ひもろぎ逍遥

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カテゴリ:「ひめちゃご」( 111 )

ひめちゃご77 厳島神社 日王山から遷された三女神





ひめちゃご77

厳島神社 

日王山から遷された三女神
 


英彦山からの三女神と大己貴のレイライン。

それはどれもが日王山を経由する。
そこで景行天皇が三女神を祀ったという。

その日王山の祭祀は麓に下りていった。
後光厳天皇の御代、延文年間(1356~1360)のことだ。

アマテラスは福智町神崎の飯土井神社へ。
三女神は飯塚市鹿毛馬へと下った。







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それを厳島神社という。









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鹿毛馬川から上がって南西の丘に向かう位置が選ばれた。












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祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命。
三女神が一所に祀られている。


『福岡県神社誌』では
豊前国の宇佐島から宗像の沖津島に鎮座するとき、
当村、日尾山を越えられたという古実から
景行天皇の御宇に三女神を祀ったとある。








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「日王山」の表記は「日思山」だったともいう。

それは三女神が山頂の「方丈の瑞石」に神をって
天照大御神を祀ってからの名だそうだ。

烏尾峠の地名由来も、
三女神が道に迷った時、烏に導かれたことからついたという。


地図を見ると、烏尾、船尾、日尾と、「尾」がついた山名が集中している。

これらを「八咫烏」「天鳥舟」「太陽の尾=彗星」と、
なんとなく変換してみた。



近くの田の中には三女神が休憩したといわれる「神休所」という磐座がある。

英彦山からの帰り道、車で走りながら左手に見えたが、写真は撮っていない。
またの機会に撮ろう。

その斜め上に向いた姿は御許山を指す磐座を思い起こさせた。

厳密に測量された三女神レイラインはいったい何を現すのか。
この磐座との組み合わせがヒントになるかもしれない。

が、何かあるという事自体が幻想なのかもしれない。









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参拝を済ませて戻る参道の向こうに鹿毛馬神籠石がある。
この史蹟は鉄の生産施設だと確信している。

山城ではない。

列石は二重三重に誤解されてきた。

「神籠石」という名の発祥である『高良玉垂宮神秘書』では結界となっている。

高良山の神籠石は巨大な磐座だ。
そう、磐座信仰が神籠石なのだ。




この「鹿毛馬」という地名は神武天皇にちなむ名だそうだ。

『福岡県神社誌』によると、
神武天皇がまだ狭野命という時に、筑紫をまわるために
豊前国からこの村に来られた。

馬牧から足毛の馬を献上されてその馬に乗って馬見村に向かった。
その姿を老翁が見送ったという。

これからこの村を駈馬村というようになった。

その牧の跡を大石で区域を残したという。

鉄生産施設が後に牧として利用されたと考えているが、
その形状が鉄を生産する熊本の一目神社と全く同じものだという記事は
ずっと前に書いた。


神籠石はひとくくりで論じる前に、個々について精査する必要がある。

山城として論じる人は、どこに主を住まわせて守るのか
一つ一つ説明する必要があると、最近よく思う。




福岡県飯塚市鹿毛馬1088







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by lunabura | 2017-05-15 22:34 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご76 高良山―英彦山 香春岳を巡る争い



ひめちゃご76

高良山vs英彦山 香春岳を巡る争い

 「高良玉垂宮神秘書」より
 



前回まで英彦山の話だったが、
今回は高良山に伝わる謎の本「高良玉垂宮神秘書」に
出てくる英彦山の話を紹介しよう。

142条 彦権現、異国人ニテマシマスノ間、彦権現ハカリコトヲ ナシ玉フ、
(略)高良ノ、彦権現ハ、モツハラノテキ神ナリ


高良にとって彦権現は異国人で「もっぱらの敵神なり」
という、珍しい話が書かれている。

こうなった理由は彦権現がはかり事をしたからだが、
その事情はずっと後の212条に出てくる。


それは豊前国の香春岳を巡る争いだった。
意訳をしよう。

212条

香春岳に異国から異国人が攻めてきたら、
三の岳に高良三所大菩薩が降臨して異類を退治しようと誓いを立てた。

異国征伐の時、高良大菩薩が三の岳に登って
異国のようすを視察したことから、
(香春岳)を高良峰と名付けた。

彦権現がはかりごとをして、高良峰を洗い崩そうと、
横に並んでいた山から樋を掛けて水を流したのを、
高良大菩薩が神通力で知って、樋を蹴ってのけたため大洪水になった。

また、仲哀天皇の崩御のあと、薫香が香春岳に垂迹して留まったので、
香春岳ともいう。

というものだ。

これは三韓征伐の直後、神功皇后や安曇磯良、武内宿禰の時代にあたる。

田川の若八幡神社の縁起によると、ここは神夏磯姫が開発した所だ。

その子か孫の夏羽の時代に仲哀天皇、神功皇后たちがやってきた。

そのあと、田油津姫と夏羽の兄妹は朝廷側に滅ぼされた。

その結果、香春岳は朝廷を支える安曇族の支配下になったことが
この二つの条から伺える。

高良大菩薩とはこの時代は安曇磯良を指している。

この香春岳を彦権現が奪おうとしたとき、
大洪水があったことが神話的に描かれているのが面白い。

二つの条から、かわら岳(香春)の地名由来として、
1 こうら(かうら)が支配したので「高良(かわら)峰」といった。

2 仲哀天皇が亡くなったあと椎の木に立てかけた棺から
良い香りがした(香椎・かしひ)という故事があり、
その香りが垂迹したから「香春」となった。

という、二つの話を述べている。
この本の成立は秀吉や家康の時代の頃なので、
それを考慮にして読まねばならない。

そんな中で、分かるのは
香春岳の銅山が古代から争奪の的になったということだ。
とれるのは銅だけではない。多くの種類の鉱物が採れていた。
金ももちろん。

九州に渡来人が各地からやって来て、この宝の山を発見して、
渡来人同士、争いながらも棲み分けをしていく過程が見えるような条文だ。

人間はロケットを飛ばしてまでも新しいミネラル(鉱物)に好奇心を持つ。

古代から、どんだけ鉱物好きなのか、と時々思う。
この話もそんなことを思わせる話だった。



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一の岳は山が削られてしまって、土台だけになっている中央部分。
三の岳は削られた山の左二つ目。




『神功皇后伝承を歩く』下巻60 若八幡神社 皇后軍は夏羽を滅ぼした



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by lunabura | 2017-05-09 20:36 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)

ひめちゃご75 英彦山神宮 奉幣殿



ひめちゃご75

 英彦山神宮 

奉幣殿
 


英彦山には福岡県の男子が成人するとみんな登っていた。
父がそう話していたことを思い出した。

母に聞くと、母の故郷でもそうだったという。
福岡県の南部からも英彦山に登ったというのだ。

同じ話が真鍋大覚の本にも出ていたので、一般的な話だと分かった。







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福岡県中から成人した若者が英彦山に登っていたとは。

何のイニシエーションだろうか。

いったい何を求めて青年は登らねばならなかったのか。

英彦山神宮の主祭神は天忍穂耳命だ。
天忍穂耳に何故、祈らねばならなかったのか。


あるいは修験道にちなむ風習だったのか。

今は聞かない。
戦争でその風習は消えたのだろうか。

思えば、神武天皇も北九州の一宮神社の磐境神籬から
祈ったのは天忍穂耳だった。

日子、すなわちアマテラスの子と呼ばれる天忍穂耳。

この山は日子山から彦山となり、英彦山となった。

農耕の神、鉱山従事者の神の性格を持つ。当初は後者だろう。

筑紫の曙の頃の記憶を伝える神でもある。



友人から聞いたエピソードも思い出された。

友人が熊野に参拝したとき、社務所で、どこから来たのか尋ねられた。
福岡から来た、と答えると、
「お疲れさま、英彦山が元宮ですよ」
と言われたそうな。











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奉幣殿に着いた。








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昔と何も変わっていなかった。










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シャクナゲが咲く水場で水をいただく。
そうそう、高住神社も英彦山神宮も水がおいしい。
というか、神水だ。
ペットボトルを持っていこう。
リュックがあれば帰りも重くない。










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スロープカーで登って来た人たちがどっと訪れる。
憧れても登れない人たちがいた時代が千年以上もあったことからすると、
なんと良い時代になったことか。











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こちらは遥拝所で、頂上への登山口だ。
中宮に市杵島姫が姉姫たちと共に祀られている。

スロープカーで奉幣殿まで来て、ここから登れば
時短で市杵島姫に参拝できる。それも一手か。


二女神のラインが日王山を通って六ケ岳グランドクロスに届く。

地のラインだが、天空のラインとも呼びたい神々の世界だ。


奉幣殿から先は登山靴が必要だ。寒い季節はアイゼンも。

かつて春でも石段が凍って滑り台になっていたために断念したことがある。



雷鳴の間隔が短く近くなってきたが、不思議にあわてる気にならない。

なるようになるさ。








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長い石段を下りていく。

車に乗ると、ついに雨が降り出した。
ヒョウも降る。



途中、高木神社の祭に遭遇した。
ここだけは雨が降っていない。

そして、その町を抜けると土砂降りだった。

神輿を担ぐ人たちは周囲が雨とは知らなかっただろう。

神懸かった不思議な光景を見せられた。


『神功皇后伝承を歩く』上巻2 神功皇后は神武天皇の旧跡で祈った


<2017年5月7日>



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by lunabura | 2017-05-07 20:31 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(12)

ひめちゃご74 英彦山神宮 参道にて



ひめちゃご74


英彦山神宮 参道にて
 

高住神社から車で数分、英彦山神宮にも足を延ばした。


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別所の駐車場から英彦山が見えた。









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ここから歩いて行ったが、道が広くなって崖の上の道だと気付く。
記憶に無い舗装道路だった。



スロープカーが出来てから様変わりしていて、土産物店も二つほどに減り、
参道のそばまで駐車場が出来ていた。


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石段は途中から登りづらくなった。
こんなに大変だったのか、石段の記憶も景色も何もかも違って見えた。

視点が変わると世界が変わる。





参道の両脇には大きな僧坊の跡が左右に残っている。
高良山にも300以上の坊があったが、草木に埋もれて姿を留めない。
英彦山はそれよりもスケールが大きい。




「ここは都だったね」と夫が言う。

この僧坊群の大きさからいうと、かなり大きな消費生活があったはずで、
それを支える町は当時の日本でも大きかったことだろう。

「熊野より大きかったかもね」と正直思った。





数年前の新聞記事に
航空写真から壮大な僧坊群があった地形が読み取られたことが載っていた。

地形だけ残る宗教施設の山はマチュピチュを思い起こさせた。


「まるでマチュピチュ」
天空の宗教施設という意味で同じ営みを感じた。









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「都」という言葉から、
久山の伊野神社(天照皇大神宮)の豊丹生(ぶにゅう)氏の話を思い出した。

大和国丹生で丹生氏に改姓し、皇大神に仕えていた小山田氏の曾孫が
公の場で席順の争い事を起こし、英彦山に流されることになった。

その時、アマテラスが「自分を連れていくように」と夢に出て来たので、
この英彦山に神体を持って来た。
さらにその子供に神託があって、
神体を久山の天照皇大神宮に移したことから豊丹生氏となった。

そんな話だった。

古文献を見ていると時々英彦山が出てくるので、
よほどの都会だったのだろうと思ったので「都」ということばに
いやに納得した。

こうして、左右の僧坊群を見ながら登ると、
食いっぱぐれても、ここに駆け込めば生きていける。

仏教にはそんな懐の深さがあって、
今より食べ物のない時代でも、誰でもが生きていけたんだろうなと思った。

コンクリートの中の暮らしでは想像もつかない豊かさが山の中にあった。



遠雷が時々響く。
雨に遭わなければいいが。

後で知ったが、博多どんたくを中止に追い込んだ雷雲がここまで及んでいた。







『神功皇后伝承を歩く』
上巻38 天照皇大神宮 神功皇后は天照大神を祀った





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by lunabura | 2017-05-05 23:00 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご73 英彦山・高住神社に参拝してきた



ひめちゃご73 

英彦山・高住神社に参拝してきた
 


という訳で(どういう訳?笑)、
今日は高住(たかすみ)神社に参拝してきた。

連休を利用して5月3日に参拝する予定にしていたので、
ちょうどブログ記事にリンクした。












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遠賀川中流域から英彦山(右)と鷹ノ巣山(左)がずっと姿を見せる。
特に鷹ノ巣山の二つのピークは人の心を捉える。

添田町に入って、二つの山が撮れる所に出たので車を止めて撮影。
目的地は英彦山山塊の中の北(左)ピークの麓にある高住神社だ。











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急なカーブの連続の途中、一瞬鷹ノ巣山が見えた。

あれを見て登りたいと思う人もいるのだろう。
「いかにも修験の山らしい」と夫が言う。

途中の道の駅で弁当を買っておいて良かった。
食事が出来る所は無い。









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高住神社の一の鳥居。銅製だろうか、緑青色が美しい。











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参道に差し込む光が幽玄の世界を醸し出す。別次元のような参道だ。











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新緑の美しさに何度も立ち止まる。








「磐座信仰だ」と夫が言った。


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まさに、そう。
磐座に向かって祈るようになっていた。











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ご祭神の組み合わせが不思議だ。

豊日別大神、
天照大神、
天火明命、
火須勢理命、
少名毘古那命

木花咲耶姫が生んだ天火明命、火須勢理命がここに。
糸島の細石神社の近くでコノハナサクヤが出産した伝承があったことを思い出す。

この二神は志式神社では豊玉姫と共に荒ぶる神になっている。
この謎は全く解けていない。
ここで、遭遇するとは思ってもいなかった。

二神の母と父である木花咲耶姫とニニギ尊は
もう一つの霊峰・馬見山に祀られている。
どうやら、英彦山と馬見山は一セットでアプローチしなくてはならないようだ。

また、天照大神が祀られているのも意外だ。

少名毘古那命も何故に?

「鎮西彦山縁起」や「彦山流記」で想像していた
神々の世界とはかなり違っている。



第一神の豊日別大神は豊の国の国魂だ。


この北嶽に住んでいたという大己貴と二女神の名は消えていた。
やはり、遠く海を目指して遷っていったのだろうか。
もともと大己貴と少名毘古那の組み合わせも存在した可能性も出てくる。

ここは祭神が幾層にも祀られた歴史を留めているようだった。





『神功皇后伝承を歩く』
下巻72志式神社 神功皇后は荒ぶる神々に神楽を奏した




                     <2017年5月3日>


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by lunabura | 2017-05-03 20:20 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご72 英彦山は宗像に転写されたのか



ひめちゃご 72

英彦山は宗像に転写されたのか
 

前回は
「英彦山―六ケ岳」の間には
「三女神ライン」と名付けた一直線のラインが存在し、

それと重なりつつ、角度を変えて存在する
「日子ライン(日子―日王―日子)」が存在すること、
また、六ケ岳グランドクロスの持つ意味の考察などを記した。


が、
これらのラインが実際にどうやって測量されたのか、
という疑問が当然ながら出てくる。


それに簡単に答える画像をチェリーは添付してくれていた。

なんてことはない。
英彦山から見れば日王山と六ケ岳は目視できるのだ。
それが次の画像だ。










c0222861_14444954.jpg


まるで神々の視点を得たように美しく見えている。
英彦山からは日王山、六ケ岳がよく見えていた。
その奥には孔大寺山が雄大な姿を見せている。
この山の向こうは玄界灘だ。















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これは六ケ岳の上宮からの英彦山。逆からも当然ながら見えている。
こうしてみると、「英彦山北嶽ー中岳」は不思議な形だ。

この「英彦山北嶽」にいた「二女神」は「市杵島姫と合わせて三女神」となって、
「日王山」を経てこの「六ケ岳」に降臨した。

このように完璧な一本ラインが存在することは、
三女神の降臨神話は何らかの「寓話」として、あるいは「暗号」として
伝えられたのではないかという、新たな思いを生じさせた。

これまでは、「氏族は氏神を持って移動する」という考えで考察してきたが、
天空のこのラインはそれでは上手く説明できない。

何らかの別の意図があったのではないかと思うと、
かえって謎が深まってしまった。




つぎに「大己貴ライン」について考えた。

一枚目の画像に見える孔大寺山についてだが、

この山には宗像大社の摂社である孔大寺神社(こだいじ)がある。

その祭神が大己貴少彦名だ。

その麓に指来(さしたり)神社があり、

祭神は気長足姫命、阿蘇津彦命、大己貴命、高龗神、

少彦名命、水波能売命、豊日別命。



この指来神社の位置は綿密に目視しながら測量して決められたことを

チェリーはブログですでに証明していた。







二女神と暮らしていた「大己貴」は「英彦山北嶽」から宮若市の
「若宮八幡宮」を通り、「指来神社」に到達する。
そのラインは宗像大社辺津宮を通り、中津宮(大島)に延伸する。

大己貴と二女神が宗像でそれぞれの宮に鎮座しながらも、
英彦山への繋がりを伝えようとしているかのように見える。

大己貴は宗像の「許斐山(このみやま)」にも鎮座する。

まるで「英彦山」が宗像に転送、あるいは転写されたように見えてきた。
チェリーが「豊前坊」(高住神社)が孔大寺にあることを述べているが、
これも「英彦山」の拡大写し絵である印象を強くしている。


この、きっちりと測量されたラインが何の意味をするのか、
別次元の暗号があるのどうかも分からない。

今は、このラインを知ったことで十分だろう。

思えば、ここに挙げた山のうち、
許斐山、孔大寺山、六ケ岳、英彦山は全部二回(以上)は登っている。

チェリーの画像を持って、もう一度すべてを登り直したい気分になった。





                          <2017年5月1日>

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by lunabura | 2017-05-01 14:47 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)

ひめちゃご71  英彦山―日王―六ケ岳三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった



ひめちゃご71

英彦山―日王―六ケ岳
 

三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった

謎のグランドクロスの手掛かり




次の画像は「姫神の謎を追って」3で作製した三女神関連の画像。
数年前のものだ。
http://lunabura.exblog.jp/23357916/


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「英彦山」の伝承と他の神社縁起をアバウトにつないでみた。

大己貴と二女神が結婚して住んでいた北嶽に天忍穂耳が来たので、
大己貴と三女神が宗像に遷るようすをライン化したものだ。

今見直してみると、その当時の理解から殆ど前進していない(´・ω・`)


前回70の話題は青いライン上にある日若(日少)神社などのことだったが、
「日若」「日少」と「日王山」に共通する「日」が気になっていた。




すると、
チェリーがピンクのライン上に「日王山」が乗ってくることを発見した。

私がアバウトに描いたピンクの三女神ラインは
チェリーの厳しい基準をクリアして存在したのだ。







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英彦山―日王山―六ケ岳のラインだ。
英彦山には三つのピークがあり、六ケ岳は六つ以上のピークがあるが、
図に描かれた三本の微妙な角度差のラインは全部日王山を通っている。








次はその部分拡大図だ。南から載せよう。

c0222861_19435336.jpg

青(南岳)、紫(中岳)、赤(北岳)から発するラインは










c0222861_19441563.jpg

すべて日王山を通り、











c0222861_19443021.jpg

六ケ岳の三つのポイントに届く。

青(南岳―日王山―羽衣)、
紫(中岳―日王山―グランドクロス交点)、
赤(北岳―日王山―崎門・六嶽神社上宮)

この中の「グランドクロス」の名はチェリーが発見して命名したもので、
「天冠―旭(六ケ岳頂上))と「羽衣―出穂」のラインが
東西と南北を正確に結ぶことからつけている。


この天冠と旭と羽衣の三つには重要な共通項がある。

それはニニギ尊だ。
ニニギ尊のなきがらを「旭」に、冠を「天冠」に、
衣を「羽衣」に埋めた伝説がある。

それらが作る十字架の交点に、英彦山中岳―日王山の矢が突き刺ささっている。
それが紫ラインだ。


英彦山はもともと日子山と表記していた。日子である天忍穂耳を祀る。

一方、日王山は日神(アマテラス)と三女神を祀る。
天忍穂耳はアマテラスの子だ。

天忍穂耳とニニギは父子だ。

だから、このラインはアマテラス三代のラインとも言い換えられる。

日神(アマテラス)―日子(天忍穂耳)―日子(ニニギ)の三世代が
山の上では
日子(英彦山)―日神(日王山)―日子(六ケ岳)
と繋がっていることになる。



これを整理すると、
ニニギ尊に関わるものを埋めた六ケ岳の十字架の交点に
日子―日王ラインが差し込むということだ。

まるで、暗号に満ちた宝の地図のようだ。

ニニギの関連のものを「埋めた」という暗号は
グランドクロスの交点に何かを埋めた。
という暗号ではないか。



そんな、目眩のするようなラインの発見だった。

(画像はチェリーの作図で、国土地理院を利用している。)







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by lunabura | 2017-04-28 19:48 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(6)

ひめちゃご70綱分八幡宮ー日若神社―189.3mの無名山 謎のラインが発見された



ひめちゃご70

綱分八幡宮ー日若神社―189.3mの無名山

謎のラインが発見された
 
 
前回は飯塚市の宮地嶽勝守神社について記したが、
今回はそこから東に話題を移そう。

日若(ひわか)神社と綱分(つなわき)八幡宮だ。
同じ飯塚市に鎮座する。

「ひめちゃご63 景行天皇の三女神祭祀」に両社を書いたあと、
そこから水沼に話題が移ったが、今回、再び戻ってきた。

しかし、やはりここでも再び三女神の話題に戻っていく。

「ひめちゃご」では三女神を堂々巡りしているのに驚かされる。






さて、事の発端はこの画像だ。

c0222861_201813.jpg

烏尾トンネルに入る直前に撮ったのだが、
この隠れた神名備山についてチェリーが調べてくれた。
c0222861_20215188.jpg


名が無い189.3mの山で、麓に日若神社があることが分かった。
実際は、日若神社は尾根に阻まれて見ることができない。
透視した位置になる。








c0222861_20185940.jpg

当初私はこの189.3mの山を金石山と勘違いしたのだが、
撮影地点までも特定してくれたうえ、
金石山は烏尾トンネルの南にあることが分かった。

しかも、日若神社と189.3mのピークのラインの延長上に綱分八幡宮が乗ってきた。


このラインは一体何だ!
またもや驚きのラインが発見された。

両社は「水」を介してつながり、189.3mの神名備山を介して結ばれていた。

山に深い意味があるはずだが、これ以上は分からない。






さて、次の画像を見てみよう。

c0222861_20192574.jpg

さらにそのラインを延ばした所に日王山がある。

赤いラインが繋がっていないということは、
チェリーの厳しい基準には合致しなかったのだろう。

微妙に逸れているということだ。

(画像はカシミール3Dにて作成)


チェリーはこのあと、さらに驚きの発見をする。
すでにコメントには書かれているが、次回はその画像と共に紹介しよう。


<2017年4月25日>



『神功皇后伝承を歩く』
日若神社 下巻87 飯塚市 
綱分八幡宮 下巻86 飯塚市










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by lunabura | 2017-04-25 20:24 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご69 勝盛公園と飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守2



ひめちゃご69 

勝盛公園

飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守2
 


勝盛公園の赤い橋を渡ると舗装道路が横切っていた。

正面に道はない。

右手に山に登る遊歩道があったので上っていくと鳥居があった。






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しかし、道がない。
初めての体験だ。

向こうに社殿が見えるが、まさか山の斜面を登るようになっているとは。

右手に迂回したが、結局やはり斜面を登って脇から拝殿の横に到達した。


さらに回って、参道の中途に出て拝殿に向かった。








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拝殿の前。









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この神紋は何というのだろう。
三階松ではなかった。宝珠が三つ重なっているような印象の紋だ。

コンクリートの拝殿の正面には鉄の扉がある。それを迂回して横から参拝した。









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この神祠に前回載せた「勝村大神・勝守大神、勝頼大神」の神名が刻まれている。










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遊歩道の途中にあった石碑には
「宮地岳勝守神社拝殿建築」の文字があった。

やはり、勝守大神がメインだ。
その「勝守」の名から勝盛公園の名称が採られている。


何故、ここに宮地嶽が祀られているのか。

勝守が勝村・勝頼の兄弟だとすると、葛子の子に当たる。
もちろん、磐井君の孫だ。
鞍橋君とも兄弟になる。

これが意味するのは、
磐井の乱で勝利した物部氏と、それを差し向けた大伴氏が勢力を拡大したあと、
この飯塚市(旧穂波郡)は鞍手町と同様に
磐井の末裔が奪還した可能性があるということなのだ。

だから、創始がいつなのか、が重要になってくる。






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参道を降りていって正面に回った。(これは途中の鳥居)
ここは桜の名所なのだろう。
桜の花の茎がびっしりと折り重なっていた。

今日中に解決しよう。
そう思って、私は図書館に向かった。


司書の方たちも一緒に調べてくれたが、
『飯塚市史』(誌?)には勝盛公園の沿革が載っていないし、
宮地嶽神社も由緒不明となっていた。

『飯塚市誌』(昭和27年)には宮地嶽神社の名も載っていなかった。

とりあえず、
「勝盛公園」はかつて「勝守公園」と表記されているのは分かった。
麻生太郎の父・太賀吉が造った公園だ。

ネットで探すと、麻生グループの記事があった。
以下、その一部

<勝盛公園の前身である旧勝盛公園ができたのは大正10年のこと。

まだ地方都市に公共の公園があること自体が珍しかった時代に、
頂上に宮地嶽神社を持つ小高い丘に遊歩道や植栽などを整備した4896坪の
公園としてスタートしました。

勝盛公園が現在の規模になったのは、昭和になってからのことです。

昭和10年1月、麻生の2代目・太賀吉が、
昭和8年12月に亡くなった初代・太吉を記念して、
旧勝盛公園に隣接した8895坪の土地を飯塚市に寄付。
「櫨山(ろざん)遊園地」として開放しました。>

https://www.aso-group.jp/history/achievement_01.html


これで、この丘陵の頂上に宮地嶽神社が
大正10年以前から鎮座していた事が分かった。

何故か、市誌からはもれていた。

この丘陵には古墳もあったということなので、
古代社会でも争奪の対象となるような重要拠点だったことだけが分かった。


<2017年4月23日>

追記
※宮地星が北極星なら、南に何かあると思って探すと、
大将陣山(112m)があり、大将神社が鎮座している。

その近くには「七星」を祀る祠があったという。
やはり北斗七星と宮地嶽勝守神社は関連があるのだろう。





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by lunabura | 2017-04-23 20:19 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご68  勝盛公園と飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守 1



ひめちゃご68

勝盛公園

飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守 1
 


今日は所用があって飯塚(いいづか)に行った。
日が長くなったので、一ヵ所探索しようと地図を広げた。

そうだ、勝盛公園と宮地嶽神社を確認しに行こう。

何故なら、飯塚に宮地嶽神社があり、
勝村・勝頼兄弟ともう一柱が祀られていて、
それが「勝守」というのだ。

知られていない謎の兄弟がいる。
「勝盛公園」の名は謎の「勝守大神」から来ているに違いない。

その因果関係を確認しにいこう。
第三の祭神の存在は、宮地嶽一族が飯塚を治めた可能性も秘めていた。
新しい勧請か、古い勧請か知りたかった。






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これが最後に見つけた三柱の名を刻むご神体だ。

「勝村」「勝頼」兄弟の間に勝村大神がいる。
ということはやはり三兄弟だったか。


「勝盛公園」の近くは時々通るが、駐車場を見たことがない。
ナビでも出てこない。

とりあえず周囲を廻ってみると
「勝盛公園入口」(記憶曖昧)の小さな案内板を見つけて
鋭角の角を曲がり、駐車場を見つけた。

多くの市民が集っている。





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噴水が印象的な池があった。

二つの山が東の方に見えた。
いずれかが「勝盛山」で宮地嶽神社が鎮座しているはずだが、
鳥居は見えない。

まずは池の周囲を歩いて地形観察をすることにした。







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駐車場から左手の丘に登ると見晴らしの良い広場に出る。
昼下がりの太陽が傾き始めているので、
南西を向いた岬状の丘になっている。

いかにも古代豪族の治めるにふさわしい地形だ。

散歩する人に「神社がありませんか」と尋ねると、
全く知らないようで「すみません」と逆に言われてしまった。









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公園の沿革を書いた掲示板なんかも見つからない。









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遊歩道を辿って赤い橋に出た。
参道に違いない。
正面に山がある。


しかし、鳥居は全く見えなかった。

                    <2017年4月21日>



勝盛公園









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by lunabura | 2017-04-21 22:37 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(9)
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