ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:相島( 18 )

相島積石塚―綿津見神社の参道―香椎宮古宮 安曇族の墓地と聖地を結ぶ不思議なライン



相島積石塚―綿津見神社の参道―香椎宮古宮

安曇族の墓地と聖地を結ぶ不思議なライン


チェリーが福岡市東区の綿津見神社の参道の向きに注目して、
ラインを見つけてくれた。

それは相島積石塚と香椎宮古宮を繋ぐライン上にあった。


どれも安曇族関連の墓地であり、聖地だ。
いったい何を示しているのだろうか。

私の写真とのコラボを楽しもう。





c0222861_218414.jpg

相島積石塚と香椎宮古宮のライン上に綿津見神社が乗ってくる。










c0222861_2192919.jpg

この積石塚は大きなヤツかな。








c0222861_2111341.jpg

赤いラインを辿るとこのように、綿津見神社の参道を通って香椎宮の古宮に達する。









次は紫のラインを辿ろう。

c0222861_21121399.jpg

相島のピークから綿津見神社を通ると本殿から古宮に向かう道に交差している。
(g22の言う夏だけ温泉に向かう山?)








現地のようす。

c0222861_21125467.jpg


相島積石塚の一番大きい古墳。







c0222861_2113216.jpg

そこからのラインが綿津見神社のこの参道を通り、







c0222861_21134429.jpg

古宮のこの正面を横切る。









c0222861_2114731.jpg

この画像付近かな。これは棺掛椎のすぐ手前の石段。

異次元が重なっているように見えるお気に入りの写真。
(ここで使えた♪)

初めて訪れた時には、ここに衛士が並んでいるイメージが浮かんだ。





安曇族の墓地と二つの聖地を結ぶライン。

面白い。



カテゴリをとりあえず<相島>にしておこう。




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-06-26 21:21 | 相島 | Trackback | Comments(6)

相島 鼻栗瀬2 春分の日の出はこんな感じ


相島 鼻栗瀬2 
あいのしま はなぐりのせ
春分の日の出はこんな感じ


福岡県の相島。猫の島で有名ですね。

その相島の鼻栗瀬をポイントとした春分の日の日の出の画像を
チェリーさんが早速作ってくれましたよ。
ありがたいです。







c0222861_20105814.jpg

さて、鼻栗瀬の西から撮影すると、








c0222861_20115820.jpg

こんな感じに見えるらしい。う~む。でかい。
ここに穴が開いていると想像しましょう。

2017年3月20日、6時27分頃、向こうの山から朝日が昇り、
光線が鼻栗瀬の穴をギリギリ通るかもしれないという感じですね。

チェリーさんいわく、
「鼻栗瀬の形が随分違いますねぇ〜
このどこの部分が穴になるのかわからないですけど、
直接日の出が見えるのか微妙ですね〜

鼻栗瀬から見た画像も添付します。
直接じゃなくとも、海面に反射した日の出は見えるのでは?
それはそれで神秘的かもしれませんねぇ…

ちなみにそのまま東にラインを延ばすと鞍橋神社になりました。」


ほう、鞍手の鞍橋神社ですか (@_@
(はい、来月のテーマですね(^^; やりますよ)









c0222861_20123755.jpg

これは鼻栗瀬から撮影した状態だそうです。
靡山(なびきやま)の少し南(90.4度)から太陽が出ています。

チェリーさんいわく、
「見える地点は鼻栗瀬に面した海岸の崖になるみたいです。
舟じゃないと行けないんじゃないかなぁ…撮影は標高2.3m位からです。」

舟に乗ったらこんな角度ということですね。
もし観測点があったとすると崖か海になります。

海なら海退期のころ、すなわち海岸線が下がっている時代に
観測点を設置したかもしれませんね。

真鍋は宗像市の大島が島になったのが雄略帝9年(465)と記録しているので、
それまでは相島も陸が上がっていたかもしれないです。

大島と陸の間に出来た倉良瀬戸の測量が
明治22年(1889)では15・0mの深さなので、
この変動の時には大きな影響があったことでしょう。

例の沖ノ島の海底の石柱もあることだし。
どんな時代のものか、だんだん妄想が膨らんできます。




c0222861_20132128.jpg

これは空中写真。船を出すならここらへん。




c0222861_20133719.jpg

見事な画像ですねえ。チェリーさんいわく、
「航空写真で見てみたら、少し入江っぽくなっていました。

どのくらいの傾斜かわからないですけど…
ごめんなさい、撮影地点は海の中になっていました!

ここの標高2.3m位になってるとは思いますが…
ということは、西側にラインを延ばせば地面と交わる地点があると思います。」


いくつものレベルでの画像作成、チェリーさんありがとうございました!!!


g22さん、これでかなりポイントが絞れますね。
スマホを持っていけば楽々アプローチとなりそうです。




思えば志賀島の二見岩に穴がるのも同じ理由かも。
(と、チェリーさんに謎を掛けるのであった^^)




相島





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-03-13 20:16 | 相島 | Trackback | Comments(6)

相島の鼻栗瀬


相島の鼻栗瀬




鼻栗瀬とは新宮町の相島の横にある小島で、大きな穴が開いています。

ブログ訪問者の方が、この穴に注目して、
春分の日にどこから朝日が差し込むのかを確認したいと話されたので、
現地入りする前の下調べ用に在庫から画像を少々取り出しました。








c0222861_19531546.jpg

これは漁港から撮ったものです。水平線の中央の岬の横の小島が鼻栗瀬です。







c0222861_19533218.jpg

フェリーから撮った鼻栗瀬です。穴が少し見えています。
左の岩は蒙古塚の巨石です。











c0222861_19535290.jpg

これは蒙古塚の遊歩道。奥に先ほどの巨石が見えています。
角度的にはこの巨石上から鼻栗瀬の穴が正面に見えそうですね。










c0222861_19542732.jpg

これは積石塚古墳群から撮ったもの。矢印が宮地岳です。
穴は向こうに向いています。










c0222861_1955433.jpg

宮地浜から撮ったもの。こんなんしか、なかった。
確か穴が見えた記憶があります。



宮地嶽神社の「光の道」が正しい東西でなく、やや角度がずれているので、
天文祭祀線ではないだろうと結論づけているのですが、
この鼻栗瀬の穴に春分・秋分の光が差し込むとしたら、
ついに天文祭祀線の発見となります。

海上からの観測となるのでしょうか。
天文観測所なら、陸地にあるはずですね。

るな探偵は蒙古塚の巨石が一番の候補と考えましたよ。
当たるかはずれるかはお楽しみ。

結果報告をお待ちしています。
天気次第ですが。










c0222861_19563037.jpg

さて、相島にある剣神社はこんな感じです。
視界は効きませんね。
ご参考までに。




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-03-10 20:00 | 相島 | Trackback | Comments(2)

朝鮮通信使を迎えた相島


朝鮮通信使を迎えた相島



「60」

目覚めのまどろみのなかで浮かぶ数字。
私はこれが何を示しているのかすぐに分かった。

相島の記事を終えたつもりでいたが、もう一つ書くべきことが示唆されたのだ。

正しくは「61」。
それはこの島で、江戸時代に台風の被害に遭った人たち、61人のことだ。
61人は朝鮮通信使が相島に立ち寄るための受け入れ準備をしている最中だったという。

作業のために徴用されたのは福岡藩士11人。
浦(港々)から出た者8人。
市(博多・福岡)から出た者24人、
縣(郡)から出た者18人。
溺死。

時は享保4(1719)年7月24日のことだった。

亡くなった61名を慰霊する地蔵尊と石碑が積石塚の端にある。
「合葬舟人墓」と書かれている。

c0222861_154054.jpg

百合越浜 慰霊仏の横から見える景色


今年、二度訪ねた相島では、歴史の会の三人の人にそれぞれ出会って話を聞いた。

思い出すままに聞いた話を書いていこう。

朝鮮通信使とは、江戸時代に徳川将軍が代替わりするたびに
朝鮮李朝王からの親書を携えて来日し、将軍からの返書を持ち帰った使者の一行だ。

全部で12回行われ、そのうち11回は相島に停泊した。
一行は約400~500人だったという。
それを迎える人たちも含めると1000人ほどの人口増となった。


c0222861_15414265.jpg


黒田藩は相島に客館を建ててもてなした。

最初、黒田藩から船で屋根の葺き替えの資材が届くと言う。
それで島民の屋根が綺麗になると、次に客館のための資材が届く。

その資材は役目が終わると、解体されて博多の○○寺に保管されたという。
リユースだ。
寺の名前は失念。

この61名が遭難した年は、台風が来て大変なことになってしまった。
ところが、事情を知らない壱岐からは
「波が収まったら出航する」という狼煙が届いたという。

61名の菩提を弔うため、黒田藩は神宮寺に費用を送って、永年供養を依頼し、
今でも、神宮寺では丁寧に供養がなされているという。

ある年には海が荒れ続け、通信使が22日間滞在したために食料が不足してしまった。
食料調達に難儀し、最後には対岸の新宮からは鶏の声も全くしなくなったという。

通信使接待の食事のメニューを再現したものが新宮歴史資料館に展示されている。
(写真を撮っていたが、行方不明で掲載できない。
興味がある方は実際に見学に行かれたし。シーオーレ新宮内)

島では井戸が一本しかなかったので、11本掘られた話は以前書いた。
(12本ともいう)

そして肝心の客館がどこに作られたのか、最近まで分からなくなっていたそうだ。
それが山口県岩国市で絵に記されているのが分かり、絵の通りに発掘すると
柱跡が発見されたという。

場所は神宮寺と若宮神社の間、人家が建っている地域だ。
(島に珍しい平地なので、その辺りは海神豊玉彦の
綿津見のいろこの宮があったのではないかと想像していた)

これを聞いて、私のぼんやりとした記憶の奥から思い出すものがあった。
それは伊勢神宮で出会った女性の話だ。

その女性は島根県の日貫(ひぬい)という場所に住んでいた。
その「日貫」という地名の語源の探求をされていた。

で、その日貫に出掛けることになったとき、
夢で、そこはどんな土地なのか尋ねたら、
赤や黄色などの原色の色と、音楽が演奏される夢を見た。

その話をすると、それは朝鮮通信使だという。通信使がそこを通ったという。
昨日、書類の整理などをしているとその女性からの手紙が出て来た。
相島と日貫が意外なところで繋がった。

江戸時代のルートとして、相島から日本海を北上し、島根辺りから山越えして、
広島に出て、東海道を通って行ったのだろうか。

夢と江戸時代がリンクした不思議な一日だった。



観光の課題を小耳にした。
福岡市は相島は市内でないという理由で切り離しているそうだ。

が、相島には「太閤潮井の石」と言って、秀吉が肥前名護屋に向かう途中、
相島の穴観音に祈願させた史跡がある。
一人一個ずつ石を運ばせたのだが、その数17万5千人という。
当時、秀吉は名島(福岡市)に淀姫とともに滞在している。

その後、黒田藩が客館設置場所として相島を選んだ。
その資材は福岡市から運んだというのだ。

玄海灘を何千何万もの船が行き交う歴史があったのだ。
市政の境界など乗り越えてダイナミックな歴史観を
市民に提供していただきたいと思った。

海から見た博多の歴史は実に面白いのだ。



地図 相島 日貫




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-08-07 15:46 | 相島 | Trackback | Comments(0)

相島 また行って来ちゃった



昨日、相島にまた行ってきました。

c0222861_20571610.jpg


今回は西谷正氏の講演と現地ツアーということで、
7月、二度目の相島行きでした。

講演では積石塚を日本全体の遺跡と比較され、また東アジアの中での位置づけ、
歴史的な位置づけなどを知る事ができました。

また、初期須恵器が出土して、伽耶のものか、日本の物か、不明だったのが、
土の分析から日本の土で焼かれたものと判明した話など聞けました。

これをまとめておこうと思ったのですが、
神功皇后のガイドブックの下巻の出版の準備に取り掛かることになって、
優先順位を変えました。

下巻の原稿が出来て丸一年経ったのですが、
この一年間の調査は収穫が大きくて、
仮説だったものが事実として書けるようなことが幾つか出てきました。

それは一社だけの伝承でなく、複数の神社の縁起を組み合わせて
初めて分かることだったりしたので、
やはり一年間というのは必要な時間だったと感慨深くしています。

下巻、一日も早く皆さまのお手元に届くように、頑張ります♪



これに加えて、
昨夜は、「自分の故郷のガイドブックを作ります」という嬉しいメールをいただきました。

これは私の夢の一つだったんですね。
皆さんがそれぞれ自分の故郷の歴史を調べることはアイデンティティにも関わる事。
これを踏まえてのガイドブック作りをされるということで、
これもまた嬉しく思いました。

まずは、自分の為のガイドブックということで、提案をしました。
それに加えて、ちょいと書いておきます。

1 市誌・郡誌・町誌などの中に神社編があるのでそれをコピーする。
2 神社のリストを作る。
3 その祭神や縁起、住所を書き写す。
4 ネットで検索して、コピペをするのもOK。(引用先を明記する)
5 神社のマップを作る。
6 神社に参拝・取材しながら写真を撮っていく。
7 フォーマットを決めて、書き込んでいく。

これでオリジナルのガイドブック完成!
こうして手順を書いてみるとこちらまでワクワクしてきました。

今は多くの神社がかなりネットに挙げられているので、ずいぶん調べやすいですよね。
私もガイドブックを作る時、最後の方は上記のオリジナルガイドブックを作って
取材しに行ってました。

コピペは必ず引用先を明記するのがルールで、書いておくと、あとで役にたちます。

みなさん、自分の故郷のガイドブックを作ったら、メールで送ってくださいね!!
「みんなで故郷神社ガイドブックを交換する」、なんてイベントがあったら楽しそう♫





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-07-28 21:02 | 相島 | Trackback | Comments(3)

今日のお悩みは火明命と火酢芹命


今日のお悩みは火明命と火酢芹命
ほあかりのみこと・ほすせりのみこと


「相島」のユヅカツラと「相良」のアイラトビカズラ。
筏の材料が揃ったけど、どちらも「相」の字が付くので変な感じがしました。

先日、「糟屋官衙遺跡郡・阿恵遺跡」が公開されましたが、阿恵(あえ)は地名。


c0222861_21202078.jpg

倉庫群は「阿恵日守八幡宮」と葛子の墓かと言われている「鶴見塚古墳」の中間にありました。
葛子の後、100年以上当地は繁栄し続けて、広い平地に倉庫群がずらりと建っていたのです。

地元の文献資料に、「阿恵」は「相島」と関係があるのではないかと書かれていました。
阿恵(粕屋町)の周囲には志賀神社など、志賀の名の神社が複数あるそうです。

ここは万葉集でも「鹿の浜」(志賀の浜)と詠まれていて、
安曇族たちが豊かな物資を底の浅い船で運んだ重要拠点だということが分かります。

「あへ」「あうぇ」「あい」は同じ言葉の音韻変化なのでしょうか。
当時は「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」と発音していたので、「あぺ」もあるかも。

「あぺ」「あふぇ」「あべ」「あめ」
み~んな同じものみたい。
異民族同士の会話では、こんな発音が飛び交っていたのでしょうね。





地図 阿恵遺跡





相島は阿部の島。

その姫神たち豊玉姫と玉依姫の姉妹が相島では一緒に祀られていました。
意外にもこの組み合わせは珍しいです。

志賀海神社では玉依姫だけが祀られていて、
豊玉姫は島から見える志式神社の方に祀られています。

そして、神功皇后が来た時には、「荒ぶる神」とされていました。
これはもう何度も書いたことですが。

当時の天神三柱。
その名が豊玉姫・火明命・火酢芹命。

昨日から、火明命と火酢芹命とは誰だろうと悩んでいたのです。

「火明命」に関しては「ニギハヤヒ」説を取って紹介しています。
これは、たまたま元伊勢の籠神社から出ている神示が私の手元に届き、
そこに「火明命」は「ニギハヤヒ命」と書いてあったからなのです。

籠神社ではそうしているんですね。
しかし、『日本書紀』の一部では「海幸彦」となっています。
火明命はニギハヤヒなのか、海幸彦なのか…。

それでは火酢芹命は誰か。
これは『古事記』に誕生のことしか書かれていない。
で、『日本書紀』(一書)に火酢芹命(海幸彦)、彦火火出見尊(山幸彦)とあるのです。
当時、すでに混乱して伝わっていて、異伝は八つほど。

私はどの神が誰なのか、決定する立場にないのですが、
安曇族たちがこの二柱を神の島である志賀島から一歩退いて祀っている点に、
歴史の真実を解き明かすヒントがあるんだなと、ずっと思ってました。

で、本を書くに当って、私なりの立場を明らかにしないと困るので、
昨日から見直しをしていました。

結局、これまで通り、
火明命(ニギハヤヒ)、火酢芹命(海幸彦)ということで話を進めることにしました。

隼人族(海幸彦)の問題、呉から来た姫氏、周の制度などなど、
問題は段々広範囲を調べないと、理解できない世界になってきました。

本を読んでも、現地に立たないと理解できない脳味噌なので、
九州全体をカバーしないといけないんでしょうね。

壮大な古代史が九州各地に眠っていると思うと、楽しみでもあります。

湯布院とか、阿蘇とか、高千穂とか。
これまで観光で行った山の中にも、奥深い歴史があると思うと、ワクワクします♫




c0222861_21232555.jpg

(志式神社)




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-07-24 21:26 | 相島 | Trackback | Comments(2)

アイラトビカズラ



アイラトビカズラ

不思議で、ゆかしい名前のカズラ。
その花は巨大だという。
かつては花が咲けば有事が起こる不穏な花が、今は毎年咲くと聞いた。

しかも、日本では一か所だけ自生しているという。
今では他に二か所見つかっているが、その数は余りに少ない。

太宰府地名研究会主催の「菊池山鹿玉名の神々」のツアーでその花を見ることが出来た。


c0222861_21222141.jpg

この厚い花弁の光沢は熱帯雨林を想像させた。
その香りは蜜を発酵させたような香りで、最初は良い香りと思っても、しばらくすると気分が悪くなっていく。
その香りは今でも思い出せる。

虫たちに最高のごちそうを提供するために、発酵という手段を選んだのか。
腐らない知恵なのだ。
そう思ったが、これは虫媒花ではなく、風媒花だとwikiには書いてあった。

このような密林の状態で風を利用する花なのだろうか。
印象と違うので違和感を持った。
Wikiにはさらに
「中国の長江流域が原産地とされ、日本にも広く分布していたとされるが国内では2カ所を除き絶滅」とあった。

類まれな花を見ることが出来た。




しかし、九州の古代史を明らかにしつつある地名研究会の案内なのだ。
着眼点は花ではなく、蔓(つる)だった。

c0222861_21224890.jpg

そう、筏(いかだ)のロープ。
前回、安曇族の島・相島(あいのしま)で見た「ユヅカツラ」が丸太にふさわしい木材だとすると、それを結び付けるロープが必要だ。

それがこのカズラではないかという話なのだ。
先程紹介した、石で出来た竜蛇「石づち」が境内にある久米八幡宮の吉田宮司の着眼で、

「凡そ、二千数百年前、呉越同舟の呉が亡んだ前後、呉王夫差の一族が列島に亡命し、有明海から熊襲の領域に入ってきたと考えられ、その際、大木で筏を組んだとすれば、その素材がアイラトビカズラだったのではないか?」といった提案を行われました。
(久留米地名研 古川清久)
ということでそのカズラを実見しに来たのだ。

呉なら志賀島の安曇族も呉の末裔だと言っていた。
安曇族は中国語を理解し、漢字も知っていた。

中国の長江付近を原産地とするカズラは
人の手によって日本にもたらされたと考えるのが理にかなっている。

呉(ご、拼音:wú、紀元前585年頃 - 紀元前473年)は、中国の春秋時代に存在した君国の一つ。現在の蘇州周辺を支配した。君主の姓は姫。元の国号は句呉,勾吳。

これはwikiから。

筏なら絶対沈まない。

「無人島に一つだけ持っていくとしたら何を持っていくか」
という問題を考えて、私なら「種」だと思ったことがある。
「種」こそ命をつないでくれる。

アイラトビカズラの種を持って来て筏に乗った人たちがいると考えるのは合理的だ。
しかし、思う。
挿し木できるんじゃないか。
一時期「幸福の木」がはやった。
段ボールの中に十センチ程度の長さの枝が入っていた。
それに土と水を与えれば育った。
ハワイのお土産にそんな「枝」や「種」を貰ったりした。

殆どの木が挿し木が出来る。
私が呉人なら、何種類もの木を腐葉土の入った壺に入れて、抱えて乗り込むかも知れない。

ロープの材料、丸太の材料、蚕の食料、竹のあれこれ、稲、あわ、ひえ…。

欲張りだから、かなり重い目にあっただろうな…。
そんなことを考えた。


c0222861_2125275.jpg


樹齢千年。


熊本県山鹿市菊鹿町相良




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-07-22 21:28 | 相島 | Trackback | Comments(6)

若宮神社 祭神は豊玉姫と玉依姫


若宮神社

糟屋郡新宮町相島
祭神は豊玉姫と玉依姫
 
豊玉姫を祀る志登神社の炎上を聞いて、五日目です。
ようやく神社のお話しに戻る気分になりました。

ここは福岡県の玄海灘にある相島。
その波止場近くに若宮神社はあります。
c0222861_15161431.jpg


「若宮」の社号なので、どなたが祭神かと思って調べてみると、思いがけず豊玉姫と玉依姫でした。
のちにウガヤフキアエズ尊が合祀されています。


c0222861_15164649.jpg

参拝していると、氏子さんでしょうか、拝殿に上がっていいですよと声を掛けてくださいました。



そして、左手にある井戸を見せてくださいました。

c0222861_15171119.jpg

島で水が出るところは、ここともう一か所。
朝鮮使節団を迎えるために11本の井戸を掘り、これだけが現存しているそうです。


c0222861_15174655.jpg

電気が使えるようになって、ポンプで汲み上げるようになってから、
水質が落ちてしまったということでした。



「豊玉姫の井戸はここですか?」
「いえ、これではありません」

案内して下さったのは反対側、拝殿の右手です。

c0222861_1518965.jpg

井戸の跡に本殿が建ち、のちに左手に建築され、その後に石が置かれています。

c0222861_15184059.jpg



このうしろの木が「ゆづかづら」「由都嘉豆」の字が見えています。
繁りすぎたので、だいぶ切ったそうです。

「香椎宮の人が香椎浜から釣り針を探しに来て、ここに登っとった」
と聞き伝えているそうです。

前にも出しましたが、このシーンですね。
c0222861_21121533.jpg




相島にこのような伝承があると知ったのはタウン誌の記事からでした。
ずっと来たかったのです。
その場所が変わらず残っていたのが嬉しかったです。

記事を今見ると、話し手は「神宮寺住職・中澤慶輝さん(68)」となっています。
せっかくの記事なので、長いけど、写して紹介したいと思います。
「まちかど風土記」 若宮神社(3) 新宮町相島

境内にはユズカズラという木があります。神殿右の囲いの中に、何本もの幹を出して立っています。この木の葉は、妊婦の御守りなんです。

これは若宮神社の祭神「豊玉姫命と玉依姫命」と関係があります。『筑前国続風土記附録』には、祭神について「産神(うぶかみ)なり」と書かれています。

その後に続く文を簡単に訳すと「神社の後ろにユズカズラという神木がある。その実を妊婦の御守りと島民はいう。木の隣に水がきれいで素晴らしい井戸がある」。

ここに島の伝説も関係してきます。

相島には高妻(たかつま)神社というお宮があります。このお宮の祭神は『古事記』では「日子穂々手見命」、『日本書紀』では「彦火火出見尊」。さらに別名があり、山幸彦と呼ばれています。

伝説を「神道事典(弘文堂発行)」にそって話しますね。

彼は兄の海幸彦にお互いの道具を交換しようとせがみ、交換しますが、海幸彦の釣り針を魚に取られてしまうんです。そこで自分の剣を砕いて、大量の釣り針で弁償しようとします。ですが、海幸彦に拒否され、海辺で途方にくれていると塩椎(しおつち)神が現れます。その神は山幸彦を籠(かご)に乗せて海神の宮に連れて行きます。ここに出てくる海神の宮というのが若宮神社のことなんです。




「まちかど風土記」 若宮神社(4) 新宮町相島

連れてこられた山幸彦が海神宮(若宮神社)門前の木に登っていると、海神の娘である豊玉姫が出てきてユズカズラの隣の井戸に映った山幸彦を見つけ、宮の中に招き入れます。やがて二人は結婚し、3年過ごした後に、山幸彦はタイが飲み込んでいた釣り針を持って帰って行きます。

残った豊玉姫は、山幸彦に妊娠を告げます。そのとき「ウの羽で葺(ふ)いた産屋を作って待っていてください」と頼むんです。島の伝説ではユズカズラの葉で葺いた産屋となっています。

その後、約束どおり豊玉姫は妹の玉依姫を連れてやってくるんです。ところが、産屋の屋根が葺き終わらないうちにお産が始まります。そのとき、生まれた子に葺不合尊(ふきあえずのみこと)と名付けるんです。

ですが、出産の姿を見られた豊玉姫は恥じて海の宮に帰ってしまいます。妹の玉依姫がその子を育てるんです。葺不合尊は後に玉依姫と結婚し、神話では初代の天皇といわれる神武天皇の両親となっています。

こういった伝説や神話からユズカズラのことを「産の柴」と呼び、妊婦はその木の葉を安産のお守りとして持っています。

このユズカズラは若宮神社だけではなく、神宮寺の境内や穴観音の入り口にも何本か生えていますよ。


この伝承ではウガヤフキアエズの「ウ」ではなく「ユズカズラの葉」で葺いたとあります。
なるほど、コチラの方がリアリティがありますね。

幹は骨組みに使えそうだし、葉を屋根に葺いたら、一本の木で材料は揃うようです。
実際どうだったのでしょうか。

豊玉姫のお産に使われた種類の木ということで、安産のお守りになったそうですが、氏子さんお話では、最近は「産の柴」を御守りにする人もあまりないということでした。
でも、現在の大人の皆さんはこの神木に守られて成長されたんですね。

伝承からは思いがけない話もいくつか出てきました。

豊玉姫の住んでいた宮殿はここにあったそうです。

山幸彦は香椎宮を拠点としていた?
古賀市の愛鷹(あしだか)神社に山幸彦の名が出てくるのが不思議だったのですが、
糸島の高祖山から香椎まで、山幸彦の伝承は思いがけず広大になってきました。

事実がどうなのかは確かめようもないですが、
豊玉姫の物語を持っているのは安曇族ですから、安曇族が早くからこの島に入植して、姉妹の姫神を祀っていたのは明らかです。

もし、本当にここに海神宮があったとしたら面白いことになりますね。

一方、夫の山幸彦は島内では「高妻神社」の方に祀られています。
この日は行かなかったのですが、道は草が生い茂っていたそうです。
社伝の後ろに磐座があったという話も聞きました。

「新宮町誌」を見ると、高妻権現社が正式名で、祭神は彦火火出見尊。
島の人たちは高神(位の高い神)と信仰しているそうです。

なになに?
「元来祭神の彦火火出見尊は気性の荒い神様で、気に入らないとひどい神罰があるということで、いくつかの禁忌がある。その第一は女人禁制である。云々」
と書いてありましたよ。

女人禁制だったんだ。
よかったあ。行かなくて (・_・)



さて、このユズカズラの木を見て、
「海人族のいかだダア」と驚いて声を上げる人がいました。
そうか、そうだね。
この幹はまっすぐ棒状になっているので、切れば枝打ちせずにイカダが組めるんですね!

そうか、海人族たちは湊みなとで、船の材料を植えて行ったんだ。
丸太が揃えばロープがいる。
古代のロープは「かづら」。
それは、五月に見た熊本のアイラトビカヅラから繋がっていた物語でした。

次回は、そのアイラトビカヅラの話をしましょう。







いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-07-20 15:22 | 相島 | Trackback | Comments(6)

豊玉姫の宮


志登神社の火災の画像を見て、私は木花咲耶姫の燃える産屋と重ね合わせていた。

一夜の契りで懐妊したことを疑われた木花咲耶姫は産屋を塗り固めさせ、火を付けさせた。
身の潔白を証明するために。
山の姫神ならではの方法だった。

一方、豊玉姫の場合。
懐妊に気付いた豊玉姫は三年暮らした夫を追い掛けて上陸。
産屋を作らせたが、屋根を葺くのが間に合わずに出産する。
亀に戻った姿を見られた姫は子供を残して泣く泣く故郷へ一人帰っていった。

しかし、妹の玉依姫はのちに普通に出産した。

炎(ほむら)の中で真実を伝えようとする国津神の姫の思いが
志登神社の祭神、豊玉姫の思いに重なった。

豊玉姫の真実は分からない。

多分、対馬を拠点としたと思われる海人族の姫は
舟に乗ってはるばると大きな島にやって来た。

その上陸地が志登神社の辺り。
弥生の湊があったのだろう。

志登神社 御祭神
豊玉姫命
相殿 和多津見神 息長帯姫 彦火々出見尊 武内宿禰命
相殿 高祖明神 志賀明神 神功皇后 高良明神 『和漢三才図会』
相殿 高祖明神 神功皇后 高良明神 『筑前国続風土記』
上記祭神の高祖明神は高祖神社祭神・彦火々出見尊、
高良明神は、高良神社祭神・武内宿禰命である。(hp玄松子による)


祭神の面々を見ると、あの神功皇后の時代の祭神たちまでもが祀られている。
ここは伊都国の領地だろうが、五十迹手より前の時代に、
綿津見の神を奉斎する安曇たちが船を着ける湊でもあったのだろう。

博多湾は干潟だったので、船を着けるとしたら伊都国か、阿曇鄕あたりの奴国が適地だった。
すでに志賀島から東を掌握していた安曇族は伊都国に豊玉姫を送り届けたのだろうか。
玉依姫と共に。

のちに、ここからも神功皇后の時代に安曇たちは新羅に向かって船を漕ぎ出した。
五十迹手(いとて)の軍船と共に。

志登神社の炎上は、神話のオブラートに包まれて隠された歴史の真実を
伝えようとしているように思えてならない。



ずっと前に見た夢があった。

童女が何日か続けて夢に出た。その童女が私を海の底に連れて行った。
そこで見たものは、力なく横たわる姫。
赤い着物を着ていた。
私は何とかしなくてはとエネルギーを送った。
エネルギーを送るなんて、現実界ではしないのに。

あれは豊玉姫ではないか…。最近、よく思う。

先日、やはり赤い着物の豊玉姫の夢を見たという人がいた。

そして、また、こんな夢を見た人も。

Mさん
平成18年3月21日の夢。
前後の記憶は無し。十二単のような古代衣装の女性から美しい玉串のようなものを受け取った。それを手にしたとき女性は「私はトヨタマヒメといいます」と言った。それを持って私は現代の屋根の高い体育館のような大食堂にいた。その出入口らしき一角に移動式簡易トイレのような錆びたように汚れが付着した灰色の箱型のものがあり、私が何をしようとしていたかわからないが、ここではないなと思って、玉串を持ってその場を去った…夢の記憶はここまでです。私はその玉串の置き場所を探してきょろきょろしていたようでした。

その玉串のようなものを詳しく説明しますと、葉の形や全体の感じはお正月の鏡餅の下に敷く「ウラジロ」をもっと団扇のように横広くした感じで、全体的な色は綺麗な輝くような黄緑色。紙のような質感の半分が赤色で半分が白色の小さな長方形をしたものが全体にちらばって付いてる。それと、ソラ豆のような形をした金色に光るものがこれも全体的にちらばって付いている。受け取ったときは根元が私向き。
憶えている限り、登場人物が自分を名乗った唯一の夢で、とてもやさしい声でした。

当時、死やトヨタマヒメに関心があったわけでもなく、殆どの場合夢は記憶の整理と思う
私にはとても突飛な夢で、今でも鮮明に蘇ります。何かの暗示のようにも思うのですが、これと思い当たる出来事は今までなかったように思います。

この夢は先日、知り合いの宮司さんに話しましたら、シダ類は海人族に関係が深いので、ご縁のある古代人からの通信かもねとのご見解。なんとも言いようがないというのが本音でしょうね。


るな
メッセージドリームでしょうか。
これは誰かに解釈してもらうものではなく、探求していくことで次が明らかになっていく。
そんな気がします。豊玉姫が挨拶をするような立場の人。すでに色々と調べられたのでしょうが、調べて行く過程そのものが重要なことかもしれませんね。
不思議に豊玉姫の縁を感じる人が多いです。私も、ブログを始める前に見た夢に出て来た人はそれだったのかなと思ったりしています。豊玉姫に関しては、真実を明らかにする必要があるのだろうなと思っています。
答えになりませんが、以上です。


Mさん
この玉串を届けてほしい、といったメッセージではなかったかという想いがあります。
問題はその届先で、どうやって探し出せばよいのか途方に暮れるのですが、でもそれを見つけなければ、死ぬに死ねない気がします。

夢で聞いた豊玉姫のお声はうまく説明できませんが、とても優しく柔らかく、しかしはっきりとして、何か包み込まれるようなお声でした。お顔は誰に似ているというのは思いつきません。また、玉串のようなものに付いていた金色のものをソラ豆のような形と表現していましたが、本当のソラ豆より全体にもっと丸みがある感じです。何か他によい例えがないかと思います。


これを投稿しようとした矢先の志登神社の炎上だった。

アマミキヨさんのブログにシダが出ていなかっただろうか。
誰かこの続きの夢を見ていないだろうか。




c0222861_22434129.jpg





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-07-16 22:48 | 相島 | Trackback | Comments(0)

豊玉姫の宮 炎上



昨夜、toyotamahimeさんから悲痛なメールが。

「糸島の志登神社が燃えてます(TдT)
http://matome.naver.jp/odai/2140542249490829901 」


まさか。
大ショックでした。

何も分からない頃、一度訪ねただけの宮。
もう一度、いつか行きたいと思っていました。

「いつか」というのは無いに等しいことなのですね。
残念でたまりません。

最近は媛社神社も炎上してしまいました。
こちらは未参拝でした。

しかし、嘆いてばかりではいられません。
社は形のものです。信仰さえ失っていなければ、社は美しく再建されるのです。

豊玉姫は私たちに身を持って伝えようとしているのでしょうか。
真実の目を開けと。

志登神社は豊玉姫が上陸した場所と伝えられている宮なのです。

今、相島の話を書いている最中ですが、
まさに豊玉姫の伝承の宮に取り掛かろうとしている所でした。

心して書こうと思います。




志登神社






いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-07-16 00:17 | 相島 | Trackback | Comments(6)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー