ひもろぎ逍遥

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東郷神社(2)フィンランドに東郷平八郎ビールがあった


東郷神社(2)

フィンランドに東郷平八郎ビールがあった

Kさんが青春時代にシベリア鉄道を通ってヒッチハイクをした時、
「北欧は親日だから日の丸をつけていったらいい」とアドバイスされ
日の丸を付けて旅をした。
そしてフィンランドに入ると、「ヤパニスカ!ヤパニスカ!」
と色んな人が声を掛けて来たという。

そして店に入ると「トーゴービール」があった。
ビールのレッテルには東郷平八郎の胸から上の肖像が描かれていたという。

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多分この写真だろう。向こうでは英雄だそうだ。
(追記 Kさんに確認したところ、帽子をかぶっていて、上半身のイラストだったそうです。)

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これは若いころの東郷平八郎。

Kさんは東郷の名前は知っていても、
どうしてフィンランドで有名なのか分からず、
出会った日本人に教えてもらったという。

フィンランドはロシアに虐げられていた。
そんな時小さな国である日本が勝利したので勇気を得たのだ。
後の独立に影響を与えた戦いだったという。

東郷神社の御祭神は東郷平八郎ですが、日本兵もロシア兵も共に祀っています。
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(渡半島から日本海海戦の海域を望む。)


地球上で一切の戦いが起こりませんように。



東郷神社(1)は サイドバー→(タ行)神社→東郷神社(1)




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by lunabura | 2012-09-25 11:34 | (タ行)神社 | Trackback | Comments(4)

魏の曹操の陵墓が発見されていた


魏の曹操の陵墓が発見されていた


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曹操 チャン・フォンイー

先日、レッドクリフⅡを途中から見ました。
状況が分からぬまま、釘づけになったのはその衣装や武器。

ちょうど中皇命のイラストに弩を描いた翌日だったので、
弩(ど)がどうなってるのか、一瞬の映像を目に焼き付けました。
日本で出土している弩に比べたら随分短い。
しかも、なんと10連射出来るというので、ぶったまげ。
いったいいつの話?
確か弥生時代のはずなのに。

あとで調べると赤壁の戦いは208年。
やはり弥生時代。
神功皇后が新羅戦から帰ったすぐあと。
卑弥呼もいた時代に、あれほどの船があったとは。
時代考証は大丈夫なのだろうかと心配になりました。

安曇族たちは中東へ往来するのだから、あの造船技術を知らないはずはない、
てな事になってしまう…。

日本人の作っている弥生時代のイメージってもしかしたら貧相過ぎるのだろうか?
そんな心配が生れるほど、映画の描く208年はすごかった。

甲冑姿はマントを付けていて、ローマ風。
これは、ローマ軍がシルクロードの中ほどまで行った記録があるらしいので、
その影響があった事は十分考えられる。

そんなこんな。
興奮も冷めやらぬ翌日、またもや新聞切り抜きが変な所からはらりと…。

それは魏の曹操の墓が2009年に発見されたという記事でした。
(西日本新聞)

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映画を観たあとだから、イメージが作りやすいですね。
曹操の亡くなったのが220年なら、あの赤壁の戦いでは亡くならなかったんだね。
この陵墓はその後はどうなったんだろう。
後報が知りたいな。
それにしても、魏志倭人伝って、この魏が滅びた後に出来た本だったっけ。








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by lunabura | 2012-09-22 02:28 | 魏の曹操の陵墓 | Trackback | Comments(12)

またもや


またもや遅れていますね~。
つづきを早く書きたいのですが、
神功皇后のガイドブックの地図を描いている最中です。

すでに、私のブログを参考にして神社巡りをして下さっている方もあるのですが、
(ありがとうございます (^。^))
出版社の方が忙しくて、ようやく私の本を作る番が廻ってきました。

地図を描いていると、天皇軍を出迎えた筑紫の人達の事をもっと知りたいと
思う気持ちが強くなります。

熊鰐さんとか、五十迹手さんとか、田油津姫とか。
田油津姫は神功皇后を小山田斎宮で暗殺しようとして殺されたという伝承もあるので、
いったい二人はどうしてそんな事になってしまったのだ、とか。

大和町や豊の国で出迎えた各地の女性たちは
料理を作っていてくれたり、灯籠を持って待ってくれたり。
それが倭国の人たちなのですね。

そういえば、
神功皇后の伝承地には必ず神籠石があるよねと友人が言っていましたが、
女山(ぞやま)や高良山の場合は竹内宿禰が鬼に作らせたという伝説になっています。
鶏が鳴くと鬼たちは慌てて…。
(さすがに、ブログに書く気にならなかった…)

神籠石はいつのもの?

神功皇后が高良山の神籠石に祈ったのは分かるけど、
その当時、八葉石(いわゆる神籠石)があったかどうかは不明。
糸島市の神籠石の所は仲哀天皇と一緒に通っている。

これらの伝承から神籠石は既にあったのかなと思われるけど、よく分からない。

生立八幡宮あたりからの帰路に鹿毛馬神籠石の看板を見つけた時は、ホント寄りたかった。
神籠石の分布は福岡の水系から調べると、
各水系の河口あたりを守るように築塁してあるらしい。
これも確認したら面白そう。

あれやこれや、謎が多いけど、各地の神籠石の近くの方、
現地調査やってみてくださいね。







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by lunabura | 2012-09-19 13:23 | にっき | Trackback | Comments(4)

ウチ考(1)『古代史の十字路』から


ウチ考(1)

 『古代史の十字路』から
 

図書館で本を返して帰ろうとした時、キラキラ光る本が目に止まりました。
手にすると、『古代史の十字路』というタイトルでした。
「古代」という単語にめっぽう弱い私は著者を見てびっくり。
古田武彦と書いてありました。

本を開くと「那珂川」と「内」の字が見えました。
ちょうど那珂川町の古墳と伝承を書いている最中で、
「内」の噂をブログのコメント欄でしたばかりでした。

この共時性に乗っからないと。

そこで、長い間気になっていた「内」という地名と姓について
これまでの事を整理する事にしました。
終着点に辿り着くかどうかは見当がつきません。

図書館で借り出しの手続きを済ませて、「内」が出て来る
「第七章 太宰府の「中皇命」(なかつすめらみこと)」の歌」
を何度も読み返して、ようやく古田説の概要が分かって来たのですが、
この長歌を口ずさむと、私なりの解釈が生まれました。

2か所ほど古田氏と違っていますが、私なりに万葉歌を楽しんで訳してみました。
左が古田氏の書き下しで、右が私の口語訳です。
天皇 宇智の野に 遊猟(みかり)したまふ時、  天皇が内の野で狩をされるとき、
中皇命の間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして 中皇命が間人連老に、献上するように
献(たてまつ)らしめたまふ歌          命じられて作った歌

やすみしし わが大王(おおきみ)の      八方を治める私の大王(天皇)がお仕えする
朝(みかど)には とり撫(な)でたまひ     朝廷―中皇命が 朝には撫でるように手入れされ、
夕(きさき)には い倚(よ)り立たしし      夕方には 寄りかかって立たれる
御執(みと)らしの 梓の弓の          手にされた 弩弓の
中弭(なかはず)の 音すなり          引き金の音がする
朝猟(あさかり)に 今立たすらし        朝狩に 今、立たれるらしい
暮猟(ゆふかり)に 今立たすらし       夕狩に 今、立たれるらしい
御執らしの 梓の弓の              手に取られた 弩弓の
中弭の 音すなり                 引き金の音が聞こえて来る

反歌                     反歌
たまきはる 内の大野に 馬並(な)めて    内の大野に 馬を並べて
朝踏ますらむ その草深野            朝 踏み分けて走る 草深い野よ

(第一巻 第3・第4番)

この長歌は万葉集の第1巻の第3番目に出て来るという勇壮な歌ですが、
この詞書(ことばがき)に登場する3人「天皇=大王」「中皇命」「間人連老」の中の、
「中皇命」という人が謎の人物として、古来、論争されているそうです。

「中皇命」
確かに名前の一部の「皇」というのは誰もが使えるものではありません。
そして、歌の中では「天皇」の方を「大王」と、一つ下の身分で歌っています。
天皇より中皇命の方が偉い事になります。

それに加えて、
歌の中で「朝庭」という漢字が使われているのも、ただならぬ身分を示しています。

古田氏は「朝庭」は「朝廷」の事で、「天皇家」のそれ以外にも在ったと解いています。
確かに、「倭国」と「日本国」が併存していた時代があるのですから、
倭国の天子に「中皇命」という人物がいて、日本国の天皇を「大王」と謙譲するのは
話としてシンプルです。

太宰府を「遠の朝廷(とおのみかど)」と言うほどですから、
九州に「朝廷」があったのは歴然としています。

この歌は天皇が間人連老を連れて九州の倭国にやって来て、中皇命に面会し、
狩好きの中皇命が内野に出掛けた時、天皇も同行して、
間人連老が中皇命の狩を寿ぐ(ことほぐ)歌を献じたと読み取れます。

行った場所は内野。
そう。飯塚市にありますね!
ずっと遠い所の話かと思っていたら、なんと福岡県にその舞台があるという。
俄然、興味が大きくなりました。

そして、ここからが古田氏と違うのですが、
古田氏は「朝庭」を「みかど」、「夕」を「きさき」と読んでありますが、
私は「朝庭」を「あしたには」、「夕庭」を「ゆうべには」と、そのまま読みました。

日本語の文章は「主語」が変わらない時は二つ目の主語は省略するという
基本によって解釈しています。

また、「中弭」(なかはず)は弓にはあり得ないので、那珂町の「那珂で作った弓」と
氏は解釈されていますが、私は弩(ど)ではないかと考えました。

弩なら中央に引き金(板機)があって、音がするからです。
倭国の天子が持つ物として弩はふさわしい武器です。

狩に出立する前に、照準を合わせたり、矢をつがえたり、はずしたりと、
撫でさするように愛器をいとおしむようすが思い起こされます。

また、狩を終えて馬から降りてから愛器をステッキ代わりにして立つ姿が
「い倚(よ)り立たしし」ではないかと思いました。

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こんな感じです。
朝はまだ冑をかぶっていませんが、
狩を終えた時は冑をかぶったままにして描いてみました。
(古墳時代の鎧冑を着せたので、時代が変かな。
靴も古墳に描かれる、とんがりブーツです。)
雰囲気が伝わればと未熟なりに頑張りました。(汗)
(時代考証の参考資料があれば教えて下さい。)

つくづく思うのですが、
美豆良って、冑をかぶるのに必要な髪型なんですね。
(長髪を後ろに束ねても邪魔になるし、韓国のように頭頂でまとめるとかぶれない。)
ズボンを絞るのは馬に乗るためだな。
埴輪に見られる髪型や装束は武人にとって合理的な姿です。

以上、私なりの「中皇命」でした。

そして、反歌を読んでびっくり。
たまきはる 内の大野に 馬並(な)めて 朝踏ますらむ その草深野

「たまきはる 内」。
これは以前、訳する時に、ずいぶん考えた枕詞だったのです。
あの人の時ですよ。ほら、あの人。

(つづく)









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by lunabura | 2012-09-15 00:16 | ウチ考 | Trackback | Comments(6)

萩沖海底火山


萩沖海底火山


西日本新聞 2011年11月26日 朝刊

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1000万年前の日本海の火口が発見された記事で、もう一年近く前のものですが、
今日はこれをUP。

どうしてこの記事を保存していたかというと、
真鍋氏が玄界灘の火口について記述していたからです。

玄海灘を渡る船が火口の上を通る時、
お鉢にあたる周縁部は波が立って危険だが、いったん火口の中(上)に入ると
波が無くて安全だという話でした。

小戸神社のある小戸ヨットハーバーはそんな火口がつくった湾にあります。

海人族はこれを熟知していたんだなあと思っていたけど、
検証が出来なかったので、ちょっとだけ「高天原」の所に書いただけでしたが、
この記事を見てやはりそうだったんだと納得しました。


玄海灘沿いに良質の砂鉄があった理由はこの海底火山の噴火によるもので、
異変が起こると、海岸に砂鉄が打ち上げられて真っ黒になるそうです。
それがつやつやとしているので、地震ナマズと恐れられたとか。

志賀の島の海岸線の砂浜を見ると、玄界島に面する方は黒く、
新宮側はきれいなベージュをしています。


真鍋氏は必ず玄界灘の海底噴火が再び起こると予言しています。

ただちに日本も韓国も原発の津波対策を取った上で、廃炉にしないと
私達は住む大地を失います。

子孫に汚染されていない国土を伝える事が出来なくなります。
それは韓国も同様なのです。

争っている時ではありません。








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by lunabura | 2012-09-14 10:53 | 萩沖海底火山 | Trackback | Comments(5)

生まれ出そうとするもの


新しい作品のイメージが生まれています。
ずっと描きたかった古事記の姫神たちの作品なので、
その世界に浸ると、なかなか現実に戻って来れません。

そこで、今日は心の整理もかねて、
これまで切り抜いた新聞記事をファイルしています。
反故になったA4の裏紙に一枚ずつ張り付けるととても探しやすくなりました。
切り抜きって、いざ探すと行方不明という事ばかりです。
(整理しないで困っているのは私だけでしょうが…。)

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こうして見ると、私の考古学の窓口は西日本新聞だなあとつくづく思います。

古い記事の中には、熊本の神社の木造の女神像なんかもあるのですが、
彼女に再会するためには数センチの切り抜きをかき分けて…
てな状態です。

日本の女神たちはアマテラスだけではないので、
いろんな生きざまをした女神たちを一つの作品にまとめたいです。






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by lunabura | 2012-09-12 11:09 | にっき | Trackback | Comments(9)

荒船神社(4)消えた神籠石の名称・阿志岐山城は何を守っているのだろうか


荒船神社(4)
消えた神籠石の名称
阿志岐山城は何を守っているのだろうか
 

さて、荒船神社が海神三神を祀る船着場だった可能性が大きくなったのですが、
もう一つ知りたい事がありました。
それは「阿志岐山城とは関わりがあるかどうか」という事です。

そこで取り出したのが『あつまれ!古代山城』(古代山城サミット実行委員会発行)
という、平成22年に発行された資料です。

その資料を見ると阿志岐山城については
神護石系山城 阿志岐城跡」という名称が付いていました。
(古代山城サミットでは、石塁があるものは(水城以外)すべて山城として、
朝鮮式と神籠石系に分けています。)

そして今年それが国指定になった時、「神籠石」の名前が消えていました。

いったい神籠石とは何だろう。
学界から神籠石の名称が消えていく理由は何だろう。
いろいろと考えさせられます。

ま、とにかく阿志岐山城を見てみましょう。
資料の写真をご一緒に。

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これは宮地岳を空から撮ったものです。
北の方から撮ったらしく、まるで蜘蛛か蟹がこちらを向いて
両足を広げているように見えます。

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次は一枚目の写真の中央から右寄りの付近の拡大写真です。
これには山城が赤線で示してありました。

これを見てあれれ!? と驚いてしまいました。
いったいこの石塁は何を守ってるんだろう。
赤線が囲んでいるのは谷なのです。

お城なら城主の住まいを守るように造るのでは?

説明文を読んでみましょう。
福岡県筑紫野市に所在する。平成11年に発見され、宮地岳(標高338.9m)の北西に面する標高約140~250mの山腹に立地する。

外郭の推定総延長は約2.3㎞で、そのうち列石を伴う土塁線約1・3㎞が確認されている。

城門や建物等の施設は未確認であるが、水門が3か所確認されている。その中で比較的良好に残存している第3水門は、谷を横断する石塁により構築されており、最大規模の施設である。また、列石を伴う土塁が複数ヵ所で調査されている。


c0222861_22172323.jpg

この地図は上が北で、前出の写真とは逆向きです。
もし城主の屋敷を建設するなら山頂部にしか平地がないのですが、
石塁はその山頂を守っている防衛線には見えません。

一番の問題は水門です。
水門が麓寄りにあるという事は、飲み水の確保にはならず、
籠城の時の役には立ちません。

これは城ではないのでは…。

そこで「谷を囲む神籠石」という視点で他を探してみました。
すると鹿毛馬(かけのうま)神籠石(飯塚市)がよく似た構造をしていました。

c0222861_22182649.jpg

川を挟んで神籠石が組まれています。
これも山城と書いてありますが、防衛施設には見えません。

狩野久・元岡山大学教授(日本古代史)は、阿志岐山城の性格を「白村江の戦いでの大敗後、中央集権的に築造された軍事防衛拠点の一つ」と解説した。

という文をネットで見つけましたが、
鹿毛馬神籠石と同様に防衛の意識が希薄な阿志岐山城を、
「中央集権的に築造された軍事防衛拠点」とするのは早計ではないかと思いました。

私はこの二つの神籠石に関しては
水を大量に使用する生産施設ではないかと考え始めています。

神籠石とは筑紫の古代史を歩むものにとっては大きな謎であり、
かつ、愛着が深いものです。
神籠石とは「神が籠る石」という意味です。

その名を消して、遠い近畿勢力に結びつけるより、
地元の倭国の施設として考えるのが基本ではないでしょうか。

いずれにしろ、今後の発掘成果に注目したいと思います。


さて、神籠石はこれくらいにして本題に戻りましょう。

c0222861_22191064.jpg

荒船神社が関連の地図に載っていないので、
いくつもの写真を見比べて推測ラインを赤色で描いてみました。
正確な地図が手に入るまで、これを載せておきます。

荒船神社は阿志岐山城から見ると麓にありました。
阿志岐山城を造ったり、維持したりする人々を乗せた船が停泊する船着場。
荒船神社はその上にある見張り場であり、祈りの場だと考えました。
この湊は「中つ海」を巡行する連絡船の船着場でもあったのでしょう。

宮地岳は周囲を取り囲むようにして神社がいくつも並び、
山中には童男丱女(どうなんかんじょ)岩という徐福伝説を持つ磐座もあります。

この宮地岳は久留米市の阿志岐などを含めた「中つ海文化圏」として
アプローチする方が、方向を見誤らないと思いました。

宮地岳については別の角度からいつかアプローチしたいと思います。

今回は沢山の情報をコメントやメールでいただいて助かりました。
ありがとうございます。 






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by lunabura | 2012-09-07 20:00 | 神社(ア) | Trackback | Comments(16)

荒船神社(3)蘆木氏は太宰府に直属していた


荒船神社(3)

蘆木氏は太宰府に直属していた


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ほんの少し石段を上っただけなのに、境内からの眺望は抜群です。
右側から宝満山の山裾が流れて、その先に丘陵地帯があります。

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太宰府はこの丘陵にあります。

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境内の正面鳥居からの眺め。背振山が見えています。
この境内から一望できる平地は川から湖沼へと変化して
一面の葦原となったのでしょう。
それが今は豊かな田園になっています。

通る船ははるか遠くでも掌握できる場所に神社はありました。
その古代の風景を眞鍋氏が伝えています。

アシキ
『儺の国の星・拾遺』p201アシカビ星
昔は舟人を「あきしき」或いは「あかし」といった。蘆木(あしき)はまさに太宰府に直属して千歳川の水行を司った氏族の名であった。

やがて「あしかひ」の名が現れた。葦の葉陰に船の帆影が遠く眺められる風景であるが、川水だけが岸の左右に高く茂った葦の茎の間にはるかに開けている光景が峡(かひ)であり、又往来の頻(しきり)なる風景が交(かひ)であったことになる。

祖先は暇(いとま)あり、憩(いこひ)あり、もって荘重にしてかつ優美な言葉で身の廻りのあれこれを自由自在に表現するだけの綽綽(しゃくしゃく)たる余裕があったものとみえる。

「あきしき」「あかし」「あしき」は舟人を指していました。
その中で蘆木(あしき)は氏族の名となり、
太宰府に直属して水行を司ったと伝えています。
千歳川とは筑後川の事です。
この蘆木川(あらふね川・宝満川)は筑後川に注ぎます。

葦の繁茂力は大変強く、小さな川では現代でもこの通りです。

c0222861_003162.jpg

山口八幡神社へ向かう橋の上から。宮若市)
完全に川を埋め尽くしています。

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これは生立八幡神社へ向かう途中の川。
水量が多いと、中央にはさすがに葦は生えず、船が運行できます。


「峡」(かひ)とは海峡のように、細長い状態を指していて、
葦と葦の間の細い視覚から船が見えるのを「あしかひ」と言い、
川で、葦の生えていない中央の流れを「かひ」と呼んで海峡のように見立てました。
これは船の上から見ないと生まれない言葉ですね。

そこを行き交う船の「交ひ・かひ」とも重ね合わせました。
宝満川~筑後川ならではの光景だったのでしょう。

舟人は川を遡る時は、必ず海の上げ潮に乗せる。これを昔は「あじろき」といった。海の魚も川の魚もこの時刻に水の垂みに集まるから、ここに杭を打ち並べて網を張り掬(すく)い捕る。これを平安時代には網代木(あじろぎ)といった。

この潮ざかい舟人の待つ泊り場であった。松峡(まつかひ)の名はすでに仲哀帝9(200)年にみえる。太宰府のありし古邑の地であった。

「かひ」の字は松峡(まつかひ・まつお)にも付いています。
この名が仲哀帝9年に見えるとしたら、神功皇后伝承のある松峡神社の事ですね。
夜須であり、層増岐野だった所です。(サイドバー⇒松峡神社)

何々?そこが「太宰府のありし古邑の地」だったって?
これはまた新たなテーマが (・.・;)。でも今日はパス。

阿志岐を発って筑後川を下り、赤司(アカジ)八幡宮を通って更に下ると
高良大社の麓に辿り着きます。
そこにもアシキという地名があったそうです。
(おぼろげなので、くじらさん、愛読者さん、教えてください!下の地図付近でOKですか?)

蘆木氏が掌握する湊々に「アシキ・アカシ」の名が付いているようです。

昔、千歳川と蘆木川は今の三井郡に巨大な沼を形成していた。

太宰府の大子(たいち)、即ち天官暦官は南の巨勢、北の葛城そして西の平群の山を
「月、或いは星の地、或いは日を巡るに似たり」と語っていたときく。

太宰府には大子という官職があり、
天体観測をして暦を作る最高官吏で、天子に直接面会が出来ました。

南の巨勢、北の葛城そして西の平群の山を
「月、或いは星の地、或いは日を巡るに似たり」と語っていた
というのは難解な言葉ですが、
これは大子が川を行き交う船を見て、空の星や月の運行に重ねたようです。

まずは巨勢・葛城・平群について。
福岡にはかつて葛城氏や平群氏がいたと伝えています。
場所がかなり分かって来ました。

c0222861_035681.jpg

これは近畿に移動する前の勢力図という事になります。

この三つの勢力地を連絡する船があったのでしょう。
それを太宰府が掌握していました。

川を遡るのには上げ潮を利用するという事は、一日に二回、遡る事が出来るのですが、
月の満ち欠けに連動しているので、朝だったり、昼だったり、変化する訳です。
ですから遡る船の時間を見れば逆に月の満ち欠けが分かる事になります。

その運航時間は月や星を見て決めるのでしょうが、
逆に言えば船の運航を見れば暦が分かるという訳です。

大子は夜には星を見て、昼には船が遡る様子を観察して、暦を確認したのでしょう。

「月、或いは星の地、或いは日を巡るに似たり」は
「月或いは星の、地或いは日を巡るに似たり」と句読点を打つと理解しやすいでしょう。
本当に美しい文言です。

この荒船神社の境内からも、それは良く見えたことでしょう。
川の舟人の暮らしは月の満ち欠けに直接関係していたのですね。

さて、ここまで調べると、御褒美がありました。
もう一人、尋ねていた人からの電話でした。

「荒船神社の祭神が分かったよ。無格社で、海神三神と書いてある。
隣の神社は老宮神社で字は七刀。祭神は菅原神。」

海神三神といえば志賀の綿津見三神でしょうか。

c0222861_045096.jpg

どおりで。
これは境内にあった船石。お汐井の砂が載せてありました。

そして。
何々?老宮神社の地名が「七刀」だって?菅原神なら熔鉄の神じゃん。
(つづく)





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by lunabura | 2012-09-05 00:06 | 神社(ア) | Trackback | Comments(20)

荒船神社(2)「ふね」とは褐鉄鉱・隕石の風化地層だという


荒船神社(2)
 「ふね」とは褐鉄鉱・隕石の風化地層だという


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祭神の手掛かりはないだろうか。
思いついたのは、他の荒船神社を調べてみる事でした。
そこで、ネットで見つけたのは、
--- 荒船山と古代の信仰のはなし その2 貫前神社と荒船山 ---
(略)
下仁田町の南野牧に「荒船神社」が存在します。
「經津主神」「建御名方命(たてみなかたのみこと)」の2柱を祀っています。
(略)
http://plaza.rakuten.co.jp/uchiyamawakuwaku/diary/200706020000/ 

これは長野県佐久市の神社のようです。
もともとは美女三女神を祀っていたのが、この二柱になったそうです。

「經津主神」(ふつぬし)と「建御名方命」だ。
あれ?
ちょうど『儺の国の星・拾遺』でオリオン座について調べていた時に、
「ふね」と「ふつぬち」という言葉が出ていたぞ。
こりゃまた偶然。

長いのですが、そのままの文章を書き写します。
(イイボとは蹈鞴の産物のことです。)
『儺の国の星・拾遺』p168 イイボ星 オリオン座 IC 434

陸奥出羽で砂鉄が地下に埋蔵されている地帯を船山(ふなやま)と言い、これを採掘する長者を船木という。

古事記神武紀には神八伊耳命(かむやいみみのみこと)の子孫に、陸奥(みちのく)の石城(いわき)の国造(くにのみやつこ)、伊勢の船木直(ふなきあたえ)の名がみえる。

「ふね」とは斧土(ふなつち)の略で、褐鉄鉱リモナイト(2Fe2O3・3H2O)の風化地層である。「き」とは技術者の古称であった。造る人と掘る人では別の氏族になっていた。

昔は「ふつぬち」といった。なお燃料になる亜炭泥炭を「ふるまき」といった。

陸奥北、下野結城(ゆうき)に「古間木」の名がみえる。「まき」とは薪木即ち燃料で、昔は「もえぎ」といった。わずかな火で長い時間をかけて、酸化鉄の粉末を還元するには最良の炭となった。

「ふる」とは星の古語で流星隕石のごとく、天から降る意に流用されている。隕石には年輪のごとき層を重ねた組織が多い。これが地に落ちて古間木(ふるまき)即ち石炭(いしずみ)を作ったものと祖先は信じていた。

「ふつぬち」とは神代紀には
  次に木の神名は久久能智神(くくのち)を生みたまひき。

即ち「くくぬち」であり、中世あたりから櫟(くぬぎ)、即ち窯の薪木の名となったが、筑紫では歴木(ふみき)とも書いて年輪が識別できる石炭の意に通ってきた。「櫟」の右のつくりの「楽」は銘(らく)、即ち熔鉄のことであった。

タクロを三河で設楽(しだら)という。いかにも銘を作る施設をよく表現している。戦国(1467~1568)の世に南蛮渡りの鉄砲が武器としての勢力をのばしたところは尾張春日井小牧があった。

ここも昔は流木が野原の下に埋没していた所であった。「ふるぬち」とは隕石が風化分解した赤土であった。

福岡県の南の大牟田市に「歴木」という地名があって「くぬぎ」と読みます。
この大牟田市はかつて炭坑で賑わった街なので、
この地名が「石炭」に由来するというのは大変納得です。

今回必要な情報だけ抜き出すと、
「ふね」は葦から生まれた褐鉄鉱(スズ鉄)の風化地層のこと。
「き」は技術者の古称で、「ふなき」とはスズ鉄の採掘長者をさす。
「まき」とは流木が積み重なって風化して野となった所で、
その薪はタタラ製鉄に最良のマキとなった。

最近の水害では倒木が川をふさいで氾濫するケースを目の当たりにします。
そこに土砂が流れ込んで平地を形成すると、倒木が良い燃料に変化する訳です。

山の中で出くわす思いがけない平地には、こんな成り立ちの野もあるのでしょう。
馬を放牧する平地を「牧場」というのも語源は同じなのかもしれません。

「ふね」は古くは「ふなつち」「ふつぬち」とも言った。

「ふつぬち」が「ふつぬし」と変化するのは容易です。
「ふつの御魂」とはスズ鉄で作った刀で、「ふるの御魂」とは隕鉄で作った刀でした。

隕鉄による製鉄は実は半信半疑だったのですが、
中国で斧の刃先に隕鉄の刃が作られたものが出土しています。
以下もまた眞鍋氏の文です・
記紀にある「布留の御魂」は隕鉄を精錬した剣で、「布津の御魂」は砂鉄を精錬した剣である。
昔から隕石が落ちた所には椋(むく)の木を植えて祀った。椋の木の実は羽根つきに使われる黒い実。2000年以上前には、その形が隕鉄の象徴だった。
1500年前頃には真金、即ち砂土を溶かして得た鉄を指した。

最初に掲載した長野県の荒船神社の住所をもう一度見てみましょう。
下仁田町の南野に「荒船神社」が存在します。
「經津主神」「建御名方命(たてみなかたのみこと)」の2柱を祀っています。

住所に牧が出て来ます。
この牧の地下に良質の燃料があったとすると、
製鉄のための格好の資源を渡来人たちが発見して定住したという推測が出来ます。
ここは神々の交代劇があり、渡来人たちが技術を持って来た事が書かれています。

その近辺の地図を見ると、こちらとよく似た地名が散見します。
長野といえば安曇族が行った所でもあります。
私は長野の安曇族はスズ鉄を求めて山に分け入ったのではないかという仮説を持っています。
倭人たちには金より銅より鉄が一番なのです。

さて、話を戻しましょう。
この荒船神社も社前の宝満川がかつて「あら舟川」と呼ばれていたことから、
ここは製鉄に関わる資材や製品を運搬する舟々を監視する所ではなかったのかと
いう思いが生まれました。

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境内からは宝満川がよく見えます。
う~ん。ここはやっぱり船着場?
(つづく)


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by lunabura | 2012-09-03 13:41 | 神社(ア) | Trackback | Comments(0)
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