ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:大神神社・おおみわ・福岡市( 2 )

大神神社と大己貴神社の違い



大神神社と大己貴神社の違い



福岡市東区の大神(おおみわ)神社
朝倉郡筑前町の大己貴神社がよく混同されています。

今日はその違いを少々。

日本書紀にこう書かれています。

秋9月10日、神功皇后は諸国に命じて船舶を集め、兵士を訓練する事にした。
その時、軍卒が集まらなかった。
皇后は「きっと神の御心のせいだろう」と言われ、
大三輪の社を建てて、太刀と矛を奉納された。
すると軍勢が自然に集まった。

これはいよいよ、神功皇后が周りの期待に応えるべく、
香椎潟で海に入ってミソギをして、男装になった後の話です。

船の軍事訓練をする時の話ですね。
だから、海が近くなくてはなりません。

でも、よく勘違いされるのが朝倉郡の大己貴神社です。

説明に「船舶を集め」という文を削除されている場合もあります。
朝倉では成り立たないので削除されているんですね。

朝倉では、羽白熊鷲と戦う直前に軍士たちが逃げたしたので、
神功皇后が大己貴神の祟りだとして祀った宮です。


実際に船舶が集まるのは福岡市東区の大神神社です。
『日本書紀』の「大三輪」は「大神」という字で書かれています。
香椎宮からも近いですね。
祭神は大物主。大己貴のことです。

安曇水軍を中心に
遠賀水軍や水沼水軍、出雲水軍、高倉水軍、伊都水軍、住吉水軍
などが集まって船戦を訓練したのでしょうね。


「神功皇后伝承を歩く」
上巻42 大己貴神社 軍士たちが逃げ出したので皇后は大三輪の神を祀った
下巻68 大神神社 軍勢が集まらなかったので皇后は大物主神に祈った










c0222861_20564799.jpg

ちなみに、新羅はどこか分かりますか?
右上です。
海には道路がないので、安曇水軍や伊都水軍の案内が必要なのがよく分かります。






いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif

[PR]
by lunabura | 2017-06-08 20:57 | 大神神社・おおみわ・福岡市 | Trackback | Comments(0)

大神神社/軍勢が集まらないのは神の御心のせい


大神神社
おおみわじんじゃ
福岡市東区高見台2丁目
軍勢が集まらないのは神の御心のせい

c0222861_16593768.jpg

先日、「古事記の神々」で「神功皇后(6)軍事訓練と臨月の皇后」をUPしました。
その日本書紀の1シーンを抜き書きします。

秋9月10日に諸国に命じて船舶を集め、兵士を訓練する事にしました。
その時、軍卒が集まりませんでした。神功皇后は「きっと神の御心のせいだろう。」
と言って、大三輪の社を建てて、太刀と矛を奉納しました。すると軍勢が自然に集まりました。
新羅攻撃をするために諸国の兵を招集したのに集まらない理由は、
大物主の神の障りであろうと悟って、神功皇后が祀るシーンです。
この時建てられた「大三輪の社」が、この「大神神社」です。
「おおみわ」と読むのですが、バス停や信号機には「おおがみ」と書いてあります。

c0222861_1702998.jpg

バス停付近から全域を撮りました。
高美台という地名の通り、高台にあり、周りは住宅街になっています。
後ろの杜(もり)は氏子さんたちの尽力で辛うじて残されました。
一の鳥居から直角に二度曲がると拝殿に出ます。

c0222861_1711989.jpg

拝殿です。今日ここに参拝出来たことを感謝して参拝。

何年も前に地図を眺めていて「大神神社」という三輪山系の名前を見つけて、
「何故、福岡にあるのだ!」と思って、すっ飛んで来た事があったのですが、
最近の地図では、この神社名は見当たりません。
あちこちで人に尋ねてようやく辿り着きました。
何のことはない、この町のメインストリート沿いにありましたよ。
再び訪れた今、この神社の歴史的な背景が分かるようになっていて、
新たな感動を覚えます。境内にある由緒を読んでみましょう。
(現代語に変えます)
大神神社略記
鎮座地 福岡市東区高美台2丁目208番地
御祭神 大物主大神(大神大明神)を奉斎する。
   出雲大社と並ぶ大神神社(大和国一ノ宮)の分社である。
   貴船神社 荒神両社は末社である。
御由緒 神功皇后が御征韓の節、大和の将兵が此の地に駐屯の折、
    勧請したるものと伝えている。
    立花城主は守護神として特に崇敬厚かった。
    永禄10年9月8日 宗像大宮司氏貞、許斐左梅大夫氏備の軍勢が上和白村に乱入して
    民家を焼き払う。立花城代の奴留湯(ぬるゆ)入道が馳せ向って、応戦奮闘。
    双方討死の侍、雑兵ともに二百余り出た。

    黄昏になって敵は許斐岳を目指して引き揚げたので、その夜は奴留湯入道の軍勢が
    ここに陣取って夜警し、翌9日立花城へ勇ましく凱旋した。
    城主・立花道雪公より、燈明、田二反八畝十歩御寄付あった。
    近くに陣畑、陣作などという地名がある。 (後略)
この神社では神功皇后の弥生時代と立花道雪の戦国時代に大きな事件がありました。

神功皇后の時代には、亡くなった仲哀天皇が率いていた軍勢がここに駐屯しました。
しかし招集していた諸国の軍勢が集まらなかったので、神功皇后は
大三輪の社を建てて太刀と矛を奉納しました。大三輪の神とは大物主の神です。
祟り神として、この時代にも畏れられていたのがこれで分かります。

同じような話を旧三輪町の大己貴神社(大神神宮)でも書きました。
貝原益軒はこの福岡市の大神神社の事を知らなかったようです。
伝承の厚みや時間的な流れから考えてみて、日本書紀に書かれていた
「大三輪の社」はここであると考えて間違いないでしょう。

志式神社の氏子さんから話を伺った時にも、
この神社が神功皇后ゆかりの神社だと話してありました。
神功皇后が奉納するのが刀と矛というのもこれまで何度か出てきましたね。

軍備上どんな地形なんだろうとバス通りを歩いてみたら、ほどなく頂上に出ました。
c0222861_1735469.jpg

家々が無かったら、四方が見渡せるような高台です。
頂上は四つ角になっていて、公園がありました。
その向こうには、あの立花山が間近に見えてびっくりしました。
聖なる山を頂く高地はまさしく古代の人々が好んで営む土地です。
ここでは登り窯古代製鉄の跡も発見されています。
地元で武器を製造出来る利点もあるような立地でした。

それから1000年以上経って、戦国時代に起こったのは
近隣の国の宗像氏貞たちが攻めて来たという事件です。
立花山城からの軍勢がそれを迎えて、ここを死守しました。
この高美台が軍事的に重要拠点だったのがよく分かります。

この高台が団地化する時に、氏子の方々が鎮守の森を買い上げて
神域を守りました。ありがたい事です。

境内を歩いてみると、なんと古墳も残されていましたよ。
次回はその宮前古墳群に行って見ましょう。

地図 大神神社 香椎宮 志式神社


『古事記の神々』は「神功皇后(7)新羅攻撃」を出しました。




気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2011-03-23 17:21 | 大神神社・おおみわ・福岡市 | Trackback | Comments(4)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー