ひもろぎ逍遥

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カテゴリ:<ことのかたり>( 11 )

ことのかたり 豊玉姫と岩戸


ことのかたり

豊玉姫と岩戸
 

10月10日。

糸島の二見ケ浦にある夫婦岩のロケの準備のため、
あらためて櫻井神社のHPの縁起を見た。

<寛永6年(1629)のご神宣に
『わが邦、神の末より海と人との通路を断ちて二千余年を経たり、
今故ありてここに現ず、
岩戸は海の宮の通路なり、
正直を心として謀計を断ち清浄にしてわれに仕えなば、
禍を除き安穏ならしめんとなり>
と書かれている。

この神宣は二見ケ浦の夫婦岩に関するものだ。

つまり、夫婦岩は岩戸であり、海(わたつみ)の宮への通路だったのだ。
それが当時から計算して2000年あまり前に、
海と人との通路が断たれたが、ゆえあって、
1629年に通路が再び現れたという。

今から2400年前に、岩戸の通路を誰が断ったのか。

その答えを菊如が歴史カフェの時に話していた。

「夫婦岩の岩戸を誰が封じたのかと思っていたけど、
豊玉姫だったのねえ」
と。

日本書紀ではこうだ。

「豊玉姫は龍になって出産しているのを山幸彦に覗かれたことを知って
子供を萱(かや)で包んで海辺に捨て、海の道を閉じて去ってしまった。」

この閉じた海の道が眼前の夫婦岩の岩戸だったのだ。

豊玉姫は懐妊を知って、夫を追って糸島の志登神社に上陸した。
出産しようとして、この結果になった。

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夫婦岩は海の宮への道であり、豊玉姫が岩戸を閉じた。
江戸時代にその岩戸が開いた。

その後、再び閉じたのだろうか、
平成になって再び岩戸が開かれるのを菊如と崋山は見たという。

海神(わだつみのかみ)の娘、豊玉姫。
志賀海神社は龍(たつ)の都。
竜女とされる豊玉姫。

10月10日のロケを通して、伝承が繋がった。

そして、その夜、菊如から電話があった。
同じ日に菊如たちにも豊玉姫の動きがあったという。

10月10日に意味があったのだろう。
糸島と大島で別々に豊玉姫にかかわった。
これは「始まり」なのだ。


実は、「ひめちゃご」の続きは既に始まっている。
「ひめちゃご」の最後を書くまで、
備忘のために、この「ことのかたり」に置いておこうと思う。


<2017年10月11日>




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by lunabura | 2017-10-11 22:07 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(2)

ことのかたり 「壹與」 そっとしておいて


ことのかたり

「壹與」 

そっとしておいて
 


2017年10月8日。

ラブエフエムの「福岡古代の旅」で講演をした日、
みやま市のブースで地図を手に入れた。

そこに描かれた赤い道を見ているうちに、
かつてこの町の名の知れぬ古墳に行ったことを思い出した。

その時の顔ぶれはマナミとシータと私の三人だった。

その古墳とは、マナミが夢で教えられて探し出した「壹與」の墓だった。

リーディングが出来るシータを連れて来て、
墓の主からのメッセージを聞き取る試みだった。

私は単に二人に付いて回っただけだ。

壹與の墓は土の小山で、前方後円墳特有のくびれがあった。
手前には供え物が置かれ、誰かが祈っている痕跡があった。

シータはしばらく瞑目していたが、
「そっとしておいて下さいって」
と言った。

あっけない話だった。

壹與とは、あの卑弥呼の後に立てられた巫女だ。

壹與は現代の卑弥呼狂騒曲の騒ぎに巻き込まれたくなかったのか。

墓の主が「そっとしておいて」と言うのだ。
だから、私は、この墓の場所を人に話すことを封印した。
もちろん、これが壹與の墓かどうか、検証のしようもなかった。


あれから十年以上も経つ。

墓の話は封印したはずだったが、
久しぶりに会ったウメとタケ、そして現地の地図。

これを前にして私は語らずにはいられなかった。
墓の場所を指さし、
「結局、そっとしておいてほしい、というだけだったの」
と私は言った。

ところが、タケが意外にも反応した。
「『そっとしておいて』とは、生きている間の話?
何かあった時の話?それとも」
私はさえぎった。
「お墓がそこにあることを人に教えないで、
という意味だと思ったけど」
そう言いながら、珍しく気色ばんだ表情を見せるタケを見た。

普段は淡々としているタケが、どうして突っ込んでくる?

私ははっとした。
「まさか、あなた壹與だったの?」
タケはうなずいた。そして、夢の話をした。
「子供の頃いつも同じ夢を見ていた。
甕(かめ)の中に隠れたのを男の人に見つけられる夢。
それと、スーパーに行くと
階段の踊り場で血だらけになって殺された女の人を幻視していた」

「甕の中に隠れていたのがあなた?」
「そう」
「その男の人の顔には青い入れ墨がこんな風に入っていたのよ」
と、そばにいたウメが言った。
その両手は目の下と頬のところを内側から外になぞった。

タケはうなずきながら、
「いやだったのよ。
卑弥呼には憧れていたけど、まさかその跡継ぎを自分がするなんて」

「ああ、脇巫女のように、女の子が集められて巫女として育てられ、
優れた女の子が姫巫女となるように、あなたが選ばれた。
それが嫌で甕に隠れた」

タケはうなずいた。
「ほっといてほしかった。私は卑弥呼の代わりなんて出来ない」

「そうか、普通の巫女でよかったのに、
国々をまとめる地位に出されるんだから、そりゃあ嫌よね」

その「ほっといて」という思いと、
みやま市の墓の主の言葉がオーバラップした。

魂の癖が重なった。
だから、タケは反応した。

しかし、壹與の墓がみやま市にある点には疑問が湧いたようだ。
タケは
「卑弥呼の話は山口という説もあるんでしょ」と言った
「そうね。マクモニーグルがリモートビューイングした結果ではね。
確か、中国から筑後地方、山口、奈良と遷って行った話がある」

マクモニーグルの本には手書きした卑弥呼の顔も載っている。

その顔とそっくりな女の子を私は知っていた。
たまたまその子はみやま市出身だった。
会うたびにしげしげとその顔を見たものだ。

「で、卑弥呼は?」
と私が言いかけると、血の海に倒れた卑弥呼の姿が浮かんだ。

「え?卑弥呼は殺されたの?
それが、タケが幻視していた踊り場の死体?」
タケはうなずいた。

「でも、自死したって魏志倭人伝には書かれてる。
自殺したんじゃなくて、殺された?」
タケとウメはうなずいた。

「そうか、自殺か他殺かは本当のところは分からないよね。
で、誰に殺されたの?」

「当時の大臣のような身分で、卑弥呼と意見が合わなくなった人」
そう言って、ウメが説明を始めた。
「例えば、食糧がよく採れるところを教えてほしいと尋ねると、
どこそこ、と卑弥呼がお告げを答えるでしょ。

ところが、その場所が隣のクニの中にあったりする場合もあるわけ。
大臣は『卑弥呼さまの命令だ』と言って、侵略して奪ったりする。

でも、卑弥呼はそういうつもりではなかった。
単に場所を告げただけ」
「そうか。卑弥呼は宮殿に籠っているばかりだから、
外界を知らなくて、クニの境がどうなっているか、知りもしないのね」
「そう。だから、言った、言わない、の言い争いになって、
だんだん対立していった」

そんな話だった。

卑弥呼の死。248年。
当時、壹與は13歳。

その古墳の場所はここには書けない。
当たっているかどうかも分からない。

が、
縁のある人はそこを自ら見つけ出すのだろう。



<2017年10月9日>






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by lunabura | 2017-10-09 19:53 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(7)

筑紫三宅連得許(とくこ)という人


ことのかたり

筑紫三宅連得許(とくこ)という人
 



今日は中大兄皇子の年表を作ってました。



中大兄皇子は白村江の戦いのあと、即位する前に、
みやま市(旧山門郡)に来ているんですね。

母帝が朝倉で亡くなった時、皇子は37歳。

白村江の戦いの時は39歳。

敗戦後、タイトルの筑紫三宅連得許(とくこ)という人は
捕虜となって唐に連行されてしまいます。

三宅って、大牟田かと思ったんだけど、違うのかなあ。



得許は死刑を免れて日本に戻って来たけど、その時は既に天武天皇13年。
二十一年ぶりの帰国でした。
新羅経由だったと『日本書紀』には書かれています。

中大兄皇子(天智天皇)の崩御はわずか47歳の時でした。



帰還した得許は旧山門郡までやって来て中大兄皇子の祈りの場を訪ねます。

それが、みやま市の太神宮(だいじんぐう)。
七支刀を持った神像がある磯上物部神社のすぐ近くです。

太神宮では天智天皇が即位する前に神籬を作って、朝夕祈っていたそうです。





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得許は太神宮を奉納したといいます。
祭神は天照大神。

得許が捕虜になった時はまだ若々しかった中大兄皇子。
まさか、あの中大兄皇子が自分より先に亡くなるとは。

そんな得許の思いが伝わってきそうです。

供養の意味を込めて神籬の後を神宮にしたのでしょうね。
きっと、生前の皇子のことを良く知っていたのでしょう。











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by lunabura | 2016-08-26 22:10 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(9)

ことのかたり 田原麻瑠


ことのかたり

田原麻瑠
たばらまる 


ワシの子供の頃は、山から鬼が降りて来ては村人をよくさらっていた。
鬼たちは山で金やら鉄やらをこしらえていたらしい。

さらわれるのは女だけではない。
男もさらわれては死ぬまで穴の中で働かされると聞いていた。


だから、景行天皇が来て、鬼たちをやっつけてくれてからは、
ワシらはようやく安心して暮らせるようになったんだ。

その御子のヤマトタケルさまも残りの鬼たちを退治したが、
タケルさまご自身が早くに亡くなってしまった。



続けて、その御子の仲哀天皇が来られた時には、
ワシも成人していたから、是非ともその軍に加えてほしかったんだが、
仲哀天皇もまた亡くなってしもうてのう。



ところが、そのお后様の神功皇后が天皇の意思を継いで熊襲を成敗したうえに、
新羅を成敗すると聞いたもんだから、
ワシは飛んで行ったさ。

この鷹羽(田川)の田舎は、ワシの力を発揮するには少々狭いでの。



海を渡っての戦いだ。
ここら辺の小さな舟ではなく、たいそう大きな船だと聞いた。
海とはどんなものか、一目見たかったしな。

だがな。
海はしんどかった。
波があってのう。

生きた心地がしないというのは、あんなことを言うんだなあ。




皇后さま?
それはそれはお美しい方だった。

肌が白くて、蝋のようだったぞ。
ここらの女にそんな白い者はいないで、びっくりしたさ。


戦いから戻って皇后がお産をされた時、
その産屋を八人の兵士が白旗を掲げて守ったというが、
その一人がこのワシだ。

12月も終わりの頃で、それは寒かったさ。
凍えた手で持つ旗竿は氷のようだった。

しかし、大きな産声を聞いた時は、男のワシでも涙が出たさ。



皇后さまが皇子さまを抱いて輿に乗って聖母宮に向かわれる時には、
ワシ等は白旗を掲げてお守りしたものだ。

音楽隊も誇らしげに音を鳴らしていたぞ。
音楽隊は武内宿禰さまの楽隊だ。


春、雪解けを待ってショウケ越えをした。
あの山道の厳しさは今でも語り草だ。




皇后さまは大分(だいぶ)宮で軍隊を解散されたが、
ワシはすぐには帰らなかった。
ずっとお傍にお仕えしたかったからな。

だから、再び豊浦宮へ戻られる時も、旗を掲げてお守りしたさ。
他の武将たちも、分かれ難くて、飯塚までお供していたな。


ワシが鷹羽に戻ってくると、皆が迎えてくれてビックリしたさ。
ワシは英雄になっておった。

どうだ。この白旗。
今でもワシの宝だ。



家宝にして、子々孫々、伝えることにしたぞ。





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『神功皇后伝承を歩く』上巻16




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by lunabura | 2016-06-27 20:13 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(0)

火清鳴弦御祈祷 ひきめんごきとう


ことのかたり

火清鳴弦御祈祷
 ひきめんごきとう



神功皇后さまが出産されるときは、
まだ戦(いくさ)のさなかということで、
周囲には八人の兵士がそれぞれ白い旗を掲げてお守りしていました。

皇后さまは槐(えんじゅ)の木に取りすがって出産されましたが、
難産でございました。

亡霊たちの障りがあってはならぬと、
磯良さまは弓を取って鳴らし、魔を払われました。

これを火清鳴弦(ひきめん)御祈祷と申します。

風浪宮でも大善寺玉垂宮でも、後の世までも
幾久しく執り行っていると聞きます。




大善寺では高良大菩薩がされたというのですか?

風浪宮でも火清鳴弦は磯良さまがされたと伝えているので、
高良大菩薩と磯良さまは同じ方なのでしょう。

火清鳴弦は船を出すときに行うものと聞いておりますゆえ、
海の民の風習なのでございましょうよ。



その甲斐もあって、皇后さまは、見事、玉のような皇子をお生みになりました。
それはそれは、皆の衆は喜びに沸きたちました。

落ち着いてから、皇后さまは警護の十分な久山の斎宮に遷られました。
皆はそこを聖母(しょうも)の宮と呼びました。


しかし、皇后さまの産後の肥立ちが悪く、皆はとても心配しました。

ご神託を受けることになりました。
すると、武雄で療養するように、とあったのです。

そう、そこには温泉が湧いているのでございます。

武内宿禰さまのご実家がある所でもあり、警護も充分な場所ということで、
良き日に遷られました。

あとから豊姫さまも向かわれました。
豊姫さまは神功皇后の御妹で、武内宿禰さまのお妃さまです。


真冬の寒さ厳しい日々でした。
私どもは、どれほど心配してお待ちしたことか。

皇后さまが元気になって戻って来られると、皆、寒さも忘れて喜んだものです。

皇后さまが皇子様にお乳をふくませると、皇子様の頬が真っ赤になって、
お世話する私たちも幸せな心持ちになったものでございます。




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『神功皇后伝承を歩く』77 風浪宮

82 宇美八幡宮
37 斎宮






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by lunabura | 2016-06-25 21:03 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(2)

磯良の最期


ことのかたり

磯良の最期
 

海で鍛えた、たくましい肉体を持った磯良さまも、
最期は足が弱られたのでしょう、
再び大善寺に来られた時には御輿に乗っておられました。


すでに、ここを死地とする覚悟を決めておられたようでした。

三韓から戻って留め置かれたままの御座船の覆いを取るように命ぜられると、
棚や道具を一つ一つご覧になり、
そのあと、竜骨を除いてすべてを燃やすように命じられました。

棚は、神功皇后が志賀島で命じられて作った棚でございます。
皇后さまは朝な夕な、その棚に供え物を置いて神々に祈られたと聞きます。

磯良さまは、一時期は戦いに船団を出すことをためらうようになられたのですが、
皇后さまの祈りの姿に心打たれ、
その船の舵取りをすることを決意されたと聞きました。

奈多(なた)の浜で八乙女が七日七晩、磯良さまを前にして
豊玉姫さまたちのために神楽を舞った時の華やかさは
今でも聞き伝えております。


竜骨だけは、ご神体としてお祀りするように命じられました。

御座船の跡には、朝妻を勧請されました。
あさづまとは、味水御井神社のことでございます。

かつては朝妻七社といって、
神功皇后を始めとする七柱の神が祀られていたのです。


すべてを采配されると、磯良さまは静かに息を引き取られました。

その墓所は高三潴(たかみづま)にございます。
石の棺に剣を二振り置いて、埋葬されました。

磯良さまの名前はシリウスという意味です。
夜空で一番明るく、真っ白に輝いて、航海の民を導く星のことです。

私どもは、その御墓に参る時、牡蠣殻を持っていっては、
封土に置きました。

そう、夜空にシリウスが輝くように、
牡蠣殻で磯良さまの墓を白く輝かせたかったのです。

高良玉垂宮神秘書 534条 536条 





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『神功皇后伝承を歩く』下巻78 大善寺玉垂宮









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by lunabura | 2016-06-23 20:03 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(2)

磯良と大善寺


ことのかたり

磯良と大善寺
 




磯良さまと大善寺のことをお尋ねですか?

磯良さまは大善寺から「ありなれ河」に小船を召されて、
皇后さまと筑前宇美の河内にお着きになられました。

皇后さまが出産されると、ご一緒に都に上られましたよ。



当時の都ですか?
長門(下関)にございました。
仲哀天皇の都でございます。


そののち、皇后さまが崩御されると、磯良さまは
仁徳天皇の御代になって、大善寺に船で戻ってこられました。

大善寺は三韓征伐から戻って来た時、初めて上陸された所なので、
その時の御座船を大事に置かれていたのです。
もちろん、磯良さまが舵取りをされた船です。


その前の川は「天の川」にちなんで「あれなれ河」と名付けられました。
そうして、川のほとりの黒木で船を新たに作らせて、
酒見に上陸され、風浪権現を祀られました。

風浪権現とは玄界灘の荒波から船団を守られた綿津見神のことでございます。
それから九十九尊を祀られました。
九十九尊とは、天の二十八宿、地の三十六宿に二十五を合わせたものです。

磯良さまは、それから黒崎に船を寄せられ、
高良山に御遷幸されたように、そこに遷幸されたのです。
黒木の船を寄せたので、黒崎と言うようになりました。

他に、暗くなって着いたので黒崎と言うようになったと言う者もございます。


高良玉垂宮神秘書 533条






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拙著『神功皇后伝承を歩く』下巻 77 風浪宮




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by lunabura | 2016-06-22 20:43 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(0)

天智


ことのかたり

天智
てんじ
 


我々は遠賀川の磐瀬宮には船で来た。
嵐に巻き込まれたのだ。
海から入ってきた。

当時の日本の列島のようすか?
三つの大きな部族でできていた。
日本国。
倭国。
青い目をした部族。(蝦夷)

日本国がヤマトの国だ。

物部の目の色か?
物部は黒だ。

天武との関係を知りたいのか?
我と天武とは母が違った。

筑紫にはいろいろな国から船が入って来て、もめておる。
新羅の船も襲って来ておる。


唐と戦うための布陣か?
本陣は長崎の諫早にあった。
もう一か所は門司~山口あたり。

我らの船団は七艘だ。
倭国の船の方が多かった。
われらの船には3本の帆柱があった。

我は航路をいつも考えておったぞ。

白村江か?
我が船も百済に行った。
が、この地に流れ着き、助けてもらった。

白村江のあと、日本がどうなったかを知りたいのか?
新羅の後陣が二回攻撃してきた。
唐は来なかった。


                 




小文。

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by lunabura | 2016-05-09 20:27 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(0)

額田


ことのかたり

額田
ぬかた 



わらわに新北津(にぎたつ)の話を聞きたいのか。
鏡のことを聞きたいのか。

物部はあの土地を大事にしておった。
神が降りてくる。

あの土地、山の上、豊日宮の山に二か月、
宿を取らしてもらった。

大きな神社があった。
そこで二か月過ごした。

わらわはそこで祭祀をしておった。

物部にわらわの六角の鏡が欲しいと言われ、
礼に差し上げた。

鏡を渡した者の名は三郎サネアツ。
小さいが、のちに頭首になった。

その鏡、嬉しそうに持っていたぞ。
心を鎮める鏡。

物部は鏡を何故探しているのか。

失くしたのか。
それなら、これこれの神社で探すとよい。


大きな船でやってくる者たちの攻撃はひどかった。
この地を守らねばならなかった。

戦は好かん。


我らの船は嵐で行けなくなって磐瀬宮に留まった。
主は女帝。斉明。
ご神託をされていた。



天智?
天智を愛してはおらぬが、結婚せねばならなかった。
子は3人。男一名、女二名。

天武とは腹違いじゃ。


わらわは天武を愛しておった。

のちに、天武天皇と結ばれた。

ののしる者も多かったがな。




◇◇ ◇
磐瀬宮 中間市
豊日宮 猿田峠





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by lunabura | 2016-05-04 21:37 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(0)

ふたつの剣


ことのかたり

ふたつの剣
 



サンジカネモチさまの三折剣(みつおれのけん)を持ち去ったという
月守の民の巫女とはどなたでしょうか。

名前をご存知ありませぬか。

私は預かった剣を箱に納めた者でございます。

一本目を箱に納めましたが、
さらにもう一本納めました。

何者かが背後にいましたが、
気付かれぬように納めました。


この二本の剣が草薙剣と三折剣ではなかったか。
そう思われてならぬのでございます。








―― 歴史カフェの連絡です ――


「歴史カフェ529」の参加申し込みをされた方で、
返信が戻ってくる方があります。

5月2日18時51分にgmailで送られたY・Mさま。
N・Hさまの分とご一緒に受付けております。

よろしくお願いします。










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by lunabura | 2016-05-03 16:37 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(11)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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