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カテゴリ:大己貴神社・おおなむち・朝倉郡( 2 )

大己貴神社(1)(旧三輪町)

大己貴神社(1)
おおなむちじんじゃ
福岡県朝倉郡筑前町弥永字大神屋敷(旧三輪町)
旧三輪町の中心の宮

平成の大合併で、「三輪町」の名前が消えてる?
筑前町という名前に変わっているみたい…。
その旧三輪町に「大己貴神社」という、まるでイヅモかヤマトのような
名前の神社を見つけて、出掛けたのはずいぶん昔の事です。
冬になると何故か出雲に行きたくなる。
だから、今日はその名もゆかしい大己貴神社へ行こう。

さて、地図を広げていると、あれっ、この前行った小郡市の飛鳥と、
この旧三輪町はお隣さんなんだ。直線距離で8キロ。歩いて二時間か…。
この三輪町あたりの地名畿内の地名に関係があるのは、ずっと前から
言われていたけど、いつのまにか大学の先生によって証明されていた。
これは心強い。そういう点ではここはプロト大和。この神社はその惣社です。

福岡と日田をつなぐ県道386号線の、「久光橋」から小京都の秋月めざせば、
大己貴神社」の大きな看板があるから、すぐに分かります。
道路を隔てた所に「歴史の里公園」が出来ていて、ゆっくりと車が止められます。
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一の鳥居の左に大きな岩が。「幸神」と彫ってあります。
参道には古い石碑がいくつも並んで、歴史をしのばせます。
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石の太鼓橋が。結構これって急斜面なんですよね。
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石段を登ると、拝殿に出ました。
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朱塗りの華やかな拝殿です。
幕末から明治にかけての建造だそうです。

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扁額は「大神宮」となっています。大和の「大神神社―おおみわじんじゃ」と同じ字ですね!
そして、ここは大己貴神社。(おおなむち)やはり出雲と大和と合わせもつような名前です。
地元では「おおがさま」「おんがさま」と言うそうです。
奥に見える神殿には三面の鏡があります。これも珍しい。
今日、再びここに来れたことを感謝して、参拝。

拝殿脇の由緒書きを読みましょう。(現代語に変えました。)
大神大明神(弥永村にあり)
延喜式神名帳に、夜須郡於保奈牟智神社が一座あるというのはここの事です。祭る神は大己貴命です。今は大神(おおが)大明神と言います。社は南向きです。東の間に天照大神、西の間に春日大明神を合祀しています。宮どころは神さびて境地は特に勝れています。

日本書紀に、仲哀天皇9年秋9月に神功皇后が諸国に命令して船舶を集め、兵卒たちを訓練しようとした時、軍卒が集まりませんでした。皇后は「きっと神の御心なのだろう。」と言って、大三輪社を建て、刀矛を奉納すると軍衆が自然と集まったと書いてあります。

9月23日は旧暦のため、現在の(  )に祭礼があります。この日、神輿の御幸があります。御旅所は村の西十町ばかりの所にさやのもとという所です。その他、年中の祭礼がたびたびあったと言いますが、今はそんな儀式も絶え果てました。しかし夜須郡の惣社なので、その敷地は広く氏子も特に多いです。人々は大変崇敬していると書いてあります。     略    三輪町教育委員会

この文章は貝原益軒の「筑前国続風土記」から書き抜いてありました。
益軒の本にはさらに、異伝が書いてあったので紹介します。
『釋日本紀』に「筑前国風土記」からの引用文があって、
神功皇后が新羅を討とうとして軍士を整理し、発行した時、道中、軍士共が逃げ出しました。その理由を占った時、祟る神がいるのが分かりました。名を大三輪の神と言いました。そこでこの神社を建てて、ついに新羅を平定しました。その神社がこれです。

貝原益軒は、軍が集まらなかったという説(日本書紀)と、
集まったけど逃げ出した(筑前国風土記)という二つの説を並行して書いています。
地元の三輪町教育委員会では、日本書紀説を採用していたのが分かりました。

この大神、大己貴を祀る神社は他にもあって、福岡市の東区にも「大神神社」があり、
隣は美和台(ミワダイ)で、同じような伝承を伝えています。
この先 、二つの神社を視野に入れながら、
それぞれの郷土史にアプローチ出来たらいいなと思っています。

この神社の何よりの特徴は遥拝所があって、御神体山がある事です。
では、境内の左奥にある遥拝所への道に行きましょう。
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参道は50メートルほどの長さです。最終地点には、お神酒を供えるための台があります。

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遥拝所から見える神奈備山です。
神社で名前を伺うと、「神体山」という名で、三輪山とは言わないそうです。

この山にかつて登った事があります。
大和の三輪山のように盤座がないかなと探しに行きました。
山腹は苗木が植林されていて、その間を抜けて、森の中に入って行きました。

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頂上付近に盤座らしきものが一つありました。(1996年撮影)
頂上全体は森になっていたと記憶しています。

ここは「御神体山と遥拝所と神社」という基本パターンが見られる点で、
また、畿内に移動していった地名の元の地であり、その中心の宮という点で、
大変興味深い神社です。

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by lunabura | 2010-12-28 15:20 | 大己貴神社・おおなむち・朝倉郡 | Trackback | Comments(2)

大己貴神社(2)大己貴の語源を考える。穴遅とゾロアスター教と錬金の工人


大己貴神社(2)

大己貴の語源を考える。
穴遅とゾロアスター教と錬金の工人

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『儺の国の星』にゾロアスター教穴遅について書いてあったので、
その一部を参考資料として紹介したいと思います。
本文を分かりやすく書き換えながら抜粋します。

火星を日本では「夏日星」という。

西域の民族は、天を青、地を赤で表現した。青空と砂漠の色彩である。人間は天地の間にあって、その生命を永久に伝える存在である。女人の衣装に赤と青の聖色を配した発祥がここにある。

やがてこの信仰は拝火教によって東方に移り、月氏の民族によって宮殿や霊廟の装いに変化した。華厳の寺院がこれであり、白鳳天平の時代にできた大和の寺院や仏塔となった。

拝火教はゾロアスター(前660~538)に始まり、マニ(215~277)によって再興された西域の信仰であって、青は草木、赤は火焔に対応されるようになった。

那珂川伏見宮の岩戸神楽、熊野那智の火祭りはこの伝統を今に伝えている。胡人、即ち紅毛赤蠻の氏族を那珂川では「すってん」と呼んでいた。「酒呑童子」を「すってんろうじ」と読む方言があった。西天、あるいは率土のなまりであったと思われるが、胡人が特に足が短くて馬に乗らず、よく道で転んでいたためと語られていた。
 火星が赤色なので、自然と毛唐華頂の容貌を連想させたものらしい。胡人はよく歌うというのが祖先の一致した見解だった。

拝火教は元来は砂漠の中に現れる自然発火や蜃気楼をみて、天地の安穏を祈る信仰だった。オアシスの蒸気が噴出して空中に彼方の部落を映し出す光景を砂上の楼閣と言うが、連れていたがそれを見て、天地の異変を感じとって吠えたてていた。

日本で神社の狛犬の石像が始まるのと、華厳の寺院が建てられるようになるのが同じ時代だという理由は、彼らの文化が入って来たためである。

大地の岩漿が沸騰し始めると、その上にある石油の地層は、激しい噴気を高熱高圧で砂漠の砂礫の間から地上にあふれさせる。これが日中の直射日光の熱によって引火されて、昼夜の区別なく燃え続ける。近東の民族はこれを聖火と拝して、天地の崩壊がないように大地にひれふして必死で祈った。

これが拝火教で、唐代には景教として、光仁帝(781年)に長安の都までおよんだ。大地の神の怒気が地上の人間の悪業を焼きつくす前兆がこの聖火だった。(これが閻魔となる。)

 日本では穴遅(あなむち)として神代に現れて、天平の頃には穴師(あなし)あるいは賀名生(あのう)と呼ばれ、溶鉄錬金の工人の氏族の別名となった。炉の火口(ほくち)の色がまさに火星を遠くから見た色と同じであった。

 聖火は大地の神の憤激がおさまると消える。その期間は7日だった。これが一週間の発祥である。石油の湯気に劫火をつける天の神がMazda(マツダ)である。エジプトではラーであった。天と地が合わせて火を注ぐ時が、人間を永久に見放す時であった。
ゾロアスター教が日本に入って来たことは周知の通りですが、
このように具体的に砂漠の地層に含まれていた石油の自然発火を畏れて
祈るのが始まりだと書かれているのを見たのは初めてです。
かれらは犬を連れていて、それが狛犬のルーツになり、
同時に拝火の思想が寺院建築の背景にあったのが伺えます。
そして、日本では穴遅(大・己貴)と呼ばれ、
鉄を金を細工する工人の氏族名となったと言います。
とても具体的なので、イメージがよくつかめます。

この旧三輪町の大己貴神社に神功皇后たちが来たのは、
羽白熊鷲を討つためだと言われています。
この羽白たちもまた別の鉄の氏族だと思われます。
(その恐ろしさに兵士たちは逃げだした?)

羽白熊鷲たちの居所が各説あるのですが、
面白い事に、朝倉市の観光マップを新旧二枚戴いて比較していたら、
片方にだけ羽白熊鷲の石碑が掲載されていました。
マップを見たばかりでどうなっているのか分からないので、
また来年の宿題にしたいと思います。
みなさまの応援のお蔭で、ここまでやってこられました。
ありがとうございます。来年もよろしくお願いします。

※なお、この真鍋大覚氏の本について、発行元の那珂川町で
最近、購入したという人に会いました。
在庫があるのではないかと思われます
。(在庫終了)
歴史の真実を求める人にとって最後の贈り物だと思います。
多くの人がこの本を紐解かれる事を願っています。

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神殿の裏


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by lunabura | 2010-12-27 23:28 | 大己貴神社・おおなむち・朝倉郡 | Trackback | Comments(10)
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