ひもろぎ逍遥

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<   2013年 09月 ( 19 )   > この月の画像一覧

整理と準備


ようやく涼しくなってきました。
宇佐・安心院のシリーズが終わって、整理をしています。
原稿を印刷して、エリアごとに分けてファイルに収納していますが、
背の部分には神社名を書いて、すぐに取り出せるようにしています。

先日から、例のテプラで神社名を印刷して貼り付け始めましたが、
すぐ取れて使い物にならず。(+_+)
結局手書きに戻っております。

他に、神ごとにファイル化しています。
今回は神武天皇と、三女神を新たにファイルに追加しているところです。
これで、全貌が分かるといいなと、楽しみなんです。

安心院で、まさか水沼と神武天皇伝承に出会うとはね。
カノープスや足一騰が理解できたのも、よかったな。

今日も、まだ整理中です。
また、フィールドワークや取材の申し込みなどで、
スケジュールを組んでいるところです。

また、新たな古代を。

フクオカの古代は面白いですね。







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by lunabura | 2013-09-30 20:59 | にっき | Trackback | Comments(0)

古代の安心院

宇佐・安心院(38) 佐田神社8

古代の安心院
水沼と蹈鞴の民の入植地


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当社ではスサノヲを信仰する蹈鞴の民が古代に入植して製鉄をしていたと思われます。
境内は低い丘陵で、広々としていました。
当時、一面の葦原だった安心院の葦を刈り取って燃やしてスズ鉄を作り、鉄器を生産していたことでしょう。


安心院で回った三社の伝承をまとめると、次のようになりました。

イハレビコ(神武天皇)は東征に当たり、武器調達のために駅館川を遡上して安心院に来ると、
三女神社に一旦上陸し、そこから足一騰宮を目指しました。

足一騰宮にはウサツヒコ、ウサツヒメの兄妹がいて、聖地として祀っていたと思われます。
兄妹は三女神の末裔なので、三女神を祀っていました。
三女神は水沼の斎く神なので、水沼の聖地ということになります。

イハレビコは共鑰山山頂の磐座で祭祀をしたのですが、
それまで水沼の祭祀していた姫神ではなく、自分の母君、玉依姫を祀りました。
そのために、妻垣神社の比売神は玉依姫となったと思われます。
イハレビコは中臣氏の祖の天之種子命を留まらせて、ウサツヒメを娶らせました。

この時代、鉄の生産は佐田神社の方で行われていました。
葦を刈る人、蹈鞴をする人、武器を作る人、船を出す人、祭祀をする人、
それぞれが別の氏族でしたが、鉄を生産するという利害が一致して、
協力体制が出来上がって行ったのでしょう。

この盆地には、倭という民族混淆の文化の雛型が出来上がっていったのではないでしょうか。


最近考えるのは、イハレビコには安曇の血が四分の三、流れていることの意味するものです。
古代は母系社会なので、本来なら安曇の跡取りとして育てられてもよいはずです。
しかし、ここに人皇の初代が発生したのは、父方に強い父系制があったのかもしれません。

イハレビコの東征には安曇の船が絶対必要で、結果的には安曇の勢力範囲も拡大しました。
当然ながら、イハレビコは母方の家から東征を始めたはずで、宮崎から出発するのは無理があります。

呉の文化が日本の文化の深層に残されているのは、安曇が呉の民だったことと無関係ではないのではないか。
そう思われてきました。

安曇が初めて安心院に来たのはイハレビコの時かと当初は思いましたが、
まだまだ遡れるのかも知れませんね。
武器調達が簡単に出来るとしたら、さらに以前からの縁故があったはずだからです。

(古代の暮らしを表す言葉が分からないので、上手く表現できません)


それから八百年以上経って、竹内宿禰を祀る時代が来ました。
この古い祭祀とクニの形成を残す安心院は、来てみると筑紫の君の勢力圏でもありました。

いわゆる九州王朝の形成に竹内宿禰が大きな力になったということでしょうか。
安心院には、まだまだ解かれるのを待つ謎が残っていました。

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境内からの眺めです。丸い山は米神山でしょうか?
そうだとすると、後は御許山になるんだけど…。

当社にはまだまだ暗号が沢山あるのですが、そろそろ、おいとましましょう。

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この後、地名研究会は米神山の麓の京石の史跡に行きました。

「宇佐・安心院トレッキング」はここで一旦終わりにします。
38回も書いたよ (@_@;)

われながら、褒めて取らす。



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佐田神社1 ここで大砲を鋳造したという 別名は善神王宮
佐田神社2 カノープスの和名(1) 諏訪星 
佐田神社3 カノープスの和名(2) 諏訪星
佐田神社4 カノープスの和名(3)諏訪星 スハヒル スサノヲ
佐田神社5 カノープスの和名(4)須賀星 話題は逸れてイクシスと魚のはなしに
佐田神社6 星の和名 亀蛇考1
佐田神社7 星の和名 亀蛇考2
佐田神社8 古代の安心院 水沼と蹈鞴の民の入植地


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by lunabura | 2013-09-27 23:39 | (サ行)神社 | Trackback | Comments(2)

星の和名 亀蛇考2

宇佐・安心院(37) 佐田神社7

星の和名 
亀蛇考2


前回の話の中のポイントとして、東南の方角を「辰巳」と言い、「すさ」とも言ったという点を押さえて、
つづきを読みましょう。
                                     (『儺の国の星』p79)

附記
百人一首 喜撰法師(きせんほうし)(810~888)作
  わが庵は 都の巽(たつみ) しかぞ棲む 世を宇治山と 人は言ふなり

 平安の都から眺めると、南東は宇治の山なみが遠く大和の方に続いております。胡語でsyga(シガ)は故郷を離れた蒼氓を言います。
                     (「蒼氓」とは「民」という意味)
「しか」は普通「鹿」と解釈して、鹿が住む宇治山と考えますが、
真鍋が見ている風景は、別の暗喩に満ちていました。
「シガ」とは「故郷を離れた民」を示しているというのです。

伏見から深草あたりは、洛中洛外の人々の土器を生産しておりました。その窯を鶉(うづる)あるいは宇津屋(うつのや)とよびました。「うぢ」とはapuil(アヒル)あるいはobi(オビ)即ち元来は、遠く海の彼方にある活火山が天を焦がして、終日終夜噴火の雲と炎を挙げている光景であります。
「宇治」とは遠くの活火山が噴煙と炎を上げている光景を指す言葉で、
「宇治山」とは、火山の噴火のように窯の炎が上がっている山ということになります。

そうするとこの歌は、都の東南の山に故郷を離れた民が住んで土器を生産していて、
その煙が火山の噴煙を思わせるという状景になります。


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                               (桜島)

空に映る光はあたかも夏の夜の蛍のごとく、冬の夜の星の如く見えておりました。これをKethon(ケトン)と呼ぶこともありました。因幡の白ウサギがあがった気太(けた)の名の由来がここにあります。

Gidah(ギダ)は星の胡語でもありました。各地の休火山の総称になっております富士の不尽、即ち燃えて消ゆることなき大地の御火を表しております。溶岩や噴煙を辰巳すなわち龍蛇にたとえました。

又、金を溶かす坩堝(るつぼ)に風を送るには、鹿の皮を採りました。須賀星の妖しい光を公家は炉の炎と並べて眺めていたことが、この歌によく描写されています。

火山の御火(おび)は胡語の「オビ」から来ていて、
その姿が龍蛇(辰巳)に例えられたといいます。
一つの語が方角を指し、時間を指し、かつ蛇のような姿を指すという例です。

「しか」という言葉に関しても、風を送るフイゴは鹿の皮で作ったということから、
「蹈鞴の民」も暗示されていたということになります。
土器を作る民も、蹈鞴の民も遠い故郷を離れて宇治山に住んで、
一日中煙をたなびかせている光景が見えて来ます。

そして、この方向に須賀星(カノープス)が山の稜線を這っていました。

都から東南に見える煙と炎とカノープス。
そこには土器や鉄を生産する人々のムラがある。
これらが歌の背景に読みこまれていたことになります。
全く思いがけない光景ですね。



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そして、本題のGidah(ギダ)が出て来ました。
「ギダ」とは「星」の胡語だそうです。
この「ギダ」が「亀蛇」(キダ)に通じているのではないかというのが、るなの考えです。

真鍋の本の各所から「星」を表す言葉を集めてみました。

「すさ」はギリシャ語のAsteria(アステリア)、ローマ語のAstra(アストラ)、
英語のstartと同じく、星の古語であった。 『儺の国の星』p17 

「すさ」そのものも、「スター」などと同源から来ているといいます。

(キント雲の)「キント」は胡語のGiddaすなわち星の漢訳であり、特に砂漠を往来する隊商の目標である北極星を指しますから、北もこれに由来した言葉かとも思われます。
「はし」は「かし」と同じく、「ほし」の古語でありました。「あめのうきはし」とは彗星あるいは長星のことになります。
未婚独身の女人を「かしのみ」と描写しました、冷たく暗い夜空に輝く星は、皆一つ一つ離れ離れに光っているからであります。
遠い祖先は日月と五星の会合現象を「かしづく」と表現しました。 
(略)
「まつ」とは胡語のMahal(マル)すなわち星辰の意が潜んでいたことを知らねばなりません。松明とは夜の闇を照らす人工の燈火でありました。
(略)
「はしけやし」とは星空が手に取るが如く眺められる盆地の景観であります。「むらやま」とは祖先が天の慈しみと恵みを祈って、山頂に並べた神籠石のあるところであります。     『儺の国の星』 p19


バビロニヤ語でkakav(カッカブ)は星であった。神代には「かかち」あるいは「かかせを」であったから、前述のことば(※閣下・かっか)は地中海語と近東語の重合の形式である。
『日本書紀』 神代紀に曰く (略)
「服従しない者はただ星神・香々背男(かかせを)のみだった」
(略)
光明を漢字で赫(かく)、炯(けい)などと表現するが、いづれも西域古語Khada(カダ)の音訳にほかならない。
(※炯は原文では「燗」の造りの「月」が「日」となっているが、綾杉が変更)p8


豊前京都、筑前鞍手にかけて、石炭の古称に倉石が残っておりました。「くら」も「いし」も共に星の方言でありました。 p9

まだまだ、一部を書き留めたに過ぎないのですが、まとめました。
Gidah・Gidda(著者が目が見えないために誤植のチェックが出来ないので二種類の表記がある)

「ギダ」 → 「カタ」「ケタ」「カダ」「キント」
「カッカブ」 → 「カガ」
「マル」 → 「ムル」「マツ」
「スタア」 → 「スサ」
他に「カシ」「ハシ」
これらが「星」から派生した言葉です。

「根の堅洲国」(カタすくに)「気太」「蚊田」「丸」橿日(カシひ)
などの漢字が当てられ、これらが、みな星を語源としていることになります。

亀蛇(キダ)も「ギダ」から変化したと思われ、
当地の一族「賀来」(カク)もまた「星」だったのではないだろうかと思いつきました。

「星」は当然無限に存在しているのですが、蹈鞴の民にとっての「星」は
「カノープス」の記憶が一番大きかったということなのですね。

(つづく)




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佐田神社1 ここで大砲を鋳造したという 別名は善神王宮
佐田神社2 カノープスの和名(1) 諏訪星 
佐田神社3 カノープスの和名(2) 諏訪星
佐田神社4 カノープスの和名(3)諏訪星 スハヒル スサノヲ
佐田神社5 カノープスの和名(4)須賀星 話題は逸れてイクシスと魚のはなしに
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佐田神社8 古代の安心院 水沼と蹈鞴の民の入植地




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by lunabura | 2013-09-26 23:35 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(0)

星の和名 亀蛇(きだ)考1

宇佐・安心院(36) 佐田神社6
星の和名 亀蛇(きだ)考1


再び佐田神社の境内に戻ってきました。
佐田神社1に載せた説明板の当地で「賀来一族が建設した反射炉」について、
のらさんからの、賀来千賀子さんが本の帯にコメントを書かれていたという話から、
賀来氏について検索すると、大神氏の一族だと書かれていました。


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これは当社の二の鳥居ですが、「善神王宮」と書かれていて、その柱の裏に

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「大神惟熊立」と彫られています。
大神氏は佐田村を根拠地としたとあり、ここは佐田郷と言いました。
それに加えて、佐伯氏とも一族だと書かれています。
まさに、原点に立っているのですね。
佐伯氏については、真鍋の本に出て来て気になったので、のちほど書き写しましょう。


さて、本殿の左にこんな石碑があります。
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石碑を支えているのは、か、カメ?
顔がとてもユニークです。
石碑の文字は「郷社 佐田神社」と書かれています。

佐田大神は佐太大神と同じと思われ、スサノヲで、星ならカノープスを指していました。
当社の祭神に素盞嗚尊が祀られているので、まさしく真鍋の話を目の当たりにしていることになります。

二の鳥居を建てた大神氏が鳥居の扁額に「善王神宮」と書いたのは、
一般では悪神ともみなされるスサノヲが本当は善王神なのだと
主張しているように思われる背景はスハヒル(カノープス)の物語を知ると納得できます。


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生き物をアップしました。

タイミングとは不思議です。
これを撮っているとき、横の人が「亀蛇」(きだ)だと教えてくれました。
亀の身体をしていますが、顔は蛇だそうです。
これを聞いて、私は「カノープス」にその手掛かりを求めました。
再び真鍋大覚の『儺の国の星』p78に戻りましょう。

「すさ」は方位の古語で東南、即ち辰巳(たつみ)(巽・せん)を言う。漢人の率土(そっと・陸地の果て)の倭訓である。

大陸の民族はその南東に展開する太平洋を恐怖のまなざしてみはっていた。黒水海河、即ち赤道海流に船を吸い込まれると、永遠に不帰の客として、死んでもなお海上をさまようと信じていた。

星を見て沙漠を渡る隊商は、西域の文明を黄河のほとりに持ち来たす存在として親近感はあったにしても、万里の波濤を星明かり一つをたよりにして漕いで来る民族は勇猛果敢、このうえもなきおそるべき民族であったことになる。

何か一つでも心に頼るところがなければ生きていくことが出来ぬ人間にあっては、無限の空間は、まさに最も過酷な地獄であった。これが須佐男命の背景にあった幻影にほかならない。

新羅から見れば、周防須佐は東南のかなたにある。そして、ここに永遠に放浪の恨みを輝かせる諏訪星(須賀星、須佐星)が上がっていたのである。

民族が国を捨てて、あるいは追われて東を目指す時、どんな道が待っていたのか。
密林を避ければ、太陽に焼かれた砂漠が広がり、
平地を歩こうとすれば川や沼地が行く手を阻んだことでしょう。

方角を教えてくれるのは、東から昇る太陽。そして夜に煌めく星々でした。
  泥にまみれて歩まねば生きていけぬ。
地を這いながら東を目指す姿は、夜空の豪華な星の光の中で、
地平線を這うように進むスハヒル(カノープス)と同じでした。

スハヒルの禍々しい(まがまがしい)光芒に恨みを重ねながら歩む人々は大地の果てまで歩き続けたのでしょう。

そして、最後に行く手を阻む蒼い海。
一歩進めば命を奪う海の向こうに約束の地があったのでしょうか。
果敢にも、人々はこの玄界灘を渡ってきたのです。

新羅から見れば、諏訪星の下に周防須佐があると言います。
この一文の深い意味を るなは まだ理解出来ません。

真鍋の文章を読むと、潜在意識に忘れ置いた長い放浪の歴史が思い起こされます。
かつて、NHKでシルクロードが初めて映像として日本に紹介された時、
喜太郎の奏でるメロディーとともに、心揺さぶられる思いをしたことを思い出しました。
シルクロードに対する日本人の憧れには放浪の日々の哀しみが隠されていました。

(つづく)


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by lunabura | 2013-09-24 22:26 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(6)

西九州道って伊都国、末廬国を走ってるんだ



今日は墓参のあと、鎮懐石神社へ。
正面からの入口が前回は分からなかったので、再び訪れました。
今回は宮司さんにお話を伺う事もできましたよ♪

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お礼参りも兼ねて。


その後、平戸へ。
途中の西九州道がどんどん伸びていて、伊都国を過ぎ、末廬国まで♪
いや、今日は神社も古代史も忘れて…と思ったのですが、あいかわらずですね。

唐津の田園は一枚ずつ地層が調査されて、堆積平野だったことが分かっているそうです。
つ・ま・り、田んぼはやっぱり海!

西九州道はその田んぼの上を通り、弥生の人たちの住んだ丘陵のそばを通っています。
西九州道の工事で発見された弥生遺跡がいくつもあるんですね。

弥生の人たちは住処として、海の側だけど波が襲わない、ちょっと高い所を選んでました。
魏志倭人伝の世界が立体的に見える、マニアックな道になりそう (^-^)
何と言っても、地形がそのままなのが魅力。

唐津千々賀インターとか、末廬国の国邑候補の一番手となった千々賀遺跡があるし。
ただし、運転手はよそ見厳禁。ですぞ。

こりゃあ、西九州道マップに、古代遺跡の名前をガンガン入れてほしいですね。


そういえば鎮懐石神社の前も波打ち際だったということでしたよ。

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平戸大橋を渡って、今回はUターン。
長崎はずいぶん近くなっていました。

今から写真の整理をします。




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by lunabura | 2013-09-22 21:37 | にっき | Trackback | Comments(0)

カノープスの和名(4)須賀星 話題は逸れてイクシスと魚のはなしに

宇佐・安心院(35) 佐田神社5

カノープスの和名(4)
須賀星

話題は逸れてイクシスと魚のはなしに


朝倉甘木七日町にある須賀神社は須佐男命を祀る。境内の楠の古木は周囲10・4米、樹齢1680年である。

南人が天磐楠船に乗りついで、時には船木をけずり、樟(くす)の油に集まる魚を釣り上げて航海中の食とした歴史が今に生きているのである。

楠あるいは樟の別名を魚餌木(うえき)という。「ゆわくす」とは近東で魚をあらわすixis(イクシス)の訛りである。

須賀神社といえばスサノヲ神を祀る宮ですが、真鍋がこの宮を挙げたのは
諏訪星(カノープス)は須賀星とも言うことを伝えたかったためです。

話題が変じて、楠の樹齢が出て来ましたが、
真鍋は屋久島の杉の樹齢を計算して「縄文杉」と名付けた人です。
須賀神社のクスノキも何らかの方法で推定されたのでしょう。

南人(隼人)の天磐楠船の「天のイワクス船」とは「いくしす」(魚)の訛りだと言います。
クスノキで船を造るとその芳香に魚が集まる性質があることから来たようですね。

神功皇后関連の宮々でもクスノキの古木が各地で見られました。
クスノキを境内に植えるのは船材のためだと私は考えるようになりました。

クスノキから採れる樟脳は防腐剤として知られますが、
その香りが魚を集めたことを暗示する文が神功皇后紀にも出て来ます。

その働きから「魚餌木」とも言ったそうです。
魚の古代の発音「いを」「いゆ」は中国語の発音に近かったのではと思っていましたが、
さらにルーツを辿れば近東の「イクシス」がなまったものだと真鍋は言います。

「イクシス」が魚なら、キリスト教のシンボル「イクトゥス」を思い出さずにはいられません。

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ローマ法王のかぶる帽子が「魚」を表現しています。

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イクトゥス、イクトス、イクソス、(ichthys, ichtus、ギリシャ語: ΙΧΘΥΣ) は、弧をなす2本の線を交差させて魚を横から見た形に描いたシンボルである。初期のキリスト教徒が隠れシンボルとして用いた。

今日ではジーザス・フィッシュ (Jesus Fish) やクリスチャン・フィッシュ (Christian Fish) とも呼ばれている。

頭文字の符牒[編集]イクトゥスは、ギリシャ語で「魚」という意味だが、同時にΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもある。(ウィキペディアより)

魚がキリスト教を暗示するのは、夢の解釈をしていて知りました。
夢に「魚」が出て来ると、「キリスト教」とか「瞑想」「潜在意識」のシンボルとして夢解きをしていきます。
誰から習った訳でもないのに、そのシンボルが出て来るから不思議ですね。

さて、話を戻して、続きを読みましょう。


魏志倭人伝に曰く、
 男女生口三十人を献上す。
 
韓国済州島の海女を「まかり」と言う。昔は能登舳倉(へくら)から淡路岩屋まで季節を定めて出稼ぎにきていた。豊前企救(きく)和布刈(めかり)や筑前宗像鐘崎はその根拠地であった。

大陸民族は水を渡ること、あたかも戦々(恐々)として薄氷を踏むがごとくおそれるが、不老長寿の貴薬としての海藻(なまわかめ)、それから海肝(なまうに)の類は珍重するが、これを自ら衣を脱ぎ水にひたって採集することはできない。

そこで倭人の練達の士を召し抱えてこれに当たらせていたのである。「生口」(まかり)とは「なまめかり」と訓ずべき氏族であった。

魏志倭人伝に出て来る「生口」は「奴隷」などと訳されますが、
真鍋は海女や海士などのことだと言います。

志賀島に行った時、古代、干しアワビが朝廷への献上物だったり、
中国向けの輸出品だったりしたという話を聞きました。
海産物は不老長寿の薬として珍重されたのですね。
和布刈(めかり)という不思議な読み方も、それを採る海女(まかり)から来ているということになります。

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(筑前宗像鐘崎 織幡神社にある海女の発祥地の碑)



伊予生名島(いくなしま)、安芸生口島(いくちしま)、肥前生月島(いきつきしま)はまさに生口(いきち)の故郷であったが、これがイクシスの方言に通じていることも不思議であり、倭人伝の一大(いき)、伊都(いと)、己百支(いほき)、伊邪(いや)、為吾(いご)の国名は大陸民族の音訳である。

魚を生きたまま泳がせて捕えおくところを生簀(いけす)というのはイクシスの派生語である。(『儺の国の星』p78)


「魚釣り」は「うおつり」と読まないといけないと志賀島で聞きました。
「いお」「うお」は生きた魚にしか使わないそうです。
「さかなつり」と読むと、死んだ魚になってしまう (・.・;)

イクシスの語の余韻は生きた魚が採れる地に付いて、生名島、生口島、生月島という表記になりました。

倭人伝に出て来る一大(いき)、伊都(いと)、己百支(いほき)、伊邪(いや)、為吾(いご)の国名も、そんな場所にあるというのでしょう。

一支国、伊都国はまさに島や海岸部にあります。
己百支(いほき)、伊邪(いや)、為吾(いご)という聞きなれない国も、海に面した所に求めよ、てことですね。

私達の使う何気ない言葉や地名も、語源が分からないものが、
こうして中東まで遡るとしっくり来ると言うのは、直観的に感じるものがあるからなのでしょうね。

さて、カノープス(スハヒル)は諏訪星の他に、須賀星、千早星、熊野星、湯納(ゆや)星、各務(かがみ)星、権現星、風早星とも呼んでいたそうです。

真鍋の話題はこのように、あちこちに話題が飛びますが、
今回は倭人伝の国名が出て来たので紹介しました。

そろそろ佐田神社の境内に戻りましょう。

(つづく)


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佐田神社2 カノープスの和名(1) 諏訪星 
佐田神社3 カノープスの和名(2) 諏訪星
佐田神社4 カノープスの和名(3)諏訪星 スハヒル スサノヲ
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佐田神社7 星の和名 亀蛇考2
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by lunabura | 2013-09-20 22:55 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(0)

カノープスの和名(3)諏訪星 スサノヲの宿命

宇佐・安心院(34) 佐田神社4

カノープスの和名(3)諏訪星
スハヒル スサノヲ

 
サハラ沙漠の遊牧民族は、南の地平線の彼方にスハヒルの光芒を見出すと、たちまちにして駱駝と共に高所に居を移す。満々たるナイルの洪水が氾濫するからである。スハヒルは水魔の象徴であった。

そして永遠に天極から見放されて、大地の果てを放浪する運命を背に負わされた呪われた星であった。

何故に過去の宿業に悩まされているのか。近東の神話はその理由を語らない。しかしその鬱積した憤まんが天地晦冥(かいめい)のなかに暴水と怒涛をもって人類を漂没する悪神として敬遠されてきた。

前26世紀および前38世紀の二度にわたるノアの洪水も又、スハヒルの為すところと信ぜられている。

ナイルの氾濫を知らせる星としてはシリウスしか知りませんでした。
カノープスもまたその時を告げる星でした。
確かにシリウスとカノープスは同じように南に出ていましたね。



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シリウスは道しるべのように天高く夜空を渡るのに対して、
スハヒル(カノープス)は地を這うように進んで、すぐに沈んでしまいます。

その姿を見ると人々は肥沃な土地を捨てて、水から逃れる旅に出なくてはなりませんでした。

その情けない姿とスハヒルの鬱屈した姿を重ね合わせたのでしょうか。
スハヒルは呪われた星という宿命を背負わされました。

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日本神話にも、同じ宿命を負った神がいました。スサノヲです。

『古事記』神代記にいわく、
こうして、それぞれがお言葉に従って、授けられた国を治めておいでになる中で、
スサノヲの命は授けられた国を治めないで、ヒゲが胸のところに伸びるまでひどく泣きました。その泣く様子は、青い山は枯れるまで、川や海は干上がるほどでした。そのために、悪い神の声はハエがワンワンとたかるように満ちて、いろんな災いが起こるようになりました。

そこで、イザナギの命がスサノヲの命に尋ねました。
「どうしてそなたは授けた国を治めないで泣きわめくのだ」
「わたくしめは亡き母の国、根の堅洲国に行きたくて泣いています」
とスサノヲの命は答えました。すると、イザナギの大神は大変怒って言いました。
「それなら、そなたはこの国に住んではならない」
と言って、そのまま追放されました。


須佐男命はまさにスハヒル即ち諏訪星を神格化した存在であったかもしれない。天照大神は日神であり、月読命は月神であり、そして須佐男命は星神であった。遠い祖先が人間の生活に時間の区切りを教える空間的存在の一つであった。星暦は今はない。

スサノヲは父から追放され、姉からも追放されます。
ナイルの氾濫を告げるスハヒルと、ナイル河畔から出て行かねばならない人々。
そして追放されるスサノヲ。
すべてが重なるのですね。

毎年の洪水のために、ナイル流域の人々は家を建てることも出来なかったことでしょう。
その地を捨てて東を目指した集団が出た理由はここにあったのかも知れません。

スハヒル星は日本では諏訪星と呼ばれて、スサノヲ神と重ねられました。


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(つづく)

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佐田神社2 カノープスの和名(1) 諏訪星 
佐田神社3 カノープスの和名(2) 諏訪星
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by lunabura | 2013-09-19 23:26 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(0)

カノープスの和名(2) 諏訪星

宇佐・安心院トレッキング(33) 佐田神社3

カノープスの和名(2)
 
諏訪星

今日は『儺の国の星』(16諏訪星)p76からです。

肥前境の坂本峠(536米)や綾部峠(497米)を越す旅人は、早春から初夏にかけて夕霞のなかに、ほの白く沈む有明海のはるか彼方に上がる大きな星を見ることが多かった。これが老人星Canopus、又の名Swahil(スワヒル)の姿である。星座表をみると、18時の出現は2月8日から5月19日の百日間である。

カノープスの画像を検索すると、東京の高層ビルから撮影された映像が出て来ます。
思ったより北の方でも見えるんですね。
九州は南なのでカノープスは更に見やすいのでしょうが、
背振山あたりでは、日暮時に、有明海から上がるカノープスが見られるようです。

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ステラ・シアターで2014年2月8日に福岡でカノープスは見えるのかなと調べました。
すると、カノープスの星の出は19時50分頃。星の入りが23時20分頃でした。
上のイラストは21時29分。南中時ですから、これ以上高くは昇りません。

それに比べて、シリウスは早くから夜空に輝き、上図の後は、
どんどん進んで大きな半円を描いて行きました。
佐賀の山の峠からだと18時頃にはカノープスが昇るのが見えそうですね。

この星の出の時間が時代によって変化していきます。
次は江戸時代の話です。
(略)
諏訪星は荒神(あらがみ)の象徴であり、これが水平線に姿を見せる時が、まさに節分に一致した時代があった。今から353年昔、即ち寿老人(じゅろうじん)が諏訪星の化身として七福神の初夢の波上舟(なみのりふね)の上に画かれる時代に一致している。そして又、鬼払いの豆撒きの行事が天下を風靡して流行したころにもなっている。

荒神とされるカノープスは歳差運動により、353年前には節分、2月4日ごろに見えたので、鬼払いの豆撒きと繋がってしまったようですね。

次はもっと古く、縄文時代です。
諏訪星が48日ないし59日早く見えて、今の冬至から春分の間に入った時代は3388年ないし4164年前のことであるが、この頃、肥後益城阿高貝塚3379年前、肥後玉名繁根木貝塚4173年前の頃であった。

当時はまさに有明海が背振と耳納、四王寺を三つの海峡で仕切っていた時代でもあった。
南の烈風は激しく潮波をたてていたのであるが、有明(ありあけ)なる名の由来が遠くギリシャ古語のxiak(カイアック)にあったことも知らなければならぬ。
諏訪星は勇猛果敢な南人、赤蛮、安羅の大挙渡来を意識させていたのである。
(渡来は渡米を変更)

縄文時代には、カノープスは冬に現れたようです。
貝塚の年代が出ていますが、物部氏の測量法では、その時どんな星が南中したかで、
年代が明らかになるようです。
(「針摺」を参照してくださいね)

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これは洪水マップで、標高30mラインです。(昭和28年の大洪水ラインに近いですね)
縄文時代は有明海が奥深く侵入して、南風が吹くと激しい荒波が立っていたというので、
このような地形の時でしょうか。

真鍋は「有明」(ありあけ)の語源はギリシア古語にあったと言います。
古代ギリシア語のカイアックがアリアケに変化したのですね。

カノープスは南人、赤蛮、安羅人の大航海による渡来を思わせるようです。
う~ん。これは「八」の人たちのこと?
中東から日本に到着する人たちは熊本などの西海岸に到着し、有明海を北上したということでしょうか。

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(つづく)

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by lunabura | 2013-09-18 23:22 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(0)

カノープスの和名(1) 諏訪星

宇佐・安心院トレッキング(32) 佐田神社2
カノープスの和名(1) 
諏訪星


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国際宇宙ステーションから撮影されたカノープス(2003年2月)
ウィキペディアより

現在、大分県安心院にある佐田神社について書いている途中ですが、
「サタ大神」=スサノヲ=蹈鞴(たたら)の神
という一文を『儺の国の星』「根堅洲国」p26に見つけたので、こちらを読んで行こうと思います。

古事記神代記に曰く、
天照大御神に「そなたは高天原を治めなさい」と言ってお与えになりました。次に月読命には「そなたは夜の食国(おすくに)を治めなさい」と言い、次に、建速須佐男命には「そなたは海原を治めなさい」と言われました。(るな訳)

月と星は夜に光を相争う存在であったから、月読命と須佐男命の永遠の仲違(たが)いは当然であった。

イザナギ命がミソギをした時、左目からアマテラスが、右目からツクヨミが、
そして鼻からスサノヲが生まれました。
これを三貴神といい、イザナギ命はそれぞれに国を治めるように命じます。

アマテラスは太陽、ツクヨミが月、そしてスサノヲが星であるため、
夜になると月と星が光を競うため、ツクヨミとスサノヲは永遠に仲違いを
しなければならない宿命となりました。

スサノヲが鼻から生まれたことは何を意味するのでしょうか。

目は眼窩(がんか)のなかで自由に動いても音はない。しかるに、鼻はイビキと鼻水を出し入れする。

そのかしましい(うるさい)音を古人は「星、風を好むあり。星、雨を好むあり」のコトワザに則して、世の中に災いを残した須佐男命に見立てた のである。そして、更に佐太大神あるいは諏訪大神の別称を奉って草木の神、或いは蹈鞴の神と祭ったのである。

「星が風を好む」「星が雨を好む」という意味は、
例えば、ナイルの氾濫の到来を星が知らせてくれるのですが、
逆に「あの星がでたら災いが始まる」と考えて
「星が風や雨をもたらす」と言うようになったことのようです。

スサノヲは高天原で暴れて災いをもたらしたので
スサノヲが生まれた箇所を神話では一番うるさい鼻に当てたようです。

スサノヲは別名、佐太大神、諏訪大神、草木の神、蹈鞴の神と言います。

 ここに、佐太大神と出て来ましたが、
「佐田神社」にスサノヲ命が祀られているのは「蹈鞴の神」として祀られていたと考えられます。

日月が天空を通る道筋を黄道、白道と言う。鼻は目より下にあるから、古事記の須佐男命は地平線を徘徊する運命を背負わされた諏訪星、或いは大陸の言う老人星Canopus(カノープス)即ち雨風を司る神のことになる。

蒼穹(そうきゅう)の中枢たる北極星には永久に月日に隔てられて近づくを得ぬ存在であった。

カノープス星は夜空の地平線からあまり昇らずに沈んでしまうので、めったに見る事ができず、
それを見たら長生きするということで老人星とも言われています。

スサノヲはこのカノープス星を神格化したものだといいます。

イザナギの鼻から生まれたスサノヲの神(カノープス星)は
太陽や月のように高い所を通る事が出来ない宿命を背負った星ということです。

カノープスは日本では諏訪星と呼ばれていました。
諏訪星の神、諏訪大神とはスサノヲの事で、荒神とされるのは、
カノープスが南の地平線に姿を現すとナイルの水が氾濫を起こすという事から来ていました。
(これについては次回に)

(つづく)

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by lunabura | 2013-09-17 22:48 | <星の和名・天文> | Trackback | Comments(1)

佐田神社1 ここで大砲を鋳造したという 別名は善神王宮

宇佐・安心院トレッキング(31) 

 佐田神社1

 ここで大砲を鋳造したという 
別名は善神王宮

前回の妻垣神社から北西へ約四キロ。すぐに佐田神社に到着しました。

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標高の低い丘陵に鎮座しています。

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いかにも古社らしい風情で、一の鳥居は「佐田神社」と書いてありましたが、
二の鳥居には「善神王社」と書かれていました。

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これが拝殿ですが、それと気づかずに裏に回り、その神殿の趣に驚いてしまいました。

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これほどの彫刻がなされた神殿はそれほどお目にかかれません。

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高い所に縁があり、この建築様式に、ふと糸島市の宇美八幡宮を思い出しました。
「雲が彫られているのは位の高い神さまですよ」
と隣の人が教えてくれます。

御祭神は?
武内宿禰・素盞嗚尊・大山祇命でした。

武内宿禰が何故ここに?

この二年、ずっと取り組んできた神功皇后のガイドブックの世界が
筑紫でなく、安心院にも展開している…。
謎の手掛かりを求めれば、導かれるように次々に出会う伝承の宮々。
次々と嵌まっていったパズルのピース。
たった一人の孤独な作業の日々は誰も知らない日本の歴史を私に教えてくれた。

「竹内宿禰」
こんな遠い所で出会うと古来の知己に会えたような懐かしさがこみ上げて来ます。

そう、こんな感情は下関市の住吉神社でも起こった。
いや、住吉神社では共に戦ってきた神功皇后と一緒に祀られていることに感激したのだけど、
ここは、素盞嗚尊・大山祇命という、想像もつかない顔ぶれ。

地形は明らかに誰かの居城の跡のようで、説明板にもその旨が書いてありました。

佐田神社
祭神は、武内宿禰・素盞嗚尊・大山祇命で、昔は善神王宮と称し、佐田郷の総鎮守社でありました。
鎌倉時代に大友能直によって再興され、以後正中二年(1325)安心院公、文正元年(1466)宇都宮大和の守、丈亀三年(1503)に検断所により再興されています。
神殿は元治元年(1864)に改築し現代に至っています。

境内には、県指定有形文化財の板碑や、幕末に賀来一族が建設した反射炉の記念碑や、反射炉に使用した耐火レンガによる塀、大分の先哲帆足万里の書を刻んだ両部鳥居があります。
この神社の東にある標高309メートルの青山は、中世佐田氏の山城で、県内屈指の規模を誇る町指定の史跡です。境内はこの佐田氏居館跡の推定地の一つとされています。

当地は幕末に大砲が鋳造された場所でした。


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神殿のすぐ後ろの塀にはその耐火レンガが再利用されています。

いったいどうして幕末にここで大砲の鋳造が出来たのか。
まったく基盤がない所で作られる事はないのではないか。
ここには古来の製鉄の技術があったのではないか。
そう思わずにはいられませんでした。

ここに素盞嗚尊が祀られているのはやはり古い製鉄の民の名残ではないか。


佐田とスサノヲ。
この名に思いがけない繋がりがあったことを真鍋の本に見つけました。
(つづく)


地図 佐田神社





佐田神社1 ここで大砲を鋳造したという 別名は善神王宮
佐田神社2 カノープスの和名(1) 諏訪星 
佐田神社3 カノープスの和名(2) 諏訪星
佐田神社4 カノープスの和名(3)諏訪星 スハヒル スサノヲ
佐田神社5 カノープスの和名(4)須賀星 話題は逸れてイクシスと魚のはなしに
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by lunabura | 2013-09-16 22:25 | (サ行)神社 | Trackback | Comments(20)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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