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カテゴリ:六嶽神社・むつがたけ・鞍手郡( 2 )

宗像三女神の元宮を辿る旅・六獄神社(1)宗像三女神の降臨した六獄の下宮


《宗像三女神の元宮を辿る旅》
六獄神社(1)
むつがたけじんじゃ
福岡県鞍手郡鞍手町室木
宗像三女神の降臨した六獄の下宮

西川を遡りながら町の一番大きな山に向かって行くと、田んぼの中にぽつんと鳥居が見えて来ます。
そこが六獄神社です。
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両脇の植え込みを過ぎるといよいよ石段です。
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ひと登りすると、さらに石段と鳥居が迎えてくれます。
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だんだん古代の世界にいざなわれるようです。
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ここちよい杜の中を抜けていきます。
足元は松の落ち葉がふわふわと気持ちいい昔ながらの道。ずっと奥にお宮が見えて来ました。
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とても古い趣です。古来、賑わった華やかな残り香がそこかしこに漂っています。
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陽光が降りそそぐ、拝殿前に出ました。参拝を済ませて、案内板を読んでみましょう。
六獄神社由来
紀元前700年のころ、皇女三神 霊山六獄崎門峰に御降臨あり、この地を上宮と定め室木の里に下宮を建立し、安産交通安全の守護神として鎮守の杜とす。
御祭神 田心姫の神 湍津姫の神 市杵島姫の神
大祭日  春季大祭  4月8日 秋季大祭  10月17日
六獄神社社務所
今から2700年前に、宗像三女神が霊山・六獄(むつがたけ)の崎門峰(さきとやま)に降臨されて、
そこを上宮とし、ここ室木の方を下宮とした、という事です。

そう、三女神といえば、田心姫の神、湍津姫の神、市杵島姫の神
(たごりひめ・たぎつひめ・いちきしまひめ)
現在は宗像市に祀られていますが、降臨の地はこの鞍手町の六獄だと言われています。
鞍手町自体も、古くは宗像郡だった時代があり、この山は特別な山として崇敬を集めていました。

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正面が六獄(六ケ岳)です。
最高峰から左へ、旭岳(あさひだけ)、天冠(てんがい)、羽衣
高祖(たかす)、崎戸(さきと)、出穂(いずほ)。

この山にはニニギノ命の御陵があるとも言われています。
伝説によると、旭岳になきがらを、天冠岳に冠を、羽衣岳には衣を埋葬したそうです。
左手前の方にはヤマトタケルの住まいがあった八剣岳が見えます。

この六獄神社は右下の方にあります。降臨した宗像三女神を祀る古いお宮です。
境内は巨木に囲まれて、森厳な趣に包まれていますが、木がなければ六獄を遥拝できたと思われます。

もう一つ説明板がありました。
六岳(むつがたけ)神社と室木(むろき)神楽
町指定無形文化財

六岳神社は三女神を祀る近郷で最も由緒古い神社である。
筑前風土記逸文の中に「宗像の大神、天より降り、崎戸山(さきとやまー六岳の古称)に居ましし時、云々」とある。

室木神楽は江戸に直方多賀神社宮司青山雅楽頭(うたのかみ)が京都より宮中に伝わる神楽を伝え帰り、鞍手地域に拡めた優雅な神楽である。
はじめは神社人が舞い奉納していたが、明治以降は別に神楽座が組織されるようになり、郡内に3,4座あったが今日は室木のみに残っている。
歴史を守る会(くらじの会)
この室木の里の室木神楽の由来は
直方市の多賀神社の宮司の青山氏が京都の宮中に伝わる神楽を学んで、各地で教えたのが始まりです。
今ではここだけに残っているそうです。
子供神楽座を作って継承しているという話ですが、どのような音楽が奏でられているのでしょうか。
聞いてみたいものです。
(つづく)
さあ、今日から、宗像三女神の元宮の移動ルートを辿ってみましょう。



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by lunabura | 2010-08-09 13:52 | 六嶽神社・むつがたけ・鞍手郡 | Trackback | Comments(0)

六嶽神社(2)御神体は玉と鏡・十握剣から生まれた三女神と物部(もののふ)たち

《宗像三女神の元宮を辿る旅》

六嶽神社(2)
御神体は玉と鏡だった
十握剣から生まれた三女神と物部(もののふ)たち

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神社の始まり
『福岡県神社誌』を見てみましょう。
六嶽上宮としていて、由緒は宗像三女神が影向(ようごう)された霊地である。
成務天皇7年、室木の里の里長(さとおさ)の長田彦が神勅を頂いて、この山上に神籬(ひもろぎ)を営んだ。
これがこの神社の始まりで、昔は堂々とした社殿だったが、享禄年間に燃えて、社殿が無くなってしまったので、御神体を下宮に移してその後、社殿が再び作られる事は無く、今わずかに石殿が一宇あるだけである。
                              影向(ようごうー神が一時姿を現すこと)
                              神籬(ひもろぎー神が降りる所)
六ケ岳(むつがたけ)は宗像三女神が降臨された霊地で、成務天皇の御世に、長田彦に神示が降りて、
六ケ岳の山上にヒモロギを作って、お祀りをしました。これが神社の始まりです。
昔は山上に社殿が建っていたのが、戦国時代に火災に遭って、無くなってしまい、
石の祠だけが残りました。御神体はこの下宮に移されました。

成務天皇と言えば、ヤマトタケルの兄弟です。
と言う事は、そばの八剣岳でヤマトタケルをもてなした記憶が
まだ新しい頃のお話だという事になります。
(詳しくは八剣神社を見て下さいね。)
そんな時代に、この神社の祭祀が始まりました。

私もずいぶん前ですが、二度ほどこの六ケ岳に登った事があります。
植物相が豊かな山で、最後の急斜面は綱を頼りに登りました。
頂上は大変眺めが良かったのを記憶していますが、社殿らしきものを全く覚えていません。
あったのかも知れませんが…。(今どうなっているのか、登った方教えて下さい。)
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御神体は玉と鏡だった
続きを読みましょう。
『宗像宮縁起』の記事に『西海道風土記』に、宗像大神が天より降って、崎門山にいます時から、
青蕤(ずい)玉」を奥宮の表に置いて、
八尺瓊(やさかに)の紫玉」を中宮の表に置いて、
八咫(やた)の鏡」を辺宮の表において、
この三表が御神体の形となって三宮に納めて、人の目に触れないようにした。
これによって身形(みのかた)郡といい、後の人が宗像(むなかた)と言い改めた。
『筑前国続風土記附録』

「奥宮、中宮、辺宮」という三つの宮のそれぞれに御神体が置かれた事が書いてあります。
それはどんな姿だったのでしょうか。具体的に見て行きましょう。

「青蕤(ずい)玉」
「蕤(ずい)」を調べると「垂れさがる花・実」の意味でした。
「青」は古代では「青」も「緑」も青と呼びました。
さらに「灰色がかった白」を指すこともあるので、青か緑が白か決められません。
形は垂れさがるイメージから勾玉っぽいですよね。

「八尺瓊(やさかに)の紫玉」
「八尺」は長さの単位です。
「八尺の長さの紐に通した」とか「大きい」という説があります。
「瓊」は玉。
「大きな紫玉」という事でしょうか。

「八咫鏡(やたのかがみ)」
「八咫」も古代の寸法ですが、「大きい」という意味で解釈されています。
天の岩戸に出て来るので有名ですね。三種の神器の一つです。
普通の鏡のサイズはCDの大きさに近いです。
46,5センチの巨大な鏡が出土したので、これを八咫鏡だという人もいます。
平原遺跡に関連記事。)

次の写真は地元の古墳から出土した玉です。
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(鞍手町歴史民俗資料館)
勾玉がちょうど三色並んでいます。これらの色を古代の人は何色と呼んでたのかな…。
白い勾玉は珍しいです。

御祭神の三女神はこうして生まれた。

古事記を見てみましょう。高天原にスサノオの命がやって来たので、天照大御神が武装して、
迎えるシーンです。
アマテラス大御神は「それなら、そなたの心が清く正しいのがどうして分かる。」と言いました。そこでスサノオの命は答えて、
「それぞれウケイ(うらない)をして子を生みましょう。」と言いました。

そこで、天の安の河(天の川)を中に置いて、ウケイをする時に、アマテラス大御神が先に、スサノオの命の佩(は)いた十拳剣(とつかのつるぎ)を貰い受けて、三段に折ってユラユラと揺らして、天の真名井の水で振りすすいで、噛みに噛んで、フッと吹き捨てた時、息吹きの霧に生まれた神の名は、
タキリビメの命。またの名は奥津島(おきつしま)ヒメの命と言います。
次に、イチキシマヒメの命。またの名はサヨリビメの命と言います。
次にタギツヒメの命。三柱です。   (古事記)

なんと、この女神たちはから生まれています。
スサノオの命の十握剣が三つに折られて、
噛みに噛んでふっと吹き出した息吹の中から生まれました。三人の女神は剣の化身でした。
沖ノ島を中心として、沖つ宮、中つ宮、辺つ宮と、三か所に祀られているのは、
この剣が三つに折られた事から来ていたのですね。

この三女神はアマテラスから天下りするように言われました。
日の神(アマテラス)はスサノオの命に本当に悪い心がないのを知って、日の神から生まれた三柱の女神を、筑紫の洲(くに)に天下りさせました。
その時、
「そなたたち、三柱の神たち。道の中に降って、天孫を助け奉って、天孫の為に祭られよ。」
と言われました。
(日本書紀)
こうして三女神は筑紫の国・鞍手の六ケ岳に降臨しました。
日の神の言葉は
「これから先、天孫・ニニギの命が降臨されるので、その前に、ここで人々に祀られよ」と解釈されています。
祀る人々とは誰か。
まだ平野が海だった頃に、この山の麓に住んでいた人たちです。


その一部に物部氏がいます。

「物部」の「物」は「武」であるとともに、「祭祀」を象徴します。
「もののふ」とは「武士」「物部」と書きますが、
「祭祀をする者」の意味も含みます。



物部氏と天皇家との関わりがわかる伝承が、いくつかの神社に残っています。
神武天皇、ヤマトタケル、仲哀天皇、神功皇后、聖徳太子一族などの名前が出て来ます。

物部氏は星を観測し、暦を作った。馬を育て、武器を作り、馬具を作らせ、戦った。
剣を神格化して祀った。

そんな、古代日本の礎となった一族だったのが見えて来ました。

そして、三女神を祀るのは水沼族。
ここには水摩姓が多く伝わっていると聞きます。



この六嶽神社と六ケ岳の伝承はあまり人々に知られていないようです。
この神社の持つ歴史的な価値を多くの人に知っていただけたらと思います。

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地図 六ケ岳 六嶽神社 神興神社 宗像大社


ブログの中で「物部氏」を時代順に逍遥するコース
馬見神社⇒日若神社⇒八剣神社⇒鞍手歴史民俗資料館⇒古物神社⇒六嶽神社

さあ、それでは宗像三女神の伝承を追って神興神社に行ってみましょう。


追記
物部氏に関して、記事を書いた時点(2010年8月)より研究が進んだので、
記事の一部を変更しています。2015年12月28日





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by lunabura | 2010-08-08 21:09 | 六嶽神社・むつがたけ・鞍手郡 | Trackback | Comments(0)
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