ひもろぎ逍遥

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カテゴリ:「ひめちゃご」( 89 )

ひめちゃご83 三女神 世界遺産登録



ひめちゃご83

三女神

世界遺産登録
 


 


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女神たちは天上に在り










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玄海の波の上に在り











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空に在り













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とこしえに守らせたまえ








<2017年7月9日 世界遺産登録の日>





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by lunabura | 2017-07-09 21:33 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

二つの花を





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5月に撮ったあじさい。

時間が止まっていた。




二つの花を咲かせよう。





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by lunabura | 2017-06-28 22:29 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(9)

ひめちゃご82 マエズ・ハウ  スコットランド オークニー島


ひめちゃご82

マエズ・ハウ(メイズハウ)
MAES HOWE

 スコットランド オークニー島
 


棚の隅に積み重ねた書類を片づけ始めると、アレ?
ここにスコットランドの旅のノートが(*’▽’)

思わず見入ってしまう・・・と
マエズ・ハウのメモ書きが。

ヨーロッパで最古の墓。5000年前。
12世紀、バイキングが来て天井を壊して入った。
オークニー島では82か所、同じ墓がある。

サンドストーンは数トンの大きさで、切りやすい石。

入口は冬至の夕陽が45分ほど差し込む。
冬至の前後20日間光が入る。
冬の昼は6時間だけ。

チェンバー(石室)は三つ。
遺体は外で骨になってからチェンバーに入れた。

1860年に発掘した。
落書きはルーン文字。

「三日前、宝物を奪いに来た。」
「インガゲールは美人だ。未亡人。」

フーサーク文字(アルファベット)とルーン文字(アイスランド)。
これらの文字は高い所に書かれている。

石切り場は8マイル離れた所にある。







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アルバムから。マエズ・ハウの全景。
中では撮り忘れてるけど、パンフレットを買ってた(*’▽’)







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これはパンフレットから。
石室内部から羨道、外光を撮ったものだね。
すごくきっちりと造られてる。
5000年前かよ( ゚Д゚)

エジプトのことを考えたら、有り得るかなあ (*_*;


計測図とか、準備するけど、ほかにとんでもないものがあった。
次回は先にそれを出すかも。





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by lunabura | 2017-06-09 20:54 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

佐賀県の銅矛 検見谷遺跡




佐賀県の銅矛

 検見谷遺跡
 



これ、すごくない?





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出雲ではないよ。

佐賀県で出土した銅矛。

吉野ヶ里よりすごくない?


早く読みたいんですけどね。

だって、ヒメコソの里ですもん^^




出土地 佐賀県みやき郡北茂安 検見谷遺跡




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by lunabura | 2017-06-05 20:41 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご81 タギツ 石占い




ひめちゃご81 
タギツ  石占い
 


2016年12月5日 結願3

シンロンの次に現れたのも女性だった。

崋山の顔を見て、菊如がクスっと笑った。
「オタフクさんですね」と。美人ではなかったようだ。

菊如が改めて尋ねた。
「地の人ですね。お名前は?」
「タギツ。浜の名前、タギシの浜から付いた名」

タギツの言語は柔らかい外国語だった。
言語変換がされて、日本語となった。

「出雲に多芸志(たぎし)の浜があるけど」
「こちらにもタギシの浜があります」

出雲と鞍手周辺に似ている地名がいくつかある。

特に鞍手のキヅキ(木月)は出雲のキヅキ(杵築)を連想させる。
この話になった。

「木月は杵築だったのでは?」
「その字は使えなくなりました。隠さねばならないものがあるのです」

「何を隠すの?」
「『築』が使えないのです」

それ以上のことは分からない。


「木月に大己貴は住んでいたの?」
「よく分かりません。
あそこの地は沢山の小さなお屋敷がありました。
一つの集落になっていました。
不思議なことに、他とは違っていました」

お屋敷について尋ねると、
「一人住まいのような」と言って高床式らしき家のようすを手で表した。
「他の人は地面に住んでました」
これは竪穴式住居のことらしい。


「他の人たちってどんな人?」
「他の人とは会ったことはありません」

「六ケ岳はどんな感じの山?」
「とても高い山で、上が雲にかかる高さ。
とうてい登れるような山ではありません」

いったいいつの時代か、また疑問が生じる。

菊如が私に質問を促した。
私は驚いてばかりで、思考停止中だった。

この女性がタギツ姫なら大己貴と結婚していたはず、と思い当たって尋ねた。

「誰かと結婚していましたか?」
「していません」

三女神の一人ではなかった。予測が外れた。

菊所が尋ねた。
「お仕事は?」
「石で占いをしておりました」

タギツは50センチ×60センチほどの平らな石を手で描いた。
右手で複数の小石を石台に投げる動作を繰り返した。

私はルーン文字を描いた小石で占う姿を連想した。


「どこにいたの?」と菊如が尋ねると
「亀甲(かめのこう)」と答えた。

亀甲はヤマトタケルが熊襲討伐から戻ってきて、
戦勝のお礼の祈りをした所ではないか。

熱田神社の宮司が心身清めて祭祀をしていたという。
それは剣岳の麓にある。


「誰か来た?」
「二人で占いに来られた方があります」

二人と聞くと、例の二人すなわちヤマトタケルと武内宿禰を連想した。

「目の色は?」
「一人は黒、一人は悟られぬように伏せて、違う色の目でした」

やはりヤマトタケルと武内宿禰だ。
私の夢に出て来た二人。タケルの目は青。

「何を聞かれた?」
「今いる場所からどの道を通って西に抜けると良いかと。
三つのルートを示されました」

「どう答えたの?」
「その一番真ん中。川と海から離れた場所。陸路です」

西。
これはヤマトタケルと武内宿禰が佐賀の熊襲タケルを襲う時の話に違いない。
遠征ルートを占ったのだ。

熊襲タケルが逃げ込んだのは佐賀だ。
その話はすでにブログで紹介していた。

それと組み合わせると、鞍手からヤマトタケルたちは
陸路を通って当時「ありなれ川」という筑後川に出て、
有明海の波が洗う佐賀に出たことになる。

「白山には誰か他の姫がいた?」
「私には分かりません」

白山とは鞍手にある山のことだ。

ここで、話は終わり、タギツは抜けていった。
崋山の自意識が戻って来たとき、
「出雲はヤマトタケルを快く思っていなかった」
と言った。

                            <2017年5月28日>



以下は佐賀の記録


ヨド姫三社めぐり(6)大願寺廃寺~健福寺
日本武尊が熊襲タケルを討伐した所だった









ヨド姫三社めぐり(7)真手(まて)山
熊襲タケル対ヤマトタケル



木月剣神社 『神功皇后伝承を歩く』上巻17 神功皇后が日本武尊の旧跡で祈った






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by lunabura | 2017-05-28 16:59 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご80 シンロンの長はオージー


ひめちゃご80

 シンロンの長はオージー
 

2016年12月5日 結願2

ひめちゃご59 「ジンヨウとパオタン」の続きを書こう。

59回の概要は、
ジンヨウは長のパオタンの命令で沖ノ島の関所を守っていた。
ジンヨウは船乗りからカネを受け取った。
カネが無い者からは宝物を受け取った。
それをパオタンに渡していた。

ジンヨウにとって海に住む神といえば大亀か龍神だ。
月巫女を見たことがあるという。
月巫女は岬の上で金と銀の扇を持って舞っていた。
ジンヨウの部族にも姫がいた。シンロンという名だった。

崋山にシンロンが懸かった。

菊如は船乗りのふりをしてシンロンに尋ねた。
「はじめまして。関所の方から聞きました」
「わらわのことか」

「お名前は?」
「われ。シンロン。日本語で田心と書く人と同じ。われ心田(シンロン)」

「タゴリ姫と呼ばれていたのですか?」
「我はあの者の仲間ではない。そこに居たことはありますが。
その人は大切にされていた。
宗像の田島に住んでいる「心」の字が付く女性で通訳をしていました。
田島に住むシンロンさん。「田心」さん」

「その人はどういうことをなさっていたの?」
「雨が降らなければ降らしたり、祈りを捧げたり。
神ではない。雨が降り過ぎて波が高くならぬように祈りを捧げただけ。
神ではない」

「いっぱい素晴らしいものが届きよったんですね」
「そう。光る石も採れるし」

「それは金ですか?そこでも精製していたのですか?」
私が訪ねると首を横に振った。
「ほら見たことあるでしょ」
とシンロンに言われたがその時は思いつかなかった。

今思えば、鞍手の大塚古墳の
ラメをまぶしたようにキラキラと輝く石のことだろうか。
よく分からない。違っていたら、訂正が入るだろう。

「農耕をしていました。畑だけでは暮らしていけなかった」
とシンロンが答えたが、菊如は話題を変えた。

「タギツさんは御存じ?」
「知らない」

「イチキシマヒメは?」
「知らない」

「他の女の人は知らない?」
「山の上に女性が一人住んでいると聞いたことがあります」
シンロンは四つの山の連なりを手振りで示し、海から三つ目の山を指した。
「四塚ですね。海から三つ目の山」
と、私が確認した。

四塚(よつづか)とは宗像の四連山のことで、
釣川を挟んで宗像大社の対岸にある。

海から湯川山、孔大寺山、金山、城山。
金山(かねやま)!!
そこに女性が一人で住んでいたという。

孔大寺山は金が採れていた。
そこで、金を採っていたのか、と私は尋ねた。
「いいえ」
「金細工は?」
「それもしていません。関所から宝は来ていました」

菊如が尋ねた。
「長の名前は?」
「長はオージー様」

「姓は?」
「ウエクサ ジン・・(不明)」

「どこに住んでいるの?」
「釣川の上流に行きついた所」

菊女が、時代が知りたいけど、どうしたらいいか、私に振って来た。
私も困ったが、北極星と北斗七星の名前を尋ねた。

「星には名前は付けません。ぐるぐるまわる・・あれ。
名前でなく、形で伝えます。絵を見るように。
人に知らせる時は絵に描いて知らせます。名前を付ける感覚はないんです」

西暦や年号の無い時代、何を以って時代を確認したらいいのだろうか。
今でも分からない。

シンロンの声が良く聞こえない。
以下はその断片。

「今は六ケ岳にいます。姫が集まるから。
それぞれの姫が集まっています。
それぞれの名前でこの国を表しています。
一つは田畑・・・田心(たごり)
一つは鉱山・・・市杵島(いちきしま)
一つは魚や水産・・狭依(さよりひめ) 海はさよりひめ
この三つで表しています」

シンロンの語りはここまで。次の存在が待っていた。

       <2017年5月22日>









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by lunabura | 2017-05-22 22:55 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご79 神武天皇の足跡の話まで来たが



ひめちゃご79

神武天皇の足跡の話まで来たが
 

日少(日若)神社の縁起で気になっていたのは馬の話だ。

神武天皇が中州(なかつくに)に行こうとして日向国から豊国に向かい、
田河の吾勝野に出て、兄弟山に天祖を祀った時、
馬見物部の末裔の駒主命が駿馬を連れて天皇を迎えにいったという話だ。

筑紫に行って、その家に行き、馬見山上で皇祖を祀った。
そこから北麓を巡って日尾山に向かう途中の谷で難渋して、
日若の水で祓って霧が晴れた。

簡単にはこのような話だが、調べていくと、
日王山(日尾)で比売神を祀って嵐が収まった話もあった。


前回の話と合わせると、神武天皇は
日王山から馬見山に向かう途中、鹿毛馬に立ち寄っていることになる。
そこで新たな馬に出会う。

しかし、馬はこれくらいにしておこう。

これらを読みながら、日王山が格別な山だったことを改めて認識した。

ネットでは神武天皇の足跡を
北九州と筑豊を中心に念入りに探査したサイトもあった。
福岡の東部は網羅されているといえよう。

これに加えて福岡の西部での
糸島での兄妹婚、太宰府の王城神社での政を組み合わせると
壮大なストーリが描きだせると思う。

東部での足跡は地元の人が一番分かりやすいし、
地元のために掘り起こさねばならない歴史だと思った。

誰か立ち上がって、本を書いてくれることを願うばかりだ。


「ひめちゃご」は次々に入れ子を造り遠くまで来てしまった。

ここらへんで、帰り道を辿ろう。
開いた入れ子を完結させながら戻る時に来た。





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『神功皇后伝承を歩く』下巻87日若(日少)神社











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by lunabura | 2017-05-19 20:40 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご78 綱分―日若―無名山―飯土井神社 レイライン



ひめちゃご78

綱分―日若―無名山―飯土井神社 レイライン

まさかの、続きがあった
 


前回の厳島神社の投稿のあと、チェリーから新たなライン図が届いた。

「最早、言葉はありません」と。
それを見て私も驚いた。

確かに!
それを見ると、あのラインの続きが赤色で描かれていた。
私も、驚いて、何を返事したらいいのか言葉が無かった。


それは飯土井神社へのラインだった。
(福智町神崎)

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厳島神社の縁起では、
日王山で祀られていた天照大神が勧請されたのが飯土井神社とある。
それは14世紀の半ばのことだった。

飯土井神社を調べると、もともと仁徳天皇一柱を祀る宮だ。
かつては若宮神社と号したそうだ。
そこに天照大神が合祀されたことになる。

チェリーが驚いたのは、
「綱分八幡宮―日若神社―無名山(189.3m)」のレイラインの
「延長のポイント」が見つかったことなのだ。

まさか、こうして迂回してポイントが見つかるとは私も思いもしなかった。

例の調子で私の勘違いで始まった
ひめちゃご71からの一まとまりのシリーズだ。
無名山をバスの中から撮って、載せたことが始まりだった。

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この山が無名山と分かり、
「綱分八幡宮―日若神社―無名山(189.3m)」のラインが
日王山を通らないのが残念だったのだが、どっこい、
それは飯土井神社(いどい)に達した。

チェリーによると、
<189.3mのピークから綱分八幡宮を見て、その反対側に
ラインを延ばしていったと考えられます。(飯土井神社は見えません)>
ということだ。

これで、無名山の隠れた価値が見えて来た。
その姿の美しさからも、聖山だったことは間違いない

この発見に何らかの見えない世界の意図を感じずにはいられない。

あとは、誰か、現地踏査する人が出てくるだけだ。(*´з`)
(^^;

あるいは、誰か祈る人が出てくることだろう。

何せこのシリーズは集団幻想による小説なのだ。
それぞれの得意分野を持ち寄って何かが分かればいい。


さて、私が驚いたのは、
日若神社には神武天皇の馬の話が出ていて、
前回の鹿毛馬神籠石の話に連なるようなので、

もう一度、あの漢字だけの縁起を読み直そうと思った矢先だったことなのだ。
中国語と日本語が全部漢字で書かれているため、

文法がぶっ飛んでいる和製中国語( ゚Д゚)

がんばるべ。






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by lunabura | 2017-05-17 21:40 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご77 厳島神社 日王山から遷された三女神





ひめちゃご77

厳島神社 

日王山から遷された三女神
 


英彦山からの三女神と大己貴のレイライン。

それはどれもが日王山を経由する。
そこで景行天皇が三女神を祀ったという。

その日王山の祭祀は麓に下りていった。
後光厳天皇の御代、延文年間(1356~1360)のことだ。

アマテラスは福智町神崎の飯土井神社へ。
三女神は飯塚市鹿毛馬へと下った。







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それを厳島神社という。









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鹿毛馬川から上がって南西の丘に向かう位置が選ばれた。












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祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命。
三女神が一所に祀られている。


『福岡県神社誌』では
豊前国の宇佐島から宗像の沖津島に鎮座するとき、
当村、日尾山を越えられたという古実から
景行天皇の御宇に三女神を祀ったとある。








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「日王山」の表記は「日思山」だったともいう。

それは三女神が山頂の「方丈の瑞石」に神をって
天照大御神を祀ってからの名だそうだ。

烏尾峠の地名由来も、
三女神が道に迷った時、烏に導かれたことからついたという。


地図を見ると、烏尾、船尾、日尾と、「尾」がついた山名が集中している。

これらを「八咫烏」「天鳥舟」「太陽の尾=彗星」と、
なんとなく変換してみた。



近くの田の中には三女神が休憩したといわれる「神休所」という磐座がある。

英彦山からの帰り道、車で走りながら左手に見えたが、写真は撮っていない。
またの機会に撮ろう。

その斜め上に向いた姿は御許山を指す磐座を思い起こさせた。

厳密に測量された三女神レイラインはいったい何を現すのか。
この磐座との組み合わせがヒントになるかもしれない。

が、何かあるという事自体が幻想なのかもしれない。









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参拝を済ませて戻る参道の向こうに鹿毛馬神籠石がある。
この史蹟は鉄の生産施設だと確信している。

山城ではない。

列石は二重三重に誤解されてきた。

「神籠石」という名の発祥である『高良玉垂宮神秘書』では結界となっている。

高良山の神籠石は巨大な磐座だ。
そう、磐座信仰が神籠石なのだ。




この「鹿毛馬」という地名は神武天皇にちなむ名だそうだ。

『福岡県神社誌』によると、
神武天皇がまだ狭野命という時に、筑紫をまわるために
豊前国からこの村に来られた。

馬牧から足毛の馬を献上されてその馬に乗って馬見村に向かった。
その姿を老翁が見送ったという。

これからこの村を駈馬村というようになった。

その牧の跡を大石で区域を残したという。

鉄生産施設が後に牧として利用されたと考えているが、
その形状が鉄を生産する熊本の一目神社と全く同じものだという記事は
ずっと前に書いた。


神籠石はひとくくりで論じる前に、個々について精査する必要がある。

山城として論じる人は、どこに主を住まわせて守るのか
一つ一つ説明する必要があると、最近よく思う。




福岡県飯塚市鹿毛馬1088







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by lunabura | 2017-05-15 22:34 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご76 高良山―英彦山 香春岳を巡る争い



ひめちゃご76

高良山vs英彦山 香春岳を巡る争い

 「高良玉垂宮神秘書」より
 



前回まで英彦山の話だったが、
今回は高良山に伝わる謎の本「高良玉垂宮神秘書」に
出てくる英彦山の話を紹介しよう。

142条 彦権現、異国人ニテマシマスノ間、彦権現ハカリコトヲ ナシ玉フ、
(略)高良ノ、彦権現ハ、モツハラノテキ神ナリ


高良にとって彦権現は異国人で「もっぱらの敵神なり」
という、珍しい話が書かれている。

こうなった理由は彦権現がはかり事をしたからだが、
その事情はずっと後の212条に出てくる。


それは豊前国の香春岳を巡る争いだった。
意訳をしよう。

212条

香春岳に異国から異国人が攻めてきたら、
三の岳に高良三所大菩薩が降臨して異類を退治しようと誓いを立てた。

異国征伐の時、高良大菩薩が三の岳に登って
異国のようすを視察したことから、
(香春岳)を高良峰と名付けた。

彦権現がはかりごとをして、高良峰を洗い崩そうと、
横に並んでいた山から樋を掛けて水を流したのを、
高良大菩薩が神通力で知って、樋を蹴ってのけたため大洪水になった。

また、仲哀天皇の崩御のあと、薫香が香春岳に垂迹して留まったので、
香春岳ともいう。

というものだ。

これは三韓征伐の直後、神功皇后や安曇磯良、武内宿禰の時代にあたる。

田川の若八幡神社の縁起によると、ここは神夏磯姫が開発した所だ。

その子か孫の夏羽の時代に仲哀天皇、神功皇后たちがやってきた。

そのあと、田油津姫と夏羽の兄妹は朝廷側に滅ぼされた。

その結果、香春岳は朝廷を支える安曇族の支配下になったことが
この二つの条から伺える。

高良大菩薩とはこの時代は安曇磯良を指している。

この香春岳を彦権現が奪おうとしたとき、
大洪水があったことが神話的に描かれているのが面白い。

二つの条から、かわら岳(香春)の地名由来として、
1 こうら(かうら)が支配したので「高良(かわら)峰」といった。

2 仲哀天皇が亡くなったあと椎の木に立てかけた棺から
良い香りがした(香椎・かしひ)という故事があり、
その香りが垂迹したから「香春」となった。

という、二つの話を述べている。
この本の成立は秀吉や家康の時代の頃なので、
それを考慮にして読まねばならない。

そんな中で、分かるのは
香春岳の銅山が古代から争奪の的になったということだ。
とれるのは銅だけではない。多くの種類の鉱物が採れていた。
金ももちろん。

九州に渡来人が各地からやって来て、この宝の山を発見して、
渡来人同士、争いながらも棲み分けをしていく過程が見えるような条文だ。

人間はロケットを飛ばしてまでも新しいミネラル(鉱物)に好奇心を持つ。

古代から、どんだけ鉱物好きなのか、と時々思う。
この話もそんなことを思わせる話だった。



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一の岳は山が削られてしまって、土台だけになっている中央部分。
三の岳は削られた山の左二つ目。




『神功皇后伝承を歩く』下巻60 若八幡神社 皇后軍は夏羽を滅ぼした



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by lunabura | 2017-05-09 20:36 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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