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カテゴリ:謎の欠史八代( 9 )

謎の欠史八代(9)開化天皇2 佐保姫もでてきた


謎の欠史八代(9)
開化天皇2

 佐保姫もでてきた

さて、続きを訳していたのですが、『古事記』は崇神天皇ではなく、
日子坐王(ひこいます)の系譜を語り始めます。
崇神天皇と日子坐王は異母兄弟です。
ところが、日子坐王には子供が11人。
系譜はさらにその子供たちの流れを辿って行きます。
その中に、有名な佐保姫が出て来ました。

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そして、最後には息長帯姫命へ至る系譜を並べていきます。

ざっと見て100人以上の名前が出て来ます。
これを全部書き写すとなると、数日はかかりそう。(´・ω・`)
あきらめます。

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系図でも分かるように、「日子坐王」には「日子」の字が当てられています。
崇神天皇にも「御真木入日子印恵命」という名前の中に「日子」があります。

もしかしたら、日子坐王が皇太子だったのかも、とふと思いました。
王は丸邇臣(わに)の系譜になります。

百人近い名前を費やして神功皇后へ糸をつなぐ編集は
丸邇氏から天皇が出るはずだったことを伝えたかったようにも見えます。

開化天皇は丸邇氏と縁を持ちつつ、ウチ家のイカガシコメとも縁を持ちます。
系図を見ていると、この時代、ウチ家(竹内宿禰の実家)と丸邇氏が二大豪族として
天皇家を支えていたように見えて来ました。

天皇を取り合ったと言う方が実態に近いのかも知れません。
皇太子が入れ替わった可能性がありますね。

丸邇氏の本貫地はどこでしょうか。どなたか教えてください。
系図からは北陸のイメージが感じられます。

『古事記』には息長帯姫と竹内宿禰の系譜にこだわりがあるのが分かりました。
この二人に関しては特別扱いの印象が強いです。

それでは、せっかくだから中断した所まで。(『古事記』)

御真木入日子印恵の兄、ヒコユムスミ王の子、大筒木垂根王(おおつつきたりね)。次に讃岐垂根王。この二王の娘は五柱です。

日子坐王(ひこいます)、山代のエナツ姫(亦の名・苅幡戸辨・かりはたとべ)を娶って生まれた子は大俣王小俣王志夫美宿禰王。(三柱)

また、春日の建国勝戸売(たけくにかつとめ)の娘、沙本之大闇見戸売(さほのおおくらみとめ)を娶って生まれた子は沙本毘古(さほびこ)王。ヲサホ王沙本姫命(亦の名サハヂ姫)。この沙本姫命は伊久米天皇の后となりました。
(後略)


系図を書くと、いろんな情報や矛盾が見えて来て面白いんですけどね。
時間がかかり過ぎ。
また、必要になったら書く事にしましょう。

神功皇后と竹内宿禰の特別扱いは、『唐書』辺りの、倭人のセリフにも出て来ました。
神功皇后を15代と中国で説明していた話、紹介しましたね。

さて、欠史八代に取り組んだ本来の目的は雷神社に書かれていた異国の襲来の時代について
調べるものでした。
やはり、それは書物からは伺えませんでした。


「欠史八代」についてのメモ

欠史八代について分かったのは、

①近畿においては実際に欠史八代であった。ウィキペディアの編者が説明しているように、古墳との繋がりも不自然だった。伝承でも、考古学上も、近畿に2代~9代の存在は認めがたい。

②「卑弥呼=ヤマトトモモソ姫説」は時代が数百年違っている。ヤマトトモモソ姫は欠史八代の中に出て来る姫である。

③北部九州においては、欠史八代の伝承が見られる。考古学的にも、該当する時代の遺跡がある。

④欠史八代という名称そのものが実態を表していない。
特に、8代、9代の歴史は『古事記』には長々と書かれていた。(るなが根負けした (+_+))
そんな事が今回の印象です。

今回、るなは言いましょう。

「欠史八代」とは「筑紫八代」である。

言っちゃった ( ´艸`)

孝元天皇の宮
さて、八代・孝元天皇を祭神とするのは高良下宮社(久留米市)です。
サイドバーから入れますが、孝元天皇について、真鍋の説を紐解いているのは
「出目・袴着天満宮」の方です。

真鍋は孝元天皇=伊覩国王説でした。
仲哀天皇が神功皇后と共に伊都国に行って、高良山にもやってきた目的として、
伊都国の坩堝の材料として高良山の温石を求めたと言います。

今まで、孝元天皇が高良下宮社に祀られている理由が分からなかったのですが、
仲哀天皇が伊都国の技術者を連れて来て、採掘・加工のために定住させたとすれば、
その技術者たちが自分たちの祭神を当地に祀ったと考えられて、説明が上手く行きます。

うむ。
これで高良下宮社の祭神たち、揃い踏みですね。
二月には久留米でお話しますよ (^-^)

    
   日本書紀             古事記
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)若倭根子日子大毘毘命(

10崇神天皇
11垂仁天皇
12景行天皇
13成務天皇
14仲哀天皇





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by lunabura | 2014-01-23 20:35 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(7)

謎の欠史八代(8) 開化天皇1 神功皇后が出て来た


謎の欠史八代(8)
 開化天皇1 


神功皇后が出て来た

開化天皇の名前ってよく聞きますよね。
この天皇にも不在説があるんですか?
何でだろ~。

続きを読むと分かるけど、この時代の人たち、後の方にどんどん登場しますよ。
学者さん、全体を読まないで「欠史八代」って名付けたの? (´・ω・`)

さて、開化天皇の項は、前回の孝元天皇の倍の長さがありました。
長いので、今度こそスルーしようと思ったら、神功皇后が出てきちゃいました。

何で、開化天皇の所に…。
こうして好奇心がそそられて、ポツポツと漢字変換するのでした…。
訳すといっても、人の名前を書き写しているだけです ( ´艸`)

開化天皇
若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびび)は春日の伊邪河宮(いざかわ)で天下を治めました。

この天皇は旦波(たには)の大県主・ユゴリの娘、竹野姫を娶って生まれた御子はヒコユムスミ命。(一柱)

又、継母(ままはは)イカガシコメ命を娶って生まれた御子は御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえ)。次に御真津姫命(みまつひめ)。

また、丸邇臣(わに)の祖、日子国オケツ命の妹、オケツヒメ命を娶って生まれた御子は日子坐王(ひこいますのみこ)。(一柱)

また葛城の垂見宿禰の娘、ワシ姫を娶って生まれた御子は建豊ハヅラワケ。(一柱)

この天皇の御子たちは合わせて五柱です。(男王四人。女王一人)
御真木入日子印恵命が後を継ぎました。
(つづく)

さて、ここでイカガシコメ命が出てきちゃいました。
二度目ですよね。
つまり、イカガシコメ命は孝元天皇と開化天皇の両人と結婚したということです。
親子と結婚したんですね。
しかも、血が濃く繋がっています。

大毘毘命(開化天皇)から見たら、イカガシコメ命は義理の母で、血が繋がっている上に、父親の妻でもあります。
結婚制度がどうとかは、分からないけど、系図が複雑になります。
書けるのだろうか。

とりあえず、結婚した段階の系図を書いてみましょう。
個人的な関心で、竹内宿禰との血縁関係を見たいので、竹内宿禰を残します。

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これは二人(イカガシコメと大毘毘命)が結婚した時の系図。

息子が継母と結婚できた状況を考えると、
大毘毘命の実母・内色許売命も実父・孝元天皇も亡くなった後だということが分かりますね。
大毘毘命自身が即位してからの結婚でしょう。

年齢の差を考えると、イカガシコメの方がずうっと年上です。
二人の間に生まれたミマキイリヒコイニエ命が崇神天皇になるんですね。
(なんだか、源氏物語を読んでいるような雰囲気です。
光源氏が継母と結ばれて子供が出来てしまいます)

さて、次に大毘毘命が結婚した後の系譜を書きましょう。


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竹内宿禰との血縁を見ると、開化天皇はすごく近い血筋になるのが分かります。
竹内宿禰が迷うことなく天皇家を守護する理由は一族だったという事が背景にあるんですね。

ところで、竹内宿禰は13代成務天皇と同じ誕生日じゃなかったっけ。
そうすると、この系図の時代にはまだ生まれていなかったということにもなりますよ。
少しホコロビが見えたような気がしました。
(つづく)

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6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)若倭根子日子大毘毘命

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by lunabura | 2014-01-22 00:05 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(2)

謎の欠史八代(7)孝元天皇の末裔たち


謎の欠史八代(7)

孝元天皇の末裔たち


系図を書いてみました。
神功皇后伝承に名を残す人たちの名前がチラホラ見えます。
あの人は、こんな事をした。
この人はこんな事をした。
そう思いながら思い出を辿っているような気分がしました。
系譜は、それほど出鱈目ではないのではないのかも知れません。

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孝元天皇
孝元天皇はウチ家に妻問しています。
ふつうは姉妹と結婚するけど、ここでは叔母と姪。
珍しいです。
以前、系図を書くのに工夫が要ったからよく覚えています。

あっ。そういえば「ウチ考」が途中でストップしてるのを思い出しました。
歴史はまっすぐには辿れません。
ラセン階段を下っていくように、同じ所に何度も戻りながら深まって行くものなのですね。 

このブログも同じ話が繰り返し出てくるけど、そのたびに理解は深まっています。
誰も辿っていない道だから、皆さんと知識を共有しながら歩みたいと、
系図も時間をかけてイラスト化しています。

内家。これは歴史の深い地層に眠っているようです。
時がくれば自然とその姿を現してくれるのでしょう。 

さて、「大倭根子日子国玖琉命」という孝元天皇の名前。
「ネコ」とは南北線。「子(ね)」の方向は北。
「ヒコ」とは東西線。「日」は日の出、日の入りの方向。
真鍋がそんな事を書いたのですが、その続きがどこにあるのか、
分からなくなったので、またいつか。


味師内宿禰 (うましうちのすくね)
竹内宿禰の異母兄弟です。
が、竹内宿禰を殺そうとしたのは味師内宿禰でしたね。
竹内宿禰が筑紫で謀叛をたくらんでいると応神天皇に讒言をした人。

応神天皇はそれをまんまと信じて竹内宿禰追討の勅命をだしてしまう。
ところが、竹内宿禰とそっくりな壱岐真根子が代わりにと自害する。
でも、今では自害でなく、殺されたんだろうな、と思うようになりました。

竹内宿禰の9人の子。
妻の名前が書かれていません。
当然何人もいたのでしょうが、その一人が「豊姫」だという話を聞きます。

豊姫は神功皇后の妹という話があるけれど、妹の名は虚空津姫(そらつひめ)。
豊姫と虚空津姫は同一人物なのかどうか、今でも課題です。

昨年の久留米大学の講座で質問がありました。
神功皇后の出産の地はどこかという内容だったと思いますが。

神功皇后の出産の地は数か所、伝えられています。
赤司八幡宮(久留米)でも神功皇后のために産屋まで準備していたというのですが、
神功皇后はここで出産したのか?
神功皇后が宇美八幡宮(宇美)で出産したなら当宮では誰が出産したのか?
そんな話題だったと思います。

「豊姫」
即座にそんな答えが出て来て自分でも驚きました。
赤司八幡宮はもともと「豊比咩神社」というのですね。
だから、ここで出産したのは豊姫だと思ったのです。

あの時、皆さんに、妙に納得した空気が流れたのが印象的でした。
豊姫も神功皇后も共に懐妊していたのだと思います。

古代の天皇たちの旅というのは、夫婦は一緒。
そうしないと、妻を残して旅をしたら、妻はあっという間に奪われてしまいます。
ヤマトタケルは妻と一緒に征討の旅に出ました。
古代は出産も子育ても旅の中で行われたケースは沢山あると思います。

想像もつかないけど、何日か山の中を歩くとそれがよく分かります。
侍女たちも、もちろん妊娠したり出産したりしながら旅をしたでしょう。

神功皇后の出産の地が対馬から筑紫、豊と各地にあるのは、
多分、侍女たちの出産が神功皇后当人として伝えられているのではないかと
考えるようになりました。

オオビコの子・建沼河命
阿部家の祖と書かれています。
糟屋郡久山町(トリアスの隣)の黒殿神社は阿部家の祀る神社。

建沼河命が久山町にいる間に阿部家の娘に子を生ませたんですね。
現地伝承と『古事記』がぴったり符合しました。
その阿部というのは安曇族だという話を宮地嶽神社で伺いました。

膳臣(かしわで)と共に旧糟屋郡の豪族なのが系譜でよく分かりました。
黒殿神社はガイドブックでも紹介していますよ。


竹内宿禰の子・波田八代宿禰
竹内宿禰を祀るのが織幡神社(宗像市)。壱岐真根子の子孫が祀り続けています。
オリハタ。ハツ。
秦氏のキーワードです。
福津市の縫殿神社も布を作っています。

るなは「奴山古墳群」の所で、「宗像族の奥つ城(き)」と、
受け売りで記事を書いたのを反省してラインで消しています。

まだ当時、宗像族はそこでは活躍していません。
中世時代に宗像族が攻めて来ました。
今思う。
福津市の奴山から宗像市の鐘崎までは秦氏だろうと。

竹内宿禰の長男が波田八代宿禰。ハタですね。
宗像族が支配するのはもうちょっと後の話だと思います。
(奴山古墳群のマップを貰って来たので、講演の時、配りま~す)

さて、何で欠史八代を調べ始めたのかなって、思い出すと、
雷神社で異敵の襲来があった時代を調べていたのですね。

       日本書紀             古事記
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)

10崇神天皇
11垂仁天皇

12景行天皇
13成務天皇
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赤字の部分がその時代。『古事記』からは戦いの歴史は見えて来ませんでした。
結局、異敵と戦わずに済んだのは景行天皇と成務天皇の時代だけですね。

景行天皇は外国と戦わずに済んだから、九州の土蜘蛛たちを討伐できた?
成務天皇は即位後すぐに病死です。
そして、仲哀天皇の時代に再び外敵が攻めて来ます。
この時、初めて記紀に異敵との戦いが記録されたのだと分かりました。






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by lunabura | 2014-01-19 22:14 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(4)

謎の欠史八代(6)第8代 孝元天皇 建内宿禰が出て来た


謎の欠史八代(6)
第8代 孝元天皇

 建内宿禰が出て来た

「欠史八代」とはいえ、次の孝元天皇はさらに長い文章でした。
訳はスルーしようかと思ったら、途中に竹内宿禰が出て来ちゃった。

こりゃあ、訳するしかありませんね。
でも、系譜しか書いていないので、読む人はいないだろうなあ (+_+)

訳していると、このブログに登場する名前がチラホラ出て来ましたよ。
なんだか懐かしい。
訳すのは『古事記』です。

孝元天皇
大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくる)は軽(かる)の堺原宮で天下を治めました。

この天皇は穂積臣らの祖、内色許男命(うつしこを)の妹、内色許売命(うつしこめ)を娶って生まれた御子は大毘古命(おおびこ)。次に少名日子建猪心(すくなひこたけいこころ)命。次に若倭根子日子大毘毘命(おおびび)の三柱です。

又、内色許男の娘、イカガシコメを娶って生まれた御子は比古布都押之信命(おしのまこと)。

また、河内の青玉の娘、ハニヤスビメを娶って生まれた御子はタケハニヤスビコ命

この天皇の御子は合わせて五柱です。
この中で、若倭根子日子大毘毘命が後を継ぎました。

その兄の大毘古命の子、建沼河別命阿部臣らの祖。
ヒコイナコジワケ命膳臣(かしわで)の祖である。

比古布都押之信命は尾張連らの祖・オホナビの妹、葛城之高千那姫を娶って生まれた子は味師内宿禰(うましうちのすくね)。山代の内臣の祖である。

また、木国造(きのくにのみやつこ)の祖、宇豆比古(うづひこ)の妹、山下影姫を娶って生まれた子は建内宿禰この建内宿禰の子は合わせて九人いる。(男七人。女二人)

波多八代宿禰(はたのやしろ)は波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部君の祖である。

許勢小柄宿禰(こせのおから)は許勢臣、雀部臣、軽部臣の祖である。
蘇賀石河宿禰は蘇我臣、川辺臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣らの祖である。

平群都久宿禰(へぐりのつく)平群臣、佐和良臣、馬御樴連(うまみくひ)らの祖です。

木角宿禰(きのつぬ)は木臣、都奴臣、坂本臣の祖。
久米能摩伊刀姫(くめのまいと)。
怒能伊呂姫。

葛城の長江曾都毘古(ながえのそつびこ)は玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣らの祖です。
また、若子宿禰(わくご)は江野財臣の祖。
この天皇の御年、57歳。御墓は剣池の中の丘の上にあります。

や。系図だけでしたね (・.・;)
でも、いくつも知っている名前や臣が出て来たよ。
赤色は特に記憶に残っている名称。

岩波の古典体系を見ているんですがね、
面白い事に、頭注では「佐和良臣、阿部臣、膳臣(かしわで)」は不明って書いてある。
みんな筑紫ですよ~。ね。

本文の「平群都久宿禰は平群臣、佐和良臣…」という所、
先日、福岡市西区の吉武高木遺跡の所で出て来たばかり^^

佐和良は早良ですね。
平群と早良は隣同士だし、平群都久の末裔は糸島市(宇美八幡宮)だし。
身近な地名が出て来るから、急に面白くなっちゃいました。


この系譜で注目すべき点は「孝元天皇の項」なのに、「竹内宿禰の9人の子供」が詳しく書かれている点。

これは、他の所でも同じケースがあったけど、
竹内宿禰が臣下にありながら、どれほど重要な人物だったのかが伝わってきます。

彼の母は山下影姫。佐賀に複数祀られているし、墓所は小郡市。
ガイドブックのマップにも御勢大霊石神社・隼鷹神社の近くに
さりげなく書きこんで貰っているので、一緒に廻ってみてください。
前方後円墳の形がよく残っています。

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(境内の向こうの屋根とか、周囲の円形とかみてください)

前方後円墳の発祥は近畿と言われますが、
古いスタイルの細っこい前方後円墳が神功皇后のガイドブックでも数か所見られ、
考古学界で調査・評価して、整理してくれたらいいなと思っています。

竈門神社(玉母宮)
福岡県小郡市力武宮の脇
竹内宿禰の母・山下影姫の墓所だった
http://lunabura.exblog.jp/16421532/


「木の国」とは基肆国(きい)にまちがいありませんね。
佐賀県です。
的臣(いくは)は、うきは市浮羽。

「阿藝那臣」は阿曇那臣ではないかと考えています。
阿曇は那国(奴国)ですもん。

「膳臣」は、香椎宮の不老水の近くの高倍神社が関連あるんじゃないかなあ。
「祭神 香椎武内家始祖 香椎廟廟司 大膳紀宿禰氏連命」と書いてあります。
写真はこちら
香椎宮(6)武内神社・不老水・高倍神社 竹内宿禰について
http://lunabura.exblog.jp/17464215/


筑紫や佐賀が沢山出て来るので、少しテンションが上がりました。

竹内宿禰の九人の子と、高良山の九躰皇子はどう関連があるの?
どちらも9人の子なので、ずっと気になってるんです。
どなたか調べていませんか?

(つづく)




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7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)

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by lunabura | 2014-01-17 23:37 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(2)

謎の欠史八代(5)第七代 孝霊天皇・ヤマトトモモソ姫が出て来た


謎の欠史八代(5)
第七代 孝霊天皇

ヤマトトモモソ姫が出て来た


『古事記』に書かれた考霊天皇は前回より少し長いですね。
でも、重要な名前が出て来るので、がんばろうっと。

大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとに)は黒田の廬戸宮(いほど)で天下を治めました。この天皇が十市県主(とおちのあがたぬし)の祖・大目(おおめ)の娘、細姫命(くわしひめ)を娶って生まれた御子は大倭根子日子国玖琉命(ねこひこくにくる)の一柱です。

また春日の千千速真若姫(ちちはやまわか)を娶って生まれた御子は千千速姫命

またオホヤマトクニアレ姫を娶って生まれた御子はヤマトトモモソ姫命次に日子刺肩別命。次にヒコイサセリビコ命(別名大吉備津日子命)。次に倭飛羽矢若屋姫(やまととびはやわかや)の四柱。

また、そのアレヒメ命の妹、蠅イロド(はえいろど)を娶って生まれた御子は日子寤間命(ひこさめま)、若日子建吉備津日子命の二柱。

この天皇の御子たちは合わせて八柱です。(男王5、女王3)
その中で、大倭根子日子国玖琉命が後を継ぎました。

大吉備津日子命と若建吉備津日子命は、二人で一緒に針間の氷河(ひかわ)の前(さき)に忌瓮(いわいべ・祭祀の甕)を据えて、針間を国の入口として吉備国を平定されました。

こうして、この大吉備津日子命は吉備の上つ道臣の祖となりました。
若日子建吉備津日子命は吉備の下つ道臣、笠臣の祖となりました。

日子寤間命は針間の牛鹿臣の祖となりました。
日子刺肩別命は高志の利波臣、豊国の国前臣、五百原君、角鹿の海直の祖です。
天皇の御年は106歳。御陵は片岡の馬坂の上にあります。
『古事記』


あっ、あの有名なヤマトトモモソ姫命が出て来た!
『日本書紀』では「倭迹迹日百襲姫命」(やまとととひももそひめ)と
長くなってしまっています。「トトトヒ」ってね。


ヤマトトモモソ姫といえば、箸墓の被葬者候補でしたよね。
前回、「三輪山の麓にある」って驚いた前方後円墳です。

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また、シンクロだにゃ。 (+_+)
c0222861_053355.jpg


それにしても、欠史八代・七代目天皇の娘というので、まだ紀元前の話かと思っていたのですが…。
箸墓って3世紀(一応)ではないですか?
前方後円墳だもん。古墳時代だよ。
時代が数百年飛んだ… (-_-;)

ウィキペディアで「卑弥呼」を調べると、ヤマトトモモソ姫説がありました。

倭迹迹日百襲媛命説
倭迹迹日百襲媛命の墓と伝えられる、箸墓古墳(奈良県桜井市)
孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)は、『日本書紀』の倭迹迹日百襲姫命または倭迹迹姫命、『古事記』の夜麻登登母母曾毘賣命。近年、卑弥呼と同一人物として推定される候補の中では最有力の説となってきている。
(略)
この箸墓古墳の後円部の大きさは直径約160メートルであり、「魏志倭人伝」の「卑彌呼死去 卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩」と言う記述に一致している。
ウィキペディアより


滅茶苦茶やん。 自由奔放ですな。
卑弥呼ですか?
卑弥呼に大勢兄弟がいたっけ?
孝元天皇と兄弟になるんですか?
卑弥呼の父は孝霊天皇となるのですが、いいのでしょうか。

ヤマトトモモソ姫と卑弥呼じゃ、時代が違い過ぎませんか?
しかも、前方後円墳の「後円部」だけを測って「疑似倭人伝と一致している」とは?

なんだか、すごい矛盾に出くわしましたが、これも、順番に訳したから分かったことですね。


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第七代 孝霊天皇
さて、本来のターゲットに戻りましょう。
ターゲットは大倭根子日子賦斗邇命ですが、真鍋大覚の説を読んでみましょう。
『玄海灘の海上気象』昭和47年刊より

p132
ところで、伊都国で製鉄に直接関与し得るものは、爾支(にき)と柄渠觚である。
この二者の名前を兼備した古代の帝王は
孝霊帝(BC290~213)大倭根子日子賦斗邇命(記)大日本根子彦太瓊天皇(紀)、
孝元帝(BC214~156)大倭根子日子国玖琉命(記)大日本根子彦国牽天皇(紀)である。

「爾支(にき)と柄渠觚」とは魏志倭人伝に出て来る伊都国の官と副官のことです。
(読み方など論争されていますが、私には分かりませんよ。聞いてもダメっす)

真鍋は孝霊帝を紀元前3世紀頃の帝王とみています。
驚いたのは、伊都国の官と副を代々兼備した王として、
7代孝霊天皇と8代孝元天皇の名を挙げている点です。

るな的には、この二帝が伊都国の帝王として具体的に書かれている点に興味を持ちました。
まさか、「魏志倭人伝」と「記紀」に接点が生まれてこようとは。
今から少しずつその世界観を覗いて行きましょう。

先程のウィキペディアのように、孝霊天皇を卑弥呼の父とするより、
真鍋の方がナチュラルな感じがします。

これに関してはきっと多くの方からの異論が出てくるでしょうから、
反論が楽しみでもあります。






           日本書紀             古事記
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)大倭根子日子賦斗邇命
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)大倭根子日子国玖琉命
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)
10崇神天皇
11垂仁天皇
12景行天皇
13成務天皇
14仲哀天皇


 ◆ ◆ ◆ 語り部 ◆ ◆ ◆
◆ 2014年2月1日 (土)13:30~16:30
 タイトル:「神功皇后伝――倭国大連合と高良玉垂神――」
           第45回 太宰府・久留米合同地名研究会
           会場:えーる・ピア久留米(久留米市生涯学習センター)
                   
◆ 2014年2月15日(土)13:30~16:30
タイトル:「神功皇后伝承を歩く ――足跡をたどる旅のガイド――」
           第17回 玄海地名研究会
           会場:福津市宮司元町7-1 宮地嶽神社内 別館 文華学院 2階
                                        あるいは 社務所 (まだ未定です)
                          
詳細は コチラ


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by lunabura | 2014-01-15 21:14 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(0)

謎の欠史八代(4)雷神社 六代天皇の頃から異敵の襲来があった


謎の欠史八代(4)

雷神社 六代天皇の頃から異敵の襲来があった


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雷神社は全体が神の依ります地として格別な宮です。

神功皇后も祈願の為に籠っていますので、ガイドブックの上巻に紹介してますよ(^-^)
ここは代々の勅願所として日本の地を守り続けた神々の杜です。

由緒は?
社記の伝えるところによれば、第六代孝安天皇から第十一代垂仁天皇の御代まで、異国から我が国に襲来する事が数度あったが、当社の神が大雷火となって異賊を降伏させられた。垂仁天皇はこの御神徳を畏んで社殿を建て、敵国降伏の神として崇敬された。 
神功皇后は三韓征伐の時、武内宿禰に命じて宝剣宝鏡を供えて祈願された。
『福岡県神社誌』

なんと、第六代孝安天皇の時代から異国の襲来が数度あったというのです。
異国が何処なのかは書いてありません。
でも、異国が襲来する場所としたら、やはり九州でしょう。

当社の神が大雷火となって異賊を降伏したというのです。
御祭神を見ると、
火雷神、彦火々出見尊、香椎大神、住吉大神、応神天皇ほか

香椎大神は神功皇后ですね。住吉大神と応神天皇を引くと、
第六代孝安天皇の頃に祀られていたのは火雷神、彦火々出見尊となります。

これをどう考える?
糸島の南に堂々とした山容を誇る雷山。
この山に祈る人たちはそう遠く離れた所の人ではないでしょう。
まずは地元を考えるのが筋道です。

さて、第6代から11代までの話なので、リストには欠史八代が一部入っているので、
それに追加して14代までを書いてみました。

          日本書紀                古事記
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 – 大日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)大倭帯日子国押人命
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび) 

10崇神天皇
11垂仁天皇

12景行天皇
13成務天皇
14仲哀天皇

赤字が雷神社に書かれた時代です。
これを見ると、筑紫では欠史八代から仲哀天皇の時代まで歴史が連綿と続いていたと思われます。

で、このシリーズは「謎の欠史八代」ですから、6代目から9代目までを調べて行く事になります。

まずは第六代。

第六代 孝安天皇

大倭帯日子国押人(おおやまとたらしひこくにおしびと)命は葛城の室の秋津島宮で天下を治められました。この天皇は姪の忍鹿姫(おしかひめ)命を娶って、生まれた御子は大吉備諸進(おおきびのもろすす)命。次に大倭根子日子賦斗邇(おおやまとねこひこふとに)命の二柱です。この大倭根子日子賦斗邇命が後を継いで天下を治められました。天皇の御年は123歳。御陵は玉手の岡の上にあります。
(『古事記』)

うふ。ここは短かった! 訳が簡単( ´艸`)

孝安天皇は姪と結婚して、二人の皇子が生まれ、次男が後を継いでいます。

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『古事記』には書かれていないけど、雷神社の社伝により、
この御代から異敵の襲来が始まったということになります。

時代は弥生時代の中期頃でしょうか。
大倭帯日子国押人命の御陵は石棺墓や土壙墓、あるいは甕棺墓なのでしょうね。

ウィキペディアの非実在説を、ちょっくら覗きました。

非実在説
陵墓に関しても欠史八代の天皇には矛盾がある。第10代崇神天皇以降は、多くの場合その陵墓の所在地には考古学の年代観とさほど矛盾しない大規模な古墳がある。だが第9代開化天皇以前は、考古学的に見て後世に築造された古墳か自然丘陵のいずれかしかない。その上、当時(古墳時代前~中期頃)築造された可能性のある古墳もなければ、弥生時代の墳丘墓と見られるものもない。

非実在説の根拠なのですが、読んでいると、
天皇の陵墓は大規模な古墳と限定してあるようですね。
そうか、比定陵墓の話なのですね。

るなが理解できなかった原因はウィキぺディアの編者が
欠史八代は古墳時代と決め込んであるからみたい。
ま、妥協して弥生時代の墳丘墓もターゲットに入っていますが。

しかも、近畿だけに限定してる?
これは、落ち着いて考えると、「近畿非実在説」と読み換える事ができますね。

近畿の弥生時代って、よく分からないのですが、どうなっているのでしょうか。
筑紫には沢山あるので、こちらに歴史があったと考える方が自然かも。
ちなみに、孝安天皇の父、第五代考昭天皇の陵墓は掖上(わきがみ)の博多山にあるんですって。
博多山ってどこ?

さて、ここで同じような話題を高良下宮社でしたことを思い出しました!
そうそう、弥生時代を比較した良い年表がありましたね。

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これは「邪馬台国展」の図録から。
北部九州と近畿の遺跡分布が一目瞭然です。
(ただし、唐古鍵遺跡がもれているという指摘がありました)
弥生時代の遺跡分布の全体のイメージ作りにはこれが役に立ちます。

(つづく)

雷神社





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by lunabura | 2014-01-11 21:38 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(4)

謎の欠史八代(3)母を奪われ、命を狙われた神沼河命耳命は義兄を殺した


謎の欠史八代(3)

母を奪われ、命を狙われた神沼河命耳命は義兄を殺した

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サイ(ゆり)を持つイスケヨリ姫


葦原の しけしき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し
(神武天皇の歌)


葦がいっぱい生えている原の、粗末な小屋で、菅で編んだ敷物を清らかに敷いて、
私とそなたと一緒に寝たなあ

これはイワレビコ命が二人の出会いを懐かしんで歌ったものです。
姫はサイ川の姫。サイとは百合のことです。

二人の間には三人の男の子が生まれました。

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前回の続きを読みましょう。


月日が経って、イワレビコノ命が亡くなりました。亡くなってからの名前を神武天皇といいます。

すると、その長男のタギシミミノ命が、遺された大后のイスケヨリ姫を妻にしました。そして、イスケヨリ姫の三人の御子たちを殺そうと計画しました。それを知ったイスケヨリ姫は苦しんで、歌を送って何とか知らせようとしました。

   「狭井河よ。雲が湧き起こっています。 
   畝火山(うねびやま)の木の葉がざわざわと騒いでいます。
    風が吹こうとしています。」

(狭井河のほとりで育った私の子供たちよ。怪しい雲が湧き起こっています。畝火山を象徴するお方の周りの木々がざわざわと騒いでいます。風が吹こうとしています。気を付けて下さい。)

そう歌を作ると、もう一つ付け加えました。
   「畝火山は昼間は雲が湧き起こっています。
   夜になると、風が吹くでしょう。木の葉がざわざわと騒いでいます」

(畝火山を象徴するお方は昼間は雲が湧いているだけですが、夜になると、風が吹きます。その前兆で木の葉がざわざわと騒いでいます。)

 母の歌を受け取って、その意味を理解した三人の子供たちは驚きました。
「義兄のタギシミミノ命は母上と結婚した上に、自分たちを殺そうとしている。それなら、殺される前に殺してしまおう。」
と三人は相談しました。

 三男の神沼河耳命が、二男の神八井耳の命に言いました。
「なあ、兄上。兵士たちを連れて、タギシミミノ命を殺して下さい。」

そこで、神八井耳命は武器を持って押し入り、タギシミミノ命を殺そうとしたのですが、手足がわなわなと震えて、殺す事が出来ませんでした。すると神沼河耳命が、兄の武器を「わたしに下さい。」と言って、取って中に入って殺しました。 

それからは神沼河耳命の武勇を称えて、建沼河耳命(たけぬなかわみみのみこと)と呼ぶようになりました。

 その後、神八井耳命が建沼河耳の命に、世継の地位を譲って言いました。
「私は仇(かたき)を殺す事が出来なかった。そなたはそれが出来た。だから、私は兄ではあるが、天皇になるわけにはいかない。そなたが天皇となって、天下を治めて下さい。私はそなたをたすけて、神を祀る忌人(いわいびと)となってお仕えしよう。」

こうして、建沼河耳命が天下を治めるようになりました。

こうして、日子八井命は茨田連、手島連の祖となりました。

神八井耳命は意富臣、小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫の三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余国造、科野国造、道奥の石城国造、常道の仲国造、長狭国造、伊勢の船木直、尾張の丹羽臣、島田臣らの祖です。

神沼河耳命は天下を治めました。

神倭イハレビコ天皇の御利は137歳。御陵は畝火山の北の方の白檮の尾の上にあります。

神沼河耳命は葛城(かづらき)の高岡宮で天下を治めました。
この天皇は師木県主の祖、河俣毘売(かわまたびめ)を娶って、生まれた御子は師木津日子玉手見命といいます。(一柱)
天皇の御年45歳。御陵は衝田岡にあります。
                                      (『古事記』より)

初めてこれを訳した時は、長男が義理の母と結婚した、という点に驚いたのですが、
今、再び見直すと、当時はまだ母系制が色濃く残っていたのかもしれないとも思いました。
エジプトのツタンカーメン時代などには同様な事例がみられますね。

日本の後継者選びについても、古代では末子相続と学んで、そのまま信じていましたが、
神武天皇の後継は兄が譲ったのが分かりました。
末子相続が正当なのかどうか、また見なおさなくちゃいけないんですね。

さて、綏靖天皇の兄弟は三人なのに、物語からは日子八井命の名がいつの間にか消えています。
『日本書紀』には当初から消えていて、二人兄弟になっています。
早世だったのかなあ。
皇太子はやはり神八井耳命かと、思ったら、書紀では神渟名川耳尊となっていました。(+_+)

神八井耳命の末裔の名を見ると、九州がずらりと出て来ます。
「火君、大分君、阿蘇君、三家連」とか、磐井の君の治めたエリアと重なっていませんか?
またまた、新たな謎ですね。

さて、今回は『古事記』のみを読みました。
前々回、「明日はどっちだ?」と言いましたが、結局、『日本書紀』はパスです( ´艸`)

産宮神社の奈留多姫はイスケヨリ姫と呼ばれるようになったと仮定していますが、
犀川のある福岡県東部の姫だったのが、糸島の産宮神社近くに輿入れし、
イワレビコ命が東征するとき、付いて行ったのでしょうか。

イワレビコ命の寿命が137歳というのも、昔は春と秋に年を取る二倍年暦からすると、
68歳ごろかもしれません。
そうすると、神沼河耳命は45歳の半分で、27歳。
即位して間もなく崩御したとすれば、子供が一人だけというのもうなずけるし、
業績も残らなかったはずですね。

これを不在の天皇としてしまうと、兄弟や両親も不在となる?
まるでタイムトラベルのワープにでも入り込んでしまいそうです。

不在説は無理っす。

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地図 産宮神社 犀川




2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみ) 神沼河耳命・建沼河耳命
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)
6.孝安天皇 - 日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとに)
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくる)
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびび)




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by lunabura | 2014-01-10 20:45 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(0)

謎の欠史八代(2)綏靖天皇の母は奈留多姫?イスケヨリ姫?


謎の欠史八代(2)

綏靖天皇の母は奈留多姫?イスケヨリ姫?


自分が方向音痴だと自覚したるなは、現地に立たないと歴史が理解出来ない理由が分かり、
再び糸島市の産宮神社に舞い戻ってきました。
(といっても、ブログ上です^^)

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まずは糸島市の産宮神社の奈留多姫は綏靖天皇の母という伝承から。

産宮神社
祭神
1.奈留多姫命 (ナルタヒメノミコト)
2.ウガヤフキアヘズ尊
3.玉依姫命

社伝によれば、「奈留多姫は懐妊に当たり、大いに胎教を重んじ、玉依姫命、豊玉姫命両神の前にて、「月満ちて生まれん子は端正なれば永く以て万世産婦の守護神ならん」と誓いて、出産に臨んで苦もなく皇子、神渟名河耳命(第二代、綏靖天皇)を安産し、以後、「産宮」と称えて安産守護の神と祭る、とある。(略)

考察[編集]古事記、日本書紀によると「綏靖天皇の母親」は「媛鞴五十鈴媛命(ホトタタライススキヒメミコト)」であり、記紀によれば「大和国」で結婚し子を産んでいる。では、この伊都国の地に祭られる奈留多姫命とは誰か?
(ウィキペディア)


奈留多姫の子が綏靖天皇なので、夫君は神武天皇になります。
神武天皇の母・玉依姫や叔母の豊玉姫に安産を祈ったお話当宮に伝わっています。
そこで、推定した系図がこれ。

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引用文の考察の部分にあるように、記紀とは名前が違っていますね。

綏靖天皇の名前は神渟名河耳命(かむぬなかわみみ)

「欠史」というからには、訳は簡単(-。-)y-゜゜゜、と思ったら、何だ、結構長いじゃないの。

欠史八代と名付けた学者は誰だあ?

ということで、まずは『古事記』を訳してみます。
(言いつつ、『古事記の神々』のストックを拾い出す…)

神武天皇には二人の后がいるから、神武天皇(イワレビコ)から訳さないと分からないみたい…。

后 アヒラ姫
イワレビコノ命が、まだ日向(ひむか)に居られた時に、アタのオバシの君(きみ)の妹、アヒラ姫を妻としました。その二人の間に生まれた御子はタギシミミノ命キスミミノ命です。

大后 イスケヨリ姫
しかし、更に大后(おおきさき)にふさわしい美人を捜す事になりました。その時、大久米(おおくめ)の命が申し上げました。

「この近くに良い娘がいます。この娘を神の子と言います。何故かと言うと、三島のミゾクイの娘でセヤダタラ姫という人がとても美しい方で、三輪山の大物主神(おおものぬしのかみ)が見染めたそうです。

その姫が川の上に作った厠(かわや)に行って、用を足していると、大物主神は、赤く塗った丹塗りの矢になって、川から流れて来て、その人のホト(女陰)を突きました。その姫は驚いて、逃げてイススキ(狼狽し)ました。

その矢を床の所に置くと、たちまちに麗しい男になって、セヤダタラ姫を妻にしました。こうして生まれたた子供の名前はホトタタライススキヒメの命と言い、また、ヒメタタライスケヨリ姫とも言います。(これはホトという言葉を嫌って後に名前を改めました。)こう言う事で神の御子と言うのです。」

七乙女
 ある日、七人の乙女たちが高佐士野(たかさじの)で野遊びをしている中に、イスケヨリ姫がいました。

大久米の命がイスケヨリ姫を見つけて、歌を作ってイワレビコの命に言いました。
  「倭(やまと)の高佐士野を 七人の乙女たちが通って行きます。
   あなたは誰と共寝をしますか。」

この時、イスケヨリ姫は一番前に立っていました。イワレビコノ命はその乙女たちをご覧になって、
(イスケヨリ姫は一番前に立っている人だろう)と思って、歌で返事をされました。
  
「まあそうだな。一番前に立っている可愛い人と共寝をしよう。」
そこで、大久米の命はイワレビコノ命のお気持ちをイスケヨリ姫に伝えました。

イスケヨリ姫はその大久米の命が目の周りに入れ墨をして鋭い目に見えるのを見て、(変わってるなあ)と思って、歌にして、返事をしました。
  「つばめ、せきれい、ちどり、ほおじろ。それにあなた。
  どうしてそんなに縁取りのくっきりとした目なの。」

それを聞いて、大久米命も歌を返しました。
  「ただ、あなたに会いたいと、探し求めて、大きな目になりました。」

その歌の意を汲み取った乙女は「お仕えしましょう。」と言って、お后になる事を承知しました。

イスケヨリ姫の家は狭韋河(さいがわ)のほとりにありました。イワレビコノ命はイスケヨリ姫の家にお出ましになって、一夜、共寝をなさいました。
(その川を狭韋河と言う訳は、その川辺に山百合の花がたくさん咲いていたからです。サイとは山百合の花の事です。)

のちに、イスケヨリ姫が入内された時に、イワレビコノ命が歌を詠まれました。
    「葦がいっぱい生えている所の、粗末な小屋で、
     菅で編んだ敷物を清らかに敷いて、私とそなたと一緒に寝たなあ。」
こうして、生まれた御子の名前は、日子八井命(ヒコヤイノ命)。
次に神八井耳命(カムヤイミミノ命)、
次に神沼河耳命(カムヌナカワミミノ命)の三人でした。

 神倭(カムヤマト)イワレビコの天皇の崩御の年は137歳。御陵は畝火山の北の方の白檮(かし)の尾の上にあります。 
(つづく)

こうして、イスケヨリ姫はイワレビコ命と結ばれて、のちの綏靖天皇を出産します。
で、イスケヨリ姫の名前って、製鉄の暗号が込められた名前で本名ではないですね。
奈留多姫と同一人物と、るなは考えます。

さて、二人の恋の仲立ちをした大久米命の目が安曇目。
縁取りのくっきりとした目。
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系図を見ると、神武天皇を安曇族がしっかりとサポートしている理由がよく分かります。
神武天皇は安曇の血が四分の三入っているので、安曇の子と言っても過言ではないです。

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今回の部分の系図を描いて見ました。
さて、第五男の神沼河耳命はどうやって後継ぎになるのでしょうか。
次回、続きを読みましょう。




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by lunabura | 2014-01-08 22:54 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(2)

謎の欠史八代(1)これはいったい何?


謎の欠史八代(1)
これはいったい何?


まさか、「欠史八代」をテーマにする日が来ようとは想像もしていなかった…。

でも、最近その天皇たちがよく出て来るので、ちょっと調べる事にしました。

まず、ターゲット。
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)
6.孝安天皇 - 日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびびのすめらみこと)

書かれていない1代目は神武天皇。

なぜ「欠史八代」と言うのか、理由をウィキペディアで調べたけど、よう分からんかった。
「現代の研究ではこれらの天皇は実在せず後世になって創作された系譜であるとする見解が有力だが、
実在説も根強い」
分かったのはこの文くらいかな (^-^)v

神武天皇は実在して、その子孫は不在か…。

どんな研究がされて不在説が生まれたのか、読みながら理解不能に陥った るな。

しかし、福岡に住んでいると、この八代の天皇の名が神社に見られる。

神功皇后に関しては不在説があっても、あまりの伝承の多さに、
何故だろうと思う福岡県人は多いだろう。
調べて見ると、神功皇后は福岡には少なくとも3年は滞在したのが今回明らかに。

これと同様に、欠史八代も九州の話なので、他の地域の研究者は机上の論理で
簡単に存在を否定できるのではないかと考えるようになりました。

今回は、糸島の産宮神社で第二代綏靖天皇の名を見つけたのが鮮烈な印象となり、
雷神社を見直している時、6代目から11代目の名前があったのに気付いたのです。

1代目の兄弟も福岡市西区に出て来たばかり。
ましてや8代目は久留米の高良下宮社に出て来るし。
いったいどうなっているのだろう。

とりあえず、これまで出て来た天皇が何処に祀られていて、どんな伝承があるのか、
少し整理してみようと思います。

『日本書紀』を先に読むか、神社伝承を先に読むか。
う~む。
明日はどっちだ。



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雷神社



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by lunabura | 2014-01-08 00:08 | 謎の欠史八代 | Trackback | Comments(10)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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