ひもろぎ逍遥

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カテゴリ:「ひめちゃご」( 111 )

ひめちゃご85 ヒメコソ三社参りに戻ろう



ひめちゃご85

ヒメコソ三社参りに戻ろう
 




ヒメコソ三社参りをしたのは、昨年のこと。
2016年12月8日だった。

この詳細を記録する間もなく、
あちこちのヒメコソ(姫神)たちに参拝して回った。

比売神。
三女神。
何と北部九州の各地に祀られていたことか。


その深層には市杵島姫信仰が流れている。
災害を畏れる人々の祈りの女神だったと思うようになった。


今、各地から絶え間なく知らされる災害が
古墳時代にも起こり続けたのではないか。

あの広大な筑後平野が海から陸地に変化するために、
何が起こり続けたのか、
それを実際に目撃させられているように思われてならない日々だ。

「ナイルの氾濫」は「ナイルの賜物」と表裏一体だったが、
同じことがわが国の各地の平野でも起こり続けた。


昨年と今年では、すっかり世界が変わってしまった。


さて、いったい「ひめちゃご」が何をきっかけに始まり、
何を調べていたのかも、分からなくなってしまった。


今一度、「ひめちゃご35」の一部を掲載して、思い出そう。


ひめちゃご35 祭神の書き換え

このシリーズは「ヒメコソ」という言葉から始まった。
直後に訪れたみやき町の若宮八幡神社には「仁徳天皇」が祀られていた。

「若宮」といえば、仁徳天皇を指す所が多く、ここもそうだった。
この天皇が佐賀に祀られている点も驚きだったが、
もとは「姫古曽神社」と同じ神が祀られていたという話が琴線に触れた。

「ヒメコソ」社といえば、鳥栖と小郡に二社鎮座していて、
わずか2キロ半の距離だった。

が、二つは県が違っていて、佐賀県と福岡県に分かれていた。

稀有な事に『肥前風土記』にその「荒ぶる神」についての記述があるので、
過去記事を整理しようと手順を考えていたのだが、
立て続けに八女やみやまの神社を参拝することになった。

が、ついに歴史カフェのテーマとして、
「物部とヒメコソ神」が浮かんだことから、
11月に徹底的に伝承を並べて比較することにした。

その結果、鳥栖の「姫古曽神社」で起きていた「祭神の書き換え」が、
みやき町の「若宮八幡神社」でも起きたと考えられることが分かった。


つまり、こういうことだ。

鳥栖(とす)の「姫古曽神社」では、本来の祭神は「市杵島姫」だったが、
八幡神が勧請されると、本来の祭神は隅においやられてしまった。

「市杵島姫」は「たなばた屋敷」に留められた。

ところが、明治の維新の時に調査が入り、本来の神を前面に出すこととなり、
「市杵島姫」が主祭神に返り咲き、社号も「姫古曽」となったという。

この「ヒメコソ」は地名の「姫方」の語源ともなった。


「ヒメコソ」とはどういう意味か。

「こそ」とは貴人に使う敬称である。
だから「ヒメコソ」とは「姫さま」という意味となる。「姫方」も同意だ。

「ヒメコソ」とは貴(あて)なる姫神を指すことばで「普通名詞」と考えてよい。

だから、各地に「ヒメコソ」神は鎮座していることになる。
無理に同一神に習合させる必要はない。



鳥栖の「姫古曽神社」の祭神が書き換えられた事情が明らかになったことから、
みやきの「若宮八幡神社」も同様な書き換えがあったことが推測できる。

しかし、「若宮八幡神社」には調査が入らなかったのだろう、
上書きされた祭神の名のみが伝わることになったと考えられる。

しかし、奇しくも口碑に「ヒメコソ神」の存在が残されていた。

姫神さまが祀られていた証しは
その北部に展開する「姫方遺跡」という地名にも残されている。


さて、同じ市杵島姫を祭る二つの宮だが、やや離れている。
地図に落として眺めていると、二つの間に朝日山が乗って来た。


つまり、若宮八幡神社―朝日山―姫古曽神社 (市杵島姫―朝日山―市杵島姫)

というラインが存在するのだ。
驚いてチェリーに確認してもらうと、ドンピシャと重なったという。

それどころか、「姫古曽神社」から見た冬至の日没ラインと重なることが分かった。>



そうだ。こんな話だった。

若宮八幡神社に向かって
小郡の媛社神社(七夕神社)から出発したヒメコソ三社巡りの
詳細を思い出して書いて行こう。

<2017年8月20日>






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by lunabura | 2017-08-20 21:18 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご84 マエズ・ハウⅡスコットランド オークニー島&スカイ島



ひめちゃご84

マエズ・ハウ(メイズハウ)Ⅱ

スコットランド 
オークニー島 & スカイ島の小島
 


82回の続き。ひと月以上も経ってしまった。






c0222861_22423859.jpg

スコットランドのオークニー島にある5000年前の墓「マエズ・ハウ」の測量図だ。
横から見たら日本の古墳そっくりだが、チェンバーが三つあり、
内容はかなり違っていた。










c0222861_2243292.jpg

冬至の夕陽が入っている画像ではないかと思う。







c0222861_22431939.jpg

落書きされたルーン文字。
これはバイキングによるもの。


5000年前の文化とはいったいどれほどのものか。
このようなものを見ると、自分の想像力の小ささをいつも痛感する。




さて、82回に書いていた「とんでもないもの」を今見直してみると、
大したものではなかった。

答えはスカイ島の小島の様子だ。
相島の鼻栗瀬とそっくりなのだ。








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ホテルからすぐ目の前にある小島が目に入った。









c0222861_2244040.jpg

島のピークにダン・ベーガン城があって、そこからも良く見えた。

私は洞穴があるのを確信して、ギリギリの所まで歩いて行った。


そして撮った画像がこれだ。








c0222861_2245314.jpg

こうしてみると、鼻栗瀬のようであり、志賀島の二見岩のようでもある。



どうやら、「相島とケルト」は私の心の中では一つの導火線に当たるようだ。
これからも、この導火線が一つの物語を紡ぎ出すのだろう。

メモを見ると、
このダン・ベーガン城で偶然、一人のアメリカ人(?)に遭遇していた。
彼は日本で8年間修行し、ここに呼ばれて来たのだという。

この日、こうして出会ったことも今では何か意味があったのかと、懐かしく思う。


そして、夜中にUFOが出たのもここ。

スコットランドはこうして心の中にいつも生きていた。

日本―エジプトースコットランド

というラインで。


(画像はアルバムを撮ったので、光が写りこまないように斜めになったりしています。
きれいにしようとすると、さらに記事が遅れるので、このままUPしますね)

<2017年8月6日>











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by lunabura | 2017-08-06 22:47 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご83 三女神 世界遺産登録



ひめちゃご83

三女神

世界遺産登録
 


 


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女神たちは天上に在り










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玄海の波の上に在り











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空に在り













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とこしえに守らせたまえ








<2017年7月9日 世界遺産登録の日>





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by lunabura | 2017-07-09 21:33 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

二つの花を





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5月に撮ったあじさい。

時間が止まっていた。




二つの花を咲かせよう。





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by lunabura | 2017-06-28 22:29 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(9)

ひめちゃご82 マエズ・ハウ  スコットランド オークニー島


ひめちゃご82

マエズ・ハウ(メイズハウ)
MAES HOWE

 スコットランド オークニー島
 


棚の隅に積み重ねた書類を片づけ始めると、アレ?
ここにスコットランドの旅のノートが(*’▽’)

思わず見入ってしまう・・・と
マエズ・ハウのメモ書きが。

ヨーロッパで最古の墓。5000年前。
12世紀、バイキングが来て天井を壊して入った。
オークニー島では82か所、同じ墓がある。

サンドストーンは数トンの大きさで、切りやすい石。

入口は冬至の夕陽が45分ほど差し込む。
冬至の前後20日間光が入る。
冬の昼は6時間だけ。

チェンバー(石室)は三つ。
遺体は外で骨になってからチェンバーに入れた。

1860年に発掘した。
落書きはルーン文字。

「三日前、宝物を奪いに来た。」
「インガゲールは美人だ。未亡人。」

フーサーク文字(アルファベット)とルーン文字(アイスランド)。
これらの文字は高い所に書かれている。

石切り場は8マイル離れた所にある。







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アルバムから。マエズ・ハウの全景。
中では撮り忘れてるけど、パンフレットを買ってた(*’▽’)







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これはパンフレットから。
石室内部から羨道、外光を撮ったものだね。
すごくきっちりと造られてる。
5000年前かよ( ゚Д゚)

エジプトのことを考えたら、有り得るかなあ (*_*;


計測図とか、準備するけど、ほかにとんでもないものがあった。
次回は先にそれを出すかも。





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by lunabura | 2017-06-09 20:54 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

佐賀県の銅矛 検見谷遺跡




佐賀県の銅矛

 検見谷遺跡
 



これ、すごくない?





c0222861_20394149.jpg

出雲ではないよ。

佐賀県で出土した銅矛。

吉野ヶ里よりすごくない?


早く読みたいんですけどね。

だって、ヒメコソの里ですもん^^




出土地 佐賀県みやき郡北茂安 検見谷遺跡




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by lunabura | 2017-06-05 20:41 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご81 タギツ 石占い




ひめちゃご81 
タギツ  石占い
 


2016年12月5日 結願3

シンロンの次に現れたのも女性だった。

崋山の顔を見て、菊如がクスっと笑った。
「オタフクさんですね」と。美人ではなかったようだ。

菊如が改めて尋ねた。
「地の人ですね。お名前は?」
「タギツ。浜の名前、タギシの浜から付いた名」

タギツの言語は柔らかい外国語だった。
言語変換がされて、日本語となった。

「出雲に多芸志(たぎし)の浜があるけど」
「こちらにもタギシの浜があります」

出雲と鞍手周辺に似ている地名がいくつかある。

特に鞍手のキヅキ(木月)は出雲のキヅキ(杵築)を連想させる。
この話になった。

「木月は杵築だったのでは?」
「その字は使えなくなりました。隠さねばならないものがあるのです」

「何を隠すの?」
「『築』が使えないのです」

それ以上のことは分からない。


「木月に大己貴は住んでいたの?」
「よく分かりません。
あそこの地は沢山の小さなお屋敷がありました。
一つの集落になっていました。
不思議なことに、他とは違っていました」

お屋敷について尋ねると、
「一人住まいのような」と言って高床式らしき家のようすを手で表した。
「他の人は地面に住んでました」
これは竪穴式住居のことらしい。


「他の人たちってどんな人?」
「他の人とは会ったことはありません」

「六ケ岳はどんな感じの山?」
「とても高い山で、上が雲にかかる高さ。
とうてい登れるような山ではありません」

いったいいつの時代か、また疑問が生じる。

菊如が私に質問を促した。
私は驚いてばかりで、思考停止中だった。

この女性がタギツ姫なら大己貴と結婚していたはず、と思い当たって尋ねた。

「誰かと結婚していましたか?」
「していません」

三女神の一人ではなかった。予測が外れた。

菊所が尋ねた。
「お仕事は?」
「石で占いをしておりました」

タギツは50センチ×60センチほどの平らな石を手で描いた。
右手で複数の小石を石台に投げる動作を繰り返した。

私はルーン文字を描いた小石で占う姿を連想した。


「どこにいたの?」と菊如が尋ねると
「亀甲(かめのこう)」と答えた。

亀甲はヤマトタケルが熊襲討伐から戻ってきて、
戦勝のお礼の祈りをした所ではないか。

熱田神社の宮司が心身清めて祭祀をしていたという。
それは剣岳の麓にある。


「誰か来た?」
「二人で占いに来られた方があります」

二人と聞くと、例の二人すなわちヤマトタケルと武内宿禰を連想した。

「目の色は?」
「一人は黒、一人は悟られぬように伏せて、違う色の目でした」

やはりヤマトタケルと武内宿禰だ。
私の夢に出て来た二人。タケルの目は青。

「何を聞かれた?」
「今いる場所からどの道を通って西に抜けると良いかと。
三つのルートを示されました」

「どう答えたの?」
「その一番真ん中。川と海から離れた場所。陸路です」

西。
これはヤマトタケルと武内宿禰が佐賀の熊襲タケルを襲う時の話に違いない。
遠征ルートを占ったのだ。

熊襲タケルが逃げ込んだのは佐賀だ。
その話はすでにブログで紹介していた。

それと組み合わせると、鞍手からヤマトタケルたちは
陸路を通って当時「ありなれ川」という筑後川に出て、
有明海の波が洗う佐賀に出たことになる。

「白山には誰か他の姫がいた?」
「私には分かりません」

白山とは鞍手にある山のことだ。

ここで、話は終わり、タギツは抜けていった。
崋山の自意識が戻って来たとき、
「出雲はヤマトタケルを快く思っていなかった」
と言った。

                            <2017年5月28日>



以下は佐賀の記録


ヨド姫三社めぐり(6)大願寺廃寺~健福寺
日本武尊が熊襲タケルを討伐した所だった









ヨド姫三社めぐり(7)真手(まて)山
熊襲タケル対ヤマトタケル



木月剣神社 『神功皇后伝承を歩く』上巻17 神功皇后が日本武尊の旧跡で祈った






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by lunabura | 2017-05-28 16:59 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご80 シンロンの長はオージー


ひめちゃご80

 シンロンの長はオージー
 

2016年12月5日 結願2

ひめちゃご59 「ジンヨウとパオタン」の続きを書こう。

59回の概要は、
ジンヨウは長のパオタンの命令で沖ノ島の関所を守っていた。
ジンヨウは船乗りからカネを受け取った。
カネが無い者からは宝物を受け取った。
それをパオタンに渡していた。

ジンヨウにとって海に住む神といえば大亀か龍神だ。
月巫女を見たことがあるという。
月巫女は岬の上で金と銀の扇を持って舞っていた。
ジンヨウの部族にも姫がいた。シンロンという名だった。

崋山にシンロンが懸かった。

菊如は船乗りのふりをしてシンロンに尋ねた。
「はじめまして。関所の方から聞きました」
「わらわのことか」

「お名前は?」
「われ。シンロン。日本語で田心と書く人と同じ。われ心田(シンロン)」

「タゴリ姫と呼ばれていたのですか?」
「我はあの者の仲間ではない。そこに居たことはありますが。
その人は大切にされていた。
宗像の田島に住んでいる「心」の字が付く女性で通訳をしていました。
田島に住むシンロンさん。「田心」さん」

「その人はどういうことをなさっていたの?」
「雨が降らなければ降らしたり、祈りを捧げたり。
神ではない。雨が降り過ぎて波が高くならぬように祈りを捧げただけ。
神ではない」

「いっぱい素晴らしいものが届きよったんですね」
「そう。光る石も採れるし」

「それは金ですか?そこでも精製していたのですか?」
私が訪ねると首を横に振った。
「ほら見たことあるでしょ」
とシンロンに言われたがその時は思いつかなかった。

今思えば、鞍手の大塚古墳の
ラメをまぶしたようにキラキラと輝く石のことだろうか。
よく分からない。違っていたら、訂正が入るだろう。

「農耕をしていました。畑だけでは暮らしていけなかった」
とシンロンが答えたが、菊如は話題を変えた。

「タギツさんは御存じ?」
「知らない」

「イチキシマヒメは?」
「知らない」

「他の女の人は知らない?」
「山の上に女性が一人住んでいると聞いたことがあります」
シンロンは四つの山の連なりを手振りで示し、海から三つ目の山を指した。
「四塚ですね。海から三つ目の山」
と、私が確認した。

四塚(よつづか)とは宗像の四連山のことで、
釣川を挟んで宗像大社の対岸にある。

海から湯川山、孔大寺山、金山、城山。
金山(かねやま)!!
そこに女性が一人で住んでいたという。

孔大寺山は金が採れていた。
そこで、金を採っていたのか、と私は尋ねた。
「いいえ」
「金細工は?」
「それもしていません。関所から宝は来ていました」

菊如が尋ねた。
「長の名前は?」
「長はオージー様」

「姓は?」
「ウエクサ ジン・・(不明)」

「どこに住んでいるの?」
「釣川の上流に行きついた所」

菊女が、時代が知りたいけど、どうしたらいいか、私に振って来た。
私も困ったが、北極星と北斗七星の名前を尋ねた。

「星には名前は付けません。ぐるぐるまわる・・あれ。
名前でなく、形で伝えます。絵を見るように。
人に知らせる時は絵に描いて知らせます。名前を付ける感覚はないんです」

西暦や年号の無い時代、何を以って時代を確認したらいいのだろうか。
今でも分からない。

シンロンの声が良く聞こえない。
以下はその断片。

「今は六ケ岳にいます。姫が集まるから。
それぞれの姫が集まっています。
それぞれの名前でこの国を表しています。
一つは田畑・・・田心(たごり)
一つは鉱山・・・市杵島(いちきしま)
一つは魚や水産・・狭依(さよりひめ) 海はさよりひめ
この三つで表しています」

シンロンの語りはここまで。次の存在が待っていた。

       <2017年5月22日>









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by lunabura | 2017-05-22 22:55 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご79 神武天皇の足跡の話まで来たが



ひめちゃご79

神武天皇の足跡の話まで来たが
 

日少(日若)神社の縁起で気になっていたのは馬の話だ。

神武天皇が中州(なかつくに)に行こうとして日向国から豊国に向かい、
田河の吾勝野に出て、兄弟山に天祖を祀った時、
馬見物部の末裔の駒主命が駿馬を連れて天皇を迎えにいったという話だ。

筑紫に行って、その家に行き、馬見山上で皇祖を祀った。
そこから北麓を巡って日尾山に向かう途中の谷で難渋して、
日若の水で祓って霧が晴れた。

簡単にはこのような話だが、調べていくと、
日王山(日尾)で比売神を祀って嵐が収まった話もあった。


前回の話と合わせると、神武天皇は
日王山から馬見山に向かう途中、鹿毛馬に立ち寄っていることになる。
そこで新たな馬に出会う。

しかし、馬はこれくらいにしておこう。

これらを読みながら、日王山が格別な山だったことを改めて認識した。

ネットでは神武天皇の足跡を
北九州と筑豊を中心に念入りに探査したサイトもあった。
福岡の東部は網羅されているといえよう。

これに加えて福岡の西部での
糸島での兄妹婚、太宰府の王城神社での政を組み合わせると
壮大なストーリが描きだせると思う。

東部での足跡は地元の人が一番分かりやすいし、
地元のために掘り起こさねばならない歴史だと思った。

誰か立ち上がって、本を書いてくれることを願うばかりだ。


「ひめちゃご」は次々に入れ子を造り遠くまで来てしまった。

ここらへんで、帰り道を辿ろう。
開いた入れ子を完結させながら戻る時に来た。





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『神功皇后伝承を歩く』下巻87日若(日少)神社











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by lunabura | 2017-05-19 20:40 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご78 綱分―日若―無名山―飯土井神社 レイライン



ひめちゃご78

綱分―日若―無名山―飯土井神社 レイライン

まさかの、続きがあった
 


前回の厳島神社の投稿のあと、チェリーから新たなライン図が届いた。

「最早、言葉はありません」と。
それを見て私も驚いた。

確かに!
それを見ると、あのラインの続きが赤色で描かれていた。
私も、驚いて、何を返事したらいいのか言葉が無かった。


それは飯土井神社へのラインだった。
(福智町神崎)

c0222861_2138115.jpg

厳島神社の縁起では、
日王山で祀られていた天照大神が勧請されたのが飯土井神社とある。
それは14世紀の半ばのことだった。

飯土井神社を調べると、もともと仁徳天皇一柱を祀る宮だ。
かつては若宮神社と号したそうだ。
そこに天照大神が合祀されたことになる。

チェリーが驚いたのは、
「綱分八幡宮―日若神社―無名山(189.3m)」のレイラインの
「延長のポイント」が見つかったことなのだ。

まさか、こうして迂回してポイントが見つかるとは私も思いもしなかった。

例の調子で私の勘違いで始まった
ひめちゃご71からの一まとまりのシリーズだ。
無名山をバスの中から撮って、載せたことが始まりだった。

c0222861_201813.jpg


この山が無名山と分かり、
「綱分八幡宮―日若神社―無名山(189.3m)」のラインが
日王山を通らないのが残念だったのだが、どっこい、
それは飯土井神社(いどい)に達した。

チェリーによると、
<189.3mのピークから綱分八幡宮を見て、その反対側に
ラインを延ばしていったと考えられます。(飯土井神社は見えません)>
ということだ。

これで、無名山の隠れた価値が見えて来た。
その姿の美しさからも、聖山だったことは間違いない

この発見に何らかの見えない世界の意図を感じずにはいられない。

あとは、誰か、現地踏査する人が出てくるだけだ。(*´з`)
(^^;

あるいは、誰か祈る人が出てくることだろう。

何せこのシリーズは集団幻想による小説なのだ。
それぞれの得意分野を持ち寄って何かが分かればいい。


さて、私が驚いたのは、
日若神社には神武天皇の馬の話が出ていて、
前回の鹿毛馬神籠石の話に連なるようなので、

もう一度、あの漢字だけの縁起を読み直そうと思った矢先だったことなのだ。
中国語と日本語が全部漢字で書かれているため、

文法がぶっ飛んでいる和製中国語( ゚Д゚)

がんばるべ。






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by lunabura | 2017-05-17 21:40 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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