「ほっ」と。キャンペーン

ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:八所宮・はっしょ・宗像市( 6 )

八所宮と高良御子神社 こんな共時性も


八所宮と高良御子神社

こんな共時性も


昨日は八所宮を参拝して、思いがけず鐘の話を聞くことになりました。

c0222861_2122667.jpg

(八所宮)

縁起は少しずつ活字化しているのですが、
墨書きされた「豊斟渟尊」の漢字を確認するために『日本書紀』を見ると、
冒頭の第一巻・神代上にその神名が出てきました。

コメントで指摘がありましたが、八所宮の縁起は『日本書紀』と対応しているようです。

『日本書紀』を書いた人は何冊もの書物を並べて、比較しながらどれを採用するか
考えたらしく、採用しなかった書物も「一書にいわく」と書いて、並べて紹介してくれています。

ですから、豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)一つとっても、いろんな表記が書かれています。
これが『日本書紀』のスタイルです。

そして、八所宮の縁起はその一柱(ひとはしら)ずつが詳しく説明されています。
『日本書紀』が神名を並べただけなのと比べると、その点が大きな違いです。


で、ですね。

c0222861_21225675.jpg

(高良御子神社)

その後、くじらさんが送ってくれた「高良御子神社由来記」を読んでいたら、八所宮の神名が出て来たんです。

たとえば、次の神です。
    元気水徳の神
    一徳元水の神
    元気火徳の神
しかも、八所宮縁起には読み仮名がついていないのですが、
高良御子神社由来記の方には読み仮名がついているので、大助かりです。

こんなタイミング有る?
神さまが教えてくれた ^^としか考えられない。

その名は『日本書紀』には、書かれていないようなので、
八所宮の縁起を知らないと書けない可能性があります。
あるいは、上記の神は昔の人にとっては常識だったのでしょうか。

八所宮縁起を書き写したすぐ後に読んだ高良御子神社由来記。
オドロキのタイミングです。
この共時性はまた、新たな古代世界を展開してくれるのでしょうか。

今、記事を書くのに、あちこち飛んでいるのも、意味があったのだなあと思いました。

八所宮の縁起には御勢大霊石神社(みせたいれいせき)の名も出てきます。
当ブログではおなじみの神社ですが、どうしてその名が出てくるのか、
この謎も、この先、明らかになればと思っています。


さあて、今日の記事のカテゴリ、「八所宮」か「高良御子神社」か、どっちにしよう。
そうだ、空さん、二つ出してたなあ。
私も真似しよう。
同じ記事をカテゴリを変えて二度UPします。^^



いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-03-17 21:27 | 八所宮・はっしょ・宗像市 | Trackback | Comments(0)

八所宮・秀吉に持ち去られた鐘


八所宮

秀吉に持ち去られた鐘


今日は八所宮(はっしょぐう)に参拝しました。

c0222861_20372632.jpg

これは今から600年ほど前に、当宮の氏子たちが費用を出し合って、
遠賀郡の芦屋で鋳造してもらった鐘だそうです。



しかし、天正五年(1587)に豊臣秀吉が持ち去って、広島の厳島神社に奉納したそうです。

c0222861_20381335.jpg




氏子さんたちはその鐘の返還を切望して、昭和59年に400年ぶりにようやく里帰りしました。
しかし、あいにく数年前、手続き上の問題から厳島神社に再び去ってしまいました。

冒頭の写真は2009年に当宮で撮影したものです。
「八所大明神」と彫られたのがくっきりと見えます。

現在、からっぽになった堂には氏子さんによって写真が奉納されています。


今日、境内で氏子さんにお会い出来て、
ちょうど、この複製が芦屋で造られているのを今から見に行くところなので、
一緒にどうですか、と誘っていただいたので、便乗させていただきました。




遠賀郡芦屋町山鹿1558-3に「芦屋釜の里」という施設があります。


c0222861_2039664.jpg


江戸時代に絶えた芦屋釜を復興させて、工房と展示場が公開されています。


c0222861_20392392.jpg


ここで平成20年に八所宮と同じものが古代の技法で再現されていました。

レプリカにならないために、サイズが一回り小さくなり、彫られた文字も変えてあります。

実際に鐘を鳴らすことも出来ました。
深い音色で、心地よい響きです。

この時の再現の状況をすぐ隣のビデオで見ることができます。



600年前、氏子さんたちが子供を奉公に出してまで工面して奉納した祈りの鐘。
秀吉が持ち去ってしまいましたが、鐘は何処にあるのが一番ふさわしいのか、
考えさせられる一日でした。



八所宮 芦屋釜の里









いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-03-16 20:45 | 八所宮・はっしょ・宗像市 | Trackback | Comments(0)

縁起を紐解く



c0222861_21414630.jpg


これが八所宮縁起の巻物です。
紐解くって、本当に紐をほどくことなんですね。

これを広げると大広間を往復する長さでした。

八所宮縁起が読めるように、との依頼なのですが、
お宮で見せていただくと、少なくとも三種類の縁起が存在するのが分かりました。

これから取り組むのは「八所大明神御縁起 写」というもので、
墨で書かれたものです。時代は不明。

八所宮の八柱の神々がそもそも『古事記』の冒頭に出てくる神々なので、
いきなり宇宙のお話で、うっとりとしてしまいます。

全部が訳せるかどうかは、やってみないと分からないので、
出来るところまでチャレンジします。

よく考えると、八所宮は宗像市の大事な神社です。
宗像市は沖ノ島の世界遺産登録の準備で多くの文化遺産に光を当てて
書籍化されているようなので、この八所宮の縁起もまた、その一環として
誰もが読めるように、市によって書籍化されていいのではないかと思いました。

そういう意味では私のようなアマチュアでなく、
教育委員会が取り組むべき貴重な存在なのかもしれません。

私は私なりに、この壮大な神話の世界を味わいながら、
皆さまの手にどうやったら届けられるのか、考えながら取り組んでいきます。

これまでは三世紀や六世紀の伝承に取り組んでいましたが、
宇宙創生期に浸ったら、現実世界に戻って来れるかしら。

食事も「日月神示」に書かれているような食事を基本的にはしているのですが、
最近、豚肉なんかも食してみたら、やっぱり駄目サインが来ました。

「日月神示」によると、日本人に与えられた食事は玄米と野菜と魚と鶏。
もう一度原点に戻って、この縁起に関わって行くのだなあと思いました。

並行して九躰皇子も書いて行きたい、るなさんです。
毎日、どっちを書こうかと葛藤するんだろうな。^^



追記

八所宮の参考としては『日本書紀』がふさわしいとのご指摘をいただきました。
まだ『古事記』を見ただけなので、いずれ比較して読んでいきたいとおもいます。

縁起は結構長いので、まずは現代の字に直すことから取りかかっています。
執筆の合間なので、長~い目で見てくださいね。





いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-03-14 21:43 | 八所宮・はっしょ・宗像市 | Trackback | Comments(6)

八所宮にて


今日は宗像市の八所宮に参りました。
ここは神武天皇を赤馬に乗った神が導いたことから、
赤間(あかま)という地名が出来たという謂れの宮です。

初めて参拝した時、八柱の神が大変古い神々だったことに驚いたことを
今でもよく覚えています。

泥土煮の尊(ういじにのみこと)     沙土煮の尊(すいじにのみこと)
大戸の道の尊(おおとのじのみこと)  大戸の辺の尊(おおとのべのみこと)
面足の尊(おもだるのみこと)      綾かしこねの尊(あやかしこねのみこと)
いざなぎの尊                いざなみの尊


『古事記』の冒頭を飾る神々。
紙の上で知った神々が実際に鎮座する宮に出会ってどれほど感動したことか。

そして、宮地嶽神社の講演の日。
最後まで待っていてくれた女性が見せてくれた縁起。
それは八所宮の巻物を写したものでした。

「何年かかってもいいので、読めるようにしてくれませんか」

一見して、記紀では知りえない内容が含まれていました。
自分も知りたいし、何よりも、それを知ろうとする人が一人でもいるなら、
力になろう。

そう思って承諾した私に、資料を送ります、と言われたのですが、
これは神社で戴くべきものだと思い、一週間後に八所宮に出掛けることにしました。

そこに集ってくださった数人の方たちは皆、このブログを読んでくれていました。
口々に、このブログのお蔭で色々分かった、と言われます。
私もお役に立てて嬉しいです。

それぞれの体験を聞かせていただいたのですが、神々はメッセージを下さる時、
一言だけ、というケースが多いんですね。
『古事記』を読んでいないと、きっとムズカシイ言葉ばかり。

それで、このブログに行き当たったと言われます。

最近、立て続けにそんな方たち数組に会いました。
私はそれぞれから聞かせていただいて、全体がどうなっているのか、
これからの日本の成り行きを垣間見させていただいています。

今日も剣の話が何度も出てきました。

すでに新しい枠組みが動き始めているようです。
私たちはネガティブな思いや言葉を剣で切っていかねばならい段階に来ています。

ちょうど、浅田真央選手が見せてくれました。
失敗しても、昨日は昨日。今日は今日。

苦しい思いを断ち切っての自己ベスト。
これこそ、剣の働きだと思いました。

今日は皆さん、ありがとうございました。
新しい日本の枠組みに向けて、私なりに出来ることをやって行きましょう。
その中の一つとして、古代史の真実を明らかにする。
これが今取り組んでいる課題です。

c0222861_23414034.jpg


気がついたらこんな時間。
木立のシルエットの間に見える一番星はシリウス。二番星は木星でした。


地図 八所宮



いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2014-02-22 23:43 | 八所宮・はっしょ・宗像市 | Trackback | Comments(9)

八所宮(Ⅰ)

八所宮(Ⅰ)
はっしょぐう
福岡県宗像市吉留3186
平和示現の宮
 日本神話の始まりの四組の夫婦の神を祀る宮

c0222861_17424867.jpg


この八所宮は福岡県の北九州市と福岡市の真ん中あたりから
少し南に下った所にあります。

国道三号線で宗像市に入ったら、冨地原(ふじわら)の信号から
鞍手方面へ向かいます。
しばらく行くと、左手に大きな鳥居が見えてきます。
古い作り酒屋が目印です。そこから左折して、しばらく走って、
人家も途絶えた所に丘が見えたら、そこが宮のある所です。

ここまでは、橋を渡ったり、川に沿って行ったりして、
田んぼの中を走って行きます。水の豊かな里山です。


さあ、ではお宮へ。

鳥居をくぐると、いきなり、森の中です。
写真の鳥居の奥が真っ暗でしょ。
木が生い茂っているんです。
気温がぐっと下がり、夏でも快適な涼しさです。
ゆるやかにな階段を上りながら左右を見ると、
木の幹の大きさに目を奪われます。
幹には苔が生えています。
足元の石段も苔むしています。
「うわっ、ここは古いお宮だ。」

案内書より

境内のご神域約6・5ヘクタールは
昔から手つかずの原生林で覆われております。
林内には、樹齢数百年のイチイ樫や常盤柿など学術的にも貴重な
植物が生存し、福岡県指定天然記念物です。
その他、タブ、ネズの大木があり、氏子は大切に守っています。


原生林の植生ってほんと豊かです。
ゆらゆらと木漏れ日の中を上って行きました。


途中、左手に小さい社がありました。
「現人(あらひと)神社」とあります。
森の中に、ひっそりと祀られていますが、
地元の人々がよくお参りしているような、風情です。
よく願い事を聞き遂げてくれる神さまらしいです。


さらに、石段を上って行くと、古い石の鳥居が迎えてくれました。
鳥居にまでコケやら草なんかが生えています。
それをくぐると、八所宮の拝殿の前に出ました。

c0222861_17432447.jpg


明るく開けた境内です。
社殿の後ろには深い森が控えていました。


お汐井とり

拝殿の脇には、ここにもお汐井とりがありましたよ。
この砂をもらって帰り、外出する時のお清めの砂として、使うものです。
志式(ししき)神社の所でも書きましたが、
この砂は昔の天気予報の名残です。
外出時に砂を風に吹かせて、掌に残った砂の残り具合で、
その日の天気を予報しました。
それが形を変えて、現代にまで伝えられています。

この山の中にある砂はどこのものでしょうか。


説明が書いてありました。

このお汐井は赤間の里から釣川(つりかわ)に流れ、美しき水で清められ、
玄界灘の荒波で更に清められた真砂を社領に持ち帰ったものです。


c0222861_17435722.jpg


ここが赤間の里です。
ここから玄界灘に流れる美しい川の水で清められた真砂(まさご)が
社殿に来ていました。

さあ、御祭神はどなたでしょうか。


御祭神

 泥土煮の尊(ういじにのみこと)     沙土煮の尊(すいじにのみこと)
 大戸の道の尊(おおとのじのみこと)  大戸の辺の尊(おおとのべのみこと)
 面足の尊(おもだるのみこと)      綾かしこねの尊(あやかしこねのみこと)
 いざなぎの尊                いざなみの尊


「うわあ、古い。すごい。
こんな由緒の古い御祭神、みたことない!」
これを見て、私はすっかり興奮してしまいました。
なんでって?
この神さまたちは、古事記の第一ページを飾る神様たちなのです。

しかも、八柱も揃いにそろって。

日本中探しても、こんな御祭神の顔触れはないかもしれません。
こんな人里離れた所だからこそ、よくぞ守られた。
と、有り難く参拝しました。

この八柱の御祭神について、境内には由来書がありました。

アマテラス大神のご両親をはじめ、神代四夫婦八柱の神を祭り、
よって、八所宮と言うようになりました。


アマテラス大神のご両親とは、イザナギ、イザナミの神の事です。
ここの神様は全部、夫婦の神さまたちなんですね。
   
また、案内書にも

八所宮は自然創造の神、六柱と
日本国の始祖、二柱をおまつりしております。
本宮の名は八柱の神を祭っておりますので八所宮と申します。


と、書いてありました。

舌を噛みそうな、最初の三組の夫婦神たちは、
地球を創造した時に生まれて働かれた神々なのです。
造化の神ともいいます。
そして、四組目のイザナギとイザナミの神は日本の国土を
作りました。沢山の島々と神々を生みました。

では、さっそく古事記の巻頭を開いてみましょう。

古事記

天と地が初めて別れた時、
高天(たかま)の原に現れた神は
天の御中主((あめのみなかぬし)の神でした。
次に、タカミムスヒの神。
次に、カミムスヒの神です。
この三柱の神は、みな単独の神として、身を隠されました。

次に国土が出来たばかりで、水に浮かんだ油のように、
クラゲのように漂っている時に、
葦の芽が牙のように大地を突き破って芽生えるようにして、
出現した神の名はウマシアシカビヒコヂの神。

次に、アメノトコタチの神。
この二柱の神もまた、単独の神として、身を隠されました。
以上の五柱の神は特別な天(あま)つ神です。

次に現れた神の名はクニノトコタチの神。
次にトヨクモノの神。この二柱の神もまた
単独の神として身を隠されました。

次に現れた神の名は、
ウヒヂニの神、次に妹(いも)スヒヂニの神。
次にツノグヒの神、つぎにイモイクグヒの神。
次にオホトノヂの神、次にイモオホトノベの神
次にオモダルの神、次にイモアヤカシコネの神
次にイザナキの神、次にイモイザナミの神

(以上、クニノトコタチの神からイザナミの神までを合わせて、神代七代と言う。
数え方は、二柱の単独の神は各一代とする。
次の男女ペアの神々は各二神を合わせて一代とする。)

さて、始めの五柱の天つ神がイザナギノ神とイザナミの神に
「このクラゲのように漂っている国を、つくろって、固めて完成させなさい。」
と言って、天の沼矛(ぬぼこ)を与えられました。


太字で示した八柱がこの八所宮の御祭神です。

最初の五柱の神々は宇宙に表れて、身を隠しました。
続けて現れた夫婦の神々が五組。
そのうちの四組がここに祀られています。

天と地が分かれて、次々に地上が形成されて行く過程が
神として描かれています。
言葉にして読むと大変格調高い気持ちになる名文です。

何故この八柱の造化の神がこの宗像市の吉留(よしとめ)に
祀られているのでしょうか。

神社の由来も古いですよ!


神社の説明文です。
由緒 
 
今を去る2千数百年前、神武天皇が日向の国から御東遷の際、
この地の御手洗池のほとりに鎮座を賜りました。
その折、赤い馬に乗った神が現れ、道案内されたとされ、
これが宗像市赤間(馬)の地名の起こりと伝えられています。

 その後、天武天皇の御代、白鳳2年(674年)12月28日、
ご神託により、清水池のほとりから鶺鴒山(せきれいさん)(現在地)に
御遷座されました。
今では、この日を創立の日と定めております。

―略―


なんと神武天皇が出て来ました。
神武天皇がここを通る時に赤い馬に乗った神が道案内をしたという
いわれです。

同じような話を地元の研究家の本からも見つけました。

宗像伝説風土記 下  上妻国雄 (西日本新聞社)

赤間  神武天皇の御東征のおり、ひとりの先払いの神さまが赤い馬に乗って、
この地を通られてから、この地名が起こったという。

吉留(よしとめ) 吉留の起源も、やはり神武天皇御東征にまつわる伝説で、
赤間をお通りになった八人の神さまが、通りすがりの白髪の老人に
「どこかよい休憩する場所はないか」とお尋ねになったところ
「この釣川の上流には、よい丘がある」と
お答えした。
 神さまがたはたいそうお喜びになって、その丘でご休憩をとられて、
ここを「吉」と宣うて(のたもうて)、 
「留(と)」まられたので、吉留の名が起こったという。



三つの話のキーワードをまとめてみると、
「八人の神さまがこの丘に鎮座された。
神武天皇が東征する時に赤い馬に乗って道案内をされた」
ということでしょうか。
そして、この赤い馬が赤馬(あかま)となり、赤間と書かれるように
なったという事のようです。

さて、この話を読んで、
「あれっ、神武天皇が何故こんな所を通ったのだ。話が変だぞ。」
と思った方は、かなりの歴史通です。

そう、通説では宮崎から船で北九州の近くに行ったはずですから。
こんな所に来たとは、不思議です。
だから、フィールドワークって面白いですよね。

この宮から北西の方の海岸に、神武天皇が一年間滞在した
岡湊(おかのみなと)神社(もしくは岡田神社)があります。
直線で2~30キロメートルほどの距離です。
東征の途中か、滞在中か、ここに来られた可能性は十分にあります。


c0222861_17444314.jpg


参道を下って帰り道。
木漏れ日と苔の緑の癒しの空間です。

神社の方々にお話を聞いていると、もうすぐ、ここの年一度の
お祭があるとか。

そこで、夜祭りに出かけましたよ。

(Ⅱ)へつづく
 
さて、全国各地のみなさまへ
     お汐井とりがあるお宮が日本全国でどれくらいあるのか、気になって来ました。
     近くのお宮でお汐井とりを見かけたら、コメントで教えて下さいね。 
              るな   (^-^)



[PR]
by lunabura | 2009-12-14 18:12 | 八所宮・はっしょ・宗像市 | Trackback | Comments(0)

八所宮(Ⅱ) 夜祭りだァ


八所宮(Ⅱ)
はっしょぐう
福岡県宗像市吉留
夜祭りだァ
日向ひょっとこ踊りとお神輿

例大祭
毎年、10月第3土、日がここの大きなお祭りの日です。
夜から始まるという事で、日が暮れてから訪ねました。
あたりは人家がないので、夜は真っ暗です。
お宮の周りに裸電球がぐるりと渡してあって、闇夜にほっとしました。
こんな暗闇は久し振りです。

c0222861_19551728.jpg

参道の灯篭にも火が灯されて、参拝する人を迎えてくれます。
なんとも良い風情です。
石段を上って境内が近付いてくると、祭りの音が聞こえて来ました。
闇夜の笛の音は何とも、心惹かれます。

境内の舞台はすでに盛り上がっていて、地元の人々の舞いや歌、独奏、などなど、芸達者ばかり。
見ていると、次から次へと、こんなに沢山の芸能が日本にはあるんだと、感動です。

今日はそのなかでも「日向(ひゅうが)ひょっとこ踊り」を紹介します。
c0222861_19561334.jpg

鉦と笛の音が聞こえてくると、いきなりハイテンションになりました。

チャンチャラ、ラッ。
チャンチャラ、ラッ。
チャンチャラ、ラッ。チャ。

金属性の高い鉦の音が四拍子をとります。
(ジングルベルと似たリズムです。)
笛の音がそれに絡むように吹かれます。

男も女も赤い着物を着て、お面をかぶり、ほっかぶりです。
ふんどしを垂らして、一人ずつ踊りながら入って来て、次第に輪を作って、ぐるぐると回ります。

チャンチャラ、ラッ。
チャンチャラ、ラッ。
チャンチャラ、ラッ。チャ。

周りに原生林しかない、里山の空間に、ひたすら単調なリズムが響き渡ります。
なんとも、キツネやタヌキが人を化かした昔にタイムスリップしたような気分になって来ました。
よく見ると、キツネのしっぽを垂らした人もいます。
c0222861_19564982.jpg

山の精霊たちのお祭りを木陰から覗かせてもらっているような不思議な気分です。
踊り手たちは、滑稽な動きでどこまで人を笑わせられるか、ひたすら追求しています。
こんなひょうきんな踊りが、可愛らしい乙女たちの「浦安の舞」の後に
あるのですから、そのギャップがたまりません。

c0222861_19572874.jpg


ハレとケ。よそ行きと普段。
聖と俗。
闇夜と灯り。
この両極端が、日本人の原風景にあり、自分の身体の中にもあるのを再確認した夜祭でした。

密かに行われる御神事
さて、のど自慢も登場して、舞台がいよいよ盛り上がった頃に、
神殿では、御神体を神輿に移すための祝詞が奏上され始めました。
人々は舞台を見ているので、拝殿の前には数人しかいません。
そこに立っていると、前からは祝詞が、後ろからは南春夫が聞こえて来ます。

聖と俗の境界線に立って、これまた摩訶不思議な空間です。
氏子さんたちが頭を垂れる中、神官の手によって、しずしずと御神体が神輿に移されました。
神輿は三台です。
c0222861_19582296.jpg

御神体が移されて、運ばれるのを待つばかりの神輿。

そして、それが大名行列に先導されて、釣川の岸辺にこしらえられた御座所に
運ばれて行きます。

真っ暗な中、紅白の垂れ幕に囲まれた御座所がこうこうと照らしだされて、
祭りならではの、風情のある光景でした。


このお祭りに出かける時は真冬の格好がお勧めです。
秋でも夜中は冷え込みます。
来慣れた人は、ダウンを着ていましたよ。

宮崎県で盛り上がっている「日向ひょっとこ踊り」の動画が見られるサイトがあります。
笛と鉦のお囃子も聞けます。

日向ひょっとこ夏祭り公式ホームページ
http://www.hyottoko.jp/fs/

やっぱり星の神々がありましたよ。しばらくお待ち下さいね。

[PR]
by lunabura | 2009-12-13 00:00 | 八所宮・はっしょ・宗像市 | Trackback | Comments(4)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー