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カテゴリ:綿津見神社・わたつみ・福岡市( 2 )

綿津見神社(1)嵐を鎮めた海神たちを祀る宮


綿津見神社(1)
わたつみじんじゃ
福岡市東区三苫(みとま)
嵐を鎮めた海神たちを祀る宮

「綿津見」とは「海や海の神」の事です。
福岡市の地図を広げると、玄界灘の海岸線にこの神社はあります。
その名前に魅かれて訪ねて行ったのは、ずいぶん前の事です。
場所は三苫から岬の高台を目指して行くのですが、住宅が押し迫っているので、
地図かナビを頼りに行かなくては分かりにくい所です。
駐車場は数台分あり、すぐ横から境内に入ることが出来ます。
でも、今日は一の鳥居から行きましょう。

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心地よい参道です。左の木立の向こうは海です。右は住宅街です。

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ほどなく境内が見えて来ました。

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拝殿です。潮騒が聞こえて来ます。今日参拝出来ることを感謝して。

境内に由緒書きがあったので現代語に直します。
綿津見神社 由緒
祭神 志賀三神 豊玉姫命
境内社 竈門神社 須賀神社 黒津神社 稲荷神社
三宝大荒神社 若宮社 虚空蔵菩薩 大日如来

志賀三神とは志賀海神社に祀られる
表津綿津見神・仲津綿津見神・底津綿津見神です。
ここは志賀島からも近い所です。

豊玉姫命は海神の娘で、亀の姿になって、ウガヤフキアエズの命を生んだ姫神です。
姿を見られた為に、子供を残して泣く泣く綿津見の宮に帰って行きました。
この神社には海神と姫神が祀られていましたよ。

境内社の中で、虚空蔵菩薩があるのが珍しいのですが、
その木像は最澄が彫ったと伝えられています。
最澄が唐から古賀市の花鶴浜(かづるがはま)に到着して
一か月滞在した時に彫ったものだそうです。

興味深いのは「三苫」(みとま…三枚の苫)というここの地名の由来が
神功皇后の故事から来ている点です。

由緒書きの続きを読みましょう。

鎮座由来 香椎宮旧記に、神功皇后が韓半島攻撃のために渡航した時、対馬を出港した時に、急に大雷雨、大風、大波が起こって危険な状態になった。

その時、船にあった苫(とま)三枚を海中に投入し、いつどこであれ、この苫が流れついたところに社を建てて、拝祭しますと海神に祈った所、たちどころに風波が治まり、征韓の大業を易く終えて、凱旋された。

その後、苫が漂着した所に三枚の苫を御神体として、社を建てて海神を拝祭された。それがこの神社である。この由来から地名を三苫というようになった。

古来、香椎宮の神輿が渡ってお礼まいりをする儀があり、中古より神使の神祭となって現在に至る。  香椎宮宮司 木下祝夫 記す

この由来を書いた木下祝夫氏は古事記のドイツ語訳を完成された方でしたね。
香椎宮の御祭神の一柱は神功皇后です。
ですから香椎宮かの御輿が来るのは、神功皇后のお礼参りという事になります。
とても、ゆかしい話ですね。

神功皇后の三韓攻撃を記紀で読むと、いとも簡単に半島に到達したように書いてありますが、
地元に伝わるのは途中で暴風雨にあって苦労した姿でした。
帰途にも予定の湊から随分離れた所に漂着した伝承があります。
やはり玄海灘の海路は厳しいようです。

「苫」を海に捧げて助けられ、それがここに流れ着いたのは
ここの神が助けてくれたのを教えているという事です。

「苫」を辞書で引くと…「菅(すげ)や茅(かや)を弧(こも)のように編み、
和船の上部や小家屋を覆うのに用いるもの。とば。」と書いてあります。

古代社会の船旅の時、雨の日はどうするのだろうと思っていたのですが、
苫などで屋根代わりにしたのですね。
苫は他にも、獲った魚を入れる物になったり、
濡らして船のバランスを取ったりする大事な備品でした。

「苫」を御神体とする神社が宇佐の方にあるそうですが、ここもそうでした。
現在の御神体は何でしょうか。変遷していると思われます。

さて、地元にはもっと伝承がありましたよ。
昔、香椎宮の神幸のあった所である。神功皇后のご西征の時に神が助けたのを奉賛する風習が残ったのである。

中臣の鳥賊津臣命(いかつおみ)が西征に供奉して龍船が対馬府中を離れると、風雨がひどく風波が強くなった。その時に、鳥賊津臣命は海神に誓い、苫を三枚とって海底に沈めたところ、その霊験のおかげで風波が穏やかになった。

のちにその苫が流れついたところに社を建てた。これが三苫綿津見神社である。
(『ふる里のむかし』和白郷土史研究会)

実際に神事をしたのが中臣の鳥賊津臣命だという話が伝わっていました。
この人の名前は仲哀天皇の崩御後、小山田斎宮で神意を伺う時にも出て来ます。
その時は、亡くなった天皇の代わりに竹内宿禰が琴を弾いたため、
それまで竹内宿禰がやっていた審神者の役を大抜擢されました。
仲哀天皇の崩御を隠すための事後対策の会議にも参加していたので、
信任厚い人だというのがわかります。(⇒香椎宮

神功皇后は筑紫のあちこちで祭祀をしていますが、
実際にはこのように中臣氏や物部氏の人たちが祭祀を営んだのが伺えます。

郷土史の本にはさらに伝承が収録されていました。
ある古老の話では「神功皇后の西征軍は姪浜の膳立の付近から船出した模様ですが、玄界灘に出ると大波に遭ったため、龍神を祭り平穏を祈りました。

この祭壇に使った苫に供物を包んで海に投げ入れたところ、4枚は山口県萩の近くに流れつき、ここを四苫村と言い、他の3枚は三苫に流れ着いたので、ここを三苫村というようになった」
とも語り継がれている。(『ふる里のむかし』和白郷土史研究会)

苫は祭壇に使ったものだったのですね。成る程!
その苫で供物を包んで海に投げ入れたのです。これで良く分かりました。
現代でもお盆の時には菰に供え物を載せて、それから菰で包んで流します。
同じ事ですね。

さて、神功皇后たちを助けた龍神の扁額も境内に残っていて、
大切に保存されていました。

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もともとここは龍王社であったのが、
明治初年に綿津見神社となったと書いてあります。

地元の和白郷土史研究会の方々が精力的に伝承を採集して下さったおかげで、
こうして、消えていく伝承を次の世代に伝えることが出来ました。
ありがとうございます。さて、海辺に下りてみましょう。

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これが浜から見た綿津見神社のある岬です。
いかにも、船から見たら目印になる神の岬ですね!
(つづく)

地図 綿津見神社 香椎宮





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by lunabura | 2011-03-29 14:50 | 綿津見神社・わたつみ・福岡市 | Trackback | Comments(4)

綿津見神社(2)三苫の海


綿津見神社(2)
三苫の海

みとまのうみ

参拝を済ませたら、磯遊びをしましょう。
境内の左側にある鳥居をくぐればもうそこは海。
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太陽の光と、潮風と、どこまでも青い海が広がっています。

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海からの参道は高い所にあるので、こんなに見渡せます。
どんどん降りて行きましょう。荒磯と穏やかな砂浜。
海の楽しみが全部集まっています。

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岩の上から覗きこめば、スリル満点。

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志賀島も見えています。
これまで紹介した志式神社、大嶽神社、志賀海神社、勢ぞろいです。


ここは古代の日本のゆりかご。
遠い昔から、大洋を越えて何艘も何艘も船がやって来た。
青い目、黒い目、茶色の目。
いろんな渡来人たちがやって来た。
第一波、第二波、第三波。何百年もわたってやってきた。
みんなが憧れた。そこには緑なす麗しい国があると。
肌の色も言葉も風俗も違った人たちが、
この美しい国で、融合して行った。

私たち日本人がルーツを探すとしたら、世界中にその故郷は有る。
藍色深き玄界灘に辿り着いた民たちはここで一つになった。
倭人とは何か。
それを求めれば、答えはすべての民の集合体。

玄海灘は日本のあけぼの。
世界中の人が一つになった、証しの国。
大和し麗し。
やまとしうるわし。

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by lunabura | 2011-03-29 09:06 | 綿津見神社・わたつみ・福岡市 | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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