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カテゴリ:鏡山稲荷神社・佐賀・唐津市( 2 )

鏡山稲荷神社(1)松浦佐用姫伝説の石を見に行ったけど


鏡山稲荷神社(1)
佐賀県唐津市
松浦佐用姫伝説の石を見に行ったけど

唐津は海も山も松林も素敵な所です。その中でもひと際目立つのがこの山。
今日は、この台形の鏡山に登ります。


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唐津市に入ると赤い巨大な鳥居があって、登山用の車道はすぐに分かります。
車道は何度もヘアピンカーブが続く道です。その両脇がずーっと桜。
半端な数ではありません。これは春に登るべきだ。
この日は雪を心配しながらの、あいにくの空模様でした。
(写真は別の季節に撮った分です。)

頂上に着くと、昔とすっかり様子が変わっていて、
いったい何を見たらいいのかも分からなくなってしまいました。
駐車場のすぐそばに池がありました。山頂に池?どうなってる?
それよりも、昔は佐用姫が悲しみのあまり石になったという
あの岩はどこに行ったのだろう。
そう、ここは松浦佐用姫(さよひめ)が狭手彦(さでひこ)を慕って
悲しみのあまり岩になったという伝説があったはず。
日本書紀にはこう書いてあります。
宣化天皇の2年の冬、10月の1日に天皇は新羅が任那を攻撃している件で、大伴の金村大連に命じて、その子の磐(いわ)と狭手彦(さでひこ)を遣わして、任那を助けた。この時に、磐は筑紫に留まって、その国に政治をつかさどり、三韓に備えた。狭手彦は朝鮮半島に出撃して、任那を鎮め、また百済を救った。

この狭手彦は欽明天皇の時にも再び渡海していますが、
松浦郡では松浦佐用姫を娶りました。
しかし狭手彦は出兵しなくてはならず、佐用姫はその船が出港するのを慕って、
この鏡山の山頂から領布(ひれ)を振って、悲しみのあまりに岩になり、
鏡山を領布振山(ひれふりやま)とも言うようになったと
当時のガイドさんが話してくれたのを、今でも覚えています。
子供心に領布を振るという優雅さに憧れながらも、
人間が岩になる話が不自然に思えたのを思い出しました。

大人たちが、鏡山にあった伝説の立派な岩を見て、「これは不自然だね。
こっちの方がそうだろうね。」と言っていた低い岩を探したい。
しかし探す時間はなく、後で調べると、加部島にその岩はあるとか。

大人になって、こうして日本書紀をみると、
2度も狭手彦が松浦郡に来て、朝鮮半島に渡っているので、
きっと本当の別れは狭手彦が都に帰る時だろうな…。と推理するのでした。
(大人になると、素直に伝説が受け取れないから困ったものだ…。)

さて、今回確認したかった物がもう一つありました。
あの浮嶽との祭祀線です。
浮嶽神社に掲載していますが、浮嶽と鏡山のコラボがあまりにも見事なので、
鏡山の方に遥拝所を示す祭壇石があるのではないかと思ったのです。
でも、この日は全く手が付けられませんでした。

しかし、予想もしなかった世界が待っていました。

さて、時間を戻します。
駐車場を降りるとすぐに大きな鳥居がありました。
山頂にこんなに大きな神社?吸い込まれるように拝殿に行きました。

この神社の参道は上って来る途中、車道から見えていました。

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これがその光景です。なんとも雰囲気があるなあと思ったのですが、
鳥居が赤い。あれ?お稲荷さんなのかな?

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参道の正面に廻り込みました。「鏡山神社」です。
参道の両脇に玉石がずらりと並べられています。
左の手前には白い石が。卵形…。そう、前回紹介した鎮懐石八幡宮の
御神体のイメージに近い石です。これらは海の石ですから、
ここに営々と奉納され続けたものの集積のようです。
ここからまっすぐ正面の奥の高くなった所に拝殿が見えています。

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拝殿前に出ました。急に開けた印象です。

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おお、両脇には眷族さん。狛犬ではなく如何にも稲荷社です。

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参拝をして、左脇に行くと、その裏に神殿がありました。
階段は見えるけど、途絶えていて、一般では行けないようになっています。
振り返ると、
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広々とした境内は海の只中に浮かぶよう。
いい眺めです。なんと気持のいい所。今度は晴れた日に来よう。

いつものように境内をぐるりと廻ろうとすると、赤い鳥居が
左の下がった所にまだまだ続いています。古い…。こちらがルーツ?
ちょっとだけ、行って見るから…。そう言って、一人で鳥居をくぐり出すと、
いくつもいくつも鳥居があって、なかなか辿り着かない。
                                 (つづく)




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by lunabura | 2011-03-03 18:04 | 鏡山稲荷神社・佐賀・唐津市 | Trackback | Comments(2)

鏡山稲荷神社(2)異世界は磐座の世界だった/イナリと鉄と悲恋


鏡山稲荷神社(2)
異世界は磐座の世界だった
イナリと鉄と悲恋



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細い山道の古びた赤い鳥居が私を誘う。
異世界への入口のように人の気配がない。
鳥居の扁額を見ると、鏡山神社、白玉神社、そして、荒熊神社。
ええ?なんと色んな名前がついている…。

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道は舗装されているけど、ずっと昔から信仰の対象になっている気配にドキドキ。
そして、参道がどんどん下り道になっていく。ええ?参道が下り坂?
途中、右の高台にも鳥居があったけど、今日は下へ下へと行ってみた。

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とりあえず荒熊神社と書かれた鳥居から左に入ると、またもや下り。え?急坂を下る?
祠が見えた。そして懐かしい巨岩を発見!盤座だ!

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祠の前に立って見上げると、「白玉稲荷大神」と書いてある。
でも、寸前の鳥居には「荒熊神社」って書いてあったんだよ。どうなってるの。
それに、この祠の建つ場所が半端じゃない。巨岩と巨岩の上に、またがって建てられているのだ。

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ガラス越しに覗くと、お稲荷さん。幟には、荒熊稲荷大明神と書いてある。
白玉なのか荒熊なのか、よう分からんけど、同じものを指しているのだろう。
ここはまさに稲荷信仰。
でも、みんなに見てほしいのは左右に迫る岩。磐座信仰の上に稲荷信仰が重なっているのだ。

稲荷と磐座…。同じ組み合わせがあった。そう、大嶽神社。
あの時、磐座の上に神社が建ってるんじゃないかと推測したけど、同じパターンだ。
ここはさらに原形を残してる…。

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あちこちのめぼしい岩の上には祠が置いてある。祠だらけと言っても過言ではない。

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斜度はかなり厳しい。石段が置かれていなければ、手をついて上り下りするような所なのだ。
下界を覗くと立岩が二つ、急斜面に立っている。人工的な気配がある。
巨石研究会のメンバーならあの岩を調べるだろう。
でも、完全装備で降りないと無理…。一人じゃやばい。
かつて、西日本各地の巨石・磐座を見て回った記憶が蘇って来た。
自然の造形を巧みに利用して、人の手をさりげなく加えた祭祀遺跡の数々。
ここも、そんな所だ。

前回の鏡山の写真を見直してほしい。私はあの台形の山の急斜面にいる。
下からはずっと風が吹いて来て、顔が冷たくなった。
上昇気流が絶え間なく吹きつけるのだ。
風とイナリ。ここは古代のたたら製鉄の場所だ!
そうか。こんな所なんだ。

今は分かる。
「イナ」は鉄の事。たたら製鉄には風が必要で、風の神を祭る。
でも、ここに祀られるのは白玉。「白玉」ももう分かる。「隕石」の事なんだ。

これは秘中の秘だったので、もう誰も分からなくなってしまって、
キツネを祀るようになったけど、キツネの口にくわえている
「宇伽のみたま」が隕鉄のシンボルで、「巻き物」は暦の事。
キツネという単語だって、語源は「日経」(ひつね)つまり「暦」のことなんだ。
平安時代にすでに狐と稲荷という形に変わってしまった。
成長したな…。我ながら。(涙)難解な眞鍋大覚さんの本が少し分かって来た。

魏志倭人伝にある。「倭人が伽耶に行って、鉄を買いあさる」と。
伽耶から倭国に帰って来るとしたら、この唐津・松浦か志賀島・新宮にまず
船をつける。そのどちらにも古代製鉄の痕跡があった。
特にこの鏡山の断崖絶壁は一般人を寄せ付けず、製造した武器の盗難の心配がない。
これが志賀島あたりでは、島に隠すしかなかった。

松浦佐用姫狭手彦を慕って涙の日々を送ったけど、
狭手彦は新羅と戦い、次には高句麗と戦った。その時の兵の数は数万と書いてある。
数万と言う数字がオーバーだったとしても、
準備する船と武器の数は少々のものではない。
それを支えたのが、この鏡山の可能性が高い。
誰か、ここの古代製鉄所を調べていないだろうか。
鉄滓で山になった所があるはずだ。

狭手彦は高句麗に勝って、宮殿の豪華な品々を持ち帰り、
二人の美女を連れて帰って、蘇我の稲目に貢いでいる。
彼は勝利に酔いしれて、佐用姫にはもう興味を失った事だろう。
戦に向かう時には鏡をくれるような優しかった男が、
戻って来ると佐用姫には目もくれなくなった。
そんな狭手彦の心変わりが理解出来なくて、佐用姫は泣き続けた。

と、ルナは想像するのでした。

帰りは、車道から浮嶽が見えるのを確認して一安心。
唐津もまた古代史の風景がそのまま残るいい所でした。

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向こうの山の富士山のような形の山が浮嶽です。


この物語を理解するために
狭手彦の訳はしていませんが、「蘇我の稲目」を読むと、「狭手彦」が出て来ます。
「鉄とイナリ」は大嶽神社へ。
「隕石」の話は古物神社へ。だったっけ…。
浮嶽神社もレポートしてます。


地図 鏡山





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by lunabura | 2011-03-03 13:34 | 鏡山稲荷神社・佐賀・唐津市 | Trackback | Comments(3)
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