ひもろぎ逍遥

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おがたまの木/招霊・小賀玉・緒霊


おがたまの木
招霊・小賀玉・緒霊


神社の境内で時折見かけるこのゆかしい名前の木。
おがたまの木。
どんな木かも分からずに写真に撮ったものが少し溜まったので、
改めて並べてみました。

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(福岡県 伊野天照皇大神宮)
まっすぐ伸びたこの木が招霊の木です。

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(福岡県 伊野天照皇大神宮)
谷あいに生えているので、光を求めて縦に縦に伸びています。
長寿になると20mにも達するそうです。
根元に立って枝を見上げました。葉っぱが見えます。

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(伊野天照皇大神宮)
幹を見ると、つるんとしています。固そうな感じだなあ。

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これは竈門神社の招霊の木です。まだ若木のようですね。

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(福岡県 織幡神社)
立札があり、
「小賀玉の木(緒霊樹)現在、天ノ岩戸神社と当境内に残る貴重な木です。
太古の玉串にはこの木を用いていましたが今は榊を用いています。」
と書いてあります。
かなり古木に見えます。幹はあまり太くならないのが見て取れます。
背が高いため、葉っぱが見えないのですが、玉串に使ったんですね。
「招霊」(おがたま)というのは、「神霊を招く」という意味だそうです。

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(福岡県 篠栗町87番札所 弘照院 龍泉堂)
招霊の葉と花です。いい香りがするそうですが、
それを知らなくて匂いを嗅がなかったよ。
これは2010年6月1日に撮影しました。
2月~4月に咲くと書いてある資料もあります。
モクレン科なので、桜のちょっと前が見頃でしょうか。
確かに葉っぱが榊とそっくりです。

おがたまの木 小賀玉木・黄心樹
モクレン科の常緑高木。日本南西部の暖地に自生。高さ18mに達する。
樹皮は暗緑色で平滑。葉は長楕円形で、光沢ある革質。
春、葉腋にやや紫色を帯びた白色の小花を開き、芳香がある。
果実は集まって球果状。材は床柱また器具とし、葉は香料。古今伝授三木の一つ。(広辞苑)

床柱に使えるので、やはり木が固いのでしょう。
葉っぱもアロマ効果あり? 

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なんとつつましげな花でしょう。
今年も出会えたらいいな。




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by lunabura | 2011-03-31 11:30 | おがたまの木 | Trackback | Comments(7)

綿津見神社(1)嵐を鎮めた海神たちを祀る宮


綿津見神社(1)
わたつみじんじゃ
福岡市東区三苫(みとま)
嵐を鎮めた海神たちを祀る宮

「綿津見」とは「海や海の神」の事です。
福岡市の地図を広げると、玄界灘の海岸線にこの神社はあります。
その名前に魅かれて訪ねて行ったのは、ずいぶん前の事です。
場所は三苫から岬の高台を目指して行くのですが、住宅が押し迫っているので、
地図かナビを頼りに行かなくては分かりにくい所です。
駐車場は数台分あり、すぐ横から境内に入ることが出来ます。
でも、今日は一の鳥居から行きましょう。

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心地よい参道です。左の木立の向こうは海です。右は住宅街です。

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ほどなく境内が見えて来ました。

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拝殿です。潮騒が聞こえて来ます。今日参拝出来ることを感謝して。

境内に由緒書きがあったので現代語に直します。
綿津見神社 由緒
祭神 志賀三神 豊玉姫命
境内社 竈門神社 須賀神社 黒津神社 稲荷神社
三宝大荒神社 若宮社 虚空蔵菩薩 大日如来

志賀三神とは志賀海神社に祀られる
表津綿津見神・仲津綿津見神・底津綿津見神です。
ここは志賀島からも近い所です。

豊玉姫命は海神の娘で、亀の姿になって、ウガヤフキアエズの命を生んだ姫神です。
姿を見られた為に、子供を残して泣く泣く綿津見の宮に帰って行きました。
この神社には海神と姫神が祀られていましたよ。

境内社の中で、虚空蔵菩薩があるのが珍しいのですが、
その木像は最澄が彫ったと伝えられています。
最澄が唐から古賀市の花鶴浜(かづるがはま)に到着して
一か月滞在した時に彫ったものだそうです。

興味深いのは「三苫」(みとま…三枚の苫)というここの地名の由来が
神功皇后の故事から来ている点です。

由緒書きの続きを読みましょう。

鎮座由来 香椎宮旧記に、神功皇后が韓半島攻撃のために渡航した時、対馬を出港した時に、急に大雷雨、大風、大波が起こって危険な状態になった。

その時、船にあった苫(とま)三枚を海中に投入し、いつどこであれ、この苫が流れついたところに社を建てて、拝祭しますと海神に祈った所、たちどころに風波が治まり、征韓の大業を易く終えて、凱旋された。

その後、苫が漂着した所に三枚の苫を御神体として、社を建てて海神を拝祭された。それがこの神社である。この由来から地名を三苫というようになった。

古来、香椎宮の神輿が渡ってお礼まいりをする儀があり、中古より神使の神祭となって現在に至る。  香椎宮宮司 木下祝夫 記す

この由来を書いた木下祝夫氏は古事記のドイツ語訳を完成された方でしたね。
香椎宮の御祭神の一柱は神功皇后です。
ですから香椎宮かの御輿が来るのは、神功皇后のお礼参りという事になります。
とても、ゆかしい話ですね。

神功皇后の三韓攻撃を記紀で読むと、いとも簡単に半島に到達したように書いてありますが、
地元に伝わるのは途中で暴風雨にあって苦労した姿でした。
帰途にも予定の湊から随分離れた所に漂着した伝承があります。
やはり玄海灘の海路は厳しいようです。

「苫」を海に捧げて助けられ、それがここに流れ着いたのは
ここの神が助けてくれたのを教えているという事です。

「苫」を辞書で引くと…「菅(すげ)や茅(かや)を弧(こも)のように編み、
和船の上部や小家屋を覆うのに用いるもの。とば。」と書いてあります。

古代社会の船旅の時、雨の日はどうするのだろうと思っていたのですが、
苫などで屋根代わりにしたのですね。
苫は他にも、獲った魚を入れる物になったり、
濡らして船のバランスを取ったりする大事な備品でした。

「苫」を御神体とする神社が宇佐の方にあるそうですが、ここもそうでした。
現在の御神体は何でしょうか。変遷していると思われます。

さて、地元にはもっと伝承がありましたよ。
昔、香椎宮の神幸のあった所である。神功皇后のご西征の時に神が助けたのを奉賛する風習が残ったのである。

中臣の鳥賊津臣命(いかつおみ)が西征に供奉して龍船が対馬府中を離れると、風雨がひどく風波が強くなった。その時に、鳥賊津臣命は海神に誓い、苫を三枚とって海底に沈めたところ、その霊験のおかげで風波が穏やかになった。

のちにその苫が流れついたところに社を建てた。これが三苫綿津見神社である。
(『ふる里のむかし』和白郷土史研究会)

実際に神事をしたのが中臣の鳥賊津臣命だという話が伝わっていました。
この人の名前は仲哀天皇の崩御後、小山田斎宮で神意を伺う時にも出て来ます。
その時は、亡くなった天皇の代わりに竹内宿禰が琴を弾いたため、
それまで竹内宿禰がやっていた審神者の役を大抜擢されました。
仲哀天皇の崩御を隠すための事後対策の会議にも参加していたので、
信任厚い人だというのがわかります。(⇒香椎宮

神功皇后は筑紫のあちこちで祭祀をしていますが、
実際にはこのように中臣氏や物部氏の人たちが祭祀を営んだのが伺えます。

郷土史の本にはさらに伝承が収録されていました。
ある古老の話では「神功皇后の西征軍は姪浜の膳立の付近から船出した模様ですが、玄界灘に出ると大波に遭ったため、龍神を祭り平穏を祈りました。

この祭壇に使った苫に供物を包んで海に投げ入れたところ、4枚は山口県萩の近くに流れつき、ここを四苫村と言い、他の3枚は三苫に流れ着いたので、ここを三苫村というようになった」
とも語り継がれている。(『ふる里のむかし』和白郷土史研究会)

苫は祭壇に使ったものだったのですね。成る程!
その苫で供物を包んで海に投げ入れたのです。これで良く分かりました。
現代でもお盆の時には菰に供え物を載せて、それから菰で包んで流します。
同じ事ですね。

さて、神功皇后たちを助けた龍神の扁額も境内に残っていて、
大切に保存されていました。

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もともとここは龍王社であったのが、
明治初年に綿津見神社となったと書いてあります。

地元の和白郷土史研究会の方々が精力的に伝承を採集して下さったおかげで、
こうして、消えていく伝承を次の世代に伝えることが出来ました。
ありがとうございます。さて、海辺に下りてみましょう。

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これが浜から見た綿津見神社のある岬です。
いかにも、船から見たら目印になる神の岬ですね!
(つづく)

地図 綿津見神社 香椎宮





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by lunabura | 2011-03-29 14:50 | 綿津見神社・わたつみ・福岡市 | Trackback | Comments(4)

綿津見神社(2)三苫の海


綿津見神社(2)
三苫の海

みとまのうみ

参拝を済ませたら、磯遊びをしましょう。
境内の左側にある鳥居をくぐればもうそこは海。
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太陽の光と、潮風と、どこまでも青い海が広がっています。

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海からの参道は高い所にあるので、こんなに見渡せます。
どんどん降りて行きましょう。荒磯と穏やかな砂浜。
海の楽しみが全部集まっています。

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岩の上から覗きこめば、スリル満点。

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志賀島も見えています。
これまで紹介した志式神社、大嶽神社、志賀海神社、勢ぞろいです。


ここは古代の日本のゆりかご。
遠い昔から、大洋を越えて何艘も何艘も船がやって来た。
青い目、黒い目、茶色の目。
いろんな渡来人たちがやって来た。
第一波、第二波、第三波。何百年もわたってやってきた。
みんなが憧れた。そこには緑なす麗しい国があると。
肌の色も言葉も風俗も違った人たちが、
この美しい国で、融合して行った。

私たち日本人がルーツを探すとしたら、世界中にその故郷は有る。
藍色深き玄界灘に辿り着いた民たちはここで一つになった。
倭人とは何か。
それを求めれば、答えはすべての民の集合体。

玄海灘は日本のあけぼの。
世界中の人が一つになった、証しの国。
大和し麗し。
やまとしうるわし。

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by lunabura | 2011-03-29 09:06 | 綿津見神社・わたつみ・福岡市 | Trackback | Comments(0)

宮前古墳3号 森と鉄の民


宮前古墳3号
福岡市東区高美台2丁目
森と鉄の民

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遥拝所と書かれた石碑の先を辿ると、別世界でした。
大きな木々が杜を形成しています。向こうが明るく見通せます。
ふらりふらりと入って行きました。

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あれ?マウンドがある。古墳じゃない?

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やはり古墳でした。天井石の形が1号墳とそっくりです。
同じ時代でしょうか。そうだとすると、
1号墳の羨道もこんな形だったのかも知れません。

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入り口あたりは木の根が絡んでいました。意外と狭い。
腕を差し入れて奥の方を撮って見ました。

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ようやく床と奥壁の一部が写りました。
開口して長い年月のが経ったのでしょうか。
床の状態が散乱している印象です。


説明板がありました。

宮前古墳群3号
高美台地区には猿の塚古墳、高見古墳群、宮前古墳群の9基の古墳が知られていましたが、宅地の造成で消滅し、現存するのは3基の円墳からなる宮前古墳群だけになっています。
六世紀の終わりごろ(古墳時代)に造られたこの3号墳は、とくに築造当時に近い姿をとどめています。墳丘の径は約10m、埋葬施設は長さ7.3mの横穴式石室です。

昭和45年の調査で、石室内から須恵器、土師器、ガラス玉が出土しました。また、中国製の白磁碗も出土していることから、中世にも墓として使われてたようです。

 2号墳は調査後埋め戻し保存されていますが、大神神社西側の1号墳は石室を見学することが出来ます。

これらは、東区内に残っている数少ない古墳群のひとつです。大切に保存して後世に伝えていきましょう。
2005年3月 福岡市教育委員会

3号墳はリユースされたのですね。出土品が少ないから、るなの妄想は無し。
大神神社の境内の中でも、一番高い所にあるので、
相当の身分の人だったのでしょうね。

9基の古墳の中で、この境内の古墳だけが残されました。
喪失した古墳の名前に「猿」の名前があったのが気になりました。
確か、製鉄に関係する名前でしたよね。
(誰の本に書いてあったか、覚えている人いませんか…。谷川氏だったかな。)
宮地嶽古墳群の方でも、猿がいないのに「猿」の祠があるのが不思議だ
という話を聞きました。気になる名前です。

家に戻って、この心地良い杜について振り返りました。
この森は古墳造営の頃には無かった事でしょう。
登り窯や製鉄所があったのなら、木は伐採され尽くしたはずです。
それが確信になったのは新たに手に入った眞鍋氏の資料を見てからでした。

一つの窯に燃やす炭は3~400俵だとか。
製鉄には大量の木材が必要なのです。
森林を伐採したあと、植林して30年後には再び利用するような
サイクルがあったそうです。

しかしそれが順調に行かないと砂漠化が始まり、土砂崩れで平地も湊も埋め尽くされて、使用が出来なくなり、その地を捨てて次の森へと移動して行かなくてはならなくなったそうです。
鳥取砂丘の出現もその砂漠化が背景にあったとか。
そう言えば、この和白から海の方へも砂丘がありました。

八咫烏をトーテムとした加茂族―鉄の民―が高句麗あたりから南下してきたのも
こんな背景があったのではなかったかと思い当りました。
それに白頭山の噴火が100年周期だったら、南下するのに拍車をかけたか。

韓国の上空を飛ぶと、山に緑が無くて驚かされます。
緯度が高いせいかなとも思ったのですが、
ごつごつとした岩がむき出しの山々は厳しい暮らしを想像させます。

だから、かれら渡来人たちが日本の亜熱帯の森林を見て
どれだけ狂喜したのかが容易に想像できます。
玄海灘の海底火山から吹き寄せる砂鉄は無尽蔵だし。

しかし森林の伐採は台風時に山崩れをもたらし、作業場や川や浜が埋められて、
新天地を求めて東征していった氏族たちの姿が見えてきます。

この3古墳の出土品は少なかったのですが、
古墳の形式など朝鮮半島と比較すると面白そうですね。
筑後平野の古墳にもよく似た天井石の古墳があったので、
どのように移動して行ったのか、資料として興味深いです。

先日、韓国の歴史資料館が比較のために筑紫の甕棺を借りに来られました。
と言う事は倭人の甕棺が韓国にもあるのかな。
古代では想像以上に日韓の交流があっていて、
調べる背景が広がり過ぎて間に合いません。

(遥拝所の件は結局分からずじまいでしたよ…。
またいつか分かればいいですね。)

では、ぶらりと海の方へでも参りますか。




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by lunabura | 2011-03-27 16:51 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Trackback | Comments(6)

宮前古墳1号/大神神社の境内に眠るのは6世紀末の武人


宮前古墳1号
福岡市東区高美台2丁目
大神神社の境内に眠るのは6世紀末の武人

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拝殿の左の木立ちの中に大きな岩があるのが見えますか?
古墳の天井石が露出していますよ。

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正面に出ました。盛土は消失しているようです。
横穴式の古墳の入口です。

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天井石がせり出してひさしのように見えます。
鉄の扉は鍵がかかっっているので、中を覗くと、

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祠が入っていました。榊が新しいのを見ると、今でも信仰があるようです。

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カメラを挿し込んで側面を撮ると、大雑把な石組の印象。
天井石のこだわり方から見ると、意外です。
(でも、これで崩壊しないのだから、石工の腕前はすごい?)

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側面に廻りました。これは古墳の石組そのものなのでしょうか。
壊れないようにセメントで隙間をふさいでありましたが、
もしそれ以上の手が加わっていないとしたら、玄室の側面が見られてすごいです。
(古墳のブロから見たらどうなんだろ。)
説明板がありましたよ。


宮前古墳
この古墳は、西暦6世紀末につくられた墓と推定されていますので、今から約1400年前に築造された横穴式古墳であります。

昭和45年高美台団地造成に先立って、福岡市教育委員会文化課の手で発掘の結果、古墳内部に残された品物から、武人の墓と想像され、馬具、直刀、黒曜石の矢じりの一部の外、金環、土器の出土品及びガラス玉、水晶の切子玉など38個が発見されました。

この大神神社の境内地の造成前の地番は福岡市東区大字上和白字宮前といい、唯今は東区高美台2丁目と改称されましたが、更に尚、団地内には登り窯、古代製鉄所跡、古墳8基も発見されたことから「大和の将兵の駐留の折、大和の国一の宮大神神社からの勧進」云々の大神神社の御由緒が生き生きとよみがえり来る心地して、古代史探究の重要性をしみじみと感じ入る次第であります。
 この古墳が6世紀末だとすると、当時は
562 伽耶諸国が滅亡
570 蘇我稲目死去
572 敏達天皇・30代 即位
585 用明天皇・31代 即位
587 崇峻天皇・32代 即位
589 隋興る
592 推古天皇・33代 即位
 
という時代です。倭国と伽耶の交流が盛んにあっていて、
伽耶滅亡によって、渡来人の流入がかなりあった時代です。
蘇我の稲目が出て来たので、唐津市の鏡山の松浦佐用姫の
悲恋の時代でもあるんですね。(⇒鏡山稲荷神社

そんな時代にこの古墳の被葬者は、既に祭祀が行われていた大神神社
境内に埋葬されたのですから、よほどの要人だったのでしょう。
馬具に直刀に金のイアリングやガラス・水晶のネックレスは、
当時の武人らしい出で立ちです。矢じりが黒曜石だったのがちょっと驚き。
鉄製のものは錆びて出土しなかったのかもしれませんが、
鉄の矢じりが登場してからでも、黒曜石が活躍していたのを知りました。

隣の新宮町の5世紀初頭の人丸古墳では、これより100年以上も古いのに、
鉄の矢じりが沢山埋葬されていたので、
鉄製のものを持てたのは身分が高い人だけなのか、一定の部族だけなのか、
いろいろと想像を掻き立てられます。

この古墳は見学ができるそうですが、どこに聞いたらいいかは不明です。
また埋葬品の所在地も未確認です。

説明文の中の「大和の将兵の駐留の折、大和の国一の宮大神神社からの勧進」
というのは仲哀天皇の将兵の事ですね。
神功皇后が大物主の神を畏れて祀った話は大神神社に詳しく書いています。

さて、すぐ脇に遥拝所の石碑が立っていました。
遥拝所と聞くとじっとしてられない、るなさん。
その先を追って行くと、神社の森の中に入り込みました。
(つづく)

地図 宮前古墳群 (大神神社境内)

 



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by lunabura | 2011-03-24 22:30 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Trackback | Comments(0)

大神神社/軍勢が集まらないのは神の御心のせい


大神神社
おおみわじんじゃ
福岡市東区高見台2丁目
軍勢が集まらないのは神の御心のせい

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先日、「古事記の神々」で「神功皇后(6)軍事訓練と臨月の皇后」をUPしました。
その日本書紀の1シーンを抜き書きします。

秋9月10日に諸国に命じて船舶を集め、兵士を訓練する事にしました。
その時、軍卒が集まりませんでした。神功皇后は「きっと神の御心のせいだろう。」
と言って、大三輪の社を建てて、太刀と矛を奉納しました。すると軍勢が自然に集まりました。
新羅攻撃をするために諸国の兵を招集したのに集まらない理由は、
大物主の神の障りであろうと悟って、神功皇后が祀るシーンです。
この時建てられた「大三輪の社」が、この「大神神社」です。
「おおみわ」と読むのですが、バス停や信号機には「おおがみ」と書いてあります。

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バス停付近から全域を撮りました。
高美台という地名の通り、高台にあり、周りは住宅街になっています。
後ろの杜(もり)は氏子さんたちの尽力で辛うじて残されました。
一の鳥居から直角に二度曲がると拝殿に出ます。

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拝殿です。今日ここに参拝出来たことを感謝して参拝。

何年も前に地図を眺めていて「大神神社」という三輪山系の名前を見つけて、
「何故、福岡にあるのだ!」と思って、すっ飛んで来た事があったのですが、
最近の地図では、この神社名は見当たりません。
あちこちで人に尋ねてようやく辿り着きました。
何のことはない、この町のメインストリート沿いにありましたよ。
再び訪れた今、この神社の歴史的な背景が分かるようになっていて、
新たな感動を覚えます。境内にある由緒を読んでみましょう。
(現代語に変えます)
大神神社略記
鎮座地 福岡市東区高美台2丁目208番地
御祭神 大物主大神(大神大明神)を奉斎する。
   出雲大社と並ぶ大神神社(大和国一ノ宮)の分社である。
   貴船神社 荒神両社は末社である。
御由緒 神功皇后が御征韓の節、大和の将兵が此の地に駐屯の折、
    勧請したるものと伝えている。
    立花城主は守護神として特に崇敬厚かった。
    永禄10年9月8日 宗像大宮司氏貞、許斐左梅大夫氏備の軍勢が上和白村に乱入して
    民家を焼き払う。立花城代の奴留湯(ぬるゆ)入道が馳せ向って、応戦奮闘。
    双方討死の侍、雑兵ともに二百余り出た。

    黄昏になって敵は許斐岳を目指して引き揚げたので、その夜は奴留湯入道の軍勢が
    ここに陣取って夜警し、翌9日立花城へ勇ましく凱旋した。
    城主・立花道雪公より、燈明、田二反八畝十歩御寄付あった。
    近くに陣畑、陣作などという地名がある。 (後略)
この神社では神功皇后の弥生時代と立花道雪の戦国時代に大きな事件がありました。

神功皇后の時代には、亡くなった仲哀天皇が率いていた軍勢がここに駐屯しました。
しかし招集していた諸国の軍勢が集まらなかったので、神功皇后は
大三輪の社を建てて太刀と矛を奉納しました。大三輪の神とは大物主の神です。
祟り神として、この時代にも畏れられていたのがこれで分かります。

同じような話を旧三輪町の大己貴神社(大神神宮)でも書きました。
貝原益軒はこの福岡市の大神神社の事を知らなかったようです。
伝承の厚みや時間的な流れから考えてみて、日本書紀に書かれていた
「大三輪の社」はここであると考えて間違いないでしょう。

志式神社の氏子さんから話を伺った時にも、
この神社が神功皇后ゆかりの神社だと話してありました。
神功皇后が奉納するのが刀と矛というのもこれまで何度か出てきましたね。

軍備上どんな地形なんだろうとバス通りを歩いてみたら、ほどなく頂上に出ました。
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家々が無かったら、四方が見渡せるような高台です。
頂上は四つ角になっていて、公園がありました。
その向こうには、あの立花山が間近に見えてびっくりしました。
聖なる山を頂く高地はまさしく古代の人々が好んで営む土地です。
ここでは登り窯古代製鉄の跡も発見されています。
地元で武器を製造出来る利点もあるような立地でした。

それから1000年以上経って、戦国時代に起こったのは
近隣の国の宗像氏貞たちが攻めて来たという事件です。
立花山城からの軍勢がそれを迎えて、ここを死守しました。
この高美台が軍事的に重要拠点だったのがよく分かります。

この高台が団地化する時に、氏子の方々が鎮守の森を買い上げて
神域を守りました。ありがたい事です。

境内を歩いてみると、なんと古墳も残されていましたよ。
次回はその宮前古墳群に行って見ましょう。

地図 大神神社 香椎宮 志式神社


『古事記の神々』は「神功皇后(7)新羅攻撃」を出しました。




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by lunabura | 2011-03-23 17:21 | 大神神社・おおみわ・福岡市 | Trackback | Comments(4)

勾玉の作り方/出雲 玉作湯神社ほか


勾玉の作り方
出雲 玉作湯神社ほか


前回は石のビーズの作り方を出しましたが、今回は勾玉の作り方です。

勾玉って弥生時代から古墳時代のものかなと思っていたのですが、
縄文時代のものを資料館で見た事があります。
それは1cmほどの、大変小さなものでしたが、角ばりながら曲がっていました。
まだまだ原初的な形ではありましたが、
こんな昔から勾玉が愛されていたのを知って驚きました。

ずっと昔の教科書で勾玉は日本固有のものだと習ったのですが、
伽耶展で王冠にジャラジャラと勾玉がついているのを見て衝撃を受けたのを覚えています。
(今の教科書はどうなってるのかな?)

このように古代の環日本海で愛された勾玉ですが、
ある時から出雲の勾玉が大流行しました。その理由が「穴」だったのです。

そんなお話がNHKテレビで放送されていました。

石に穴を開けるには片方から開けて突き通すか、両側から開けます。
両側から開けると穴がずれて、貫通させるのは難しいんですね。
穴がずれた勾玉を実際に見たことがあります。
それをきれいに貫通させた点で、出雲の勾玉は一躍ブランドになったそうです。
(もちろんその石の美しさも!)

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その具体的な資料が出雲の玉作湯(たまつくりゆ)神社にありました。
テレビで玉作湯神社の宝物殿が紹介されました。

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これが勾玉の「荒作」です。すでに少しカーブが生れています。
これがあんなにピカピカになる?どうやって磨くの?
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工房跡から出た出土品を並べると、その謎がよく分かります。
手前の一番の左に勾玉があります。
それを見ると左から、「荒作」「完成」「仕上げ」となり、最終的には半分の大きさになっています。

中央にあるのは管玉。右は丸石です。
奥の左には砥石があります。これで手作業でコツコツと磨いたんだ!
中央には石の棒がありますが、これで凹カーブを研磨したそうです。
根気がいりそうですね~。
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これは穴を開ける為の道具です。
上の方にある、十字になっているものが錐(きり)で、先端は鉄です。
縦横の棒に糸を絡めていますが、これがバネのような働きをします。

右の板の上の勾玉を見ると、荒削りの段階で板の穴に
半分沈めて固定しているのが分かります。(これがポイントみたいだな。)
手前の器には研磨剤が入っていて、穴に箸(らしき棒)で入れます。
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これは資料館の人形です。左手で石を押えて、右手で棒を上下させます。
その土台を見ると、丸太で、穴が開けてあるのが分かります。
なるほど、こうしたら勾玉が動かないので効率よく穴が開けられます。
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石に穴を開けたらいよいよ成形と研磨。
これが砥石です。磨かれて筋が出来ていますね。
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これも砥石ですが、側面を磨いたためにハート型のカーブの溝が出来ています。
こうして全体が磨き込まれました。
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見事ですね!深い色に光沢があります。
右下の分なんか穴開けの最初が失敗してますよ。(つなげば見えないさ。)
やっぱりかなり難しいんだ。
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これは青森県の丹後平21号墳から出土した勾玉群です。
すごいですね!赤色がきれいだし、緑も白も極上。
手にした時の質感が、想像するだけでも、ずっしりとした重みとして伝わって来ます。

7世紀後半という事は、天智天皇の時代ですね。
倭国が新羅と戦っている時代です。
青森にはすごい大王がいたんですね!(もう大王とは呼べない時代か…。)
全国の支配階級の人たちがこの出雲の勾玉を愛した証に、
筑紫でもやはり出雲製の勾玉が出土していますよ。(伊都国歴史資料館)

この石の産地はすぐ上流にありました。
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花仙山です。約200mの山で、勾玉の赤や緑の石が採れます。
産地と工房がそばにあるんですね。7世紀から10世紀の製鉄所跡もありました。
出雲には鉄の文化があるから、キリや箸など良い道具が作れた訳です。

勾玉製作を支える背景が探れる興味深い地域です。
今でも、この地では勾玉が作られて、毎年皇室に納めているそうです。
玉作湯神社は有名なパワースポットですが、古代史を楽しむのにも魅力的な神社です。

松江市立 出雲玉作(たまつくり)資料館
http://www.town.tamayu.shimane.jp/shiryoukan/index.html


地図 花仙山 出雲玉作資料館

地元の方、お勧めコースを教えて下さいね!
また、製鉄所は意外と新しいのしか出ていないのですね。
出雲全体ではもっと古いのが出ているのではないでしょうか。




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by lunabura | 2011-03-20 14:42 | 勾玉作り方・玉作湯神社 | Trackback | Comments(8)

地震雲教室の開催のお知らせ


地震雲教室の開催のお知らせ

真鍋大覚氏の「日本地震雲研究会」を受け継ぐ
「新地震雲研究会」会員による「地震雲教室」を開催します。

日時 第一回 4月9日(土) 午後6時~9時
    第二回 4月16日(土) 午後6時~9時

会場 自然食と喫茶 くるま座 (人数が多い時は変更があります。)
   福岡県春日市千歳町1-24 (JR春日駅から歩いて3分)

講師 中島 茂 (新地震雲研究会会員)
会費 500円

内容 第一回と第二回の内容は違います。
   1990年頃撮影した地震雲が出来るようすを捉えたビデオ
   雲仙普賢岳噴火当日の地震雲
   阪神淡路大震災の前の地震雲
   北海道東方沖地震 M8.0の地震雲
   ほか

申し込み 電話で予約の上、お越しください。(人数把握のため)
 092-592-8903  (くるま座)

駐車場がないので、春日市 クローバープラザの駐車場や、
春日駅前100円パーキングを利用して下さい。

変更がある時には、当ブログに出します。最終確認をしてお越しください。
当ブログのカテゴリでは「地震雲教室」とします。

次回ご覧になるときには記事の中に埋没すると思いますので、
カテゴリの「地震雲教室」か検索欄を利用して下さい。

地図 くるま座





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by lunabura | 2011-03-20 00:42 | <地震雲教室> | Trackback | Comments(0)

夜臼・三代遺跡群・石のビーズの作り方


夜臼・三代遺跡群
ゆうす・みしろ
石のビーズの作り方
福岡県新宮町立歴史資料館

各地の資料館に行くと、滑石で作った灰色のビーズを見かけます。
丸玉や管玉があり、その穴をどうやって開けたのかが謎でした。

ビースでネックレスを作った事のある人は分かるでしょうけど、
手芸品店で買ったビーズ穴に針を通すだけでも、ひと手間がかかります。

ガラスビーズの作り方は福岡市埋蔵文化センターで解決しました。
針金に粘土を巻き、ガラスを巻きつけるという方法です。
那の国ではガラス製品を作っていたし、インドから伝わったりもしていました。

でも、石のビーズ玉の穴はこうはいかないのです。
考古学関係の本を見ると、石をビーズ型に研磨した後、
最後に穴を開けるように書いてありました。
そんなあ…。あんなに小さな石は後からは決して開けられない。
いったい3ミリの小石をどうやって固定するのだ…。
という、人様にはどうでもいい不満が新宮町の歴史資料館で解決!
やっぱり、先だよね。穴を開けるのは。

さあ、あの有名な夜臼の遺跡群では土器以外の工房がありました。
その石の工房で発見された未完成品を並べるとこうなりました。

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左から順に見て行きましょう。
1.まずは原石の滑石です。剥離が簡単そうな石ですね。
2.それがさらに小さく割られました。
3.固い石でこすって研磨して、フラットな石になりました。

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4.それに筋をいれて板チョコのように準備しておきます。

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5.その格子の中央に穴を開けます。さらに薄くして、チョコを折るように切り離します。

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6.砥石にかけて周囲を丸くします。
(最後の最後まで本当に削れるのかな…。つまめない。何らかの工夫がもう一段階要りそうですね。)

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7.そして完成。こんなに豪華なネックレスが出来ました。
ペンダントヘッドまで考案してますよ。イアリングにしたのかもね。
左上にある勾玉はまだ穴が開いていません。
この大きさだったら、あとから開けられるんですね。
(この前、人丸古墳の滑石の臼玉を載せてないけど、こんなのだったのかな。)

さて、夜臼と言えば土器が有名です。
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これが、教科書に載っている「夜臼式土器」です。
この形、板付遺跡にもありましたね!注ぐ時に水がこぼれないようなデザインです。

縄文から弥生にかけて、この新宮町の丘陵地帯では、かなり豊かな暮らしをしていたのが分かりました。
朝鮮半島からの技術もバンバン入って来ていました。ここは那の国の一部です。

地図 新宮町立歴史資料館(シーオーレ新宮 4階)


朝鮮通信使の研究をしている方はここに資料がありますよ。

ガラスビーズの作り方 ⇒「伊都国」三雲・井原遺跡でビーズが計1万個以上出土。
                 黄色や紫は日本では作れなかった。

夜臼式土器の出土⇒ 板付遺跡(1)弥生館 弥生人の足あと・縄文水田もあったって




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by lunabura | 2011-03-11 10:38 | 石ビーズ作り方・夜臼三代遺跡 | Trackback | Comments(0)

宮地嶽神社 サクラが咲いた sanpo


宮地嶽神社 3月
開運桜と寒緋桜

天気がいいけど、風が冷たいよ。
今年は桜を見に行くのが遅れちゃった。
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開運桜。
あいかわらずのピンボケで失礼。

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ちょっと遅かったけど、こんな姿もきれいだよ。

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次に咲くのは寒緋桜。
拝殿のすぐ横のとても大きな桜。

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どう?御神体山と一緒に、おすまし。

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まだ、一分咲きとも言えないほどだけど、
これから花が開くと、メジロたちが大集合します。

今年もみんなで開運~。




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by lunabura | 2011-03-09 18:01 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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