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カテゴリ:韓国( 2 )

コーンヘッド・狗邪韓国とナスカとネフェルティティ


コーンヘッド

狗邪韓国とナスカとネフェルティティ

(今日もまた頭蓋骨がいっぱいです…苦手な人、ごめん)

先日、M氏の発表を伺っていて、誤解されている件があったので、
今日はちょっと書いておこうと思います。

韓国の加耶諸国の中の狗邪韓国に不思議な頭蓋骨が発掘されています。
頭が尖っているんですね。
その遺跡は礼安里(れいあんり)遺跡と言いますが、
写真の六つの頭がい骨のうち、下段の左がその頭蓋骨です。

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画像出典 http://e-asia2.board.coocan.jp/?t_id=9
東アジアの古代文化を考える会


釜山大学の博物館所蔵で、扁頭人骨が10例確認されているそうです。
その中で7例が女性。

これは嬰児の時に板を挟んで矯正するもので、南米に多く見られます。
この矯正法について、M氏が2枚の板で矯正するという話をされました。
それはOKなのですが、
顔の前と後ろとサンドイッチのように挟んでいるイラストを紹介されました。

それではいくらなんでも窒息するし、それが卑弥呼の顔と同じだと話してあったので、
それもちょっと無理かな…と、困惑した次第で…。
僭越ながら、今回のテーマにしました。

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画像出典
http://mizu-clutch.at.webry.info/200609/article_7.html
Fishermans caravan ナスカ博物館

この頭がい骨はコーンヘッドと言って、中南米でよく見られますが、
2枚の板をV字型にしてそこに頭を挟みこんで矯正するそうです。
これは水中考古学者のフランク・ジョゼフ氏から直接聞いた話で、
そのビデオもあるので、いつか映像も探し出したいと思います。

で、その時、私はエジプトのネフェルティティの頭と似ているなぁと思って、
ジョゼフ氏に質問したんです。
「ネフェルティティの頭も同じですか?」
答えは「イエス」でした。

c0222861_21205248.jpg

これも矯正したものだそうです。
エジプトにしろ、中南米にしろ、これは首長の血統にみられるもので、人為的につくられる形なのですね。
広範囲に分布しているらしい。

で、そのコーンヘッドが韓国の南部から発掘されたというのですから、驚天したのです。
時代は何と卑弥呼の時代なんです。

狗邪韓国(くやかんこく)のその人は当地で生まれて矯正されたのでしょうか、
あるいはエジプト辺りからやって来たのでしょうか。
多分、調べれば簡単に分かると思うのですが。

そう思いつつ、『三国志』韓伝で確認すると、弁辰の風俗として、
「子供が生まれると、石でその頭を圧迫し、平らにしようとする。
それで、今、辰韓の人はみな扁平な頭をしている。」
って書いてありました。 

扁平な顔の理由はそれじゃないと思うけど…。
それにしても石を使うなんて強烈すぎ…。  (・.・;)



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by lunabura | 2013-07-06 21:24 | 韓国 | Trackback | Comments(10)

蕨手文様は伽耶出身王族のシンボル?


蕨手文様は伽耶出身王族のシンボル?
伽耶と倭の装飾古墳をつなぐもの

『伽耶文化展』のつづきです。
こんな不思議な鉄器が載っていました。「有棘利器」と言います。
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左から3世紀~6世紀(長さ13.5~25.5)
これを見て、蕨手(わらびて)文を思い出しました。
一番左なんかは蕨そのものです。
それが下のように鳥の姿に変化していきます。
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5~6世紀(長さ33.6~49.8)
いったい何に使ったんだろう。
棒に突き刺すさめに下部が丸くなっています。
本の解説文です。
有棘鉄器とは、鉄板の側面をえぐって棘(とげ)の形に作った
鉄器のことをさし、鉄鋌を利用して一番簡単に作られる鉄器である。
伽耶地域の有棘利器はおよそ4世紀に出現し、
初期には主に権威の象徴として大型の古墳に副葬された。
その後、伽耶の滅亡を前後する頃には小型の古墳にも埋納されるが、
次第に消滅してゆく。
最近の調査例を見ると、種類も多様で地域ごとに独特の特徴を持っている。
特に陝川地域(伽耶の一部)から多く出土した有棘利器には、
鉄板をえぐってが表現されており、ある種の象徴性が加味されている。(略)
日本では、奈良県藤の木古墳出土の冠装飾に
有棘利器にみられる鳥の装飾文様があり、注目を集めている。

562年 伽耶は新羅に併合されて滅亡。
663年 白村江の戦い 倭は唐・新羅連合軍に大敗。

この利器の使い方は書いてありませんでしたが、
主に権威の象徴だという事が分かりました。
そして伽耶の中でも一部の地方で鳥に変化したようです。
それが日本の出土品ともつながっていました。
そのつながりを指摘された藤の木古墳の冠がこれです。
c0222861_14162218.jpg

たしかに、内側は木の枝のように装飾的になって、
外側に鳥のモチーフが見えます。これは6世紀末だそうです。
「蕨手は鳥のモチーフへ」と変化して、倭の王族の冠となりました。

ところが、この蕨手は福岡県の装飾古墳の中では
「蕨手そのもの」として発展しています。
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珍敷塚古墳復元図 (日下八光氏製作)

中央の上の方にその蕨手があります。それは靫(ゆぎー楯)の上にあります。
また左の船の舳先に鳥がとまっていて、その上には同心円があります。
「蕨手と鳥」が揃っています。

蕨手ってなんだろう。
蕨手についての説をざっと調べてみましたが、
これといった説が見当たりませんでした。未解明のようです。

それに対して、靫や同心円については、
「氏族のシンボル」と捉える説に出会いました。
「同心円」は「的」の事でイクハと言い、それがウキハ、浮羽となった。
「靫」は「靫負(ゆげい)の大伴(おおとも)氏」の象徴。

これはかなり魅力的な説です。(和田萃氏―下注)
この装飾古墳が浮羽あたりで発達するのを見ると、可能性は高いと思いました。

この説の延長線で考えると、「蕨手」も氏族を指している事になります。
この氏族を仮に「蕨手族」と呼びます。
珍敷塚古墳の絵は
「同心円のイクハ氏」と「靫負の大伴氏」が「蕨手族」を支えている
というストーリーになります。
被葬者は蕨手族の人です。

この蕨手文は他の装飾古墳にも10例ほど見られます。
その中でも、有名な王塚古墳には
蕨手がこれでもかというほど描かれています。
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これは入口のすぐ右側にあります。

これを見ると、赤と黒のが描かれていて、馬に乗った人物はとても小さく、
それに対して蕨手文はかなり大きいです。
シンボルとして解釈するなら、製作者の意識には順位づけがあって、
蕨手が一番、馬が二番、騎手が三番です。
その心理は「蕨手だ。蕨手のお蔭なんだ」と称えているように思われます。
(でも、馬の方がすごいぞ。)という気持ちもチラリ。

自分が墓を作る立場だったら、何を書き残したいかと考えました。
「遠い所から来て、豊かなクニづくりをした大王が亡くなった。
この大王の出身は蕨手族である。それを支えたのは騎馬軍の私たちだ!」
墓の碑文に書くとしたら、そんな事を書きたい。
それを文字を使わずに表現するとしたら、絵しかない。
壁画は碑文代わりに描かれたと考えました。

短甲にも蕨手があった
蕨手が図録にもっとないかなと再び探してみると、
短甲に蕨手が堂々と付いていました。
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伝金海 退来里
高さ66センチ 三国時代 5世紀 国立中央博物館

この短甲には前にも後ろにも蕨手がついています。
戦いの時に自分のクニや氏族を明らかにするためです。
羽根のような刀の形をした部分は首を守るためのパーツです。
戦いに明け暮れた様子が伺えます。

器の取っ手まで蕨手。
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高霊 池山洞45号墳 三国時代 5-6世紀 国立慶州博物館
取っ手は指が入るようなデザインが普通の中に、こだわりの一点が…。
やはり、蕨手は紋章的なトーテムの可能性があります。

この蕨手族が倭にやって来たと想像してみました。
どんな事情だろうか。
1・新羅などと戦って負けて逃れて来た。
2・クニが拡大するなかで、平和裏に王族の皇子あたりが派遣された。
3・筑後や穂波あたりの豪族が軍事的援助を頼んで招いた。
いくつかのケースを考えました。
いずれにしろ、結果的には蕨手族はここで
豊かなクニづくりをしたのではないかと思いました。
それというのも、この王塚古墳の場所が最高のイヤシロ地にあったからです。
(王塚古墳は別項にて)

これらから仮説を立てました。
伽耶あたりで発生した王族がいて、蕨手文をシンボルとした。
蕨手文は鳥の形にも変化して行き、藤の木古墳の被葬者の冠に影響を与えた。
一方で、蕨手族が直接、福岡県にやってきた。
かれらはイクハ氏や大伴氏と共に豊かな装飾古墳文化を作った。

どうでしょうか。写真を並べるうちに、こんなストーリーになりました。
仮説です。いろんな方面からの意見をお待ちします。

参考図書
「古代史からみた装飾古墳」 和田萃 『装飾古墳が語るもの』国立歴史民俗博物館編 吉川弘文館 平成7年
『伽耶文化展』 編集―東京国立博物館 発行―朝日新聞社 1992年
王塚古墳の写真以外はこの二冊から転載しました。



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by lunabura | 2010-08-27 14:30 | 韓国 | Trackback | Comments(8)
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