫命(たぎつひめのみこと)。
また八握剣(やつかのつるぎ)を食べて化成した子は田霧姫命(たぎりひめのみこと)。
(略)
日の神が生んだ三柱の女神(ひめかみ)を葦原中国(あしはらのなかつくに)の宇佐嶋
天降り(あまくだり)させました。
今、海の北の道の中にいます。

名付けて道主貴(みちぬしのむち)といいます。
筑紫の水沼の君らが祭る神がこれです。

ここではアマテラスが十握剣、九握剣、八握剣と、三つの剣を食べて、

それぞれ市杵島姫、湍津姫、田霧姫(田心姫)を生んでいます。
その後、アマテラスは三女神を葦原中国の宇佐嶋に天下りさせました。

このブログの読者は、すでに宇佐嶋とは「ありなれ川」の「右の島」の事とご存知ですね。
(「ありなれ川」とは博多湾から有明海まで繋がっていた時代の名前で、
御笠川~宝満川~筑後川ラインです。博多湾~中つ海~有明海)



赤司八幡神社  久留米市

http://lunabura.exblog.jp/i169/

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水沼の君の根拠地であり、聖地である神社です。

縁起によると、昔、筑紫は筑前・筑中・筑後と三府に分かれていて、
その中央にある事から、この神社は「筑紫中津宮」と呼ばれていました。
海北道中とはここの事だと伝えています。

水沼の君の屋敷があった所で、
景行天皇(けいこう)がやって来て、初めて祠壇を建てて祈りました。

景行天皇は自分の皇子・国乳別皇子(くにちわけおうじ)を
御形代(みかたしろ・天皇の代わりに祭祀する人)として残しました。
その国乳別皇子は水沼の君から后を迎え、水沼の君の祖となりました。

その後、神功皇后(じんぐうこうごう)もやって来ました。
それは羽白熊鷲を滅ぼして、これから田油津姫(たぶらつひめ)攻撃に取り掛かる前でした。

皇后はここで祈り、後に妹の豊姫を神の依り代として立てて残しました。
それから人々は「筑紫中津宮」を「豊比咩神社」と呼ぶようになりました。
「筑紫道中(ちくしみちなか)のとよひめさん」と呼ばれています。
今は赤司八幡神社と呼んでいます。




福成神社 朝倉市

http://lunabura.exblog.jp/17290766/

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景行天皇がここにやって来て三女神を初めて祀りました。

その後、神功皇后がやって来て戦勝を祈りました。
それは羽白熊鷲を滅ぼした直後、これから田油津姫攻撃に取り掛かろうという時です。

それから数百年経って、斉明天皇中大兄皇子を連れて戦勝を祈りました。
この時は斉明天皇も新羅と戦わねばなりませんでした。
新羅戦に勝利した神功皇后の例にちなみ、同様の霊験を祈った思いが伝わってきます。

朝倉の橘の広庭宮に遷って三日目に参拝したそうです。
この近くには女官たちの宿舎が伝えられています。

しかし斉明天皇は、それからまもなく崩御しました。
そのモガリの宮は同じ朝倉市の恵蘇八幡宮(えそ)の木の丸殿(このまるでん)です。

斉明天皇の八角形の古墳が奈良で近年発見されましたが、
その地名が恵蘇八幡宮には伝えられていました。



恵蘇八幡宮と木の丸殿(1)えそ・筑紫で亡くなった斉明天皇のモガリの宮
http://lunabura.exblog.jp/15159645/

恵蘇八幡宮(2)なんと縁起に斉明天皇陵の所在地が書かれていた。
http://lunabura.exblog.jp/15193653/

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恵蘇八幡宮(3)一筋縄では行かない地名の特定・明日香村の地名の変遷が分からない
http://lunabura.exblog.jp/15199099/

恵蘇八幡宮(4)こんな所に漏刻(水時計)があったよ
http://lunabura.exblog.jp/15209580/


こうして三女神は古い時代には武神として祀られていたのが分かりました。

(つづく)

各神社にリンク貼ってますので、ブログ内散歩をどうぞ。





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by lunabura | 2015-01-19 20:01 | 三女神伝承の宮々 | Trackback | Comments(8)

三女神 伝承の宮々(2)


三女神 伝承の宮々(2)

今回は古事記からです。

泣いてばかりいたスサノオの命はついに父神のイザナギの命
「もうこの国に住むな。」と言われて追放されてしまいました。

そこで、スサノオの命は
「それならば姉のアマテラス大御神に事情を話してから出て行きましょう。」
と言って、天に昇る時、山川がことごとく鳴り響き、国土がみな揺れました。
(略)
アマテラス大御神は「どうして、天に昇って来たのだ。」と尋ねました。

スサノオの命は「わたしめは悪い考えは持っていません。
ただ、イザナギの大御神が私に泣きわめいている訳をお尋ねになりました。
そこで、『わたしめは亡き母の国に行きたいと思って泣いているのです。』
と答えました。

すると、大御神は『そなたはこの国に住んではならない。』と言われて、
私を追放されました。
だから、事情をお話しておこうと思って参上しました。
他意はありません。」と申し上げました。

すると、アマテラス大御神は
「それなら、そなたの心が清く正しいのがどうして分かる。」と言いました。
そこでスサノオの命は答えて、
「それぞれウケイ(うらない)をして子を生みましょう。」と言いました。

そこで、天の安の河(天の川)を中に置いて、ウケイをする時に、
アマテラス大御神が先に
スサノオの命の佩(は)いた十拳剣(とつかつるぎ)を貰い受けて、
三段に折ってユラユラと揺らして、天の真名井の水で振りすすいで、噛みに噛んで、フッと吹き捨てた時、

息吹きの霧に生まれた神の名は、タキリビメの命
またの名は奥津島(おきつしま)ヒメの命と言います。
次に、イチキシマヒメの命。またの名はサヨリビメの命と言います。
次にタキツヒメの命。三柱です。

(略)

そこで、アマテラス大御神がスサノオの命に言いました。
「後の方で生まれた五柱の男子は、私の物から生まれたので、私の子だ。
先に生まれた三柱の女子は、そなたの物から生まれたので、そなたの子だ。」
と。

こうして、最初に生まれた神、タキリビメの命は宗像の奥津宮にまします。
次にイチキシマヒメの命は宗像の中津宮にまします。
次にタキツヒメの命は宗像の辺津宮にまします。

この三柱の神は宗像の君らが斎きまつる三柱の大神です。

こうして、スサノオの命がアマテラス大御神に言いました。
「私の心は清く、正しかった。だから、私の生んだ子は手弱女(たおやめ)でした。
ウケイの結果から言うと、私の勝ちですね。」と言いました。

宗像の奥津宮にます神、タキリ姫の命は大国主の命と結婚して、
生まれた子はアヂスキタカヒコネの神
次にイモタカヒメの神、亦の名はシタテル姫の命。
このアヂスキタカヒコネの神は今、カモの大御神といいます。

(るな訳『『古事記の神々』から一部を紹介しました。全体を見たい方はサイドバーから見に行ってね。)

これを読み直すと、三女神の親はスサノオ命になってますね。
日本書紀はアマテラスとなっていたので、これだけても大違いです。
そして、この三柱の神を祀っているのは「宗像の君」です。

タキリ姫大国主命と結婚しましたよ。(*^_^*)

六嶽神社 鞍手郡
http://lunabura.exblog.jp/i35/
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鞍手神話では、三女神は六ケ岳の崎戸山に降臨したと伝えています。
スサノオの命の剣を三つに折って生まれた女神たちなので、
ここでも剣神すなわち武神として信仰されていました。
剣を持つ武人たちの心の守護神はやはり女神なのですね。
そう。ここは物部氏の故郷の一つです。

神興神社 福津市
http://lunabura.exblog.jp/i36/
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三女神は鞍手郡から神興神社へ。
ここで神威を発揮したといいます。


宗像大社 宗像市
http://lunabura.exblog.jp/i37/
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辺津宮、中津宮、奥津宮。
陸と二つの島からなる壮大な三宮に三女神はおわします。


楯崎神社 福津市
http://lunabura.exblog.jp/i185/
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奥宮(薬師神社)
異敵が襲ってきたために、宗像大神と大己貴神が共に戦った伝承を持つ宮です。

大己貴神は先に宗像奥津宮に座す田心姫と
辺津宮に座す高津姫命を娶ったと伝えています。

三女神と三宮の組み合わせが暗記できません。
それもそのはず。沢山の異称があって、本によってどれも違っています。
だから、あまり気にしなくなりました。

メモ
さて、三女神のうち、二人の女神(ひめかみ)が大国主命と結婚しました。
そして、あの市杵島姫命も結婚していたんですね~。
お相手はニギハヤヒの子・天照日尊だそうです。
ついでに、水沼の君の祖先は物部氏。

うん。これで全部繋がったね。  (^-^)
ここは備忘録として、メモだけ書いとこ。
いつか、必ず全容を、ものにしたいと思います。








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by lunabura | 2015-01-19 20:01 | 三女神伝承の宮々 | Trackback | Comments(10)

三女神の伝承の宮々(3)英彦山神社編


三女神の伝承の宮々(3)
英彦山神社編

英彦山は何回も登った山ですが、ブログを書き始めてからは一度も行っていません。
気になる伝承はあっても、まだ手つかずです。

ブログの記事も書く時間が取れないピンチの時に、
桜もちさんが、コメントを下さいました。

それをまずはUPしますね。


桜もち

彦山修験道の縁起の原文抜粋です。

『鎮西彦山縁起』
此三女神奉日神之勅降宇佐嶋、後移此山焉。
爰大己貴神更娶田心姫命・瑞津姫命為妃鎮座此山北嶺、因称北山地主也。

市杵嶋姫命鎮座于山之中層也。
于時天忍穂耳尊霊為一鷹自東飛来為止于峯。(中略)

於此大己貴命献北嶽於忍穂耳尊、自率田心・瑞津二妃降居山腹日子号。(中略)
爾後三女移宗像宮大己貴神遷許斐山。

『彦山流記』
甲寅歳震旦国天台山王子晋旧跡東漸。(中略)
其乗船舫親在豊前国田河郡大津邑、今号御舟是也。

著岸之当初香春明神借宿、地主神称狭少之由不奉借宿。(中略)
即時権現攀登彦山之曰、地主神北山三御前我住所権現奉譲之間。

暫当山中層推下後、後移許斐山給。
金古七年丙申歳敏達天皇之御宇也。


『豊之前州彦山縁起』
此山中宮市杵嶋姫与安芸厳島神同体、本地弁才天(以下略)

この英彦山から許斐山(福津市八並と宗像市王丸の間の山)の途中に『日王山』があります。
…日若神社の記事に書かれていた場所です。

※携帯で入力したので…誤字脱字があるかもしれません。


るな

桜もちさん、やばい。
ここにも鷹が飛んで来たって?
これはオープンで行きましょう。
でも、あと一週間手が付けられません。 (+_+)
その間に、解説と意見を入れてくださいませ。訳も。
編集して、記事に出して、みんなで考えましょうよ。



桜もち

では!『公開討論』ということで。

ご存知の通り、私の文章力で『訳』は無理ですっ!
原文のまま記事にされた方がダイレクトに伝わると思います…(涙)
その代わりに、問題提起をさせて頂きます。
…これなら私の拙い文章でも大丈夫ではないかと。…たぶん。

ところで!他にも『鷹』の話があるのですか?
田川の古称は『鷹羽』ですよ。
因みに、英彦山の隣は『鷹ノ巣山』…豊前坊(高住神社)のある山です。

では1週間かけて(笑)…私の個人的意見と、討論すべき問題点をコメントさせて頂きますね!



るな

桜もちさん、それではこの上の非公開コメントを記事にしてUPするので、
その下にコメントを入れて行ってください。
討論にはならないと思いますが…。




ということで、よろしくお願いします。 るな




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by lunabura | 2015-01-19 20:01 | 三女神伝承の宮々 | Trackback | Comments(16)

三女神の伝承の宮々(4)英彦山神社2 大己貴と二女神の結婚と鷹


三女神 伝承の宮々(4)

英彦山神社2 大己貴と二女神の結婚と鷹


さて、気になって仕方がない桜もちさんのお題を訳してみましょう。
でも英彦山をやり出したら、半年は下界に戻って来れなさそうなので、
今回、ちょっとだけ。
そう、ちょこっとだけね。

英彦山の祭神は「天忍穂耳尊」。「忍骨耳尊」(おしほねみみ)とも書きます。

彦山修験道の縁起の原文抜粋です。 『鎮西彦山縁起』
此三女神奉日神之勅降宇佐嶋、後移此山焉。
この三女神は日の神の勅命で宇佐嶋に降臨した後、英彦山に遷ってきました。

爰大己貴神更娶田心姫命・瑞津姫命為妃、鎮座此山北嶺、因称北山地主也。
そこで大己貴の神はさらに田心姫命(たごりひめ)・瑞津姫命(たぎつひめ)
をめとって妃(きさき)にして、北嶺に鎮座しました。これにちなんで、北山地主と呼ぶようになりました。

市杵嶋姫命鎮座于山之中層也。
市杵島姫命は山の中腹に鎮座しました。

于時天忍穂耳尊霊為一鷹、自東飛来為止于峯。(中略)
ある時、天の忍穂耳尊の神霊が一羽の鷹となって東から飛んで来て、峯に止まりました。

於此大己貴命献北嶽於忍穂耳尊、自率田心・瑞津二妃降居山腹、日子号。(中略)
そこで、大己貴命は北嶽を忍穂耳尊に献上して、タゴリ姫とタギツ姫を連れて
山腹に下り、その山を日子山と名付けました。

爾後三女移宗像宮、大己貴神遷許斐山。
そののち、三女神は宗像宮へ、大己貴神は許斐山へと移りました。
(訂正のアドバイスがあったら、どんどんコメントしてくださいね。)

大己貴と二姫
大己貴と宗像姫の新婚の宮が英彦山にあったとは…。
大己貴命と二姫との結婚は、けっこう有名だったんですね。
市杵島姫だけ、ここでは独身?

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そんな、大己貴と三女神の鎮座する英彦山に天の忍穂耳尊が鷹となって飛んで来たので、
大己貴は北嶽を譲って、それぞれ遷座したということですね。
しかも、別々の宮へ。

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これを福岡の地図で見ると、こんな感じ。

こうして、地図に描いてみると、ずいぶん壮大な動き。
これが暗示しているのは、何だろう。
水沼族と出雲族の通婚。そして、天孫族の侵入。
そんなストーリーが浮かんでくるけど。
そして転居先には異敵との戦いの伝承が…。

大己貴命と宗像姫が一緒に異敵と戦った話。(サイドバー たてざき神社)

許斐山(このみやま)
さて、許斐山が大己貴の宮だったとは、全く想定外でした。

許斐山で思い出したのは、入山してすぐ右手に神社があったこと。
ずいぶん古い宮でしたよ。
複数の扁額が掛かっていて、確か一つは熊野神社だったような…。
海人族系か、出雲系だったか、四拍手した記憶があります。

前のコメントに書いたように、頂上を目指すと
途中に灯台のように巨大な不動岩タイプ(円柱型)の磐座があるのですが、
その岩の頂上は山の頂上と同じ高さでした。
そして、山からジャンプしてその岩の上に飛んだ人が、
頂上には油を入れるような穴が穿ってあったと言ってました。

写真を探したけど、見つからなかった代わりに、
糸島の浜からこの許斐山がくっきりと見えた写真が出て来ました。
その浜には古代の船着場のような跡があって、正面にその許斐山が見えていたので、
不動岩の上の穴に油を入れて灯を焚けば夜の目安になっただろう、
と感想を書いてました。


神武天皇と天忍穂耳尊
最近気になっているのが、「天忍穂耳尊と神武天皇」の関わりです。

八幡東区の一宮神社で聞いた話ですが、
一宮神社は神武天皇が東征前に一年ほど滞在した岡田宮跡で、
かつて王子宮と称していました。
神武天皇がまだイワレビコという皇子だったからです。
往時の磐境神籬(いわさかひもろぎ)が残っています。

神武天皇はそこで祖神を祀ったのですが、何故かそれが「天忍穂耳尊」なのです。
ニニギノ命ではないんですね。
しかも、「天忍穂耳尊を祀る宮々があって、そのラインは英彦山に向かっている」
と聞きました。  (サイドバー ⇒ 一宮神社)

途中の一か所を、のらさんが見つけてくれたけど、まだ行ってません。
(のらさん、どこの神社でしたっけ…。せっかく教えてくれたのに…)

天忍穂耳尊はアマテラスから降臨するように言われたけど、言い訳をして降臨せず、
子のニニギノ命に降臨させた神。
これもまた…ナゾ。
そして、いつのまにか英彦山に降臨していた…。(・.・;)

ニニギノ命の方は糸島にやたら出て来る…。

このナゾナゾをいったい、どう解くんだい…。

(つづく)





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by lunabura | 2015-01-19 20:00 | 三女神伝承の宮々 | Trackback | Comments(32)

三女神 伝承の宮々(5)英彦山神宮3 天台山王子晋がやって来た


三女神 伝承の宮々(5)

英彦山神宮3 天台山王子晋がやって来た

それでは、もう一つの縁起を訳して行きましょう。

『彦山流記』
甲寅歳、震旦国・天台山・王子晋旧跡東漸。(中略)
甲寅の年、中国の天台山の王子・晋が旧跡を離れて東に向かいました。

其乗船舫親在「豊前国田河郡大津邑」、今号「御舟」是也。
晋が乗った船は「豊前国田河郡大津邑」に繋ぎとめられました。
今「御舟」というのがこれです。

著岸之当初、香春明神借宿、地主神称狭少之由、不奉借宿。(中略)
着岸した当初、香春明神に宿を請いましたが、地主神は狭いのを理由に貸しませんでした。

即時権現攀登彦山之曰、地主神北山三御前我住所権現奉譲之間。
ただちに権現は彦山に登って、「               」


暫当山中層推下後、後移許斐山給。

しばらく、当山の中腹に降りたのち、許斐山に移られました。

金古七年丙申歳、敏達天皇之御宇也。
金光7年丙申の年(576)、敏達天皇の御代のことです。
さて、「  」の中がよく分からないです。
中味は地主神に譲れと言っているようですが…。
全体的に見ると、漢文も一部、日本語の語順で書かれた雰囲気があるので、
難しいのですが、とりあえず強引に訳しました。
(ばってん博多さん、この辺りどうですか?)
あとは、皆さんのアドバイスを待ってます。

分からなかった点として、
「二カ所の地主神」は、香春明神と英彦山と、別の神のことだろうか?
「権現」とは「王子晋」のこと?
「地主神北山三御前」とは「大己貴と三女神」?
全体を見て見直す必要がありそうですね。
また大津邑は特定されているのでしょうか。

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取り敢えず、分かった所だけ、前回の『鎮西彦山縁起』に
『彦山流記』を重ねてみました。
何だか時代が幾層か重なってる感じで、
誰かが権威づけをしたかったようにもみえます。
香春岳経由だということは、鉱山の問題もあるんですね。

最後の一行、「金古」について、愛読者さんのコメントで、
「金光」のことで九州王朝年号だという紹介がありました。
576年の話なので、意外に新しい時代の神々の交代劇となるようですね。

「彦山流記」の成立はどんな意味を持っているんだろう。
「神の山」を「仏の山」にするために、新たなストーリを創作したのかな。
今は、そんな理解です。
でも、一部分だけの訳で結論を出そうとするのが問題じゃね…。
いつか全体をちゃんと読んでみましょう。
今日は、メモ程度。
ビッグネームはや変遷が多くて難しいですね。

同じ英彦山神宮について『福岡県神社誌』の方を見たら、大己貴も三女神の名もなく、
天忍穂耳以外はイザナギ・イザナミが祀られていましたよ。
三女神の名前がようやく中宮にありました…。

いったい、どうなってる?

『豊之前州彦山縁起』
此山中宮、市杵嶋姫与安芸厳島神同体、本地弁才天(以下略)
英彦山の中宮は市杵島姫が祭神で、安芸の厳島の神と同体で、本地は弁財天である。
これによると、やはり中宮はイチキシマ姫でした。

以上、分かる所まで。

ところで別件だけど、大発見だったのは、『福岡県神社誌』に、
「英彦山が高千穂と呼ばれていた」と書いてあったこと。
これまた、記憶に留めておきましょう。







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by lunabura | 2015-01-19 19:59 | 三女神伝承の宮々 | Trackback | Comments(14)
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