ひもろぎ逍遥

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筑紫舞(3)


筑紫舞(3)
ちくしまい


筑紫神舞(ちくしかんまい)
唐衣(からごろも)


<解説>
古今和歌集に詠まれた和歌に音曲が付き、筑紫舞の所作と共に伝えられたものである。
七世紀には唐より、我が国に数々の文化が伝わったが、工芸品の一つに衣服が伝わった。
当時、衣は貴重なもので、宮人に献上された。その折に出来た振りと言われている。


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<歌詞>
一、嬉しきを 何に包まむ 唐衣 袂(たもと)ゆたかに 裁(た)てと 言はましものを



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二、老いぬれば 避(さらぬ)別れの ありといへば いよいよ見まく ほしき君かな



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三、世の中に 避(さ)らぬ別れの なくもがな 千代もと祈る 人の子のため
                              千代もと祈る 人の子のため 



筑紫神舞(ちくしかんまい)
天下太平


<解説>
八橋十三曲の第四曲「天下泰平」とも書き、「雛鶴の曲」「太平楽の曲」「太平」などの別名があるが、
第三歌、第四歌、第六歌が筑紫箏と同様、他は先行歌謡に基づく古いものである故、
筑紫神舞に取り入れられたもとと思われる。

振りは「御魂鎮め(みたましずめ)」の様式で、宮舞の代表と思われる振りであり、
神の恵みを寿(ことほ)ぎ祝福する舞である。


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<歌詞>
一、天下泰平長久に、 治る御代の松風、雛鶴は千歳ふる、 谷の流れに亀遊ぶ。

二、人知れぬ契りは、 浅からぬ物思ひ、包むとすれど紫の、 色に出づるぞ はかなき。

三、はかなくも隈なき、 月をいかで恨みし、とにかくも我が袖に、  絶えぬ涙の夕暮れ。

四、花の宴の夕暮れ、 朧月夜に引く袖、定かならぬ契りこそ、 心浅く見えけれ。

五、住吉の宮どころ、 かき鳴らす箏の音の、神の恵みに逢ひ初めて、 過ぎし昔を語らむ。

六、秋の山の錦は、 龍田姫や織りけむ、時雨降る度ごとに、 色の増すぞあやしき。


〇五人舞。歌詞と振りの差に気づかれたでしょうか。
粛々と舞われる手振り身振りからは、亡き人への鎮魂の思いがひしひしと伝わり、
客席は水を打ったように静まり返りました。

真意を隠して生き残るために、しのぶ恋や移りゆく季節の営みなどの歌詞を隠れ蓑にして
伝えられたのではないかと思われてならない舞でした。




筑紫巫子舞(ちくしきねまい)
榊葉(さかきば)



<解説>
作曲者作詞者共に不詳。
古く「神舞」の内「巫子舞」として筑紫舞ではあつかわれていると聞いている。
「四季」の組の内、冬に組まれている。
霜が八度降りても、榊葉の枯れぬのは、神の御加護であると説かれている。



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<歌詞>
一、霜八度おけどなほ 枯れせぬものは 榊葉の 立ち栄ゆべき 
   蔭深く まします神の 巫子(きね)かも



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二、雪降れば 山里に 冬ごもりせし 草も木も
   匂ふばかりに 春もまだ 知られぬ花ぞ咲きける


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三 千早ぶる神の在(ま)す 賀茂の社の姫小松 万代経とも 葉も茂み 緑の色は変はらじ


○やわらかな桃色の衣裳の巫子(きね)の手に持つのは榊。
前曲の静けさのあと、華やかながらも気品にあふれた所作に、
舞の持つ無限の可能性を改めて知りました。
  
                                (つづく)




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by lunabura | 2013-10-31 20:31 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(0)

筑紫舞 (2)


筑紫舞(2)
ちくしまい

お待たせ!
筑紫舞の御紹介です。
2013年の10月22日、宮地嶽神社の神前で筑紫舞が奉納されました。
かつては宮地嶽古墳の中で奉納された舞が、新たな場を得て美しい衣装で舞われています。
神前前の奉納は今年で30年を迎えるそうです。

台風の影響で朝はどしゃぶりだったのですが、
午後からは晴れ渡り、すがすがしい秋の光の中で舞われました。

演目は六番。
解説と歌詞はパンフレット「御遷座記念祭」からです。(一部変更)




筑紫古神舞(ちくし こかんまい)

秋風の辞(しゅうふうのじ)


<解説>
漢の武帝の詩に曲が付いたもの。陵王(りょうおう)舞風の勇壮な神舞である。


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<歌詞>
秋風起こって 白雲飛び
草木黄ばみ落ちて 雁 南に帰る
蘭に秀でし有り 菊に芳(こう)ばしき有り
佳人を懐(おも)ふて 忘るること能(あた)はず

楼船を浮かべて 汾河(ふんが)をわたり、
中流に横たわり 素波(そは)を楊(あげ)げ
 鼓鳴って 棹(さお)の歌をおこす

歓楽 極まって 哀情多し
少壮幾時(いくばくとき)ぞ
老をいかんせん





筑紫巫子舞(ちくしきねまい)

橘(たちばな)



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<解説>
御巫(みかんこ)は神のお告げを受けるとされるが、
この巫子(きね)も同等の意味を持つと考えられる。

舞に用いられる「鈴」の音には音魂(おとだま)である霊力があり、
音にて祓いを行う所作が舞振中、随所に見られる。

<歌詞>
一、雲居の庭に 色変えぬ 花橘に ほととぎす
   千代を鳴らして 久方の 空にぞ 声の聞こゆる

二、葉替へせぬ 松の陰 常磐(ときわ)にすみて 岩が根に
   流す泉の 底清き 水は緑の 影ひたす

三、蝉の小川に 木綿かけて 今日水無月の 祓ひする
   その人々の 命こそ 千歳を延ぶと いふなり

                                            (つづく)



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by lunabura | 2013-10-30 19:36 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(2)

宮地嶽古墳のガラス板・百済産か?国産か?


宮地嶽古墳

ガラス板は百済産か?国産か?

先日、古代ガラスの話を聞いて来ました。
古代ガラスは現在、6種類に分類されているそうです。

宮地嶽古墳の出土物に、板ガラスがあります。

これを九州国立博物館でようやく見たのですが、
サイズはCDケースより、少し大きめ。厚さは1.5センチほどのもので、
紺色の神秘的な色でした。
(撮影禁止なので、写真はなしです)

なかなか宮地嶽古墳の出土物を実見する事が出来ないのですが、
九州歴史資料館の田中幸夫コレクションにその破片がありました。

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左は緑色ですね。右が紺色っぽいのですが…。


分類は鉛ガラスに属します。


で、古代の鉛ガラスは一時途絶えましたが、復活して百済で生産され、
百済滅亡の時に亡命した工人が日本にやって来て、
全く同じ技法で飛鳥池遺跡で鉛ガラスを生産したそうです。

言いかえれば、鉛の同位体を調べれば、産地が簡単に分かり、
百済産か、国産か、特定できる時代になっていました。

百済(346-660)


国産だとすれば、660年以降になるので、7世紀も後半のものとなり、
宮地嶽古墳の造営時代がより明確に絞れることになるはずです。
また、飛鳥で作られた製品が当古墳に早々と奉納されたこととなり、
被葬者の影響力は近畿にまで及んでいたことになります。

現在の評価では、宮地嶽古墳は7世紀前半とされています。
そうすると、このガラス板は百済で作られた可能性が高いです。
古墳の被葬者か縁者に、直接贈られたなんて妄想もできますね。


ただし、もう少し調べてみたら、
「発掘されたガラスとアクセサリー」岡山市埋蔵文化センター 谷一 尚
http://www.city.okayama.jp/contents/000104774.pdf
に、

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とあったので、隋の製品の可能性もあるかと思いました。

隋(581-618)


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これが宮地嶽古墳のガラス板です。

ガラスの生産地を調べるのは簡単になったらしいので、九博や九歴はすでに調査済みかも知れませんね。
もし、まだだったら、早く調べてくれたらいいな。

それにしても、宮地嶽古墳の出土品がどんなものか、
パンフレットでいいから、
収蔵する九博と東京の資料館は作ってくれたらいいのに。

それを、古墳に参拝する人や地元の小中学校に配布して、
宮地嶽古墳の存在を伝えてほしいなと思いました。
(知っている人はとても少ないのです)
それが、出土品を収蔵する各館の責任だと思います。

これは福岡の各地の出土品に言えることです。

例として、竹原古墳は見学できても、出土品の写真一枚ありませんでしたし、
どこに行けば見られるかも分かりませんでした。(福岡市内にあるということまで分かりましたが)
このような例はいくつもあります。

本来地元にあるべきものを、各大学や資料館が持ち出したなら、
写真で良いから地元に還元し、
子供たちに伝えることで、地元の歴史を伝えてほしいです。

それが歴史資料館へ足を運ぶ人を育てることにもなると思います。





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by lunabura | 2013-10-27 21:51 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(2)

物部氏 どっちが古い?


物部氏 どっちが古い?

「物部はどっちが古いですかね」
全く同じ質問を二人の男性から続けて受けた。
一人は土曜日。もう一人は三日後の火曜日に。
私が誰かと古代史の話をする機会は、最近ではこの二人だけだったので、
立て続けの質問だったということになる。

「どっち」というのは、もちろん「遠賀川流域か、筑後川流域か」ということだ。

私も、同じ関心を持ったことがあったけど、いつの間にか忘れていた。
今日はこれまで出会った伝承を羅列してみよう。

遠賀川流域
神武天皇が田川にやって来た時、迎えに来たのが馬見の物部の末裔・駒主命(こまぬしのみこと?)。(日若神社4)
神武天皇の祖神を祀り続けていて、馬を連れて来て、自宅に案内している。
この自宅というは馬見神社の近くになるのだろう。

神功皇后の時代には仲哀天皇を支えた物部に
嶋戸物部(高倉神社)と新北物部(鞍手郡)が出て来るので、
中流域から河口付近にかけて物部の勢力図があったもよう。
鞍手の物部氏は剣から生まれた剣神の三女神を祀って、三女神の六ケ岳降臨神話を育んだ。

そして、『日本書紀』に出て来る物部胆咋(いくひ)が神功皇后を連れて材木調達している。
大元稲荷神社(小倉南区徳力)を中心にして森林を掌握していたらしい。

その胆咋が筑後川流域では神として祀られている。
その神社が高良下宮社(久留米市)。胆咋は両流域に現れるキーパーソンだ。


筑後川流域
三女神を祀る水沼の君の祖に物部の名が見える。
水沼の君の祖は国乳別命だと『日本書紀』か『古事記』に書かれているが、
実際はもっと古くから筑後川流域にいた。
少なくとも景行天皇の時代に猿大海が出て来る。
国乳別命は神功皇后の時代の人物だ。

そして竹内宿禰とともに高良下宮社の祭神となっているのが先程の胆咋。
この胆咋が高良山に関わる物部氏の基盤になったのではないかと秘かに思っている。

また、さらに筑後川を遡ると物部さんが現在もいて、
かつては他の人々が入れない領域を持っていたという。
この物部氏はさらに古いのではないかと考えている。

そうだ、下流域のこうやの宮では七支刀を持っていた。

こうして両川の物部を比べると、三女神信仰をするのは水沼と宗像だけでなく、
物部氏もまた該当していたことに気付かされる。

真鍋大覚はどう伝えていただろうか。

曽我稲目(そがのいなめ)は伊都郡と那珂郡の間に新開の土地を開き、筑紫の国造磐井と共に473年の洪水を修めたのであるが、神崎の物部氏と那珂の中臣氏の間に水利の紛争が昂じて、552年の仏像を巡っての対立に及んだ。

葛生(くず)の氏族を「つづらみびと」と言った。星占の達人の家系であった。一般に「つづら」とは黄道から南天の星を見定める氏族であり、「かづら」とは黄道から北天の星を見取る氏族であった。
(略)
物部氏は元来は星辰を祭る家系で、その先祖は近東にあった。いつのころか中臣の氏族と和睦して、背振の北と南を領有していたのである。

恒星に対して遊星、彗星は振れ動き、又、揺れ偏って、その位置が定まることがない。それを「ふれ」と言い、そのわずかな方向の差別を物部・中臣の両氏は「つづら」と「かづら」にわけて、その観測記録を撮り続けた。
物部氏は星見(ものみ)の家系であった。

これは磐井の時代の話なので、5~6世紀になるが、物部氏のルーツは近東にあり、
佐賀県の神崎にいたと伝えている。

結論
以上が今日、なんとか思い出した物部氏の時代と所在地で、
これから伺えるのは
遠賀川流域には、神武天皇が生まれる前から物部氏はいたという事になり、
筑後川流域に関しては、時代的に指標となる伝承が得られていないので判断できない。
だから、どちらが古いのかまだ分からない。

こんな所かな。^^

それにしても、福岡の人には、どっちが古いのか気になるよね。
何でだろ~。


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(中途半端な地図)


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by lunabura | 2013-10-23 22:07 | 物部氏 | Trackback | Comments(2)

筑紫舞を見て来たよ・九州王朝の宮廷舞だった


筑紫舞を見て来たよ
九州王朝の宮廷舞だった


今日は宮地嶽神社の筑紫舞を見て来ました。
筑紫舞は毎年10月22日に奉納されていて、今年で30年を迎えたそうです。

菊村検校によって、宮地嶽古墳の中で舞われた舞。
筑紫舞を受け継いだ西山村光寿斎。
そしてその謎解きを依頼された古田武彦。

その古墳の舞を目撃した光少年。

私はその光少年に筑紫舞の存在を教えられたのですが、
絶えたかに思われた筑紫舞が宮地嶽神社そのものに伝えられていたことを
知った驚きと喜びは如何ばかりか。

20曲はあるという演目が、毎年少しずつ奉納されています。

見れば明らかなのですが、これは宮廷舞です。
宮地嶽古墳の被葬者に捧げる舞。
被葬者は安曇族であり、磐井の君の末裔である勝村・勝頼。

思えば私はこのブログで神功皇后の足跡を3年、辿ったのですが、
それは皇后を支えた氏族たちが明らかにする旅でもありました。

秘められた宮、小山田斎宮(古賀市)や斎宮(久山町)、
また宮処となった香椎宮(福岡市)など、
いったい誰が提供したのだろうかと推理する日々でした。

どう考えても、古代の福岡市から東の方にかけて、
こんな場所を知っているのは安曇族しかいない、と思っていたのですが、
船原古墳(古賀市)から金銅製の馬具が出土すると、
やはり、ここまで川を遡れるのは安曇族しかいないだろうと推理しました。

そして、まさか、宮地嶽神社もまた安曇族だったとは。


私の漠然とした推論は、神社の伝承を知って、形になってきました。

しかし、通説と違う結論を世に問うには傍証が必要だ。

そうして神社の周辺を探査するうちに、磐井の乱後の九州王朝のようすが見えて来ました。

八女を中心にしていた九州王朝の広さは想像以上に広く、安心院にも及んでいました。

磐井の君は各地の豪族と通婚して領土の安泰に努めたもようで、
この宮地嶽神社の周辺はその子・葛子の一族が治めていました。
葛子の子たちが勝村・勝頼です。

それを知って筑紫舞を見ると、ここに宮廷舞が伝えられた理由がはっきりと見えて来ました。

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今日は今から写真の整理です。^^








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by lunabura | 2013-10-22 20:13 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(3)

鹿毛馬神籠石(3)


鹿毛馬神籠石(3)


それでは、発掘現場の写真を紹介します。
(「あつまれ!!古代山城」古代山城サミット実行委員会より)

この神籠石は「神籠石系山城」というタイトルがついています。

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地形図です。
長い方の直径が約500m程度。外郭線の総延長は約2キロだそうです。
標高線を見てみると、フラットなのは石祠がある辺りほどで、
山に居館の存在を示す地形が見当たりません。

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A地点の発掘のようすです。暗渠(あんきょ)が2本あります。
第2暗渠は土塁の下を通っています。第1暗渠は土塁の切れた所。

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現地では「水門跡」と表示されています。

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これが暗渠のようす。きちんと蓋が造られています。
周囲は石コロが多いですね。意図的に集めれている印象です。


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土塁の中から出土した柱です。
柱を分析したら、土塁の建造の時代が分かるのでは?


以上、パンフレットからコピーしました。
桜もちさん、報告書に載っていたかもしれませんね。


ついでに、杷木神籠石(はきこうごいし)(朝倉市)について。
これは平地に水門が2か所あり、鹿毛馬神籠石のツイン版に見えます。
筑後川のすぐ横にあります!

筑後国造さんが、杷木神籠石の現場報告をしてあります。
「山歩き古墳巡り」杷木神籠石 ここにも被害が…
http://riki82.blog78.fc2.com/blog-entry-406.html

やはり同じように水が必要な施設だと思いますが…。

また、アラさんの話では、その対岸に石垣神籠石が発見されて、今は消滅しているとのことでした。
以上、推理のヒントにしてください ^^





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by lunabura | 2013-10-19 23:06 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(9)

磐井



ブログのテーマがあちこちと飛んでおりますが、
最近、私の目の前にあるテーマは磐井の乱後です。

伝承を調べていると、『日本書紀』の記事と実態がかなり違っていて、
『日本書紀』を引用することが気分的に出来なくなりました。

九州王朝について、初めてウィキペディアを読んだのですが、
古田武彦氏の説は私が見ている世界に近いのが分かりました。

目の前には、書き換えられた歴史の向こうに、真実の海が広がっていて、戸惑っています。



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by lunabura | 2013-10-18 23:35 | にっき | Trackback | Comments(2)

鹿毛馬神籠石(2)


鹿毛馬神籠石(2)

かけのうまこうごいし

福岡を中心に分布する神籠石(こうごいし)。
日本ではあまり知られていないとか。

先日探訪した神籠石、忘れないうちに、記録しておくことにしました。
何せ、写真を見直してみると、いったい何処を撮ったのか分からなくなりそうなんです。
筑後国造さんが行かれるので、情報提供でもあります。

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勢田から川沿いに車を走らせると、対岸にこのような山が次々と現れます。
まもなく案内板があり、壊れそうな小さな橋を渡ると、この山に入って行きます。
この山の中腹位に列石がぐるりと巡らされています。

道は未舗装ですが、すぐに車が数台止められそうな駐車場に出ました。
説明板があり、そこから赤い矢印に従って山に入っていくと、こんな感じ。

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神籠石に取りつく石段が現れます。

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ここから赤い矢印は左右どちらにも行けるようになっていました。
写真の右上はマウンド状になっていて、石祠があります。
後で行こうと思って右に行ったので、前回述べたように、戻りませんでした。


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これが神籠石。神籠石は高良山神籠石の名称から付けられた名前ですが、
このような列石は本来「八葉の石畳」と呼ばれていました。

高良山と比較して雰囲気はそっくりですが、列石は少し低い印象です。

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土砂が上から流れ込んでいるので、低くく見えるのでしょうか。
ここら辺のは、かなり長い石です。


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しかも、薄いです。このように押し出された石を見るとよく分かりますね。
これは列石の上に土塁を作ったり、何かを支えたりするものではなく、
単に境界を作り出しているのではないかと思われます。

簡単に構築するために、薄くて長い石を選ぶ、合理性が感じられます。


この列石は左にカーブします。すると、道路が見えました。

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山そのものが80m程度なので、ここの位置の標高はかなり低いのが分かります。


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このあと、50m程度でしょうか、山から出て、開けたところに出てしまいました。


正面に崩れかけた同じような風景があり、土手が先の方で切れています。
そして、列石は正面の山の中にもあるそうです。
手前に囲いが見えます。この囲いが水門跡です。

前回、「へ、平地じゃん」と驚いた地点です。


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道路に出て写しました。
この山の地形は馬蹄形になっています。

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U字型になっていて、私は写真の左の山を廻ったことがわかりました。

この広場、見ての通り山城ではござんせん。
地形図を見る限りでは、居館を作るほどの平地も見当たりません。
作業場みたいだと前回書きましたが、この平地は発掘されていて、
右と左に水路があり、蓋がされているのが分かっています。(暗渠)



広い地形を見ると、古遠賀湾の近くなのが分かります。
るな的な推理は、
葦が生い茂る古遠賀湾から葦を刈り取って、船でこの遺跡に運び込み、
正面の土手の奥で燃やして、鉄と灰に分ける作業をしていた所ではないかと思いました。
だから水が必要なのでしょう。
近くには溜池があり、周囲にも水が沢山ある山でした。


その点で、同じ神籠石の名を持つ高良山神籠石とは目的が違うように思われました。
高良山の場合は「神が籠る石」と「列石による結界」が原義です。

ここの「結界」は「境界」という意識が感じられました。
そう言う点で、高良山より近代的な「合理性」が感じられたのです。
規模が小さい点でも、洗練された工房だというのが第一印象でした。

今、改めて地図を見直すと五分の一ほどしか歩いていませんでした。
大胆な推論ですが、備忘用にメモしておきます。
みなさんも推理してみてくださいね。

続きは筑後国造さんにバトンタッチで~す ^^





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by lunabura | 2013-10-16 21:45 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(4)

鹿毛馬神籠石に行ったよ


鹿毛馬神籠石へ行ったよ(1)

今日は木月剣神社の写真の撮り直しに行ったついでに、
鹿毛馬神籠石(飯塚市・かけのうまこうごいし)に行ってきました。

剣神社(鞍手郡)からは30分ほど。いくつもの川を渡って飯塚市に抜けて行きます。
遠賀川流域は干拓されて広い水田を人々が作りだしたと思うと、
先人の苦労がしのばれます。
今日は稲刈りの真っ最中。

鹿毛馬神籠石は見学しやすいという、皆さんからの情報で選びました。
確かに分かりやすかったです。

案内標識が出てき出すと、「おっ、川じゃん。」
川沿いに車を走らせて、対岸に次々と出て来る小高い丘陵にきっとあるぞ。

小さな橋を渡って、無舗装道路を登ると、駐車場もありました。

矢印が要所にありました。涼しくて別天地。

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石が長い!
高良山神籠石の2~3倍はあります。
高さは同じ感じ。か、ちょっと低め。

このあと、神籠石に沿って右に行って、あれれ?
(あれれ?が最近多い(-_-;))
広場にでちゃった。
水の音がする。
そこに、「水門跡」が。
へ、平地じゃん。

と、驚きの連続でした。
こんなの、城じゃない。守りようがない。
作業場に違いない。

結局、ほんの一部歩いて、外に出てしまいました。
山に戻る気力なし。
現地案内板に、情報が書かれていたらよかったのになあ。


そう思いながら、帰途につきました。
あまり時間が取れないので、詳細は先々に。
ズボンを見ると、草の種が…。
昨年は天草で何百と種をつけてしまい、捨ててしまったことを思い出しました。(´・ω・`)


るなさんのブログ見て、お出掛けの方も増えたようですが、
長そで、手袋、帽子、すべらない靴、など必需品ですぞ。

神社でさえ、御用心。
福岡の神社は照葉樹が多いので、落ち葉がすべりやすいです。
今日は、るなパパが山道でスッテンコロリンするのを初めて見たよ (@_@;)





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by lunabura | 2013-10-14 20:27 | にっき | Trackback | Comments(28)

今日は、みあれ祭だったんだね


数日前から、宗像大社の「みあれ祭」のキーワードで検索して、
このブログに来られる方が多かったのですが、今日、10月1日がお祭りの日だったんですね。

どんな記事を書いたのかな、と読み直しました。
2010年の祭なので、3年前になるんですね。

この日はすごくいい天気で、堤防沿いにずらりとカメラを持った人が並んでいたのが印象的でした。

祭の時間が近づくと、お巡りさんが来て、堤防から降りるようにと注意されていました。
「堤防に乗らなくても写真は撮れますよ」
と言ってね。

はるか遠くに船団が見えると、数十人が一斉に連写を始めて、びっくりした。
カシャカシャカシャという音が凄かった。
みんなアマチュアカメラマンなのに、装備がすごい…。

るなは、自分のカメラに連写モードがついていることも、知らず、
一本、一本、撮った。望遠もなく…。
三年経って覚えている事はそんなことだけ…(+_+)

自分で読みなおして、ブログに書いてて良かったなあと、あの日の祭りの感動を思い出しました。

何と言っても、姉姫様たちを待つ市杵島姫の神輿が一番心に残っています。
誰も気づいていなかったよ。
だって、写真を撮りに行ったのは るなだけだったもん。

それにしても、昔の記事は、写真、ちっちゃいね…。

長年、一度行きたいなと思っていたら、その年、良く見える場所を教えて下さる方があって、
早速、行動に移したのですが、やはりタイミングは大切ですね。
あれから、行くチャンスはありませんでしたから。

今フォルダを見直すと、百枚以上も撮ってた。
まだまだ、いいシーンがあるじゃん。

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懐かしいな。でも、望遠でないので、やっぱりピンボケか…。




過去記事はこちら

宗像大社(6)みあれ祭
市杵島姫が姉姫さまたちを海上までお迎えに
秋季大祭は大船団の海上神幸から始まった
http://lunabura.exblog.jp/15221733/




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by lunabura | 2013-10-01 21:30 | 宗像大社・むなかた・宗像市 | Trackback | Comments(6)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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