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カテゴリ:ゾロアスター教( 4 )

ゾロアスター教(1)聖なる色「青と赤」


ゾロアスター教(1)
聖なる色「青と赤」

ゾロアスター教については「火星」の章に書いてあります。

拝火教。
真鍋の、それを語る感性に目を見開きながらも、
心は遠い歴史の地層を辿っていきます。

今回は聖なる色「青と赤」です。

西域の民族は、天を青、地を赤で表現した。蒼穹と砂漠の色彩である。人間は天地の間にあって、その生命を永久に伝える存在である。

女人の衣装に赤と青の聖色を配した発祥がここにある。

やがてこの信仰は拝火教によって東方に移り、月氏の民族によって宮殿や霊廟の装いに遷った。華厳の寺院がこれであり、白鳳天平の時代に成る大和の堂塔がこれである。

万葉集巻三 小野老(をののおゆ)(六九七~七三二)
 あをによし 寧楽の京師は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり
        (ならのみやこは)    (にほふがごとく)

「なり」は皇妃の古語であり、青丹(あをに)は女性母胎の象徴であり、後には衣袴(いこ)の詞になっていたから、奈良の大路を往き交う女官のあでやかな姿を謳った歌ということになる。

拝火教はZoroasterゾロアスター(前660~538)に始まり、Maniマニ(215~277)によって再興された西域の信仰であって、青は草木、赤は火焔に対応させた。

「青と赤」それは「天と地」の色で、西域の人はそれを「聖なる色」としたといいます。
「天と地の間」で「生命を永久に伝える存在」。
それが人間。


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画像出典
Desert and Dunes, Venezuela | Flickr – Photo Sharing!
この一文は中東の砂漠を生きる意味を深く考えさせます。
その過酷な環境に生まれたら、きっと今より深く「生きる」意味を考えることでしょう。




この「天と地」の「青と赤」を「女人の衣装」に配したといいますが、
「聖色」という言葉から「聖母マリアの色」を暗示していると思われます。



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マリア像 画像出典
http://www.art-library.com/bible/attribute-virgin-mary.html
聖母マリアは青いマントで描かれます。そして衣は赤。
青は天の真実、赤は神の慈愛を象徴します。
白いスカーフは純潔を表します。
これは、お決まりなんですね。

そこには天を青、地を赤とする、砂漠で生まれた思想が反映しているということになります。

聖なる青と赤は、紀元前の拝火教では「草木と火焔」のシンボルとなり、
紀元後のキリスト教では聖母のシンボルに取り入れられ、やがて東に広がり、
月氏によって白鳳天平時代に建築様式として日本にもたらされたということになります。


月氏。
それは平群氏と蘇我氏でした。


筑紫で孝元帝(前214~158)から清寧帝(480~484)の間に玄界灘の交易を掌握していた平群は近東系の出であって、月氏のササンの子孫であったと思われる。筑前早良の由来は「ささのあまのはら」で、平群氏が百済人をここに租界させた。
『儺の国の星拾遺』p244



「そが」は素娥と書き、月の東洋的異称であった。これに対して「へぐり」は平群と書き、月の西洋的異称であった。
和名鈔には筑前国早良郡の条に、まだ平群、蘇我の郷名が記録されているが、今はない。
『儺の国の星拾遺』p245


平群氏は弥生時代から古墳時代にかけて玄界灘の交易を掌握していたといいますから、
「聖なる色」は一度だけではなく、時代の変化に応じながら、
何度も日本に届けられたことになります。

あの万葉歌「あをによし」は都の建築の色彩を謳ったものと学びましたが、
真鍋は、あでやかに歩く女官たちの姿をも重ね合わせたものだと
伝えたかったのですね。

あをによし 寧楽の京師は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり
(青丹よし ならのみやこは さくはなの にほうがごとく いまさかりなり)

想像の中に新たに美しい衣が翻り、笑いさざめく声が加わりました。


(つづく)




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by lunabura | 2015-05-07 20:17 | ゾロアスター教 | Trackback | Comments(0)

ゾロアスター教(2)天変地異を知らせる聖なる火


ゾロアスター教(2)

天変地異を知らせる聖なる火

拝火教はZoroasterゾロアスター(前660~538)に始まり、Maniマニ(215~277)によって再興された西域の信仰であって、青は草木、赤は火焔に対応させた。

これは前回の最後の一文です。
ゾロアスターは紀元前660年生まれ。日本なら縄文から弥生へ移行する時期。
マニは215年生まれ。日本では弥生時代末期、神功皇后や卑弥呼の時代。

ゾロアスターとマニの関係に関して、ウィキぺディアを見ると、
ゾロアスター教はマニに影響を与えた一つと考えられているようで、
真鍋のいう、ゾロアスター教の「再興」とはニュアンスが違っています。

そして、前回の記事に「月氏が宮殿や霊廟の装い」で華厳の寺院を彩ったというので、
華厳を調べてみましたが、「華厳経」という言葉しか見当たりません。

「華厳経」はアヴァタンサカ・スートラと言い、3世紀頃に中央アジア(西域)で
まとめられたもの、とありました。
ですから、マニとほぼ同時代のものとなります。

聖なる色「赤と青」のうち、青は草木と変化したので、「赤と緑」という組み合わせになり、
寺院を飾る色となったことになります。
画像出典 http://www.yunphoto.net/jp/photobase/yp13944.html

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月氏の建築の装いとはこのような配色を表しています。



次はゾロアスター教の画像です。

画像出典http://shinsengumi3.seesaa.net/article/144960592.html
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右の黄金のオーラに輝く人がゾロアスターです。白い衣装が特徴です。
中央には火が焚かれています。これが拝火教のシンボルです。

真鍋の文を読みましょう。
拝火教は、元来は砂漠の中に現れる自然発火や蜃気楼をみて、天地の安穏を祈る信仰であった。

夢幻のごとき描写を砂上の楼閣というのは、時ならぬオアシスの蒸気の噴出が空中に無人境の彼方の部落を映し出す光景であって、その気配を一目見て、天地の異変を吠えたてる犬を従者に侍らしていた。

神社の高麗狗(こまいぬ)の石像の発祥と、華厳の寺院の建立が時を同じくする所以である。
『儺の国の星』142

拝火教の火は単なる焚火ではなく、砂漠の中の石油の自然発火などから天変地異を察して、
無事であるように祈る信仰だと真鍋は言います。

砂漠に滲み出た石油が燃えている映像を見たことがあります。
大地が直接燃えている印象です。
また、絵里さんは中東の洞窟の中に入り、人々が石油の炎に祈りを捧げているのを
目撃したと教えてくれました。

「砂漠の火」と「天地の異変」とはどう関わるのか、さらに説明がありました。
大地の岩漿が沸騰し始めると、その上にある石油の地層は、激しい噴気を高熱高圧をもって砂漠の砂礫の間から地上にあふれさせる。

これに日中の直射、すでにオアシスまで昇華させる熱気が瞬間に引火させて昼夜の別なく燃え続ける。

近東の民族はこれを聖火と拝し、天地の潰滅がいささかでも多からぬことを大地にひれふして必死で祈ったのである。『儺の国の星』143

石油が地上にあふれ出すのは地下の岩漿、即ちマグマが沸騰し始めた影響だといいます。
その後は大地震や噴火の恐れがあるのを経験的に知っていて、
近東の民は大地にひれふして祈るというのです。

これが拝火教で、唐代には祆教(けんきょう)として、光仁帝(七八一年)に長安の都にまでおよんだ古代民族の信仰であった。


拝火教は善悪二元論で説明されているようですが、
大地に燃えだす火を天変地異の前兆として畏れる信仰がもともとの姿だと伺えます。

(つづく)




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by lunabura | 2015-05-07 20:16 | ゾロアスター教 | Trackback | Comments(2)

ゾロアスター教(3)大地の神 エンキ 天の神 マツダ ラ―


ゾロアスター教(3)

大地の神 エンキ 天の神 マツダ ラ―

マグマが石油の地層を押し上げ、蒸気となり、太陽の熱が火をつけたとき、
人々は神の怒りをそこに見ました。

大地の神の怒気が地上の人間の悪業を焼きつくす前兆がこの聖火であった。大陸では燎原の炎と恐れ、人間の力ではもはや御する能わざる炎としたのである。

大地の底なる神は、炎帝、閻魔さらに遠く近東では厄鬼と恐れた。いずれも五千年昔のEnkhiエンキの音訳であった。『儺の国の星』143

大地を焼く神はその地下にいる。それをエン帝、エンマ、ヤッキと恐れたが、
それはもともとエンキから派生した言葉だといいます。

画像出典 ウィキペディア
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エンキです。


以下はウィキペディアから。
エンキ
エンキの正確な意味は不明であるものの、一般的には「地の王(Lord of the Earth)」を表す(シュメール語でenは「王」、kiは、不明もしくは「盛り土、小山(mound)」の意)。


シュメール語が発音を留めながら変化して中国では炎帝、閻魔と発展していきます。
炎帝について、百科事典マイペディアから。

炎帝【えんてい】
中国の伝説的な帝王。姜(きょう)姓の祖。神農と習合して炎帝神農氏と呼ばれ,火,竈(かまど),太陽などに関係づけられる。

火のイメージから太陽と関連づけられたといいます。


エンキとエンリル。アヌンナキ。二ビル。マルドゥク。
古代シュメールの神々。
昔、この話をエハン・デラヴィから何度か聞きました。

粘土板に書かれた文字を解読した結果、宇宙規模の壮大な話が現れましたが、
それは私たち人類の起源、知恵と陰謀に関わるものでした。

もともと、地球外生命体、エンキとエンリルの兄弟が人類に対して
一方は奴隷化をもくろみ、一方は知恵を授けたため、
人類の支配者と非支配者層を生み出した。
そんなストーリーだったと思います。

粘土板はヨーロッパに船で輸送されるとき、
適当に箱詰めされたので、到着した時は、かなりのものが壊れたと聞きます。

本来は学術的に翻訳されるレベルのものらしいですが、
日本では「ムー」の方で発表されたので、
トンデモのジャンルで扱われるようになったと聞きます。

その名を真鍋から聞くとはびっくり。真鍋の知識は何処まで深いのでしょうか。

大地の神、エンキ。
そしてそれに劫火を点ずる天の神はマツダやラ―であったと真鍋はいいます。

 聖火は大地の神の憤激がおさまると消える。この期間は七日であった。ここに七曜の発祥が存在するのである。石油の湯気に劫火を点ずる天の神がMazdaマツダであった。

エジプトではRahラーであった。天と地が合わせて火を注ぐ時が、人間を永久に見放す時であった。A.Dante(1265~1321)描くところの神曲の修羅の光景がそれである。『儺の国の星』144

マツダは「アフラ・マズダー」と言います。「アフラ」は「阿修羅」と変化したそうです。

引用文の、ダンテの神曲の「修羅の光景」という言葉にも、
分かる人には分かるように書かれているのでしょう。



「マツダ」MAZDAは、自動車会社にも付けられていますね。
「かつてのゼネラル・エレクトリックの電球のブランドだったマツダランプ
(日本では提携先の東芝の製品が名乗った)、自動車メーカーのマツダの綴り「MAZDA」は
ここから取ったといわれている。」(ウィキペディアア)

とあるので、電球を手に入れた人間の喜びが火の神の名を付けさせたのでしょうか。


画像出典 ウィキペディア
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右がアフラ・マツダー。王権の象徴を渡すシーンです。

馬は鞍も鐙(あぶみ)もついていないですね。
(「馬具が出土しないから馬はいない」という理論は当てはまらない証拠)

王権の象徴は「輪っか」です。これって、「璧」(へき)に似てません?

画像出典 ウィキペディア
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マツダの渡す王権のシンボル「輪」は中国皇帝の王権のシンボル「璧」となった‥
なんて、誰か論文を書いてくれてないかな。^^



マツダはエジプトではラ―と呼ばれました。

画像出典 ウィキペディア
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これはラ―。

ラーはハヤブサの頭をもつ姿で描かれることが多い。(略)セクメトはラーが人間を滅ぼすためにその目から生み出されたとされる。ラーを象徴する元素と色はそれぞれ火と赤。(ウィキペディア)

「地の神」と「天の神」は人間の業が極まった時、
総てを焼きつくす劫火となって人類を滅ぼすというのです。

砂漠の世界に憎しみと悲しみの連鎖が始まった今、
人間の知恵で灌漑用水と緑がもたらされ、
人々が植物を育てる喜びに満たされるよう、祈らずにはいられません。







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by lunabura | 2015-05-07 20:13 | ゾロアスター教 | Trackback | Comments(2)

ゾロアスター教(4)本朝では穴遅(あなむち)として神代に現れた


ゾロアスター教(4)

本朝では穴遅(あなむち)として神代に現れた



画像出典 ウィキペディア
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これはゾロアスター教の守護霊 ブラワヴァシ。
「輪っか」持ってます。



ゾロアスター(2)で紹介した画像の上、左右の人の上にブラワヴァシが描かれていました。
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それぞれに守護霊がいるということでしょうね。

ブラワヴァシは盂蘭盆(うらぼん)に変化したそうです。
仏教語もインドから来たので、ルーツを辿っていくと
中東文明に行き当たるのも当然ちゃ、当然でしょう。

だんだん純粋な日本語は何なのか分からなくなってきました。(^_^;)




さて、ゾロアスターシリーズの真鍋の最後の文です。

 本朝では穴遅(あなむち)として神代に現れ、天平の頃は穴師(あなし)あるいは賀名生(あのう)と呼ばれ、溶鉄錬金の橐師(たくし)工人の氏族の別名となった。炉の火口(ほくち)の色がまさに火星そのものの遠見(とおけん)であった。

ここに「あなしぼし」が約されて「のちのほし」に生れ変る歴史がいきていたのである。(※橐=ふいご)『儺の国の星』143

日本に入って来ると、大地の火の神は穴遅と呼ばれ、
熔鉄錬金のフイゴの工人の氏族の別名となったといいます。

のちに、「天平の頃は穴師、賀名生と呼ばれた。」とあるので、賀名生を検索すると、
奈良県吉野にある地名で、元は「穴生」と書いたとあります。

吉野の穴で思い出すのは、イワレビコの東征で出会う不思議な人たちです。
イワレビコはのちに神武天皇となります。(日本書紀から、るな訳)

イワレビコの命は教えの通りに、八咫烏の後から行軍し、吉野河の川尻に着いたとき、梁(やな、竹の仕掛け)を伏せて、魚を取っている人がいた。
そこで、イワレビコの命は「そなたは誰か。」と尋ねると、「私は国つ神、名はニヘモツの子と言います。」と答えました。(これはアダの鵜飼の祖である。)

そこからさらに進むと、尻尾がある人が井戸から出て来ました。その井戸に光が有りました。そこで、「そなたは誰か。」と尋ねると、「私めは国つ神、名はイヒカと言います。」と答えました。(これは吉野首らの祖である。)

そこでその山の中に入って行くと、また尻尾がある人に会いました。この人は岩を押し分けて出て来ました。そこで、「そなたは誰か。」と尋ねると、「私めは国つ神、名はイワオシワクの子と言います。今、天つ神の御子が来られたと聞いたので、御迎えに来ました。」と答えました。(これは吉野の国巣の祖。)


井戸から尻尾がある人が出てきました。国津神の「イヒカ」です。
井戸は「穴」と言い換えてもいいですね。
尻尾とは腰に下げた毛皮で、井戸とは坑道ではないかと考えています。
国津神とは光を灯しながら鉱物を掘る人たちのことではないでしょうか。

次に会った尻尾が在る人は岩を押し分けて出てきますが、
この人は「吉野の国巣の祖」と書いてあります。
国巣(くにす・くず)は石を組む人たちでしたね。
湊の石組(磯城・しき)を作ったり、古墳を作ったりしました。

この章は、神武天皇が入る前に、すでに鉱山や磯城を作る人たちが
入植していて、国津神と呼ばれていたことを示していると私は解釈しています。

この中の溶鉄錬金の工人を穴遅(あなむち)、穴師(あなし)、賀名生(あのう)
と呼んだことになります。

筑紫で言えば羽白熊鷲がその代表かな。

その「あのう」を変換すると「安納、安濃、穴太、阿納」と出てきました。
「あのお」を変換すると「穴生、穴太」。

共通する「穴太」を検索すると「石工衆」と出てきます。

穴太衆は、近江の比叡山山麓にある穴太(穴太ノ里[あのうのさと]などとも俗称。現在の滋賀県大津市坂本穴太。延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)の出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。寺院の石工を任されていたが、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになった。それ以降は江戸時代初頭に到るまでに多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで作られた。彼らは全国の藩に召し抱えられ、城石垣等を施工するようになったというが、不明な部分も多い。(ウィキペディア)

この穴太衆は熊本の石橋なども造ったという話をIさんから聞いたばかりだったので、
驚きました。(*_*;
こんな所でもシンクロ?!
つまり、「穴太」に注目しなさいってこと。(^_^;)

穴太衆がもともと古墳築造を行っていた石工の末裔なら、
さらに昔は国栖(くず)氏だったのではないでしょうか。
先程書いたように、国栖は湊の石を組むのが巧みで、
のちには大王の古墳も造ったと真鍋はいいます。

彼らは古墳の石室の築造を担当したのではないでしょうか。
土を盛るのは土師(はじ)氏です。

この二氏の組み合わせは、鉱山でも力を発揮します。
穴を掘る人たちと、穴を補強する人たちです。
これに加えて、堀った土から錬金する人たち。それが穴遅。

「穴遅」に「大」がつけば「大穴遅」。「おおなむち」です。
大己貴は宗像三女神の姉姫二人と結婚しましたね。
三神の新婚の住まいは?
英彦山の北嶽!

大己貴が訪れたという老松神社は飯塚市の出雲の近く。
そこの土師氏は菅原道真公が太宰府に左遷された時、援助した人たち。
道真公は土師氏。

何度も、この考察を繰り返し書いてしまいます。

古出雲のエリアは遠賀(おんが)川の上流から下流にかけて。
そして玄界灘の福津市津屋崎方面まで。

オンガさま、オオガさまとは大己貴という思いがさらに強くなりました。

遠賀川と玄界灘の連結点に熊鰐(くまわに)がいます。
熊鰐は大国主命と少彦名命を祀る氏族。そして、神武天皇の末裔でもある。
出雲と天皇家の連結点でもある。

八幡東区の仲宿神社にその熊鰐の館がありました。
熊鰐はイワレヒコの磐境神籬を守り続けました。(一宮神社参照)
神功皇后はそこに何度か訪れたことから、
その地名は皇后崎(こうがさき)となりました。

その近くには穴生、鉄竜、鉄王などの地名が連なります。
そこに陣営を張ったのが武内宿禰で、旗頭(はたがしら)神社となりました。

むむ。解けますな。
そこは古出雲の中でも、最先端の地域だったのでしょう。
武内宿禰が守ったのはもちろん神功皇后だけど、
あの地点を選んだのは、鉄がらみですね。


今週の14日(土曜日)は神功皇后がその熊鰐を祝福して祈った
豊山八幡神社の隣でお話会なのです。
御縁を感じます^^

遥か遠いゾロアスター教の大地の神は日本に来て穴遅となった。
その始まりは遠賀川から玄界灘にかけての古出雲ではないか。
その末裔が熊鰐一族。

やっぱり今日もこの結論になってしまいました。(^_^;)







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by lunabura | 2015-05-07 20:13 | ゾロアスター教 | Trackback | Comments(4)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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