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カテゴリ:宇佐・安心院( 8 )

安心院 米神山の巨石群


安心院

米神山安心院の巨石群


 さて、安心院(あじむ)の佐田京石の上にある米神山には巨石群があるのですが、私は発見に失敗しました。しかし、tatsuさんが、見事な写真を撮ってあり、送ってくださいました。

百聞は一見に如かず!

まずはご覧あれ♪説明文もtatsuさんです。


***


9年前の米神山頂・コシキ石・京石の写真がありましたのでお送りします。
安心院周辺も丁寧に調べるといろいろ出てきそうですね。

画像の説明は次のとおりです。


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(1)京石-1:石柱の配置は昔とは違うらしいです。同形の石は町内の他の場所にもあって、
石の下から写経が出土した例もあるということで、
今のところ埋納経の標石という説が有力です。






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(2)京石-2:他の立石とは違い少し角ばっています。このような形状の
比較的大きな石に「猿田彦大神」と彫られたものを菊池・玉名地域の
神社境内でいくつか見かけます。Web情報では英国の遺跡にはこの形状の
石の縁にケルトのオガム文字が刻まれたものがあるようです。







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(3)月の神石:柱状節理が倒れたもの。自然の造形でしょうが崇拝の対象に
なったかもしれません。







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(4)登山道沿いの巨石:登山道沿いの一部にはこのような石、節理の露頭
が連なります。






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(5)米神山頂の様子:小さな石が散在しています。環状に見えるような
角度からの一枚。










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(6)小さな立石越しに見る由布岳:由布岳に向かって寄り添う二人の後姿…
みたいでいい感じです。









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(7)コシキ石と米神山:るなさんが言われたように、山頂より上を指しています。









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(8)コシキ石:円筒形の石は傾いた、ではなく傾けてあるようです。
筒は強風を発したでしょうか。




チェリーさん。
地図上で見つけたライン、見事に見えていますよ!





以下は、前回の「佐田京石」でいただいたコメント集です。


チェリー
lunaさん、ありがとうございます!!
びっくりして、ひっくり返りそうになりました!
私のコメントに合わせて一話UPしてくださるなんて…感激です!
今年はいい年だったなぁ〜

30基ほどに減ってしまったかもしれませんが、この写真を見るだけでも壮観ですなぁ〜日本でここだけじゃないでしょうか?

私が見ていたのは「巨石 イギリス・アイルランドの古代を歩く」という山田英春という方の写真集でした。とても似た風景です。どうしてだろう?

「こしき岩」の位置も特定できました。ここが由布岳の頂上の真北に一番近いです。0.1°くらいしかずれてないです。

京石付近も含めて、火口部の真北になります。私的に、山中の祈る場所がラインでつながれることによって、米神山は由布岳と一緒になったと考えますから、妻垣神社は由布岳につながっていると言えるかもしれません。(ちなみに、由布岳頂上の真西は、大善寺玉垂宮の近くの「御塚古墳」です)

ありがとうございました。元気たくさん出ました!!
調べることがありましたら、何でも言ってくださいね!
といって、私流の調べ方しかできませんけど…


るな
由布岳とは意外ですが、おもしろいラインですね。
素朴なストーンサークルなら、そっくりさんがインドにも、スコットランドにもありました。
地名も似たものが世界中にあるんです。

チェリー
引っ張って申し訳ないのですが、自分のコメントがわかりにくかったので、もう少しだけ…

由布岳からラインでつなげたのが、「こしき岩」と「京石」です。この「祈る場所」ができたことによって、米神山に由布岳がプラスされたと考えるようです。

次に、米神山の頂上と「妻垣神社」が別のラインでつながれるのですが、それは、由布岳がプラスされた米神山からのラインになっているということのようなのです。

もうすぐUPしますが、「筑後国一宮「高良大社」 その23 松阪の櫛田神社(4)」でも、同じような例を取り上げます。

も少しだけ…
「京石」付近は「福智山」から 119.9°になります。120°のラインなのかもしれません。「賀茂神社」が「福智山」から179.9°です。ほぼ真南になりますので、関係があるかもしれません。



tatsu
昔懐かし米神山です。頂上に点在する石の中に、ほぼ真南の由布岳を向くように小さな立石がありました。

この線上から逆に米神山を見ると頂上には天神アンの北極点があるわけでして、米は八角でアンの印でもあり、線上のどこかに北の遥拝所があるかもしれません。

また、コシキ岩は頭の石を外すと暴風が吹くという言伝えで、野ダタラに関係しているのではと思いました。風神だったら天神アンの子アネモスでしょうか。

国東半島周辺は鬼と呼ばれた製鉄部族がいたところ。近東から彼らと一緒に渡来したメソポタミアの神々の名残が残っているのかもしれないと想像します。

登山の翌日は巨石祭りの日でしたが、あいにくの雨で場所を公民館に移しての祭事となりました。参加者が多く、巫女舞の奉納もあり盛大でした。

時代が変わって人が変わっても、こうして巨石との関わりが続いているのは素晴らしいことだと思います。

るな
チェリーさん、tatsuさん、コメントありがとうございます。
お二人の話が補完しあっていて驚いています。
チェリーさんの見つけたライン上に石が置かれていたり。
米神が天神アンとすると、「米神」の意味がよく分かります。

こしき岩は誰かがセメントでくっつけていましたが、実際は儀式の時、はずした可能性もあるんですね。あの付近の謎の手掛かりがあって、目からウロコです。



tatsu
こんばんは。シンポジウムお疲れさまでした。

るなさんの一連の記事を読んで、安心院の重要性を改めて感じます。記事にありましたように、アジムはアズミなのでしょう。

観光案内では昔この地は湖だったのが次第に干潟になって芦が生え、「芦生(あしぶ)の里」から「あしふ」、「あじむ」と転訛したということですが、これはスズ鉄を採取していた部族がいた可能性を示しています。

米神山は天神アンではないかと言いましたが、メソポタミアの天神アンは数詞60で暗喩され、シュメール語で60は「アッシャム」、それがアッシム、アジムと変化したのではないかともいわれます。

そうであれば、安曇族とはアッシャム族、天神アンを信仰した人々のことで、コシキ石の暴風伝承も天神アンの子、風神アネモス(エンリル)を信奉する製鉄部族としての安曇族のものであったと思います。

さらに、このアネモス(エンリル)のもう一つの表し方に、「アヅ・アッシャム・アヅ・アン・ナ・エン・リル」=「父・60・父・天・の・神・風」があり、この音が変化して「トヨ・タマ・ヨリ」となり弥生時代の倭人はそう呼んでいた、つまり豊玉姫と玉依姫は元々一つの名で、宝満・高良玉垂も同様の変化で今の発音になったといいます(川崎真治説)。


海神の娘、豊玉・玉依姫は父60天神の子、風神姫だった!
というトンデモ系愛好家垂涎の結末へと進んで行くわけですが、製鉄や帆走に風は必要不可欠で、るなさんのブログや講演にあるような別の視点から見ても、この説まんざら間違いではないように思えます。


るな
tatsuさん、こんばんは。
これは興味深い話ですね。
古代のメソポタミアの言語、面白いです。
安曇族は中東から来たのですが、持って来た神々の元の姿かもしれませんね。
川崎真治説を検証する力量はありませんが、しっかりと耳を傾けたいと思います。


 * * *


さて、9月30日のシンポジウムは熊本や久留米など、遠くから来て下さった方々もあり、嬉しく思いました。

パネラーの皆さん、私と同様に福岡の伝承を引き継ぎ、次世代に届けたいという熱い思いでいらっしゃったので心強く思いました。

パワーポイントなしの説明だったのですが、面白く思っていただけたらありがたいです。

5日には九大のイベントで、志賀島の話をします。
早めに来られると、「甕のおとなひ」のDVDが見られます。
すごく感動した現代神楽です。
細胞に響きました。

ホームページに書かれている締め切りは、三日通しのプログラムの申し込み期限だそうで、フォーラム2はまだ大丈夫だそうです。ふるって御参加ください。



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by lunabura | 2015-09-01 21:28 | 宇佐・安心院 | Trackback | Comments(4)

安心院 佐田の京石


安心院 佐田の京石




安心院にある不思議な巨石群。
その中の京石だけ撮影していたので、UPしますね。


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このように看板にはあるけど、登山しても、巨石群を見つけることができなかった山です。

看板の左下に小さく描いてある「こしき岩」がベンベン石と言った分です。
その写真は撮ってませんでした(^_^;)
堀田氏がこれはベンベン石だと言ってましたが、ちょっと違いましたね。


以下に「こしき岩」の画像があります。

佐田京石
http://www.yado.co.jp/kankou/ooita/kunisaki/sada_kyouisi/kyouisi.htm

山と組み合わせた画像がなくて残念。
この「こしき岩」は米神山の山頂よりさらに上方を指していたような…。


数度、行ったのですが、何でか、どうも相性が悪くって (/・ω・)/

チェリーさん、在庫はこんな感じでした (´・ω・`)
すまぬ。




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by lunabura | 2015-08-27 20:45 | 宇佐・安心院 | Trackback | Comments(7)

姫神の謎を追って 3 二女神とは

宇佐・安心院トレッキング(19)

姫神の謎を追って 3
二女神とは
 
5 大己貴命と二女神 婚姻

宗像三女神の田心姫、湍津姫、市杵島姫の三人とも結婚しています。
田心姫と湍津姫のお相手は大己貴命
市杵島姫のお相手は天照日孫(ニギハヤヒの子)です。

ですから、三女神の中の二女神といえば「田心姫と湍津姫」だと考えています。
二女神の新婚の宮は英彦山の北嶽だったのですが、
天忍穂耳命が鷹になって飛来したのでその山を譲ります。

一方、二女神と大己貴命が共に異敵と戦った話が福津市の楯崎神社に出て来ます。
この縁起に三人の間の子供の名前が出て来ます。
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系図を書いて見ましたが、二女神のうち、辺津宮は高津姫という名になっていますね。
系図も独特です。

事代主神とかは出雲出身かと思っていましたが、思い込みを捨てて、まっさらの頭で考える必要がありそうです。

人家も全くない半島の奥に鎮座するこの宮の縁起の意味する事は何でしょうか。

田心姫(たごりひめ)の御子たちはいずれも福岡に祀られていますね。
出雲の方ではどうなんでしょうか。
また新たな謎の登場です。


一方、市杵島姫は英彦山では中宮に鎮座していました。
市杵島姫の結婚について知ったのは鞍手郡誌からです。
お相手がニギハヤヒの子となると別の祭祀圏に所属することになります。

以上、二女神と市杵島姫が別々に語られている伝承をまとめてみました。

これらについては「三女神の伝承の宮々 4,5,6」に詳述しています。
http://lunabura.exblog.jp/i203/


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実は私は、「宗像氏」をウィキペディアで検索して、
「出雲神の嫡裔、大国主命の神裔として伝えられ、」という一文から、
宗像大社の祭神はもともと大国主命ではないかという仮説を持っています。
地主神が大国主命で、三女神が上書きではないかと。

そうすると、先程の楯崎神社での二女神との共闘も上手く説明できるかもしれないのです。
また、宗像大社の千木が外削ぎであるという件とも上手く照合するのです。

千木が外削ぎか上削ぎかで男女の神を示すと言うのは厳密ではない
ということを前に結論づけましたが、それでも、気になっていたのです。

故百嶋氏も大国主命説を出されていたことから、
るなの周辺では最近、この説がクローズアップされています。

大国主命と大己貴命が同神なのかも、ずっと気になっているのですが、
筑紫で観察している限りでは、同神として考えられているようです。
るな的には別神ではないかという思いが捨てきれません。



6 龍宮の二女神


龍宮といえば、志賀島の志賀海神社龍の都として古来認識されています。

龍宮の二女神とは豊玉姫と玉依姫です。
しかし、豊玉姫は志賀海神社には祀られていません。
志式神社や対馬に祀られています。

また、二女神の祭祀圏の傾向を見ると、
博多湾から宝満山までの三笠川流域を中心としたエリアには玉依姫が圧倒的に祀られていて、
豊玉姫はその両脇、西の糸島地域、また東の響灘から周防灘のエリアに祀られています。


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海神豊玉彦と二女神の父娘がセットで祭祀されているのは
みやま市や田川の風治八幡宮の古伝で見かけたぐらいです。

豊玉彦の名が筑紫では残っていないのを見ると、
何か大きな問題が潜んでいるなと考えています。

とりあえず、今回のテーマの二女神としては、この「豊玉姫と玉依姫」もまた挙げられます。

さあてっと、これで三女神と二女神についての整理が出来ました。

いよいよ、宇佐神宮を離れて安心院に行きましょう。


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宇佐神宮 祓所






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by lunabura | 2013-08-29 21:28 | 宇佐・安心院 | Trackback | Comments(7)

姫神の謎を追って 2

宇佐・安心院トレッキング(18)

 姫神の謎を追って 2
  
 

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宇佐神宮の祓所

3 水沼の君と三女神 水沼という巫女 
「水沼」というのは、「巫女」のことで、
月にある変若水(おちみず)を神から人へ取り次いだり、
人間の罪穢れを受けた神のミソギの介添えをしたりします。
巫女が神格化して女神となったのではないかと考えています。

それを祀るのが大善寺玉垂宮です。
当宮の鬼夜は火祭りで人の目を引き付けて置いてその間に神に禊を勧めるのが本義なのですね。

水沼の君はその巫女を出す家柄です。
その都は久留米市高三潴から大善寺玉垂宮を中心とした辺りで、
多くの古墳も残されています。

しかし、聖地はずっと北にある赤司八幡神社です。
それは景行天皇の動きから判断しました。

景行天皇は赤司八幡神社で祭壇を作って三女神に祈り、
自分の皇子、国乳別皇子を天皇代行の祭祀者として残しました。

当時の水沼の君は猿大海です。
猿大海が娘を皇子に差し出したことから、水沼の祖は国乳別皇子となりました。
しかし水沼は当然ながらもっと古くから居た訳で、その祖の中に物部の名が見えます。

赤司八幡神社は神功皇后も妹の豊姫を巫女として残しているので、よほどの聖地です。
その中心は潟の渟名井(蚊田の益影の井)だとおもわれます。


三女神はこの赤司八幡神社に降臨したと伝えられています。
道主の貴(みちぬしのむち)というのは水沼三女神に冠された言葉なのですね。
この道主の貴という言葉が宗像大社でも、使われています。

赤司八幡神社では田心姫が降臨されたと言われています。
これは八幡信仰の拡大の中で遠慮されて言われているのだろうと思っています。


一方、その南にある高良山の麓の味水御井神社(うましみずみい)の泉も
古くは神功皇后がミソギの女神として祀られていたそうです。
高良山の神々は山からその泉まで降りて来られて禊をされます。

久留米市の地域は三つの聖なる泉の信仰が中心をなしていたのでしょう。
(三大泉は諸説あるようです)
地図でこの三社を拾うと、とても広範囲ですね。



地図 大善寺玉垂宮 赤司八幡神社 味水御井神社




4 景行天皇と三女神 剣神

また、景行天皇は三女神を他の地にも祀っていました。
それが朝倉市の福成神社です。
ここには神功皇后も、また斉明天皇も祭祀に来ていますので、
剣神としての性格が残っていたと思われます。

斉明天皇は朝倉の橘の広庭宮に着くと三日後には中大兄皇子を連れて参拝されたと伝えています。

すぐ近くに太刀神社があり、神功皇后が羽白熊鷲の討伐を終えて、
田油津姫攻撃に取り掛かる前に太刀を奉納しています。
太刀の名は乙王丸と伝わっています。

祭神に三女神の名があり、勧請したように書かれていますが、
神功皇后の時代には祀られていたと思われます。
あるいはこの時点から祀られ始めたのかもしれません。

この時には剣神としての三女神に勝利を祈ったことでしょう。
ここは軍事訓練地だったというので、
水沼の君のクニの範囲ではないかと推測しています。

今、こうして整理してみると、この時代に「剣神としての三女神の信仰」と
「神の取り次ぎをする水沼(巫女)」が習合していったのではないかと思われます。

天皇の祭祀の時には水沼が常におそばでお仕えしたことでしょう。

天皇自体も「まつりごと」をするのが本来の姿でした。
しかし、景行天皇から神功皇后にかけて戦乱が続き、勝利し続けたので、
「まつりごと」(祭)に「政」の性格が加わっていった過渡期でもあるかもしれませんね。

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宇佐神宮の祓所 
正面には瀧があり、涼しい風が吹いていました。とても心地よい場所です。

(出て来た神社はみなサイドバーから入ってくださいませ。
面倒でしたら、検索欄にコピぺするのも手です)


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by lunabura | 2013-08-24 20:59 | 宇佐・安心院 | Trackback | Comments(0)

姫神の謎を追って 1

 宇佐・安心院トレッキング(17) 

 姫神の謎を追って 1

    
比売神についてたくさんコメントをいただきました。
宇佐神宮の比売大神とは誰か。
人々の関心の高さを物語っているようです。
当宮では宗像三女神と同じ神々が比売大神となっています。

 比売大神[多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命]
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(宇佐神宮 下宮)

今回、理解を共有するために、逍遥しながら出会った筑紫の姫神たちについて
整理してみようと思い立ちました。

1 六嶽に降臨した三女神 物部氏と剣神
2 神武天皇と三女神 宗像は見えない
3 水沼の君と三女神 水沼という巫女
4 景行天皇と三女神 剣神
5 大己貴命と二女神 婚姻
6 龍宮の二女神 

こんな感じで書いて行きます。(書きながら少々変更するかも^^)


1 六ケ岳に降臨した三女神 物部氏と剣神

三女神と言えば、宗像大社が知られています。
辺津宮・大島・沖ノ島にそれぞれ祀られていますが、
どの神がどの島に祀られているのかを調べると、実は多種多様の組み合わせがありました。

現在、宗像大社では辺津宮は市杵島姫神、大島は湍津姫神、
沖ノ島は田心姫神となっています。(いちきしま姫・たぎつ姫・たごり姫)

この宗像市の南の山を越えると東南部に鞍手郡がありますが、そこに六ケ岳があります。
三女神がその崎門峰に降臨したという伝承があります。
紀元前700年と縁起に書かれています。

その麓に六嶽(むつがたけ)神社があります。
女神たちのしるしとして、奥宮に青い垂れ下がる玉、中宮に八坂瓊の紫玉、
辺宮に八咫鏡を置いたので、身形(みのかた)郡といい、
後に宗像となったとあります。(鞍手郡までかつては宗像だった)

鞍手郡は物部氏の本貫地とも言われています。
三女神はスサノヲ命の剣から生まれたので、もともと剣神の性格があり、
もののふであった物部氏の育んだ鞍手神話とも言われます。

ここから福津市の神興神社に三女神は遷宮したという縁起があります。
そののち宗像市の宗像大社の高宮へ降臨したのでしょうか。

高宮は古高宮と言って、宗像大社の境内のなかにあります。
三女神の祭祀は宮地岳にもあったという説も見られます。

六嶽神社 ⇒ 神興神社 ⇒ 宗像大社
これがひとまとまりの流れです。
(サイドバーから見てね)

地図 六ケ岳 神興神社 宗像大社




2 神武天皇と三女神

神武天皇社が遠賀川河口にありますが、
そこから自衛隊に入った敷地内の浜に、かつて小さな泉があって、
そこでイワレビコ命(神武天皇)と弟宮が禊(みそぎ)をしたと言われています。

仲哀天皇も神功皇后を伴って禊に来ています。
そこから三女神を遥拝したと言います。

ところが、そこからは宗像の四つ塚といわれる四つの山が視界を遮って、
宗像市は全く見えません。
遠賀川に架かる橋の上から上流を見ると、六ケ岳の山々が見えるので、
仲哀天皇は鞍手郡の方を遥拝したと思われます。

当時の三女神信仰は六ケ岳で、神武天皇や仲哀天皇も剣神として、
祭祀されたと思われます。いずれの天皇も戦いを前にしていました。

地図 神武天皇社 六ケ岳




(つづく)




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by lunabura | 2013-08-23 20:52 | 宇佐・安心院 | Trackback | Comments(2)

宇佐・安心院トレッキング(7)隋神像 四社を拡大してみた

宇佐・安心院トレッキング(7)
隋神像 

四社を拡大してみた

田川市の香春神社と糸島市の宇美八幡宮隋神像が話題になったので、
二社の隋神を拡大してみましょう。
また、他に隋神像を控える宇佐八幡宮に対して妻垣神社
比売神について別神を伝えているので、それも参考にしてください。


香春神社 福岡県田川市

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      左
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      右
御祭神は
第一座 辛国息長大姫大自命(からくにおきながおおひめおおじのみこと)
第二座 忍骨命(おしぼねのみこと)
第三座 豊比賣命(とよひめのみこと)
です。
宇美八幡宮 福岡県糸島市

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       左
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       右

祭神
[上宮] 仲哀天皇
[本宮] 応神天皇 神功皇后 玉依姫 瓊々杵尊 気比大神(天日鉾尊) 菅原大神


宇佐八幡宮 大分県宇佐市

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      左  阿蘇の神
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      右  高良の神
宇佐八幡宮の隋神像は  「左 阿蘇の神」 「右 高良の神」 と分かりました。


祭神
一之御殿 八幡大神(誉田別尊(応神天皇))
二之御殿 比売大神(多岐津姫命・市杵島姫命・多岐理姫命)
三之御殿 神功皇后(息長帯姫命)


妻垣神社(足一騰宮) (ともかきじんじゃ・あしひとつあがりのみや)大分県安心院

同じ八幡宮の八ヶ社の一つ、妻垣神社は
記紀に足一騰宮という名称で出て来る古社です。
その隋神像です。帯の模様が手掛かりになりそうなのですが。

c0222861_22135719.jpg

       左
c0222861_22141077.jpg

       右
祭神
比咩大神(玉依姫命) 八幡大神 神功皇后

妻垣神社が比咩大神を玉依姫命としている点が宇佐八幡宮と大きく違っています。




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by lunabura | 2013-08-07 22:19 | 宇佐・安心院 | Trackback | Comments(2)

「銅の道」と「八幡の道」

宇佐・安心院トレッキング(2)

「銅の道」と「八幡の道」

宇佐の集合場所が薦神社なので、春日駅から出発した場合のルートを
ゼンリンの地図で調べました。

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するとほぼ東西のルートが出て来ました。時間は二時間。意外に近いです。

c0222861_23414536.jpg

青いルートが推薦ルートですが、その詳細を見たら、神功皇后伝承のルートと重なってきました。
これは田川あたりですが、左に日若神社がありますね。

c0222861_23395266.gif

これはガイドブックで紹介する神社の一部ですが、87番に日若神社があります。
皇后の一行はここから山越えをして東に進むのですが、神武天皇も同様に通った所なので、
古代の道だと推理した神社です。
このたび再訪すると、ちょうど祭りの準備があっていて、氏子さんに尋ねる事が出来ました。
やはり山道があったそうです。今では道は無くなっていますし、御存じの方も一人だけでした。

その手前の86の綱分八幡宮では、神功皇后は連れていた金工に銅剣を作らせています。
郡誌を見ると、ここは須玖岡本へと続く「銅の道」の要衝だったそうです。
60番の若八幡神社夏羽が殺された伝承の宮。香春岳の銅と深くかかわっている所です。

香春岳で採掘された銅はこの道を通って西の春日の須玖岡本に至り、剣や鉾に造られたのでしょう。
須玖岡本が弥生中期のものなので、かなり古くから栄えた道だと言えます。
神武天皇や神功皇后が通った古代道は「銅の道」と重なるものでした。


そして現代の私たちは、出発地が春日駅から箱崎駅に変更になりました。
c0222861_23453740.jpg

そこでスタート地点を箱崎駅に変更したら、先程より更に直線に近くなりました。

まてよ。さっき地図にチラリと大分(だいぶ)が見えていたぞ。
そうだ、ルートを大分宮経由にしてみたらどうなるだろう。

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1番の青い旗が大分八幡宮の場所です。ここで神功皇后は一時的に施政し、連合軍を解散しました。
この道は、筥崎八幡宮から大分八幡宮そして薦神社、さらに宇佐八幡宮に至る道です。
筥崎の元宮は大分宮。宇佐の本宮が大分宮。
これこそ「八幡の道」と名付けたくなる古代道です。
応神天皇の神霊は宇佐から大分宮へと通っていたと託宣があったとか。

奇しくも宇佐を目指す道は「銅の道」であり、「八幡の道」でもありました。
古代の道が拡張されて舗装され、さらにバイパスやトンネルが作られて道は快適になりました。

皇后の道は行橋市から北九州に船で向かいます。
皇后は豊浦宮へ帰還するとき、何故仲哀天皇と通った楽な鞍手経由とせずに、
南の厳しい山道を通ったのだろうかと謎に思っていたのですが、
こうして見ると、「銅の道」を凱旋して通ることに意味があったのですね。




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by lunabura | 2013-07-29 23:48 | 宇佐・安心院 | Trackback | Comments(5)

宇佐・安心院トレッキング(1)


宇佐・安心院トレッキング(1)

一泊二日で、大分県の宇佐八幡宮とその周囲の古社を参拝してきました。
この旅の企画は太宰府地名研究会主催のもので、
普段はあまり取り上げられない古社を通して、
古代の豊(とよ)の国を明らかにしようとするものです。

二日間ということで、準備したSDメモリーや電池は二つずつ。
撮った写真は300枚ほど。
今、メモリーを登録中ですが、30分経ってもまだ7パーセント。
下手したら一晩掛かるのかも。

私の写真の保存法は神社ごとにフォルダーを作って写真を分類して、
すべての写真に名前を付けています。
名前は自動的に(1)~(X)と付けてくれるので大助かり。
さすがにコンピュータは素晴らしいですね。

宇佐八幡宮は久しぶりでしたが、記憶がかなり薄れていました。
歴史を知って、神々の名前が分かるようになり、
しかも権禰宜さんの説明を伺うことができて、とても有意義な参拝となりました。

安心院は「あじむ」と読みます。
巨石・磐座が多い盆地で、それを探査しに何度が行った所ですが、
古社を巡ると、また別の世界が広がりました。

さっそく写真をUPしたかったのですが、登録がフリーズ気味。
今日は日記のみです。

原稿が戻って来て、また手を加えるので、記事を書くのもボチボチとなりそうです。




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by lunabura | 2013-07-28 22:03 | 宇佐・安心院 | Trackback | Comments(0)
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