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カテゴリ:日本書紀・万葉集の風景( 2 )

万葉集「いざ児ども 香椎の潟に」の歌はココ 香椎潟での玉藻刈りはミソギ



万葉集
「いざ児ども 香椎の潟に」の歌はココ

香椎潟での玉藻刈りはミソギ







香椎廟参拝後、この香椎潟に大伴旅人が馬でやってきて、
玉藻を刈る歌を詠んでいます。






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(御島神社と香椎潟)


6巻 957番
 冬11月、大宰の官人ら、香椎廟を拝し奉りおえて、まかり帰る時、
馬を香椎浦にとどめて各々思いを述べて造る歌
 帥大伴卿の歌一首
いざ児ども 香椎の潟に 白妙の 袖さえぬれて 朝菜摘みてむ

(さあ、みんな、香椎潟で白い衣の袖も濡らして 朝菜を摘もう)

ここが神功皇后が海に入って禊をした海だということを承知のうえで
朝菜摘みすなわち、玉藻刈をしているんですね。

冬の11月。香椎廟に参拝しての帰りです。

大宰帥が赴任する時、必ず香椎宮に参拝して、
神官から冠に綾杉の枝を挿してもらうといいます。

それに加えて、別の機会にも参拝したのでしょうか。


万葉集では連番で、小野老(おゆ)の歌も載せています。

958番
 大弐小野老朝臣(あそん)の歌一首
時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈りてな

(冬の季節風が吹く頃になった。香椎潟の潮干の浦で玉藻を刈ろう)

ここは北向きの浜。
北風が吹き付ける寒さ厳しい玄界灘です。
大弐とは副長官の身分。
小野老は「青丹よし 奈良の都は~」を詠ったことで有名ですね。

この人も、香椎潟に出て、玉藻刈りをしています。

この「玉藻を刈る行事」とは単なる食材採りの行為ではなく、
禊(みそぎ)のことと考えています。


福津市の年毛宮(としも)の拝殿前の石の棚に
砂混じりのワカメが置いてありました。

同じ福津市の風降天神社でも見かけました。

そこで、年毛宮の宮司に伺うと、
氏子さんが海に潜って禊をした証しとして、
海藻を二つ採って神社に参拝し、
一つは神社に奉納、一つは自宅に持って帰るそうです。

これはお汐井取りと同じ思想ですね。

和布刈神事とも根底は同じです。

和布刈神事は安曇磯良が神功皇后に
干珠満珠の秘法を伝える様子を現しています。

干珠満珠を海神(わたつみのかみ)から貰う姿が、
磯に入って海藻を採る姿になっているわけです。

志賀海神社でも、沖津宮で今も行っています。

干珠満珠は筥崎宮では「玉せせり」の二つの木玉に変化します。

形が変わりながらも、「ミソギ」という思想が通底しています。


太宰帥だった大伴旅人が香椎廟参拝後、わざわざ香椎潟に立ち寄って
みんなで禊をする情景を詠んだものでしょう。

あの岩礁の石祠に祀られているのは綿津見神ですから、
まさにミソギの神様にその姿を見せている訳です。


「朝菜」については、
朝餉の材料としてワカメを摘むと習ったのですが、
そうではないと思います。
太宰府の長官が朝餉を準備するのは何だかねえ。(´・ω・`)


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万葉集には連番でもう一首出てきます。
959番
 豊前守宇努(うのの)首(おびと)男人(おひと)の歌一首
行き帰り 常にわが見し 香椎潟 明日ゆ後には 見む縁(よし)も無し

(行き帰りに常に見ていた香椎潟も 明日から後は 見ることもない)

豊前守の宇努首男人を調べてみて、驚きました。

宇努首男人は養老4年(720年)に隼人の乱を征圧しています。
この時、大伴旅人が隼人征圧軍の大将軍なのです。


これが薦神社の創立と関わっていました。
薦神社について、ウィキペディアより。

<養老3年(720年)、大隅・日向の隼人の反乱(大隅国府襲撃)で
大伴旅人が率いる大和朝廷軍
および宇佐神宮の辛島波豆米(からしまのはづめ)率いる宇佐「神軍」が、


薦神社の三角池に自生する真薦を刈って作った枕形の御験、
薦枕(こもまくら)を神体に、
神輿を奉じて日向まで行幸し、乱を鎮めたと言われる。>

波豆米はこのあと、鞍手の六嶽神社に三女神の優位性を説きに来ていましたよね。
その年、六嶽神社の神官の家系は断絶します。
何とも不気味に思ったことを思い出します。

香椎潟からここに繋がるとは思いもしませんでした。

また、大伴旅人の五世代前が大伴金村です。
筑紫君磐井を滅ぼした人ですね。

大伴旅人には万葉歌人としての側面と
磐井一族や隼人を滅ぼした武人の家系という側面があります。

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」と言いますが、
歴史もまた、縒り合わせた縄のように、
表裏一体となっているのでしょう。

光と影。

歴史を学ぶということは、両面を学ぶということでもあるんですね。



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『神功皇后伝承を歩く』
下巻67 御島神社 神功皇后は髪をすすぐと美豆良に結った






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by lunabura | 2017-06-16 20:17 | 日本書紀・万葉集の風景 | Trackback | Comments(2)

『日本書紀』に書かれた「神功皇后の美豆良結い」の場所はココ 海の中の御島神社 

 


『日本書紀』に書かれた

「神功皇后の美豆良結い」の場所

海の中の御島神社





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香椎イオンに行く途中の橋の上に細長い公園があります。

そこから見える海の中の鳥居が御島神社♫

海ですねえ。
ええ、岩礁が神社なんです。
かつては大きい岩だったらしいですが。

向こうには照葉の新しい街が出来ましたが、ちょっと前までは海でした。

昔、この岩は船の人にとっては
香椎宮へ向かうための良いランドマークでした。

ここが『日本書紀』に書かれた有名なシーン、
神功皇后が海に入って
「戦いに勝つなら髪が二つに分かれますように」
とウケヒをした所です。

二つに分かれた髪を美豆良に結ったといいます。

それまでは海を渡っての戦いに躊躇していた皇后が
男装をして決意を示すパフォーマンスをした訳ですね。

このあと、御島崎(みしまざき)の浜に上陸して
香椎宮へと戻って行きました。
その続きの道のりが今も伝わっています。

この場所の話が『日本書紀』に書かれているので、
訳して紹介します。

※※ ※

皇后は橿日浦に帰還すると髪をほどいて海に臨んで言われた。

「私は天つ神、国つ神の教えを受けて、
皇祖の御霊(みたま)の助けを頼みとし、
青き海原を渡って、みずから西を討とうとしています。

今から頭を海水ですすぎます。
もし霊験があるなら髪が自然と分かれて二つになりますように」

海の中に入ってすすがれると、髪は自然と二つに分かれた。

皇后は男の髪型の美豆良に結われると、群臣に仰せになった。

「そもそも軍隊を興し、衆人を動かすのは国の大事である。
戦いが容易でも危険でも、勝ち戦さでも負け戦さでも、
軍隊に掛かっている。

今、征伐する国がある。戦いの指揮を群臣たちに命ずる。

しかし、もし勝つ事が出来なければ群臣たちが罪に問われる。
それは私に取って不本意である。

私は女で戦には慣れていない。
しかし、しばらく男の姿になって雄々しく戦おうと思う。

上は天つ神、国つ神の御霊の助けを頼み、下は群臣たちの助けを頼り、
兵士を奮い立たせて険しい波を渡り、
船隊を整えて財宝の国を手に入れよう。

勝利すれば軍功は皆と共にある。
勝利しなければ罪は私だけが引き受ける。
私はそう決心した。皆はどう考えるか、協議するがよい」

群臣たちは皆、
「皇后陛下。天下の為に、国家の安泰の為に全力を尽くします。
負けて罪を問われるような事態は決してありません。
謹んで勅命を承ります」と申し上げた。


※※ ※

『日本書紀』が饒舌な部分は作文だな、とよく思いますが、
それはそれとして、なかなか臨場感がありますね。

現地に立つと、群臣たちは浜辺に待たせたことが分かりました。
何故なら、ここは小舟でないと来れない場所だからです。

群臣たちは御島崎(みしまざき)の浜で
神功皇后のパフォーマンスを見ていたのでしょう。

浜から岩礁は良く見えています。


さて、ここはなかなか良い写真を撮るのが難しい所でした。






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こんなとか(´・ω・`)
いや、人の大きさがよく分かりますがね。

撮り直しに行ったのですが、Pm2.5 でモヤがかかっていて・・・

私の画像が黄色味がかっている時は、そんな時です。

今度のバスハイクでいいのが撮れたらいいな。
え?
来週は北部九州も梅雨入りですって?





『神功皇后伝承を歩く』
下巻67 御島神社 神功皇后は髪をすすぐと美豆良に結った





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by lunabura | 2017-06-13 20:20 | 日本書紀・万葉集の風景 | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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