ひもろぎ逍遥

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今日は月末だった (+_+)


あれ?今日は月末なんですね。
私、なんと12月のカレンダーを見ていた…。

原稿は書き終えて、推敲をしています。
一社一社を紹介しながらも、全体のストーリーも楽しめるようにと考えていますが、
文章力を付けるには、何しろ書くしかない…。
そして推敲。

頭の中は弥生時代と平成の二重生活のような感覚です。

神功皇后伝承は各神社は単発の伝承なのですが、
それが線になり、面になった時、
仲哀天皇と神功皇后を迎えた国々や対立した国々、そして人々の暮らしが垣間見え、
それらが星座を作るように有機的に繋がっているのが魅力です。

遠賀川流域。筑後川流域、宝満川流域。糸島の国々。那の国の島々。
みんながつながっている。
それぞれに文化が有り、考古学的資料がある。そしてつながってる。

神功皇后という一つの時代を基準として、
それぞれの地域で伝承と考古学資料がまとめられたら、
筑紫の文化の夜明けが見えてくる。これ即ち日本の夜明け。

町おこしとして、それぞれの地域で、
文化マップが出来たらいいなとずっと思って来ました。
福岡の皆さんに自分の地域の歴史の深さにもっと気づいてほしい。
そう思うのでありました。










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by lunabura | 2011-11-30 20:03 | にっき | Trackback | Comments(6)

新たな歴史の認識


神功皇后の伝承を伝える百社を廻って、
熊鰐さんの末裔や、竹内宿禰の第四子、第八子の末裔の方々に会えました。
今でも各地で神官として祭祀をしてあります。
神功皇后の移動ルートが神社に残り、そしてそれぞれを祭祀する人々。

一方で、神功皇后が祈った神々を見て行くと、
荒ぶる神、祟り神など当時歴史の表舞台から消えたり抹殺されたりした歴史も
また浮かび上がって来ました。

それに、玄界灘から響灘にかけて、襲撃が繰り返され来たことも。
神功皇后、竹内宿禰、応神天皇などが、
異国から倭を守るために、各神社に御魂を鎮めている事も。

そんな歴史が人々に再認識されたらいいなと思いながら、
あとひとふんばりです。








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by lunabura | 2011-11-29 09:27 | にっき | Trackback | Comments(4)

あと少しなんですが


この数日、いくつものシンクロニシティが起こってます。
今の原稿書きが終わったら、新たなチャレンジが始まりそうです。

出版社には「11月中に原稿渡します。」
と言ったのですが、少し厳しいかな…。

こんな状態ですが、いつも見に来てくれてありがとうございます。









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by lunabura | 2011-11-27 23:16 | にっき | Trackback | Comments(2)

吉野ヶ里へ行きました



昨日は吉野ヶ里公園に行ってきました。
出雲王国展があっていたからです。
なんと縫い針があった!
現代とほぼ同じ寸法。骨で出来てました。
あの小さな穴も、管玉に穴が開けられる人たちだからお手のものでしょう。

一番の目的は物見やぐらから羽白熊鷲の居城のある古処山が見えるかどうか
確かめたかったからです。
古処山方面はあいにく森があって、確認出来ませんでした。

それにしても、物見やぐらは4棟も出来てましたよ。
逆茂木のおびたたしさといい、かなりの緊張状態です。
羽白熊鷲対吉野ヶ里はどんな関係だったのかな。

吉野ヶ里は久々だったけど、とても面白かったし、気持ちがよかった。
二時間でようやく半分見学したかな。
一つのクニがまるごと残されたのは奇跡!

佐賀の大和あたりは「吉野ヶ里公園」と「巨石パーク」がダントツに面白い!
古代史ファンへのお勧めスポットです。
記事はまた後日書きます。






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by lunabura | 2011-11-24 15:48 | 吉野が里歴史公園 | Trackback | Comments(0)

秦氏の末裔


今日は秦氏の末裔の方から、
秦氏について調べた手書きの本を貸していただく。

早く読みたいけど、今は我慢。
こんな貴重な資料はどう活かしたらいいのかな。





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by lunabura | 2011-11-22 18:18 | にっき | Trackback | Comments(6)

本を書いています。


本を書いています。

神功皇后の伝承のある神社のガイドブックを作る事にして8月から執筆しています。
自分で決めた締め切りが今日11月20日です。

毎週雨が上がると取材をして回りました。
取材してみると数がとても多くて、ついに100社で区切りを付ける事にしました。
そして、今日、100社目の取材を終えました!

100社目は福津市の楯崎神社です。
ここからは恋の浦が綺麗に見えるので、天気のいい日をずっと待ってました。


c0222861_16452847.jpg

これが恋の浦です。

すでに推敲を始めていて、そぎ落としの段階です。
なかなかブログの更新が出来ないのですが、
ブログとガイドブックをタイアップした新しいタイプを目指して頑張ってます。






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by lunabura | 2011-11-20 16:48 | にっき | Trackback | Comments(6)

老松神社(朝倉・下渕)熊鷲の本拠地が見える


老松神社(下渕)
おいまつじんじゃ
福岡県朝倉市下渕840
熊鷲の本拠地が見える
前回、「美奈宜神社(林田)」では、
佐田川の下流で水軍が一夜で陣営を作り上げて、
羽白熊鷲を挟み打ちにする作戦ではなかったのか、
と書きましたが、

その間、皇后軍の本隊は大己貴神社から古処山が見える場所に進軍しました。

c0222861_108203.jpg

松峡神社(まつお)から仙道古墳を左に見ながらいよいよ秋月方面へ。
写真の左端に見える円墳が仙道古墳です。左の山が阿弥陀が峯。
右の山は大己貴神社(おおなむち)の御神体山です。
この右側を廻り込んだ所に大己貴神社があります。
そこで見え始めたのは古処山(こしょ)。羽白熊鷲の根拠地です。
敵前逃亡者が現れたために皇后は大己貴神を祀りました。

そこからいよいよ川沿いに遡って行きます。
秋月に行くには二つの道路があるのですが、より山際の古道を行くと、
こんもりとした杜が見えました。

c0222861_108385.jpg

老松神社です。

c0222861_1085537.jpg

いきなりの大古木に先制パンチ。

c0222861_109149.jpg

古木の茂る神社でした。

c0222861_1093148.jpg

拝殿です。

c0222861_109497.jpg

秋月藩に近いからでしょうか、崇敬厚かったのがよく分かります。

c0222861_10104100.jpg

神殿です。新しく造成されたようです。

案内板があったのですが消えかかって、よく読めませんでした。
いろいろ総合すると、
皇后軍の秋月周辺の駐留地を「七ヶ森」と言い、
ここは「三府の森」(みふのもり)という陣営です。
皇后の丈競岩(たけくらべいわ)がここに移されているそうですが、
これは気づかなかったです。

c0222861_10103110.jpg

境内の裏手にまわると、古処山(こしょさん)がよく見えました。
二つの山の右の方です。
その手前の山には見張りがいるに違いありません。
その奥は秋月野鳥。羽白熊鷲の根拠地「のとりのたふれ」。

こちらからよく見えると言う事は向こうからも丸見え。
軍勢の数もすべて把握される地形です。
ここは平野のど真ん中。周りよりほんの少し高くなっている程度。
逃げも隠れもしない覚悟の陣営だったのが分かります。
川沿いに進めば道は敵の根拠地に通じる。


もうどこで戦闘が始まってもおかしくない。
直線でわずか5キロ。
向こうから進撃すれば1時間後に戦闘が始まってもおかしくない。
老松神社はそんな陣営の跡でした。


地図 老松神社 秋月野鳥










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by lunabura | 2011-11-17 10:16 | 老松神社(各地) | Trackback | Comments(2)

美奈宜神社(林田)(1)出雲の三神が神功皇后軍を助けてくれた


美奈宜神社(林田)(1)
みなぎじんじゃ
福岡県朝倉市三奈木4933
出雲の三神が神功皇后軍を助けてくれた

美奈宜神社は二つあります。今回は筑後川近くの美奈宜神社です。

c0222861_21573264.jpg

広い筑後平野の中です。西日が低い角度で射しこんでいます。

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赤くて瀟洒な山門が迎えてくれました。

c0222861_21581624.jpg

屋根のラインがシャープでかつふくらみがある、美しい形をしています。
屋根の色と赤い柵のコントラストもここちよいです。

c0222861_21584249.jpg

彫刻もまた素晴らしい。

c0222861_21592652.jpg

神前にお神輿がありました。そろそろお祭りでしょうか。

c0222861_220525.jpg

神殿の裏に廻ると巨大なクスノキ。境内が広いので、さほど大きく感じないほど。
さて、この神社の由緒書きを読んでみましょう。
式内大社 美奈宜神社 略記
御祭神(出雲三神)大国主命(大国様) 
素盞鳴尊(すさのお・祇園様)
事代主命(ことしろぬし・恵比須様)
縁起 今から1800年前、父君景行天皇の教えにそって、仲哀天皇は皇后と熊襲を征伐されたが、不幸にも病にかかり崩御された。皇后はこの事を秘し、その根幹新羅を討つべく、出師(軍隊を出す事)の計画を立て、兵員を集め、兵船、軍器の準備を整え、神々を祭って本邦最初の外征に肥前名護屋から出征して行った。

この神社は出雲の三神が祀ってありました。
この由緒書きには少し独自の伝承が見られます。
仲哀天皇の父を景行天皇としている点。(日本書紀では父は日本武尊)
仲哀天皇は熊襲を討ったあと病死。(日本書紀では熊襲征伐前に崩御)
(これらについてはよく分かりません。)

「韓半島への出港地は肥前名護屋だった。」
これについては、久留米市の赤司八幡宮でも同様の伝承があり、
この筑後川流域の船団は佐賀県の唐津市の玄海灘側に集結したと考えられます。

 皇后は航海中船中で大己貴命素盞鳴尊事代主命の三神に戦勝を祈願された。海上つつがなく船は新羅の港に投錨し、上陸して戦端は開かれた。戦いは連勝し、三カ条をもって降伏し、大勝利を収め、高句麗、百済も来貢し、肥前、高橋の津に凱旋された。そのあと戦争に勝利を祈られた三神を祭られた。その神が美奈宜神社の三神である。

主な祭礼 1月1日(歳旦祭) 4月29日(春祭)7月30日(夏越、茅の輪)
 10月17日(神課祭)10月21日(おくんち)御神幸 
11月最終日曜日(新嘗祭)
県指定無形文化財(蜷城の獅子舞)おくんちに奉仕
弘化4年(1847)1650年祭執行
白鷺塚 三神奉賛の地は白鷺が羽を休めた所で、竹の叢生する片延字鷺塚一番地、白鷺塚である。  (一部分かりやすく改変)

神功皇后は航海中にこの出雲三神に戦勝を祈願して勝利を得たので
白鷺の止まった竹の生えていた所にこの三神を祭りました。
それがこの美奈宜神社の始まりです。

皇軍の帰港地が肥前高橋の津になっています。
(この場所ごご存知の方教えてくださいませ。)

話によると、唐津から有明海は船で往来が出来るとか。
モーターボートでそのまま通る事が出来るそうです。
大川市の風浪宮では外海を通って帰るルートを推定したのですが、
多島海の時代は、けっこう大きな船も通ったのかな。
(これも詳しいルートが分かる方教えてください。)

さて、神功皇后が出雲三神に祈った話ですが、「福岡県神社誌」を見ていたら、
また少し違う伝承が出ていました。
神功皇后が新羅を討征する時、船の中で大己貴命、素盞鳴尊、事代主命の三神に将軍の治要を祈られ、異賊を討ち平らげ、肥前国杵島郡高橋の津に上陸した時、素盞鳴尊などの神助により、山の中に薬湯を見つけ、軍兵の創傷を治療し疲れを癒したので、皇后は「あな嬉しや」と言ったので、ここを嬉野村(うれしの)と呼んだ。

皇后は凱旋の途中、三神の垂迹の地を定めようと白鷺が降りた所で祈ろうと放つと、下座郡の大沼の竹が生えた所に鷺が宿ったので、皇后は摂政として治世した時にここに宮を作った。

(治要とは国を治める最も大切な事柄という意味。)
「嬉野(うれしの)」といえば「嬉野温泉」で有名ですが、その始まりは帰国後の
兵たちの傷を治すために出雲の三神の神託で温泉を見つけたという事なんですね。
(意外な所から意外な語源が出て来ました。地元ではどう伝えているのでしょうか。)
ここでは出雲の神々は病を治す神としての働きでした。

で?
神社に書かれていた由緒は羽白熊鷲攻略とは関係ありませんでしたね。
ここにはもう一つ伝承がありました。
それは美奈宜(みなぎ)という言葉に込められた伝承でした。 (つづく)

地図 美奈宜神社









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by lunabura | 2011-11-16 22:10 | 美奈宜神社・寺内・林田 | Trackback | Comments(2)

美奈宜神社(林田)(2)一夜で蜷が城を作った・羽白熊鷲を挟み打ちか?


美奈宜神社(林田)(2)
一夜で蜷が城を作ったという伝説
羽白熊鷲の拠点を挟み打ちにした?


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もう一つの伝承です。
蜷城(ひなしろ)の名の由来
昔むかし(約1800年前)古処(こしょ)の山から見下ろした里には筑後川が流れ、よく土地の肥えた豊かな村がありました。

 しかし、古処の山には羽白熊鷲という悪者が住んでいました。時どき山をおりてきて、村人を苦しめました。村人は本当に困りました。
 神功皇后が九州におみえになったとき悪者退治をお願いしました。

 皇后さまは神様にお祈りされて「この潮干玉を使って川の水をからにし、川蜷にたのんで一晩のうちに城を作り、今度は潮満玉を使って一度に水を入れ、水攻めにして滅ぼしなさい。」とお告げになりました。
c0222861_23353762.jpg
 
 皇后様は川蜷を呼んでたのみました。一晩のうちに立派な城ができました。羽白熊鷲がせめてきましたが、水攻めにあい、滅ぼされていましました。
 
 このあと、村は静かな平和な村となりました。神功皇后様は神様をお祭りするお社を建てようと思われ、一羽の白鷺をお放ちになりました。「白鷺の降りた所にお社を建てたいと思います。どうぞその場所をお示しください。」と申されました。

 白鷺は空に舞いあがり、筑後川に沿ってしばらく飛んだ後、こんこんと清水の湧きでる所に舞おりました。

 皇后様はそこを白鷺塚と命名されその近くに神様を祭るお社と建てられて、美奈宜神社(蜷城(みなぎ)=美奈宜)と呼ばれました。また川蜷が守ってくれた村里をニナシロと呼びました。ニナシロがだんだんなまってヒナシロとなりました。

蜷城の守り神として美奈宜神社は今もみんなを見守って下さっているのです。
(宗像大社、美奈宜神社の縁起より記す)
平成13年1月1日 蜷城地区振興会 (一部改変)

c0222861_23352122.jpgこの伝説では「川蜷(かわにな)と干珠満珠」が大活躍です。
羽白熊鷲との戦いの戦術として、これらの伝説的な要素から骨子を抜き出すと、
   一夜で城が作られた。
   水を利用した戦術が立てられた。
という事になります。

そこで、るな的に考えた。
神功皇后の本隊は大己貴神社辺りにいるのですが、川を遡るために
敵の目をそらしたのではないかと、前に書きました。

そして、この美奈宜神社の伝説から推測したのは
ここに水軍たちが夜中に集結して、一晩で陣営を築いたのではないか
という事です。

夜明けとともに平野部に突如現れた陣営。
「まさか。佐田川の河口に?」熊鷲はそう思った事でしょう。

小石原川から敵が攻めてくる事を前提に戦術を練っていた羽白熊鷲は
佐田川への対応を迫られて急いで軍を二手に分けた。
そして精鋭隊に敵陣を攻撃させた。

この時水攻めがあったとすると、
水軍は川の水を堰き止めて敵の通れる道をわざと作り、
敵が攻めて来た所で堰を切って川の水を流した。
そんな戦術を考えて見ました。

皇后軍は挟み打ちにする作戦だった。
こうして、野鳥(のとり)あたりの熊鷲の陣営が佐田川の敵に対応する隙を狙って、
本隊は一気に小石原川から攻め込んだ。

ま、るなの想像しうる素人戦術ですが…。次回は皇后軍の本隊に戻りましょう。

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by lunabura | 2011-11-15 23:39 | 美奈宜神社・寺内・林田 | Trackback | Comments(2)

筥崎宮・若鷹たちよ。名古屋で暴れて来い!


筥崎宮
はこざきぐう
若鷹たちよ。名古屋で暴れて来い!
 
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八幡さまも応援してるよ!
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by lunabura | 2011-11-15 00:01 | (ハ行)神社 | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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