「ほっ」と。キャンペーン

ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:「ひめちゃご」( 61 )

ひめちゃご60 アイルランドのケルト テレビ備忘



ひめちゃご60

アイルランドのケルト 

テレビ備忘
 

昨夜、NHKでアイルランドのケルトを尋ねて
ロックルーの丘からタラの丘までを歩く特集があったので、
備忘録を書いておこう。



ロックルーの丘 ― クロッサキール ー ケルズ ー 
コージーファーム ー ワードの丘 ― ダンデリー ー タラの丘まで。


ハロウィンの原点の「ソーウィン」の祭を目指す旅だが、
当方は遺跡目当て。

今回はマウンドが空から写されていて興味深かった。







c0222861_20345355.jpg

ロックルーの丘。
魔女の椅子。



ケルト人は中央アジアから紀元前3世紀ごろにアイルランドに到達した。
鉄と馬を持っていたという。







c0222861_20351212.jpg

ケルト十字架の十字はキリスト教で、丸は太陽を表す。









c0222861_20352532.jpg

ケルト文化とキリスト教の習合による模様。










c0222861_20354072.jpg

途中で一瞬写ったマウンドの遺跡。
今ゆっくりと見ると、タオの勾玉から始まる文様だ。










c0222861_20355420.jpg

ハロウィーンの原点である「ソーウィン」。
大地の女神の名は「トラクタ」。
この祭は祖霊祭だ。









c0222861_20361659.jpg

最後にタラの丘。








c0222861_20363331.jpg

各地の王が年に一度集まって儀式をするという。





タラという地名は世界に分布する。






いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-02-23 20:39 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)

ひめちゃご59 ジンヨウとパオタン



ひめちゃご59

ジンヨウとパオタン
 


2016年12月5日 結願


スクネが現れて対話があったあと、話題は沖ノ島に移った。
菊如はスクネに島について尋ねた。

「沖ノ島は本来どんな島なのですかね。宝物がいっぱい出るんです」
「海から入ったり出たりする関所だ。
金の無い者はすべてを置いて行かせた。
入れるか入れぬかはそこで決める。
外からの金銀財宝が眠っている」

「神の島と言われているんですが」
「近寄らせぬためじゃ。参道の位置。湊から入って来た。
石があり、小高い山がある。そこから下に降りていく道がある。
あの大社はそれらを隠すためのもの。島には神などおらぬわ」

「誰が島に最初に入ったんですかね。
中国から三隻の船が入ってくるのが見えるんですが。
水軍の長はスサというのではないですか」



この時、新たな男が来ていたらしく、
菊如はスクネをはずしてその男を呼んだ。



「どけどけい」
男が割り込んできた。右手には武器を持って威嚇していた。

菊如は悠然として尋ねた。
「お名前は?」
「ジンヨウ。あの地、我の地。入るでない」

「中国から来たんですか?中国から三隻の水軍で来ましたね」
「関所を通してほしくば、置いて行け」

片手を出して金を催促するジンヨウの言葉に応じて
菊如はまるで船乗りのように演じはじめた。
「他のクニの船はどんなものを置いていってますか。
我らも置いて行きますよ。
ちょっと聞いたんですけど、あなたに任せた人を知ってるんです。
ムカカタにいる人から任されたんでしょ。
その人の名を出せば何もいらん。通行できると聞いてますよ。」
「パオタンか。パオタンがわれにこの地を守れと言った」

「どこからやって来たんですか」
「パオタンはわれと同じだ」

私が横から尋ねた。
「パオタンはどういう地域に住んでいるのですか」
「川だ」

「釣川ですね」
「関所で取ったものを箱に入れて腕に抱えて持って行って、
赤橋の所で待ち合わせをした」


菊如はそれが何処か分かったらしい。
「鎮国寺の橋の所ですね。今は宗像大社になっている。
何があったのですか。
三人の姫様がおられることになっていますが」
「神様は海に住むわけがない。
海に住む神といえば大亀か龍神かだ。ワニ族とか。
いいか。
われの時代は島ばかりだ。
陸などない。
海を船で行き来する。
領土、線引きなどないね。
今の宗像大社の所も海だ」

菊如はさらに突っ込んで行った。
「パオタンって誰?」
「われらの船は陸に停泊なぞしない。
海に留まって小さな舟で陸にあがるのだ」
ジンヨウは質問には答えなかった。

が、菊如はさらに尋ねた。
「三女神の話があるけど」
「われらの時にはいなかった。
月巫女は見たことがある。
金と銀の扇を持って舞う。
突起した岬の上で巫女が踊っていた。
われは神など見たことは無い。
海の安全保障などできないぞ。
で?」
ジンヨウは再び片手を出して金を催促した。

菊如はしらばっくれた。
「何もない。
その人が名前を言えば通れると言ったんで。
パオタン。
どんな漢字なの」
「みな地域の名前を付ける。泡丹と書く。
うちにもヒメがいるぞ」

*****

これはまだ三女神の信仰が生まれる前の話だ。
だからジンヨウは三女神の話を知らなかった。

これを聞いて思った。
日本海を航海するとき、沖ノ島は水の補給地として重要ではなかったか。
水の補給地は陸の方は年毛宮(としもぐう)だった。

安曇族も宗像族もここで水を汲みだして海に向かったという。
沖ノ島は現在、水は少ししか出ないようだが、
腐らないという貴重なものだ。

そうすると、航海中に水を分けてくれる関守がいたとしたら、
宝物を置いていくことは大いにあるだろう。
実務的だ。
水の話は出なかったが。

それにしても、ジンヨウの話は自分の発想と違っていて驚いた。


分からないで書いた部分はコメントで補ってくれるだろう。

*****

年毛宮については『神功皇后伝承を歩く』下巻70に縁起を書いています。
サイドバーからもどうぞ。

                <2017年2月19日>




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-02-19 21:05 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご58 ミヤズヒメ



ひめちゃご58

ミヤズヒメ
 


2016年3月10日 結願


ミヤズヒメはフルベの倉に匿われていた。

「暗い。誰も帰ってこない。このような所に閉じ込めて。
タケルさまは何処じゃ。
何があった。
タケルさまに何があった。
外のモノノベたちがざわついている。
こんな倉に入れて。

カネモチは何処じゃ。

みな、武器を持って固めている。
戦があるのか。

カネモチは何処じゃ」

「ははっ。ここにおります」
サンジカネモチは両手をついて頭を下げた。

「タケルさまはどうした」
「…」

「何をした」
「姫…。タケルの命はもはや…。
姫を苦しめたタケルは在らず。
姫のため、この手で。
守るため。

ご安心なされ。
カネモチがこの手で…。
姫、もう心配いらぬ。
姫、我に続け。
この地を去りましょう」

「わらわは待つ。
タケルさまを待つ。
あの方は死んだりなんかせぬ」

「タケルは二度と現れませぬ。何とぞ、我とともに」

「わらわの前から去れ」

「何とぞ我と共に」

「わらわの前から去れ」

「それほどまでに…。お許しくだされ!」

サンジカネモチの左手が剣を掴むと、次の瞬間、ミヤズヒメの喉できらめいた。

一瞬のことだった。
ミヤズヒメは自分の死さえ自覚できなかった。



ミヤズヒメの霊が語り出した。

サンジカネモチすなわち星読がまだ目の前にいた。


「わらわはカネモチに刺された。のどをやられた。
人を思う一途な気持ちが…
何故このような事態に流されねばならぬかのう。
遠い異国から来て、やっとこの地に根付き、このようなことになろうとはのう。
何故、タケルはわらわの元に来ぬ。

星読「戦のことで心がいっぱいだったのです。
人を思う気持ちの余裕がなかったのです。

「ジングウと会っているのではないか」

星読「密談をしていました」

「わらわよりジングウと会っているのではないか。
そんなにジングウはすごいのか」

星読「姫を苦しめている者をサンジカネモチが…。
姫は誰にも渡さぬ。
生まれ変わられて、また一緒に」

「われは行くぞ」

ミヤズヒメは崋山から離れていった。

ミヤズヒメの命を奪いし者、サンジカネモチ。


***

これもまた一年ほど前のことだった。

ようやく書くことが出来た。



<2017年2月11日>


いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-02-11 19:52 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご57 金と銀の鞍



ひめちゃご57

金と銀の鞍
 



c0222861_21103218.jpg


このキラキラを見た時、金と銀色の世界が蘇った。

そう、「月の沙漠」の歌。

大人になって改めて歌詞を読む。



1 月の沙漠をはるばると
  旅の駱駝がゆきました
  金と銀との鞍置いて
  二つならんでゆきました

2 金の鞍には銀の甕
  銀の鞍には金の甕
  二つの甕はそれぞれに
  紐で結んでありました

3 さきの鞍には王子様
  あとの鞍にはお姫様
  乗った二人はおそろいの
  白い上衣(うわぎ)を着てました

4 広い沙漠をひとすじに
  二人はどこへゆくのでしょう
  朧(おぼろ)にけぶる月の夜を
  対(つい)の駱駝はとぼとぼと

  砂丘を越えてゆきました
  黙って越えてゆきました


作詞:加藤まさを



日本人の心の奥の記憶のような歌。


そう思った。



<2017年2月10日>











いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-02-10 21:12 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご56 ムナカタモノノベ


ひめちゃご56

ムナカタモノノベ
 



「脇巫女」のあらすじを書いていると、次々に疑問が湧く。
随時、星読に確認しながら詰めていったが、
資料を整理していると、一回目の結願のメモが出て来た。

結願の途中、「ムナカタモノノベ」が出て来た。
当時は理解できない内容だったので、書くことが出来なかったが、
今なら話が分かる。

そのあらすじは「脇巫女43―物部サンジカネモチ」に書いているが、
やはり分からずに書いていて、訂正が必要な部分があるようだ。
しかし、いまだに分からないというのが正直な感想だ。

今日はその時の対話を具体的に書いてみる。

足りない部分があるが、そこは関係者たちにコメントを入れてもらおう。

サンジカネモチは熱田モノノベの一員で、六ケ岳を守っていだが、
鞍手にはその前に開発者がいた。
それがムナカタ族だった。
のちにムナカタモノノベとなるようだが、
この日出て来た男は怒り心頭に達していた。


***


2016年2月23日。

ムナカタ「我の怒りをそなたは聞いておろう。
我らの思いを踏みにじるのが人間。
この地はそなたらものか。
この地を守るという我らの先人たちの思い。
何をもってもこの怒りはおさまらず。
守ろうとしたものが分かるか。

ムナカタを押さえるモノノベ。

我らムナカタ。

モノノベが分裂したのは知っておるな。
我らムナカタ族が大事な鉱山から採れるものをモノノベが奪い、
熱田神社の裏手に武器を隠しておった。
四方八方から狙われている。
ムナカタのものをモノノベが奪った。

フルベモノノベ358人。リーダーだ。
モノノベはヤマトタケルの出現で二手に分かれた。
思いを一つにしてまとまっていたのが、ヤマトタケルのせいで。
鉱山の武器の開発で思いがバラバラになった。

フルベモノノベはヤマトタケルについた。

何故モノノベが守っていた物をヤマトタケルに譲らねばならぬ。
我らはここを耕し、鉱山を見つけて暮らせるようにした。

ヤマトタケルは正義の味方か?
討ったわれらは悪役か?
ヤマトタケルは何人殺した。」

菊如「役がすり替わっているのですね。
ひもろぎに人が集まっています。
真実を解き明かしたいのです。
資料がないのです。
お手伝いさせてください。
モノノベの真実を知りたいのです。
知らなければ守れないのです。」

ムナカタ「九州は今の半分の大きさだった。
モノノベがいた。
この島国を狙い、シラギ、クダラらが船で目を盗んで住んだ。
日本を国外から守ることがせいいっぱいだった。
いつも戦い火薬や武器を造った。
元からの農耕の者とは仲良くやっていた。
戦闘が激しくなり、武器を持ち、隣国と戦った。
ヤマトタケルが統治するというが、全然違う。
モノノベは古くから日本にいた。

ムナカタモノノベの神はスサノオ。
三女神は熱田モノノベ。
鉱山には黒玉という貴重なものがあった。
相手を討てば一撃。ヤリ、カタナ、弓の矢、一撃で死ぬ。

星読「私の名前は分かりますか」

ムナカタ「サンジカネモチ。熱田だ。
お前が一番知っておろう。
サンジカネモチがヤマトタケルを殺した。
倒れて水を飲んだ。
血だらけで泉水で水を飲んだ。水銀の水。
鎧塚で死ぬと、鎧を埋めた。
五人のの守り人は中山の剣山にヤマトタケルを埋めて死んだ。
ミヤズヒメは熱田。
ヤマトタケルは日本人ではない。
ジングウは日本人。」
るなを見て
「そなたはヤマトタケルを。
どんな思いか、それは言えぬのう」
意味深な顔をして言った。
思いのたけを述べた男は「ああ、良い日だった」
と言って去った。

***

鞍手を開発したのはムナカタ族だが、
のちにモノノベに吸収され、ムナカタモノノベとなったようだ。
シラギやクダラの国名はずっとのちの時代のものだ。
現代人に分かるように代表する国名で表現されるのは、
よくあることだと理解している。

三韓を馬韓・辰韓・弁韓・伽耶諸国といわず、
百済・新羅・高句麗・任那というようなものだ。

楽浪郡と言っても分からない時には古代中国と言えば分かるのと同じ。

<2017年2月6日>











いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif



[PR]
by lunabura | 2017-02-06 21:33 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(8)

ひめちゃご55 新延の鎧塚古墳群と剣神社 剣岳に向かっていたヤマトタケルたち


ひめちゃご55

 新延の鎧塚古墳群と剣神社

剣岳に向かっていたヤマトタケルたち



c0222861_21325400.jpg
剣神社の境内の左手にある五つの古墳は円墳で、ささやかな大きさだ。

杉林の中にバイパスが通されたのだろうか。森の明るさが心地よい。

剣神社の創始に関わる人々の奥津城だろうか。

もちろん、ヤマトタケルの時代よりずっとあとのものだ。






c0222861_21334069.jpg

剣神社の神紋は八つの剣だった。それに渦の模様。











c0222861_21331489.jpg

祭神は素盞嗚命、宮簀姫命、應神天皇、高龗神、闇龗神、宗像三女神。

このうち、宗像三女神は境内に祀られ、

合祀された三座を除くと、本来の祭神は素盞嗚(すさのお)命、宮簀姫(みやずひめ)命となる。


福岡県神社誌を要約しよう。

「第12代景行天皇27年の冬に、
皇子の日本武尊が熊襲と西国の賊を征伐するためにここを通った。

行在所を経営して、軍事を謀られた。

こののち、日本武尊が帰途の際、ここに立ち寄り、報恩の為の祭を行い、
太刀と(かぶと)を置いていかれた。

ゆえに社殿のかたわらに埋めて永く神璽(しんじ)として崇信した。
これを(よろい)(づか)と言い伝えている。」








c0222861_21340357.jpg

この地は行在所だった。境内は高所にあり、見晴らしがよい。

ヤマトタケル十六歳。

軍議を行った中には武内宿禰もいただろう。十四歳ほどか。

そのことは佐賀の真手山の方に書かれている。


十六歳といえば、古代社会においては成人なのだろうが、

ヤマトタケルは景行天皇から疎まれていたように『古事記』は語る。

しかし、『日本書紀』では、
天皇からそれはそれは可愛く思われたように書かれている。

その饒舌さには、嘘を塗り固めた不誠実さが漂っていた。



さて、「脇巫女」の方もおさらいをしておこう。

前回の続きだ。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

この「新延」で岩にもたれ息を引き取ったヤマトタケル

そのことを悟られまいとして一行が向かったのは剣岳

ヤマトタケルに従う者たちの地

五人はヤマトタケルを剣岳の麓に埋葬し

近くの木の枝を折り、それぞれ山頂に向け植えていった

そこは、以前「菊如」さんが見えない大きな鳥居を見たところだった

五人はヤマトタケルを埋葬した麓に再び戻り

ヤマトタケルを中心に五角形の位置に座り、永遠の秘密が暴かれぬよう願い

その場で自害した

  • ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

ヤマトタケルは瀕死の状態となり、苦しさのあまり、側近に鎧を脱がせた。

そして、ついに息絶えた。それがここだということになる。

五人の側近はその亡骸と共に剣岳に向かったという。




この日、私たちもヤマトタケルを埋葬した場所に向かった。

剣岳に向かおうとしたとき、目の前に川があった。

その向こうの剣岳を見た時、一行の思いが分かった。

剣岳の支援者の元に行こうとしていたのだ。

そこにはヤマトタケルを歓待した「今朝麿」たちが作った仮宮があった。

八剣神社の縁起に、そう書かれている。

八剣神社について星読に尋ねると、「新北もののべ」だという。

同じ剣岳の西の方の熱田神社が「熱田もののべ」で、

サンジカネモチはその「もののふ」だった。

新北も熱田もヤマトタケルを受け入れたのに、

サンジカネモチ一人が反旗を翻した。

それが彼を悲劇に向かわせた。

それにしても、何故ヤマトタケルの五人の側近たちは自害しなくてはならないのか、

分からない。

そう、尋ねると、五人には帰る所がないのだという。

第二のヤマトタケルには別の側近たちがいたのだ。

そうか、主が亡くなると五人は邪魔者になってしまう宿命なのだ。



私たちはその墓所に向かった。


その手前で、「あれが亀甲」と星読が教えてくれた。

亀甲は熱田神社でも格別に聖地として大事にしている所だと聞いている。

山裾の流れ出した地形にある森だった。

「かめんこ」と呼んでいるそうだ。


ヤマトタケルの墓所はよく手入れされている所にあった。

私たちは手を合わせた。

その場所はどこをどう通ったのか、説明ができない。


剣神社 新延








いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-02-03 21:42 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご54 新延鎧塚古墳群のそばにて ヤマトタケルは鎧を脱いだ

ひめちゃご54 

 新延鎧塚古墳群のそばにて

ヤマトタケルは鎧を脱いだ



鎧塚古墳が前回の新延大塚古墳の近くにある。

確かヤマトタケルの伝承がある所だ。

そう尋ねて案内されたのは新延の剣神社だった。


c0222861_20492285.jpg

そこにある説明板に一瞬、物語と伝承の境目が分からなくなった。

星読の語る「脇巫女」の世界が現実にここにある?

ファンタジーはファンタジーとして楽しめばよい。

そう思うのだが。

ちょっとクラっとした。

それがこの歪み具合によく出ている(-_-;)


今日は久しぶりに脇巫女を読もう。

「脇巫女51」からの抜粋だ。

「熱田もののふ」とはサンジカネモチ、すなわち星読のことだ。

サンジカネモチはヤマトタケル勢との和合を拒んで、

自らヤマトタケルを討ちに行った。

その場所は「神崎(こうざき)」あたりだという。(上巻19神崎神社参照)

  • ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「熱田もののふ」は数人の伴と共にヤマトタケルを討ちに戦いへ

多くの敵を倒し、ヤマトタケルの前に立ちふさがる「熱田もののふ」

手にするは「黒だま」より造りし強靭な十握(とつか)の剣「三折(みつおれ)の剣」

左利きの「熱田もののふ」の力強き一撃がヤマトタケルの鎧を貫く

確かなる手ごたえ・・・

あろう事がヤマトタケルは自らの剣を落としてしまう

この時とばかりに「熱田もののふ」は大声で

「ヤマトタケルはもののふにあらず」と叫んだ


その叫びにひるむヤマトタケルの軍勢

すかさず剣を拾い上げる「熱田もののふ」



「熱田もののふ」は仲間に引き上げの合図を出した

幾人かのものたちが合図に従う

しかし、微動だにしない仲間がいた

声が届かないのか・・・

「熱田もののふ」は気付いた

その者たちは既に命を落としていると

・・・その姿は両の足で大地をつかみ

剣を構え

鋭い眼で敵を威嚇していた


この者たちに守られ「熱田もののふ」は「熱田」に戻る

このとき、ヤマトタケルの死を確かめなかったことが後の戦いへと繋がる



一方、深手を負ったヤマトタケルには傍の者五人が従った

ヤマトタケルは腹部に深手を負い、瀕死の状態で「泉水」までたどり着いたとき

のどの渇きに耐えかねて一口水を口にする

その水は赤くにごった水

この地の者は知っていた・・・水銀の混じった水・・・決して口にはしない水


「新延」(にのぶ)まで来たヤマトタケルは苦しさのあまり、

自らの鎧を取るように命じる

鎧が見つかることを恐れて隠した・・・その地は「鎧塚」


  • ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


その舞台が新延の剣神社の近くだ。その境内に鎧塚古墳群がある。


c0222861_20493496.jpg





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-02-02 20:54 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご53 新延大塚古墳2 装飾古墳だったのか

                 ひめちゃご53 


 新延大塚古墳2

装飾古墳だったのか



新しいカメラでの古墳内撮影はどうやらピンボケばかり。

暗い所では自動的に何枚か連写しているようだ。





c0222861_20225715.jpg

三脚を使わないといけない機種のようだが、少しキラキラの雰囲気が写っていた。





実はこの古墳は装飾古墳だという話を聞いた。

パンフレットにはそのような記述がないので、

もし装飾が目撃できたら、こんな嬉しいことはない。

気合十分。

古墳撮影のセミプロ、筑後国造にも参加依頼をしての探査だった。

しかし、それらしきものは肉眼では見当たらなかった。







c0222861_20280280.jpg

このように右手の袖石には墨でマントラが書かれている。

開口したあとに書かれたものだ。








c0222861_20275393.jpg

これは左の袖石。肉眼では見えなかった。












c0222861_20231218.jpg


玄室、左の壁。




c0222861_20233307.jpg
玄室、右の壁。
こうして改めて画像を見ると、黒くカビのように見えるものが、

         一定のリズム感を持っているのが分かる。



c0222861_20234594.jpg


玄室奥壁。左隅に赤と黒。




取りあえず、いろんな角度で撮影した。

やはり、痕跡があるようだ。

これらをじっと見ていると、あの王塚古墳(飯塚)レベルの

一面の画の存在が感じられる。

天井付近の石が赤いのは染料が残っていたのだろうか。

遠賀川でも最大の石室。

どれほどの実力者が眠っていたのか偲ばれる。

6世紀後半頃(古墳時代後期)のものだ。

そうすると、磐井の乱(527)ののち、葛子の世代になろうか。

この鞍手の(くら)()君が葛子の子だ。

百済王子と共に活躍するが、

574年に亡くなっているので、時代的にかなり近い。

その名が残る熱田神社は川の向こうだ。

こちらは別の人なのだろう。

ただ、この被葬者は鞍橋君の新羅での戦いを知っていると思われた。


被葬者を武人と考えるのは、馬具が沢山出ているからだ。

c0222861_20241417.jpg

しかも、そのデザインに見覚えがあった。左上の二つを見てほしい。

そう、近年発掘された船原古墳とそっくりなのだ。

c0222861_20243213.jpg

これは船原古墳の本物と復元されたもの。

当時貴重なガラスがはめ込まれていた。

古賀市ではこの種は国内唯一と言っているが、そうではない。

鞍手の分は見落とされている。

古賀と鞍手と並べて研究することを期待したい。

201721日>


文字の大きさが不ぞろいですが、プレビュー画面では揃っているのに、
画像には反映されません(´・ω・`)
エキサイトには既に連絡したけど、そのままです。
当方ではどうにもならないので、これからもこんな調子だと思います、、、






いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-02-01 20:47 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご52 新延大塚古墳1星のようにきらめく光の石の下で眠る武人

ひめちゃご52 


 新延大塚古墳1

星のようにきらめく光の石の下で眠る武人



鞍手
)
町にある巨大な古墳は「新延(にのぶ)」にある。





c0222861_21201106.jpg

円墳だ。

県指定になっているので、残されている!

まずはそれが嬉しい。








c0222861_21203084.jpg

鍵を開けて入ると美しい石組が。

奥には不動明王が祀られていた。

奥壁はもちろん他の古墳のように素敵な平たい面が出ているが、

この古墳は奥室の左右にも平たい面があった。

たしか、糸島の櫻井神社の古墳の中もこのように

左右に平たい面が出ていたと思う。







c0222861_21204641.jpg

天井は高い。

送り出した石の上に蓋をしている。







c0222861_21205622.jpg

白いものはカビではない。

光を当てるとラメのようにキラキラと輝くのだ。

星読)によると、地元では普通に見かける石だそうだ。
古墳の築造者はわざわざ光が星のように輝くように

これらの石を配置していたのだ。

  

(つづく)

<2017年1月31日>







いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-01-31 21:27 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご51 「ひめちゃご」の行方



ひめちゃご51

「ひめちゃご」の行方
 



昨年の末、年末が近づくと、
私はこの「ひめちゃご」の落とし処を求め始めた。

「ヒメコソ」という言葉が響き、
何が起こるか分からないままその理由を求めて佐賀に行った。
それは8月のことだった。


そして、もう一度行けば、その落とし処が分かるのではないかと思い、
12月に再び佐賀に向かい、東から西へと「ヒメコソ三社巡り」をした。

その記事を書くヒマもなく、宇佐に行くと、
鞍手の郡誌の一行がつながり、宇佐の比咩神が六嶽と同じだったことが判明した。

その間、多くの女神たちに参拝した。

「脇巫女」の始まりとなった七色と星読との再会を偶然に果たすと、
あとは菊如や崋山にも挨拶して、2016年をくくろうと思った。

そのあと、佐賀の媛社郷(ひめこそのさと)にじっくりと取り掛かろう。

山積みとなった市史や町誌を開くのが楽しみだった。


ところが思いがけず、崋山から
鞍手の大塚古墳とヤマトタケルの墓所に行くように、という話が出て来た。

大塚古墳は遠賀川流域でも最大級の古墳だった。
星読が鍵を借りて来てくれ、道案内もしてくれるという。

この古墳は古賀市の船原古墳と同様の馬具の装飾が出ている所だった。

この時代、鞍手では磐井の子・北磐津が一度奴婢に落とされたが、
磐井の孫、鞍橋君が鞍手を奪還していた。

時代的に近い。

年の瀬も押し詰まった12月25日に行くことにした。






いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2017-01-26 21:28 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー